第63話 沈黙
「緋珠総監。結城隊長が出ないのであれば、壱災位案件ですし、殲異部隊にも出動要請をした方がよろしいのでは?」
相楽の提案に、緋珠は小さく首を横へ振った。
「今日、東隊長は休暇を取ってるわ。殲異部隊を動かすなら連絡しないとだけど」
その一言で、相楽ははっと息をのむ。
「あ……今日は、奥さんと娘さんのご命日でしたね……」
申し訳なさそうに目を伏せる。
「ええ」
緋珠は静かに頷いた。
(せめて今日くらい何事もなく終わってほしかったのだけれど……)
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福島県――山々に囲まれた片田舎の小さな村。
その入口付近には、陰務省の軍用車両が数台並び、慌ただしく隊員たちが行き交っていた。
その一角に設けられた簡易テント。
そこには、純白の衣をまとった細身の女が静かに腰掛けていた。
制縛部隊副隊長――御門皐月。
そのもとへ、一人の隊員が足早に駆け寄ってくる。
「御門副長!」
荒い息を整えながら報告を始めた。
「村の全家屋を確認しましたが、残念ながら……」
言葉はそこで途切れる。
苦虫を噛み潰したような隊員の表情が、家々で目にした惨状のすべてを物語っていた。
御門は静かに目を伏せる。
「……そう。間に合わなかったのですね」
「はい」
隊員は重々しく頷いた。
「喜林寺の方は、まだ確認できていませんが……」
御門は返事をせず、手にしていた資料へ静かに視線を落とした。
資料には、今回の任務内容が簡潔に記されていた。
第一優先――近隣住民の安全確保。
第二優先――喜林寺関係者の救援救助。
そして最後に、本案件の原因である壱災位呪物《傀儡鐘》の再封印。
傀儡鐘は鐘の音を媒介として人を狂気へ誘い、自死へ導く。
さらに、その魂を吸収することで力を増し続ける呪物だと記されていた。
御門は静かに資料を閉じる。
そして立ち上がると、村の入口まで歩みを進め、周囲をゆっくりと見渡した。
そっと目を閉じる。
意識を研ぎ澄ませ、耳を澄ます。
聞こえてくるのは、慌ただしく駆け回る隊員たちの足音。
飛び交う指示の声。
山を吹き抜ける風と、それに揺れる木々の葉擦れ。
――鐘の音は、聞こえない。
その異常性に御門は気づいていた。
呪物における災位の基準は、妖や怪異、人とは少し異なる。
評価されるのは主に三つ。
呪効果の強さ。
効果範囲の広さ。
そして――自我の有無。
基本的に、強力な呪効果を持ち、広範囲へ影響を及ぼす呪物であっても、その災位は高くて弐災位に留まる。
物という器には、宿せる呪いの量にも限界があるからだ。
本来、壱災位へ至る呪物には、自我を持つことが絶対条件とされている。
自ら意思を持ち、判断し、呪いを能動的に振るう。
そこまで至って初めて、呪物は壱災位と認定されるのだ。
だが、《傀儡鐘》は例外だった。
自らの力で、自死した者の魂を取り込み、際限なく力を増し続ける。
さらに、取り込んだ魂を解き放つ危険性まで秘めており、破壊することができない。
その結果、自我を持たないにもかかわらず、壱災位呪物と認定された数少ない存在なのである。
御門はすぐさま隊員たちを招集した。
集まった隊員たちは、一糸乱れぬ隊列を組み、整然と並ぶ。
その正面へ立った御門は、一人ひとりの顔を見渡し、静かに口を開いた。
「今回の任務は、壱災位呪物《傀儡鐘》の再封印、並びに近隣住民の安全確保です」
一拍置き、静かに続ける。
「しかし、私たちは間に合わなかった。喜林寺の関係者についても……望みは薄いでしょう」
隊員たちの表情がわずかに曇る。
悔しさ、無力感、怒り。
誰もが複雑な感情を胸に押し殺していた。
御門はそんな隊員たちを真っ直ぐ見据える。
「私たちに残された任務は一つ。《傀儡鐘》の再封印です」
その声音は静かでありながら、強い意志を宿していた。
「これだけは必ず果たさなくてはなりません。結城隊長は、私たちならできると信じ、この任を託してくださった」
御門はゆっくりと拳を握る。
「これ以上の被害は、一人たりとも出させない。直ちに《傀儡鐘》の再封印を開始します」
その言葉に応えるように、隊員たちは一斉に踵を鳴らし、背筋を伸ばす。
「はっ!」
隊列を組んだ制縛部隊は、喜林寺を目指して進んでいた。
足音だけが規則正しく響き、誰一人として無駄口を叩く者はいない。
その先頭を歩く御門は、周囲へ鋭い視線を巡らせながら歩みを進めていた。
――嫌な予感がする。
胸の奥に引っかかるような違和感が、何度も頭をよぎる。
何かがおかしい。
すると、不意に隣から声が掛かった。
「副長、どうしたんですか?」
御門が声のした方へ視線を向けると、そこには今回の任務で補佐役を務める片桐が並んで歩いていた。
片桐は御門の表情を窺うように、わずかに眉を寄せている。
「いえ……少し胸騒ぎがして」
御門が静かに答えると、片桐は声を抑えながら小さく笑った。
「はは。まあ、壱災位呪物の案件を担当するのは初めてですからな」
肩をすくめるように笑い、続ける。
「普段なら黒杖家が出張ってきますし。そういう意味では、今回は異例中の異例ですよ」
そう言って片桐はわずかに顔を後ろへ向け、横目で隊員たちを見やった。
整然と隊列を組み、黙々と歩を進める隊員たち。
