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第24話 十七枚の、足あと

「証拠二号。仕立て屋『ベルローニ』の台帳の写し」


 ヴィオラさんの声が、審査室に、響いた。


「十二年前の春。『メルローゼ家ご長女さま、春のドレス。若草色。袖口に、星の刺繍をご希望』。——申立人に、問います。このドレスを、覚えていますか」


「覚えています。袖の星は、七つ、お願いしました。仕立て屋のおじいさんが『お嬢さんは星がお好きですなあ』と笑って、お代はそのままで、八つ目を、襟の裏の、見えないところに、縫ってくださいました」


「台帳の、欄外の備考を、読み上げます。『襟裏に一つ、おまけ。内緒』。——一致します」


 審査官たちが、身を、乗り出した。


「証拠五号。本屋『琥珀堂』の配達記録、九年分。お買い上げの書名が、記録されています。申立人、最初に配達された本の題名を」


「『星と暦の図鑑』です。八歳の、誕生月でした。祖母が、贈ってくださいました」


「記録と、一致します。証拠八号。家庭教師、エルナ・ヴァイス先生の、月謝の領収綴りと、指導記録。『エステルさまは、一度読んだ詩を、すべて諳んじられる。末恐ろしい記憶力である』——十年前の記述です」


 一枚、また一枚。


 ヴィオラさんは、私の十七年を、紙で、辿り直していった。仕立て屋の星。本の題名。家庭教師の驚き。靴屋の木型に残った「左足がわずかに小さい」という注記まで。


 父の雇った法務官は、最初の何枚かには、いちいち異議を唱えた。「写しの真正性が」「商人の帳面ごときが」。けれど、五枚目あたりから、口数が、減った。十枚目からは、黙った。


 紙は、強かった。


 一枚なら、ただの紙切れ。けれど十七枚が、十七年の歳月に沿って、矛盾なく並ぶと——それは、紙の城壁だった。誰かが、ここに、生きていた。その事実の前に、弁舌は、ただの、風だった。


「以上、十七点。すべての記録が、申立人の陳述と一致しました。記録庁書記官として、報告します。——申立人エステル・メルローゼは、実在します。十七年間、実在してきました。そして今、ここに、実在しています」


 ヴィオラさんは、報告書を、閉じた。


「この方の記録を抹消することは、行政の手続きでは、ありません。——紙の上の、人殺しです」


 審査室が、しん、と、なった。


 主任審査官が、咳払いを、一つした。


「……書記官の最後の一文は、記録から、削除する。が」


 老審査官は、眼鏡を外して、ヴィオラさんを見た。


「心情としては、書記官に、同意する」



   ◇



 結審の前に、主任審査官は、最後に、父に発言の機会を与えた。


「願出人。何か、述べることは」


 父は、のろのろと、立ち上がった。


 そして、私のほうを見ないまま、言った。


「……手続きに、瑕疵があったのなら、それは、遺憾である。だが、当家には、当家の事情がある。聖女を出した家門に、呪いの娘の記録が残ることが、どれほどの——」


「ゲルハルト・メルローゼどの」


 主任審査官が、静かに、遮った。


「あなたに、一つだけ、訊いておきたい。手続きの話では、ない」


 老審査官は、机の上の、一枚の紙を、掲げた。母の手紙に、折り込まれていた、あの紙——「エ」の字で、埋め尽くされた紙の写しを。


「あなたの奥方は、夜ごと、この紙に向かっていたそうだ。霧の向こうの、娘の名前を、呼び戻そうとして。……あなたは、この三月、夜ごと、何をしておられた」


 父は、答えなかった。


 答えられないことが、答えだった。


「結審する。判断は、七日以内に、文書で通知する。——本日は、閉廷」



   ◇



 支所の外に出ると、夕暮れだった。


 馬車寄せで、父と、すれ違った。


 父は、立ち止まった。私も、立ち止まった。三月ぶりの父は、私の顔の、少し横の空気を見ていた。焦点の合わない目で。


「……お前は」


 父は、何かを言いかけて、やめた。そして、別のことを、言った。


「お前は、誰に似たのか、昔から、妙に、物覚えがよかった」


 お前、と。


 最後まで、名前は、呼ばれなかった。呼べなかったのか、呼ばなかったのか、それすらも、もう、分からなかった。父は、それきり、馬車に乗り込み、走り去った。


 砂埃の向こうに消える馬車を、私は、ただ、見送った。


「……いいのか」


 隣で、アルヴェインさまが、訊いた。


「何か、言わなくて」


「はい。いいんです」


 自分の声が、思ったより、晴れていることに、驚いた。


「気がついたんです。私、あの人に、言いたいことが、何もありませんでした。怒りも、悲しみも、あの審査室に、置いてきました。……母には、山ほど、あります。クラリッサにも。マルゴにも。でも、あの人には、何も。——それが、私の、答えだったみたいです」


 アルヴェインさまは、頷いた。


「記録しておく。『審査の日、エステルは、父に、何も言い残さなかった。言い残す必要が、なかったからだ』」


「ふふ。なんですか、それ」


「君の記録の、今日の頁だ。……いつか君が読み返す日のために、いい一日は、いい文章で、残しておきたい」


 帰りの馬車の窓から、北の山なみが、見えた。


 あの山の上で、四つの灯りが、私たちを、待っている。


お読みいただきありがとうございます。


十七枚の、足あとでした。

「紙の上の、人殺しです」——ヴィオラさんの一言は、記録から削除されましたが、

この物語には、残しておきます。


父は、最後まで、名前を呼びませんでした。

エステルには、もう、それで、よかったのです。


次回、第25話「七日後の通知」。

判決、そして——もう一人の足音。


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