第64話 始まりの鐘の音
真っ暗な部屋。
その静寂を破るように、複数のディスプレイだけが淡い光を放っていた。
その光に照らされ、小さな人影がコントローラーを握っている。
指先がボタンを押し、スティックを倒すたび、画面の光が揺れ、その影もまた静かに揺らめいた。
その背後へ――。
音もなく、もう一つの影が現れる。
「総帥。準備が整いました」
その一言で、コントローラーを操っていた手がぴたりと止まった。
数秒の沈黙。
やがて、小さな影がゆっくりと口を開く。
「それじゃあ――始めようか」
ディスプレイの淡い光に照らされた口元が、ゆっくりと吊り上がる。
その笑みは、どこか無邪気で――狂気じみていた。
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陰務省本部・観測室。
けたたましい警報音が室内に鳴り響いていた。
中央のホログラムへ投影された日本地図。
その上には、制縛部隊が向かった福島県を含む七か所で、同時に強大な異災反応が観測されていた。
「あり得るのか……こんなことが……」
一人の観測員が呆然と呟く。
だが、その言葉に返す者はいなかった。
室内には警報だけが鳴り続ける。
誰もが言葉を失い、ただホログラムを見つめていた。
その時、自動扉が勢いよく開いた。
「何事ですか!」
鋭い声が室内へ響く。
全員が一斉に振り返った。
そこに立っていたのは、副総監・相楽澪だった。
相楽は中央のホログラムへ目を向ける。
七つの異災反応。
その光景に一瞬だけ目を見開く。
だが、次の瞬間には表情を引き締め、即座に指示を飛ばした。
「すぐに各地点の詳細を確認しなさい!私は各部署へ連絡し、総監へ指示を仰ぎます!」
しかし――。
誰も動かない。
突然の異常事態に、その場の誰もが思考を止めていた。
「今すぐ!」
相楽の一喝が室内に響く。
その声で我に返った観測員たちが、一斉に端末へ向かった。
「は、はい!」
怒号とキーボードの打鍵音が入り混じる中、相楽は踵を返す。
そして、一刻を争うように総監室へ向かって駆け出した。
相楽は脇に抱えていた端末で最低限の情報共有を済ませると、さらに足を速めた。
額には汗が滲んでいる。
総監室へ辿り着くなり、ノックもせず勢いよく扉を開け放った。
普段なら慌てて体裁を取り繕う緋珠だったが、今回は違った。
机越しに、静かに相楽を見つめる。
「現状は?」
「詳細は現在調査中です。しかし、日本各地で、制縛部隊が向かった福島県を含む七か所に壱災位級の異災反応を確認しました」
その報告を受けても、緋珠は顔色ひとつ変えない。
ただ静かに、続きを促した。
相楽は端末へ視線を落とし、簡潔に読み上げる。
「福島県――壱災位呪物《傀儡鐘》。現在、御門副隊長率いる制縛部隊が現地で対応中」
「東京都――壱災位反応を確認。高速で移動を続けており、詳細不明」
「愛知県――郊外にて壱災位反応を中心に、その周囲でも複数の異災反応を確認。詳細不明」
「京都府――稲荷神社にて壱災位反応を確認。詳細不明」
「徳島県――山間部にて壱災位反応を確認。詳細不明」
「広島県――海岸沿いにて壱災位反応を確認。詳細不明」
「宮崎県――市街地にて壱災位反応を確認。詳細不明」
報告が終わる。
室内に沈黙が落ちた。
緋珠は腕を組み、ゆっくりと目を閉じる。
緋珠の中では、すでに一つの結論が出ていた。
これは自然発生ではない。
何者かが意図的に引き起こした騒動だ。
だが今は、その黒幕を探るよりも先に、この混乱を鎮めなければならない。
緋珠はゆっくりと目を開き、相楽へ視線を向けた。
「澪ちゃん。今すぐ動ける部隊を編成して。心苦しいけど東隊長にも動いてもらわないと手が足りないわ」
「はい」
「優先順位は東京。次いで徳島と広島よ」
相楽は一瞬考え、問い返す。
「愛知……それに京都や宮崎はよろしいのですか?」
「宮崎と愛知は、わざわざこちらから動かなくても大丈夫でしょう。一応これから連絡するから、多分問題ないわ」