「ですが、ここにいるのは全員が弐災位保持者の精鋭です」
再び御門へ視線を戻す。
「そして御門副長、あなたは壱災位保持者だ」
片桐は穏やかな笑みを浮かべた。
「副長もさっき言っていたでしょう――私たちならできる、と」
その眼差しは、柔らかく暖かみに満ちたものだった。
「それに、ここには俺、いや私を含め、副長より陰務省での歴が長い者もおります」
御門は、まさか部下の方から励まされるとは思ってもおらず、何と返せばいいのか分からないまま言葉を探していた。
すると片桐は、何か勘違いして慌てて両手を振る。
「あっ、いえ!決して歴の長さで副長を軽視しているとか、そういう意味ではありませんからね!」
慌てふためく片桐の姿に、張り詰めていた空気がほんの少しだけ和らいだ。
御門の表情から、わずかに力が抜け、小さく息を吐き、ほんのわずかに口元を緩めた。
「……ええ。そうですね」
一行は警戒を怠ることなく歩を進め、やがて喜林寺の近くまで辿り着いた。
その瞬間、焦げた肉にも似た生々しい臭気が鼻を突く。
御門はわずかに眉をひそめた。
「副長……」
隊員の緊張した声が耳に届く。
「ええ。急ぎましょう」
御門の一声で、一行は歩調を速めた。
喜林寺の本殿を回り込むように進むと、林を切り開いた一本の道が姿を現す。
そして、その道の先。
異様な存在感を放つ巨大な影が、静かに佇んでいた。
篝火が、それを取り囲むように等間隔で並んでいた。
揺らめく炎が、その異様な影をぼんやりと照らし出す。
「あれが……傀儡鐘ですか」
片桐が小さく息を呑む。
「資料の情報より大きいような……」
その呟きを聞きながら、御門は静かに振り返り、隊員たちへ視線を向けた。
「目標は《傀儡鐘》。これより再封印を開始します」
凛とした声が、その場に響く。
「現在は沈黙していますが、警戒は決して怠らないこと。慎重に行動してください」
隊員たちは無言で頷いた。
「二班に分かれ、左右から回り込みます。配置につき次第、《封呪》の護符を設置してください」
御門は続ける。
「設置完了後は、私と片桐で本封印へ移行します。護符の設置を終えた者は、不測の事態に備え、周囲を警戒しつつ待機してください」
指示を言い終えると、御門は隊員一人ひとりの顔を見渡し、小さく息を吐いた。
そして、鋭く命じる。
「――散!」
その号令と同時に、隊員たちは一斉に散開した。
隊員たちを見送ると、御門は隣に立つ片桐へ視線を向けた。
片桐も静かに頷く。
「行きましょう」
二人は真っ直ぐ《傀儡鐘》へ向かって歩き出した。
その足取りは慎重で、一歩一歩、地を確かめるように進む。
片桐は腰に携えた刀の柄へ手を添えたまま、静かに口を開いた。
「なぜ、あれは沈黙しているのでしょう」
「分かりません」
御門は目を離さぬまま答える。
「資料にも、このような状態の記録はありません。本来なら常に鐘の音を響かせているはずです」
わずかに間を置き、続けた。
「ですが、近隣住民が犠牲になっている以上、私たちは村へ足を踏み入れた時点で、すでに《傀儡鐘》の効果範囲内にいるはずです」
歩みを進めるたび、鼻を刺す異臭は一層濃くなる。
そして、篝火に照らされた《傀儡鐘》の全貌が鮮明になるにつれ、その周囲に広がる光景が二人の視界へ飛び込んできた。
「これは……」
思わず御門の目が細まる。
《傀儡鐘》の周囲には、崩れ落ちた瓦礫が無数に積み重なっていた。
だが、それ以上に目を奪われたのは、散乱する遺体だった。
木へ何度も頭を打ちつけ、そのまま絶命した者。
自ら口の奥へ手を押し込み、窒息した者。
小刀で喉を掻き切り、血溜まりの中へ倒れ伏した者。
そして、《傀儡鐘》の目前では、倒れた丸太の下敷きとなり、全身を焼かれて炭と化した遺体。
地獄絵図という言葉ですら、生ぬるい惨状だった。
一瞬だけ、二人の足が止まる。
しかし御門は静かに息を吐き、前を見据えた。
「……気を引き締めていきましょう」
「はい」
片桐は短く応じる。
やがて二人が《傀儡鐘》の正面まで辿り着いた、その時。
――ピィィッ。
周囲から鋭い笛の音が響いた。
護符の設置完了を知らせる合図だった。
「副長、合図です」
片桐はそう言うと、静かに刀を抜き放ち、油断なく構えた。
御門は《傀儡鐘》を真っ直ぐに見据えた。
その眼差しに、一切の迷いはない。
白い羽織が風を受け、静かにはためく。
御門は両手に護符を構え、静かに口を開いた。
「あなた方の魂を救うことができず、申し訳ありません」
その言葉は、目の前に散らばる無数の亡骸へ向けられたものだった。
「ですが、せめて――あなた方が成し遂げられなかった封印は、私たちが必ず果たします」
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陰務省――とある一室。
薄暗い室内で、結城は一冊の資料へ静かに目を落としていた。
「まさか……こんなところでも神の核の名を見るとは」
低く漏れた呟き。
そして、わずかに眉を寄せる。
「それに……」
言葉はそこで途切れた。
結城はゆっくりと部屋を見渡し、自分が触れた資料を元あった位置へ正確に戻す。
指紋一つ残さないかのように、わずかな乱れまで整えると、自らがこの部屋にいた痕跡を静かに消し去った。
そして何事もなかったかのように扉を開け、部屋を後にした。




