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神も人も〜人に砕かれた神の核を巡る、現代妖異譚〜  作者: 佐藤 潮


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第60話 景色

白依が繋がれた手へ視線を落とすと、哀もその視線につられるように手元を見た。


「っ……!」


次の瞬間、哀の顔がみるみる赤く染まる。


慌てて手を離し、何度も頭を下げた。


「も、もも、申し訳ありません! 咄嗟に、つい……!」


その声は裏返り、耳まで真っ赤になっている。


白依はそんな哀を一瞥し、短く返した。


「かまわん」


それだけ言うと、白依はわずかに目を伏せる。


哀の手に触れ、以前とは違うものを感じた。


哀の身体を巡る気。


まだ未熟で細い流れではあるが、確かにその巡りは変わっていた。


白依は何も言わない。


だが、その変化ははっきりと感じ取っていた。


「あ、あの!」


沈黙に耐えられなくなった哀が慌てて声を上げる。


「白依様。まずは食べ歩きなどいかがでしょう?」


白依は視線を上げ、道の両脇へ目を向けた。


軒先には様々な屋台が並び、香ばしい匂いが風に乗って漂ってくる。


「ああ」


短く頷く。


それを見て、哀はほっと胸を撫で下ろした。


「では、こちらです!」


少しだけ弾んだ声でそう言うと、哀は白依を案内するように歩き出した。


二人は並んで、賑わう屋台の方へ足を向けた。


「あの人混みがここじゃなくて良かったですね」


屋台へ向かう道中も、哀は楽しそうに話しかけていた。


だが、白依は返事をしながらも、どこか心ここにあらずだった。


先ほど触れた手の温もり。


哀の気の変化。


そして、この場所へ連れてきてくれた想い。


様々なものが胸の内を静かに巡っていた。


やがて、ずらりと並ぶ屋台や店先の露店が目の前に広がる。


香ばしい匂い。


甘い香り。


人々の笑い声。


活気に満ちたその光景を見回しながら、哀が振り返った。


「どれがいいですかね?」


白依は並ぶ品々へ視線を走らせる。


そして、その中の一つで目を止めた。


串に刺さった団子。


「こちらですか?」


哀がその視線を追う。


白依は小さく頷いた。


その団子は、かつてじじいが京の都へ行った帰りに土産として買ってきてくれたものによく似ていた。


露店の横には、赤い布が掛けられた長椅子。


その傍らには、大きな和傘が一本立てられている。


昔、じじいから何度も聞かされた都の賑わい。


頭の中で何度も思い描いていた光景が、今まさに目の前にあった。


白依は長椅子を指差す。


「ここに座って食べていいのか?」


その何気ない問いに、哀は思わず頬を緩めた。


「はい!」


嬉しそうに何度も頷く。


「すぐに買って参りますね!掛けてお待ちください!」


そう言うと、哀は小走りで屋台へ向かった。


「あの、この団子セットを二つお願いします」


「あいよー!」


威勢のいい返事が返ってくる。


白依は長椅子へ静かに腰を下ろし、そのすぐ横で団子を買う哀の姿を眺めていた。


店主と言葉を交わしながら、どこか嬉しそうに微笑む哀。


その横顔を見つめていると、不意にじじいの姿が重なった。


(じじいも、こんな風に……)


