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神も人も〜人に砕かれた神の核を巡る、現代妖異譚〜  作者: 佐藤 潮


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第49話 頼む

白依のまつ毛が、もう一度揺れた。


そして、赤い瞳が薄く開く。


ぼやけた視界に、暖色の光が滲んだ。


白依はしばらく天井を見つめる。


知らない天井。


知らない部屋。


木の匂いがする。


身体に残る痛みは、ほとんどない。


旧鞍瀬療養所で負ったはずの傷も、すでに大半が塞がっていた。


貫かれた箇所も、裂かれた皮膚も、《覗返傷》で潰された脚も。


動かす前から、致命的な異常はないと分かる。


白依はゆっくりと視線を下ろした。


自分の腕に、見慣れない管が繋がれている。


透明な管。


その先には、液体の入った袋。


白依は眉をひそめた。


ベッドが軋む。


白依は上体を起こし、腕を動かす。


指を握る。


開く。


肩を回す。


脚をわずかに持ち上げ、膝を曲げる。


ひとつひとつ、身体が問題なく動くか確かめる。


問題はない。


むしろ、以前よりも身体に馴染む。


身体の内側に流れる気の巡りが、妙に滑らかだった。


重さがない。


引っかかりもない。


それどころか、気の総量が増えているような感覚すらある。


白依は自分の掌を見つめた。


あの戦いで、何かが変わった。


そう直感する。


だが、今考えるべきことはそれではない。


白依はゆっくりと顔を上げる。


「哀は……」


掠れた声が、静かな部屋に落ちた。


すると、扉の方から小さな音がした。


かりかり。


硬いものが木を引っ掻くような音。


白依がそちらへ目を向ける。


かりかり、かりかり。


しばらく続いたあと、かちゃりとノブが回った。


扉が少しずつ開く。


その隙間から姿を見せたのは、外側のノブにぶら下がった焔羅だった。


「……主!」


白依の姿を見た瞬間、焔羅の顔がぱっと明るくなる。


焔羅はノブから器用に降りると、勢いよく部屋へ飛び込んできた。


そして、そのまま白依のベッドへ飛び乗る。


首元の鈴が、ちりん、と鳴った。


「主!目が覚めたのですね!」


焔羅は嬉しそうに白依を見上げる。


だが、白依が最初に口にしたのは、ただひとつだった。


「哀は」


焔羅はすぐに答える。


「無事です!今は別室で寝てますよ!」


その言葉を聞いて、白依はひとまず息を吐いた。


「そうか」


短い返事だった。


けれど、その声には確かに安堵が滲んでいた。


「なら、お前は哀の傍にいてやれ」


「でも、主も……」


焔羅の耳が不安げに伏せられる。


白依は焔羅を見下ろし、静かに言った。


「白依はもう大丈夫だ」


焔羅は何かを言いたげに口を開きかけた。


けれど、白依の目を見て、言葉を飲み込む。


「……分かりました」


渋々といった様子で頷くと、焔羅はベッドから降りた。


扉の方へ向かいながら、何度も白依を振り返る。


「主、安静にですよ。動けるようになったら来てくださいね」


そう言い残し、焔羅は部屋を出ていった。


白依は、焔羅の気配が遠ざかっていくのを感じ取る。


それから、自分の腕へ視線を落とした。


腕に繋がれた透明な管。


白依はそれを掴む。


そして、ためらいなく引き抜いた。


わずかに皮膚が引かれる感覚があった。


だが、痛みはさほど感じない。


血もほとんど出なかった。


白依は管を無造作に横へ置く。


そして、ベッドの端へ身体をずらし、脚を床へ投げ出した。


「ちょっと」


扉の方から声がした。


「点滴、まだ終わってないんだから勝手に抜かないでよね。また刺すの大変なんだから」


