第15話 大司教さまの書状
ロゼリアが去って、半月が、過ぎた。
塔の暮らしは、穏やかに戻った。私は書庫の仕事を覚え、テオは頁押さえから「読み上げ係見習い」に昇格し、ハンナさんの星菓子の生地は、もう、減らした記憶がないという。
その朝、王都から、一通の書状が届いた。
黒い革の筒。金の箔押し。教会の最高位だけが使う、双頭の鷲と星の紋章。
「……大司教の、直筆だ」
アルヴェインさまが、封を、検めた。広間の机に、全員が、集まった。
『星灰の塔、番人どの
聖女ロゼリア様の巡礼に際し、貴塔の応対、報告にて承った。
遺憾の意を、表明する。
さて、本題である。
貴塔が保護する献星(メルローゼ家長女)について、教会法務院は、以下の通り通告する。
一。献星は、聖女叙任の儀の付属物であり、その身柄の管理権は、教会に帰属する。
一。ついては、当該献星の身柄を、教会の定める「静修院」に移送する。
一。移送の期日は、追って沙汰する。貴塔は、これに備えられたし。
なお、貴塔が王家の特許状を盾に移送を拒む場合、教会は、特許状そのものの効力について、王宮に再審を申し立てる用意がある。三百年前の紙切れが、現在の信仰に優先するか否か——王宮と教会の、どちらに重きがあるかは、賢明な番人どのには、お分かりのことと思う。
レンフォルド大司教 ガリウス』
読み上げが終わると、広間は、静まり返った。
「身柄の、管理権……」
ハンナさんが、声を、震わせた。
「付属物って——人さまを、つかまえて、付属物って」
「静修院、というのは」
私の問いに、答えたのは、モリスさんだった。老司書の声は、いつになく、固かった。
「……教会の、施設で、ございます。表向きは、祈りと静養の家。ですが、過去の記録では」
彼は、棚から、一冊の帳面を、抜いた。九十年前の、献星の記録だった。
「九十年前の献星、リディアさまは、当塔より教会に『保護』を移されました。静修院に入られて——記録は、そこで、途切れております。文も、面会も、一切、許されず。石が全て消えるまで、外には、何も」
つまり。
静修院とは、井戸に、蓋をする場所だ。汲まれていく水が、騒がないように。誰の目にも、触れないように。
「エステル」
アルヴェインさまが、書状から、顔を上げた。
「先に、結論を言う。君は、渡さない」
迷いの、欠片もない声だった。
「だが、敵の出方も、正確に伝えておく。この書状は、脅しだが、はったりではない。特許状の再審は、現実に申し立てられるだろう。王宮には、教会の息のかかった官吏が多い。審理には、早くて三月、長くて半年。その間、移送は保留になるが——審理に負ければ、塔は、君を守る法的な盾を、失う」
「……はい」
「時間の勝負に、なる。そこで、だ。モリス」
「は」
「君の残り時間の、最新の推計を。先月の計測の結果も、合わせて」
モリスさんは、帳面を、繰った。
「先月の計測時点で、第三石は、九割がた、消灯。聖女様の『奇跡』が、王都で、月に二度の頻度で行われている前提で、引き直しますと——」
老司書は、一度、私を見た。私は、頷いた。
「残り五つの石が、すべて消えるまで。およそ——十月、で、ございます」
十月。
一年だったはずの猶予は、妹の「奇跡」のたびに、前借りされて、縮んでいた。
「整理する」
アルヴェインさまの声は、あくまで、静かだった。
「敵は、大司教ガリウス。武器は、教会法と、王宮への影響力。狙いは、君を静修院に隔離し、誰にも見えない場所で、最後の石まで、汲み尽くすこと。——対するこちらの武器は、特許状と、三百年分の記録と、十月の時間。以上だ」
彼は、書状を、机に置いた。
「絶望するには、早い。記録は、こちらが、三百年分、多い」
◇
その夜、私は、星見台に登った。
眠れなかったのだ。十月、という数字が、胸の上に、座っていた。
星見台には、先客がいた。
「……眠れないか」
「アルヴェインさまこそ」
「私は、いつも、ここにいる。夜は」
彼は、欄干に、もたれていた。満天の星が、彼の上に、広がっていた。
「エステル。一つ、訊いていいか」
「はい」
「怖いか」
正直に、考えた。考えてから、答えた。
「怖いです。でも、王都にいた頃の怖さとは、違います。あの頃は、何が起きているか分からないのが、怖かった。今は、敵の名前も、残りの月日も、分かっています。それに——」
夜空の下で、息を、吸った。
「十月あれば、できることが、たくさん、あります。テオの名前も、探したい。歴代の方たちの記録も、整理したい。ハンナさんに、菓子も習いたい。……忘れられるまでの時間ではなくて、覚えてもらうための時間だと、思うことに、しました」
アルヴェインさまは、何も、言わなかった。
ただ、欄干の上の、彼の手袋の手が、一度、強く、握り込まれたのを——星明かりが、照らしていた。
お読みいただきありがとうございます。
第3章、開幕です。
大司教ガリウス、書状にて、参戦。
「献星は、付属物である」——人を、付属物と呼ぶ人が、敵です。
猶予は、一年から、十月に縮みました。
それでもエステルは「覚えてもらうための時間」と呼びました。
次回、第16話「三つ目の石」。
ついに、社交界の輪が、消えます。
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