白依は静かに目を細めた。


ほどなくして、哀は白依の隣へ腰を下ろした。


「お待たせしました。すぐに出来るそうですよ」


そう言って微笑んだ、その時だった。


「はい、お待ちどうさま」


和服に前掛けを着けた店の女将さんが、お盆を持ってやって来た。


盆の上には、焼きたての団子と湯気の立つ温かい茶。


香ばしい香りがふわりと漂う。


「可愛らしいお嬢さんたちだねぇ」


女将さんはにこりと笑った。


「旦那が一本ずつサービスだとさ」


そう言って、白依と哀の間へ盆を置く。


思いがけない言葉に、哀は目を丸くした。


「あ、ありがとうございます」


ぺこりと頭を下げる。


「いいんだよ」


女将さんは優しく笑った。


「若い子が楽しそうにしてるのを見ると、こっちまで嬉しくなるからね」


そう言い残し、店へ戻っていく。


その背中を見送りながら、哀はもう一度小さく頭を下げた。


そして、白依へ視線を向ける。


「それでは、いただきましょうか」


そう言って、団子の皿をそっと白依の前へ差し出した。


白依は団子を受け取り、ゆっくりと一口齧った。


「……」


じじいが土産に買ってきてくれた団子とは、まるで別物だった。


味も。


食感も。


それでも、口に広がる温かく優しい甘さが、あの頃の記憶を静かに呼び起こす。


哀はそんな白依の表情を、じっと見つめていた。


「どうでしょうか?」


恐る恐る尋ねる。


白依はしばらく団子を見つめ、それからぽつりと呟いた。


「……あまい」


その一言だけだった。


白依は今度は哀へ視線を向ける。


「冷めぬうちに、お前も食え」


そう言って、もう一口団子を口に運んだ。


その姿を見て、哀は頬を緩める。


「はい!」


嬉しそうに返事をすると、自分も団子を一口齧る。


「……美味しいですね」


「ああ」


短い返事。


それだけで、十分だった。


穏やかな時間だけが、二人の間をゆっくりと流れていた。


二人とも団子を食べ終えると、哀が白依へ問いかけた。


「白依様、まだお腹は大丈夫ですか?」


白依が視線を向ける。


「他にも色々ありますよ!」


嬉しそうに並ぶ屋台を指差す哀。


そのまま二人はゆっくりと通りを歩き始めた。


カステラ。


みたらしせんべい。


ソフトクリーム。


饅頭。


白依が少しでも目を止めたものを見つけるたび、哀は迷うことなく買いに向かう。


「これも美味しいですよ!」


「少々お待ちください!」


そんな声を何度も響かせながら、両手いっぱいに食べ物を抱えて戻ってくる。


白依は黙ってそれを受け取り、一つずつ口にしていった。


その様子を見ていた哀が、ふと尋ねる。


「白依様は、甘いものがお好きなのですか?」


白依は少しだけ考える。


視線を空へ向け、静かに答えた。


「……たまにはいいものだ」


短い一言。


それだけだった。


けれど、その言葉に哀は嬉しそうに笑う。


「そうですね!」


その笑顔を見て、白依も何も言わず歩き続けた。


二人は賑わう通りをさらに奥へと進んでいく。


そして――。


白依が、不意に足を止めた。


その視線の先には、朱色の鳥居が幾重にも連なる神社があった。


境内へ続く参道には多くの人が並び、楽しそうな笑い声が響いている。


「あそこは、縁結びの神社としても有名なんですよ」


哀が穏やかな声で説明する。


「気になりますか?」


白依は鳥居の向こうにある社へ視線を向ける。


そして、社の前で手を合わせる人々を静かに見つめた。


「滑稽だな」


ぽつりと漏れたその言葉に、哀は目を瞬かせる。


「……え?」


白依は答えず、ゆっくりと歩き出した。


「あんなもの、神ではない」


淡々とした口調。


それ以上は何も言わなかった。


(神をも砕く人間の望みを叶える神など、いるものか)