白依はそちらへ視線を向ける。


扉の前に立っていたのは、小柄な女だった。


白依より、少し背が高いくらい。


幼くも見える顔立ちだが、その目元にはどこか落ち着いた大人の色がある。


女は困り果てたような表情で、抜かれた点滴の管と白依を交互に見ていた。


「誰だ」


白依が短く問う。


女は小さく息を吐き、白依へ近づいた。


「あなたたちの治療をした栖原露乃。夜桜の一員よ」


そう名乗りながら、栖原は白依の腕を取り、傷口を確認する。


続けて首元、肩、脇腹、脚へと手早く触れていく。


白依は抵抗しなかった。


ただ、じっと栖原を見ている。


「夜桜」


白依が呟く。


「蘭丸の仲間か……」


「そういうこと」


栖原は最後に白依の脈を確認し、手を離した。


そして、わずかに目を見開く。


「……完璧に治ってる」


その声には、医療に携わる者としての純粋な驚きがあった。


白依は自分の身体ではなく、別のことを問う。


「哀は寝ていると聞いた。何ともないのか」


「ええ」


栖原は頷く。


「あなたより先に目を覚ましたわ。ただ、少し暴れてしまってね。傷が開くと危ないから、薬で眠ってもらっているだけ」


白依の赤い瞳が、ほんのわずかに緩む。


「そうか」


短く息を吐く。


「世話になった」


栖原はその言葉に、少しだけ目を瞬かせた。


そして、ふっと笑みを零す。


「あなたの見た目でその硬い話し方、なんだか違和感あるわね」


白依は首を傾げる。


「そうか」


「ええ。かなり」


栖原は困ったように笑いながら、抜かれた点滴の管を拾い上げた。


「言葉もはっきりしているし、意識も身体も問題なさそうね」


栖原は白依の様子を確認しながら言った。


「点滴はもういいわ。でも、もう少し寝ていて。ボスも呼んでくるから」


「必要はない」


白依は即座に返す。


「服を持ってきてくれ、自分で行く」


栖原は少しだけ考えた。


普通なら、三日間も眠っていた患者をすぐに歩かせるなどあり得ない。


まして、運ばれてきた時の白依は全身血まみれで、重傷と言っていい状態だった。


だが、目の前の白依はもう立てる。


傷も塞がっている。


意識にも乱れはない。


この子を自分の常識で測るのは不可能だ。


そう判断し、栖原は小さく頷いた。


「分かったわ。待っていて」


そう言い残し、栖原は一度部屋を出ていった。


しばらくして戻ってきた栖原から、白依は服を受け取る。


血に染まっていた衣服ではなく、夜桜で用意された簡素な着替えだった。


白依は淡々と着替えを済ませる。


その動作にも、痛みを庇う様子はほとんどない。


栖原はそれを見て、また小さくため息を吐いた。


「本当に、めちゃくちゃね」


「何がだ」


「あなたの身体よ」


栖原はそう言いながらも、それ以上は追及しなかった。


そして白依を連れ、部屋を出る。


廊下を進み、階段を下りる。


木製の階段が、足音に合わせて小さく鳴った。


栖原に案内され、白依は一階のBARへ向かった。


そこには、蘭丸たちがいた。


「おはよう、白依ちゃん。目が覚めて良かったわ」


ソファに腰をかけた蘭丸が、笑顔でそう言った。


その横で、岩倉がぱっと顔を明るくする。


「おう!白い嬢ちゃんも目ぇ覚ましたか!」


部屋に響く豪快な声。


白依は岩倉を見上げ、短く問う。


「誰だ」


その一言に、栖原は思わず苦笑いを浮かべた。


白依は誰に対しても初手はそれなのか。


そんなことを思ったのだろう。


岩倉は気にした様子もなく、胸を張る。


「俺は岩倉豪だ!よろしくな!」


豪快な声で自己紹介をする岩倉に、白依は何も言わなかった。


代わりに、もう一人の知らない男へ視線を向ける。


その男は、腕を組んだままソファに座り、目を瞑っていた。


口を開く気配はない。


そこで、呉代が代わりに口を開いた。