その一言で、相楽も意図を察した。
「確かに……愛知には夜桜、宮崎には言祝家が動いてくれるでしょうが」
そう言いながらも、その表情は晴れない。
「ですが……京都は」
「鷹宮のことでしょ?」
緋珠は小さく笑う。
「大丈夫よ。あそこは最近やらかしたばかりだもの。ここで働きを見せて、少しでも株を戻したいはずよ」
「……だといいのですが」
相楽はなおも不安げだった。
「それより」
緋珠は軽く手を振る。
「澪ちゃん、お願いね」
「……はい」
短く返事をすると、相楽は総監室を後にした。
緋珠は深く息を吐き、背もたれへ身体を預けた。
「よりにもよって……東隊長が休みの日に」
その瞬間。
緋珠の目がわずかに見開かれる。
――この騒動は、明らかに人為的だ。
黒杖家当主の死。
全国七か所での同時異災。
そして、殲異部隊長・東冥斬の不在。
「……まさか」
緋珠は小さく呟く。
「わざわざ、この日を狙った……?」
そうだとすれば。
事前の綿密な準備はもちろん、御三家である黒杖家の当主を討ち、さらに陰務省殲異部隊隊長・東の動向まで把握していたことになる。
もちろん、東が今日休暇を取ること自体は、長く陰務省に勤める者なら知り得る情報ではある。
(……だけど)
あまりにも、出来過ぎている。
一つひとつは偶然で片付けられても、それらが重なれば話は別だ。
緋珠は静かに首を横へ振った。
「……やめましょ」
誰に言うでもなく、小さく呟く。
「ここで疑心暗鬼になっていたら、余計に被害が広がるだけ」
そう言うと、緋珠は端末を手に取り、静かに操作を始めた。
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その頃――。
床に就いていた白依は、不意に目を覚ました。
ゆっくりと身体を起こし、無意識に胸元を掴む。
「……じじい」
理由は分からない。
だが、胸の奥がざわつく。
何かが起きている。
そんな得体の知れない感覚だけが、白依を強く揺さぶっていた。
一方、哀の部屋で眠っていた焔羅もまた、同じように目を覚ます。
「この感覚は……」
焔羅も胸騒ぎを覚え、静かに身を起こした。
それは偶然ではない。
この時刻は――陰務省観測室が、日本各地で発生した異常を同時に検知した、その瞬間と一致していた。
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「――それじゃあ、はい。よろしくお願いしますね」
通話を終え、緋珠は端末を耳から離して机へ置いた。
「ふぅ……一先ず、これで良しと」
椅子の背もたれへ身を預け、天井を見上げる。
「神格反応に始まって、怪異の活発化」
一つ。
「白い童の出現」
二つ。
「黒杖家分家の炎上……と思ったら、今度は本家当主の死亡」
三つ。
「そして、七か所同時の壱災位級異災」
四つ。
ここ数か月で起きた異変が、頭の中で一本の線になりかけていた。
思わず乾いた笑いが漏れる。
「……はは、詰め込みすぎでしょ」
その時、総監室の扉がノックされた。
「どうぞ」
今度はきちんとノックをしてから、相楽が入室する。
その表情だけで、状況がさらに悪化していることが伝わってきた。
「部隊編成が完了しました」
そう言って端末を差し出す。
緋珠は内容へ目を通すと、短く息を吐いた。
「……やっぱり、手が足りないわね」
「はい」
「東隊長は?」
「何度も連絡を入れましたが、応答はありません」
「そう……」
相楽は続ける。
「人的・物的被害を考慮し、人口や建物が集中している東京には結城隊長率いる制縛部隊、夜凪副隊長率いる殲異部隊、そして祓医部隊の一部を向かわせようかと」
しかし、その表情はさらに曇る。
「そうなると、徳島と広島へ向かわせる戦力が不足します。壱災位を鎮圧するには心許ありません」
緋珠は端末へ視線を落とした。
徳島県。
籠杜隊長率いる隠密部隊。
如月副隊長率いる祓医部隊。
広島県。
毒島隊長率いる祓医部隊。
御影副隊長率いる隠密部隊。
どちらも優秀な部隊ではある。