その言葉だけは、胸の内へ静かに留める。


白依は歩みを進めながら、もう一度だけ振り返った。


目を細め、社を見つめる。


その視線の先には、人々には見えていない存在がいた。


社の屋根に腰掛ける一匹の妖狐。


そして、その傍らに静かに立つ巫女姿の女。


普通の人間には決して見えない。


霊や妖を見る力を持つ者でも、意識して目を凝らさなければ見逃してしまうほど、自然にその場へ溶け込んでいた。


黙って歩く白依の横で、哀も振り返り社を一瞬見つめ少しだけ声を潜めた。


「そうですね」


柔らかく微笑む。


「神は、白依様だけで十分です」


白依は呆れたように小さく息を吐いた。


「お前は、まだそんなことを言っているのか」


その問いに、哀は首を横へ振る。


「『まだ』ではありませんよ」


その瞳に迷いはない。


「生涯……」


一度言葉を区切る。


「いいえ、死してなお、私の中ではそうあり続けるんです」


その声は穏やかだった。


だからこそ、その覚悟だけがはっきりと伝わってくる。


白依は何も返さない。


ただ、静かに前を向いたまま歩き続けた。


そんな二人の背中を、静かに見つめる者がいた。


社の屋根の上。


一匹の妖狐が気持ち良さそうに目を細め、その頭を巫女姿の女が優しく撫でている。


女は遠ざかっていく二人の背中を見送り、くすりと笑った。


「面白いこと言う子たちだなぁ」


弾んだ声だった。


妖狐は尻尾をゆらりと揺らし、小さく喉を鳴らす。


女はその頭をもう一度撫でると、柔らかく目を細めた。


「……ね?」


二人はその後も、通りをゆっくりと歩いた。


気になる店先を覗き、足を止め、時折他愛もない言葉を交わす。


「これ、可愛いですね」


「……そうか」


白依は多くを語らない。


それでも、哀が勧めるものへ静かに視線を向け、気になった品があれば足を止める。


賑わっていた通りも、時間が経つにつれ少しずつ人の流れが変わり始めていた。


西へ傾いた陽が建物を橙色に染め、吹き抜ける風もどこか涼しさを帯びてくる。


哀は空を見上げ、小さく微笑んだ。


「ちょうどいい時間ですね」


白依も夕焼けに染まりはじめた空を見上げる。


「もうそんなに経ったのか」


「はい」


哀は白依の方へ向き直り、少しだけ照れたように笑った。


「最後に一箇所だけいいですか?」


——————————————————


二人は車で来た道を戻っていた。


西日を受けながら街を抜け、やがて車は目的地へ到着する。


哀は車を降りると、一つの方向を指差した。


「最後は、あちらです」


その先にあったのは、高くそびえ立つ展望塔だった。


「……塔か」


白依は小さく呟く。


そのまま塔の足元まで歩み寄り、ゆっくりと見上げた。


天を穿たんとするように真っ直ぐ伸びる巨大な塔。


白依が生きた千年前には存在しなかった建造物。


その圧倒的な高さに、白依はしばらく言葉を失う。


「高いな」


素直な感想だった。


哀はくすりと笑う。


「今は、ここより高い塔もたくさんありますよ」


そう言って白依の様子を窺う。


「……更に高い塔が」


白依は見上げたまま呟いた。


「高い所は平気でしょうか?」


「問題ない」


短く答える。


だが、その視線はなおも塔の頂上を追っていた。


あまりの高さ、更に高い塔があるという事実にわずかに眉間へ皺が寄る。


展望台の最上階まで上がると、白依は一瞬だけ足を止めた。


壁はほとんどがガラス張り。


床の一部も透明なガラスになっている。


床へ視線を落とし、わずかに踏み出すのを躊躇したが、すぐに何事もなかったかのように歩みを進める。


そして、目の前へ広がる景色を見つめ、静かに目を細めた。


そのすぐ隣へ、哀も並ぶ。


二人は何も言わない。


ただ、その場所から見渡す夕日に照らされた街並みを静かに眺めていた。


白依の胸には、様々な感情が去来する。


改めて実感する、千年という途方もない時の流れ。


じじいが最後まで信じ続けた、人間の進歩と発展。


ここまで築き上げた景色は、それを一目で理解できた。


だが同時に、ひとつの考えが脳裏を過る。


(……その発展は、じじいを砕いた土台の上に築かれたものなのか)


答えは出ない。


ただ、その思いだけが胸の奥へ静かに沈んでいった。


しばらくして、哀がぽつりと口を開く。


「今日は、焔羅がいませんよね」


白依は横目で哀を見る。


哀は景色を見つめたまま、どこか寂しそうに、そして少しだけ困ったように笑っていた。


「次は……焔羅も一緒に、お出かけしませんか?」


なぜ焔羅が来なかったのか。


その理由を、哀は口にはしない。


白依も聞かなかった。


静かに再び景色へ視線を戻し、短く答える。


「ああ」


――その時だった。


「ここの景色は、どうですか?」


不意に聞こえた声。


まるで耳元で囁かれたかのような近さだった。


瞬時に、白依と哀は振り返る。


「っ……」


哀は思わず右耳を押さえた。


あまりにも近くで声がしたように感じたからだ。


二人の視線の先。


そこには、一人の白杖を手にした女が静かに立っていた。


確かにこちらへ向かって話しかけている。


その顔も、身体も、二人へ向いている。


だが、その瞳だけはどこにも焦点が合っていなかった。


何も映していないような、静かな目。


女は、二人にそっと微笑んだ。

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