↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
34/66

第33話 忘れられた友

 クラリッサの居場所は、すぐに、分かった。


 エルムウッド子爵家は、王都の南、花街の近くに、屋敷を構えていた。ヴィオラさんが記録庁の名簿で調べてくれた。私が知っている、あの気の強い、けれど誰より優しい友は、今も、変わらず、そこにいた。


 私は、一人で、行くと言った。


 アルヴェインさまは、少し、黙ってから、「門の外で、待っている」と言った。止めは、しなかった。この人は、私が、何をしに行くのかを、たぶん、分かっていた。


「無理は、しなくていい。……いや」


 彼は、言い直した。


「無理をしても、いい。だが、帰ってくることだけは、忘れるな。私は、ここに、いる」


「はい」


 私は、胸の内側の手紙に、そっと、手を当てて、歩き出した。



   ◇



 クラリッサは、屋敷の前の、小さな広場にいた。


 仕立てのいい若い令嬢たちと、日傘の下で、笑っていた。春の舞踏会の話でも、しているのだろう。頬が、健やかに、色づいていた。呪いの噂に怯えて、私と距離を置いたあの頃の、強張った顔は、もう、どこにも、なかった。


 元気そうだった。


 本当に、元気そうだった。


 私は、少し、離れた石畳から、その姿を、見ていた。声をかける勇気が、なかったわけではない。ただ、確かめたかった。


 私は、意を決して、近づいた。


「クラリッサ、さま」


 友が、振り返った。


 その目に、私の顔が、映った。


 ——けれど、そこには、何も、灯らなかった。


「あら。……ごめんなさい、どちらさま、でしたかしら」


 微笑みは、丁寧だった。初対面の相手への、行儀のいい、他人の微笑み。


 私は、その一瞬で、すべてを、理解した。


 友の中から、私は、もう、抜け落ちている。名前も、顔も、一緒に本を読んだ午後も、内緒話の全部も。「あなたのせいじゃない」と書いた手紙を渡す相手は、その手紙の意味を、もう、受け取れない。


「……失礼、いたしました。人違いを、したようです」


 私の声は、自分でも、驚くほど、静かだった。


「お知り合いの方に、少し、似ていらしたので。——お元気そうで、何よりです」


「まあ、ご丁寧に。ええ、おかげさまで」


 クラリッサは、令嬢の礼を返して、また、友人たちの方へ、向き直った。日傘の下の、明るい笑い声の中へ、戻っていった。


 私は、名乗らなかった。


 名乗って、思い出させることも、できたはずだ。ヴィオラさんのように、何度も会えば、記録の代わりに、なれたのかもしれない。けれど、私は、そうしなかった。


 クラリッサは、今、幸せそうだった。呪いの影のない、日傘の下で。


 私の名前を、思い出すということは、私の呪いを、思い出すということだ。友を、もう一度、あの怯えの中に、引き戻すことだ。——それだけは、したくなかった。


 覚えていてほしい。誰より、そう思う。


 でも、それ以上に、この人には、笑っていて、ほしかった。



   ◇



 私は、広場の隅の、石のベンチに、腰を下ろした。


 胸から、手紙を、取り出した。


 クラリッサ・エルムウッド、と書いた宛名を、指で、なぞった。


 この手紙は、もう、届かない。届けても、意味を、成さない。それでも——ここに、置いていこう、と思った。渡すのではなく。いつか、風にでも、拾われて。誰かの記憶にでも、紛れて。友の、幸せの、その、うんと外側に。


 私は、手紙を、ベンチの、日の当たる隅に、置いた。小さな石を、飛ばないように、載せた。


「……さようなら、じゃ、ないから」


 誰にも、聞こえない声で、言った。


「忘れても、いいから。あなたは、幸せに、なって。私は——覚えている。あなたの、笑った顔を。今日の、この、日傘の色を。全部。私が、覚えているから、いい」



   ◇



 立ち上がろうとした、その時だった。


 手首の腕輪が、ふっ、と、軽くなった気がした。


 見ると、七つの座のうち、四つ目の星が——ずっと、淡く灯っていた、④の座の光が、す、と、細く、細くなって。


 消えた。


 音も、なく。痛みも、なく。ただ、一つ、灯りが、減った。


 友の座が、暗く、なった。


 私は、その暗くなった一点を、しばらく、見つめていた。涙は、出なかった。もう、覚悟していた。今日、ここへ来る前から、たぶん、知っていた。


 残りは、三つ。


 家門。母。そして、私自身。



   ◇



 広場を、出た。


 人通りの多い、大通りに、出た。


 夕暮れの街は、人で、溢れていた。買い物帰りの女たち。荷を担ぐ男たち。走る子どもたち。誰もが、誰かの名を呼び、誰かに、呼ばれていた。


 その、賑わいの、まん中で。


 私は、ふと、立ち止まった。


 誰も、私を、見ていなかった。


 肩がぶつかっても、「失礼」の一言も、なかった。目が合っても、素通りだった。まるで、私が、そこに、いないみたいに。


 ——私は、本当に、ここに、いるのだろうか。


 ぞっ、と、した。


 友に忘れられ、街に見られず、この、十二万人の中で、私という輪郭が、じわじわと、水に溶ける絵の具のように、滲んで、いく。名前を呼ぶ人が、一人も、いない場所で、人は、こんなにも、簡単に、自分が、分からなく、なる。


 私は、ここに、いる。


 いる。


 いる、はず——。


 人混みの向こうに、門があった。門の外に、一つ、動かない影が、あった。


 私を、待っている、影が。

お読みいただきありがとうございます。


友は、もう、エステルを忘れていました。

名乗らず、「お元気そうで」と、彼女は去りました。

渡せなかった手紙を、日の当たる隅に、置いて。


四つ目の星が、消えました。残りは、三つ。


次回、第34話「聖名広場の夜」。

群衆の中で、自分の輪郭が、溶けていきます。


ブックマーク・評価・感想、何卒、お願いいたします。

日傘の下で笑う友と、置いてきた一通の手紙に、☆ひとつ、お力添えを。


蒼空ルーシェ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。