第14話 四つ目の灯り
翌朝、ロゼリアは、宣言どおり、朝一番に発った。
別れの挨拶は、なかった。白い馬車が、坂を下っていくのを、私は窓から、一人で見送った。
十六年間、妹だった人。
馬車が見えなくなっても、悲しみは、思ったより、来なかった。来たのは、奇妙な静けさだった。長いあいだ正体の分からなかった痛みに、昨日、初めて、名前がついた。名前のついた痛みは、名前のないままの痛みより、ずっと、抱えやすい。
「エステルさま。朝ごはんですよ」
ハンナさんの声に、私は、階段を降りた。
◇
食卓は、いつもより、静かだった。
テオが、スープを、ちっとも飲んでいなかった。匙で、具を、いったりきたりさせている。
「テオ。お腹、痛いですか」
「……ちがう」
「では、お口に合いません?」
「ちがう、けど」
テオは、匙を置いて、俯いたまま、小さな声で、言った。
「……のこりかす、って、ほんとう……?」
食卓の音が、止まった。
「ぼくの、かあさまの記録、消されたって。ぼく、処理されるはずだったって。あのひと、言ってた。ぼく、ほんとうは、ここに、いちゃいけない子……?」
ハンナさんが、何か言おうとして、言葉に詰まった。私も、膝の上で、手を、握りしめた。あの日、廊下に響いた毒が、やっぱり、この子の中に、残っていた。
そのとき。
「テオ」
上座から、アルヴェインさまが、言った。
「食事のあと、屋根に登る。手伝え」
「……や、ね?」
「灯りの、点検だ」
◇
星灰の塔の最上階、星見台のすぐ下に、その部屋はあった。
私は、初めて入った。四方の壁に、大きな窓。それぞれの窓辺に、真鍮の、古いランプが、据えられている。北の窓に、一つ。東に、一つ。西に、一つ。——そして南の窓辺に、空の台座が、一つ。
「この塔の灯りは、麓から見える」
アルヴェインさまが、北のランプに、火を入れながら、言った。
「三百年前から、この地方では、こう言われている。『塔の灯りの数は、塔の家族の数』。旅人は、灯りを数えて、塔に人がいることを知る。……北が、モリス。東が、ハンナ。西が——テオ。お前のだ」
「ぼ、ぼくの……?」
「五年前から、ずっと、お前のだ」
テオの目が、まんまるに、なった。
「処理されるはずだった者の灯りを、番人が五年間、毎晩点けると思うか。……お前はこの塔の、記録係見習い、兼、頁押さえ係、兼——家族だ。台帳にも、そうある。教会の帳簿がなんと言おうと、この塔の台帳のほうが、古くて、正確だ」
テオは、西のランプに、駆け寄った。真鍮の縁を、小さな両手で、そうっと、撫でた。それから、振り返って、笑った。くしゃくしゃの、顔で。
「それで、だ」
アルヴェインさまは、南の、空の台座の前に、立った。
「今日は、点検ではなく、本当は、設置だ。……モリス」
階段から、モリスさんが、息を切らせて、現れた。両手に、布に包まれた、何かを抱えて。ハンナさんも、続いた。
布が、解かれた。
新しい真鍮のランプだった。よく磨かれて、台座の縁に、小さな文字が、彫られていた。
『エステル ——当塔、四つ目の灯り』
「……わ、私の……?」
「先週、村の鍛冶屋に頼んだ。文字は、モリスの指定だ」
「彫り賃を、まけさせましたぞ」
「あたしは、磨き係です」
声が、出なかった。
南の窓辺に、ランプが、据えられた。アルヴェインさまが、火種を、私に、差し出した。
「自分の灯りは、自分で、点ける。この塔の、決まりだ」
私は、震える手で、火を、移した。
灯心が、ぽ、と灯った。小さな炎が、揺れて、それから、まっすぐに、立った。窓硝子に、私の灯りが、映った。その向こうに、辺境の、暮れていく空。
あの夜——馬車の窓から、三つの灯りを見上げた、あの夜の私に、教えてあげたい。
あなたの灯りが、いつか、あそこに増えるのだと。四つ目として。ちゃんと、名前を彫られて。
「これで、当塔の灯りは、四つ」
アルヴェインさまが、言った。
「麓の村の子供は、今夜から、四つ数えることになる」
「アルヴェインさまの灯りは、ないんですか?」
テオが、訊いた。私も、ずっと、不思議だった。番人の灯りが、ない。
「番人に、灯りは、要らない」
彼は、窓の外の、最初の星を見た。
「塔そのものが、番人の灯りだ。……それに」
それに、の続きは、とても小さくて、たぶん、私にしか、聞こえなかった。
「数える側に、回ると決めている。三百年前から」
◇
その夜、麓のルメール村から、塔を見上げた人は、気づいたはずだ。
三百年間、多くて三つだった塔の灯りが——今夜は、四つ、点っていることに。
——消えた星の光は、それでも、届いています。
偽物の星より、ずっと、遠くまで。
お読みいただきありがとうございます。
第2章「聖女さまの巡礼」、これにて、お開きです。
南の窓辺に、四つ目の灯りが、点りました。
台座には『エステル』。自分の灯りは、自分で点けるのが、塔の決まりです。
次回、第15話「大司教さまの書状」。
第3章「七つ目の石」、始まります。
王都から、最初の「公式な」敵意が、届きます。
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