「この人は烏丸斎さん。全員、夜桜の一員」


「そうか」


白依は短く頷く。


そして、蘭丸と呉代へ視線を向けた。


「蘭丸。それと、呉代だな」


名前を呼ばれ、二人がわずかに姿勢を正す。


「哀の件。感謝する」


そう言って、白依は浅く頭を下げた。


その場の空気が、一瞬止まった。


蘭丸も、呉代も、驚きに目を見開く。


白依が礼を言った。


それだけではない。


わずかではあるが頭まで下げた。


今までの白依の印象からすれば、あまりにも想像しづらい行動だった。


蘭丸が目を瞬かせながら、恐る恐る口を開く。


「白依ちゃん、どうしたの?頭打ったんじゃない?」


白依は顔を上げ、真顔のまま答えた。


「頭にも何度か食らった気がするが、もう問題ない」


いつもの調子だった。


蘭丸の皮肉は、一切通じていない。


蘭丸は少しだけ肩を落とした。


「……まあいいわ」


呉代は小さく息を吐き、けれどどこか安心したように表情を緩める。


岩倉は何が面白かったのか、豪快に笑った。


「がはは!無事なら何よりだ!」


「豪さん、うるさい」


栖原が淡々と注意する。


「おっと、悪い」


岩倉は頭を掻く。


白依はそんなやり取りを見ながら、静かにソファの前へ立った。


「それで」


赤い瞳が、蘭丸を捉える。


「白依が倒れたあと何があったか、話せ」


緩んでいた空気が、一気に締まった。


蘭丸は、哀に話した時と同じ内容を白依にも伝えた。


鷹宮家の接触。


旧鞍瀬療養所で起きたこと。


櫻佳と、鷹宮迅と思われる男。


そして、哀が目覚めた後のこと。


「――とまあ、今回のあらましはこんな感じよ」


蘭丸がそう締める。


白依は黙って聞いていた。


その赤い瞳は、二階の方を見ている。


そこに哀がいる。


眠っていると聞かされている。


今は無事だと分かっている。


それでも、白依の視線はしばらく二階から離れなかった。


(またか……)


そんな白依へ、蘭丸が静かに語りかける。


「夜桜は、白依ちゃんの敵にならないと約束するわ」


白依の視線が、ようやく蘭丸へ戻る。


「協力も、形によってはするつもりよ」


「なら」


白依は即座に言った。


「哀と焔羅のことを頼みたい」


蘭丸の目が、わずかに細くなる。


「それは、どういう意味かしら?」


声が少し落ちた。


白依は表情を変えない。


「そのままの意味だ」


淡々と言う。


「白依のことは放っておけ。哀と焔羅のことだけでいい」


「待って待って」


蘭丸が片手を上げた。


「それは、白依ちゃんが哀ちゃんたちと別れるように聞こえるけど」


「だから、そうだと言っている」


白依の声は揺れなかった。


「それに、お前たちもこれから白依に関わらない方がいい」


蘭丸たちは、静かに聞いていた。


誰も、口を挟まない。


白依は続けた。


「白依は災いだ」


その言葉だけが、BARの空気に重く落ちる。


「周りに災いを振りまく」


それは、哀を救出に向かう時から白依の中にあった考えだった。


何も悪くない白依の両親は、村を追われ、命を落とした。


何も悪くないじじいは、白依を庇い、核を砕かれた。


そして今回も。


白依のせいで、哀は攫われた。


白依のせいで、哀は傷つけられた。


居場所になりつつあった杣木邸も、壊された。


白依と関わるものは、不幸になる。


その思いが、胸の奥に沈んでいた。


「哀も、焔羅も、誰も」


白依は静かに言う。


「白依といない方がいい」


赤い瞳は、どこまでも平坦だった。


まるで、すでに決めたことを告げているだけのように。


「だから、二人を頼む」


白依はもう一度、蘭丸を見た。

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