だが、壱災位との正面戦闘を想定すれば、戦力不足は否めなかった。
しばらく考えた後、緋珠は静かに口を開く。
「広島と徳島は、目的を変更しましょう」
「……それは?」
「今は、とにかく被害を抑えることを最優先にするの」
緋珠は相楽を真っ直ぐ見据えた。
「もちろん原因を解決できるなら、それが一番よ。でも、これだけ広範囲で同時に壱災位案件が発生した前例なんてない」
一拍置く。
「非情かもしれないけど、全部を完璧に抑え込もうなんて、最初から無理なの」
その声は冷静だった。
だからこそ重い。
「今は迅速に民間人の避難救助と、建物を含めた二次被害の抑制を最優先に。鎮圧は、その次でいい」
相楽は力強く頷いた。
「はい」
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「最悪中の最悪ですね……」
御門が低く呟く。
隣の片桐も苦く笑った。
「……まったくです」
御門は目の前の存在を真っ直ぐ見据える。
それは、かつて《傀儡鐘》と呼ばれていたもの。
だが、今はその姿も、その脅威も、まるで別物だった。
次の瞬間。
御門はその僅かな動きを捉え、即座に叫ぶ。
「総員、引け!」
その直後――。
ゴォォォン。
空気そのものを震わせるような重い鐘の音が響いた。
「っ……!」
御門は咄嗟に《遮呪》の護符を展開し、防御する。
壱災位保持者であり、陰務省屈指の符術士である御門。
その防御術式すら貫通しようとする鐘の呪音。
残響は隊員たちの悲鳴さえ飲み込んでいく。
御門は片膝をつきながらも、決して目を逸らさなかった。
先ほどまで三メートル余りあった巨大な鐘。
それは今や、人の頭ほどの大きさまで縮んでいた。
そして――。
鐘の下から、真紅の着物を纏った身体がゆっくりと姿を現す。
(動きを見る限り……)
御門の表情が強張る。
(こいつには、自我がある……!)
真紅の着物が、一歩踏み出す。
その一歩は、まるで一人の人間のように自然だった。
(しかも……)
御門の背筋に冷たいものが走る。
(自律型……!)
自我を持たぬにもかかわらず、その脅威と特性で壱災位に認定されていた《傀儡鐘》。
その《傀儡鐘》が今、自我を持ち、さらに自律型へと変貌した。
それは――もはや壱災位という枠組みすら超えようとしている脅威だった。
(正直……弐災位保持者では、自分の身を守るだけで精一杯ですね……)
御門は横目で片桐を見る。
その瞬間、思わず目を見開いた。
片桐は肩で荒く息をつきながらも、なお刀を構え立っている。
だが、その両耳からは、とめどなく血が流れ続けていた。
御門の視線に気付いた片桐は、困ったように苦笑すると、自分の耳を指差した。
「大丈夫ですよ」
掠れた声で笑う。
「鼓膜は自分で破りました」
御門は思わず何かを言いかける。
――何が大丈夫なんですか。
その言葉は喉元まで込み上げた。
だが、飲み込んだ。
片桐は肩で息をしながらも、どこか照れくさそうに笑う。
「音が聞こえなければ何とかなるなんて、安直に考えましたが……駄目ですね」
自嘲気味に肩をすくめる。
「相手は呪いですから。多少はマシなんでしょうけど……」
そして、真剣な表情で御門を見た。
「副長は、真似しちゃ駄目ですよ」
少しおどけて見せるその姿が、かえって御門の胸を締め付けた。
(情けない……不甲斐ない……)
御門は唇を強く噛み締める。
さらに数枚の護符を両手へ挟み込み、《傀儡鐘》を鋭く睨みつけた。
――その時だった。
目の前の存在が取った行動に、御門の思考は一瞬で停止した。
そして――。
ゴォォォォォン。
今日、一番大きな鐘の音が鳴り響いた。
それは山々を震わせ。
空気を裂き。
どこまでも届くかのように、いつまでも残響を響かせ続ける。
偶然だったのか。
それとも、必然だったのか。
その鐘の音が鳴り響いた、まさにその瞬間。
日本各地で、同時に異災反応が検知された。
その音は、まるで何かの始まりを告げるように、日本中へ響き渡っていく。
――始まりの鐘の音。




