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神も人も〜人に砕かれた神の核を巡る、現代妖異譚〜  作者: 佐藤 潮


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第38話 爆ぜる

「内容はなんだ」


白依が問う。


その声は冷たい。


けれど、蘭丸はその冷たさすら受け流すように、机の上へ数枚の資料を広げた。


写っていたのは、古びた建物の写真だった。


山に囲まれた、二階建ての大きな建物。

かつては確かに人の手が入っていたのだろう。

外壁はところどころ剥がれ、窓のいくつかは割れ、入口へ続く石畳には雑草が伸びている。


だが、完全な廃墟と呼ぶには、妙に形が残りすぎていた。


「京都の山側にある、旧鞍瀬療養所」


蘭丸は、写真の一枚を指先で押さえながら言う。


「元々は企業の療養所だったらしいんだけど、ずいぶん前に閉鎖されて、そのまま放置されていた物件よ」


白依は黙ったまま、視線だけで続きを促した。


「ここ、最近になって売りに出されたんだけど……購入希望者が建物の中を見た時、どうも人の出入りがあるようなのよ」


「なら、それは警察とやらの仕事だろう」


白依が即座に返す。


「まあ、それだけならそうなんだけど」


蘭丸は軽く肩をすくめた。


「購入者が言うにはね――人が、壁に吸い込まれたらしいのよ」


その一言に、哀と焔羅がさすがに反応した。


蘭丸は、そんな反応を楽しむように口元を緩めたまま続ける。


「まあ、ただの見間違いって可能性もあるわ。本当だったとしても、せいぜい幽霊が出るくらいの話でしょうし」


そこでわざとらしく一拍置き、白依へ向けてにこりと笑う。


「白依ちゃんたちなら、なんとかできるでしょ?」


その言い方は軽い。


けれど、その奥には“できて当然”と言わんばかりの圧があった。


そこで、哀が口を開いた。


「ですが、購入希望者がいるということは、解決したとしてもここを拠点にはできませんよね?私たち三人で使うには大きすぎますし……」


焔羅は何も言わなかったが、ぽかんと開いた口がすべてを物語っていた。


「そうね」


蘭丸は素直に頷く。


「だからこその相談なの。――白依ちゃんたちは、もう“拠点”そのものを必要としていないんじゃない?」


白依は反応しない。


それでも蘭丸は構わず続けた。


「神隠しの件も、もともとは私のミスで送っちゃっただけ。物件の報酬があるわけでもなかったのに、白依ちゃんたちはあれを解決した」


そこで蘭丸は、わずかに目を細める。


「なら――白依ちゃんたちにとっては、怪異の事件を解決すること自体が、報酬になり得るんじゃないかしら?」


その言葉に、部屋の空気が少しだけ変わった。


白依が、蘭丸を鋭く見つめる。


確かに、蘭丸の言う通りだった。


拠点なら、もう杣木邸がある。

それだけで事足りる。


だからこそ白依たちは、物件の依頼ではなく、神隠しの件に足を向けた。


そして白依の目的のためには、力が要る。

そのためには怪異を喰う必要がある。


確信まではなかったのだろう。

それでも、あの一件だけで白依たちの事情をここまで見抜いた蘭丸は、さすがと言うほかなかった。


「そんな怖い顔しないで」


蘭丸が、肩をすくめるように笑う。


「たとえ私の言ったことが当たっていたとしても、報酬を渡さないわけじゃないから。最初に来た時みたいに、必要なものがあれば用意するし……今回は、とりあえず哀ちゃんにあげた指輪で手を打ってくれないかしら?」


「お礼の品じゃないのか?」


白依が問う。


「うふふ」


それに対して、蘭丸は笑うだけだった。


その笑みは、答えをはぐらかしているようでもあり、最初から両方のつもりだったと言っているようでもあった。


白依は小さく鼻を鳴らす。


やはり、この男はどこまでいっても食えない。


「もう一つ」


白依が、蘭丸へ静かに言った。


「何かしら?」


蘭丸は笑みを崩さないまま問い返す。


白依はほんの一瞬だけ言葉を切り、それから口を開いた。


「じじ……いや、“神の核”についての情報」


その言葉に、哀と焔羅が同時に白依の方を見る。


白依にも分かっていた。


この男にこちらの情報を与えるのは危険だ。

下手をすれば、余計なものまで嗅ぎつかれる。


だが、どのみち蘭丸は気づくだろう。

そして何より、この男の情報収集能力は計り知れない。


ならば――使えるだけ使った方がいい。


白依はそう判断した。


「……神の核?」


蘭丸が小さく呟いた。


そのまま、細めた目で白依をじっと見つめた。


軽薄そうな笑みは残っている。

けれど、その奥では確かに何かを測っていた。


白依は視線を逸らさない。


しばしの沈黙のあと、蘭丸はふっと息を吐くように笑った。


「わかったわ。調べてみるわね」


その返答がどこまで本気かは分からない。


それでも白依は、それ以上何も言わなかった。


この場では、それで十分だった。


今回の旧鞍瀬療養所の依頼を受けることになり、哀は資料を手に取って目を通す。


「この件での被害者は、まだ出ていないんですよね?わざわざ白依様じゃなくても、よかったんじゃ?」


哀が蘭丸へ尋ねる。


「まあ、うちの子でも余裕でこなせる案件ではあるんだけど……問題は場所なのよね」


蘭丸がそう言って、資料の一点を指先で叩く。


――京都。


御三家のひとつ、鷹宮家の本拠地。


「鷹宮の管轄地なの。けど、こういう小さい案件は面倒だからって放置するくせに、こっちや陰務省が手を出そうとすると急に縄張り意識出してくるのよ。ほんと、やってらんないわ」


うんざりしたように言いながらも、その目は少しも笑っていなかった。


「その点、どこにも属していない白依ちゃんたちなら、動きやすいでしょ?そういう意味でも、ぴったりってわけ」


その後、哀と蘭丸で依頼内容の確認をひと通り終え、蘭丸たちも帰る流れとなった。


玄関先まで、哀が二人を見送る。


「この指輪、本当にありがとうございます」


哀は改めて蘭丸へ深く頭を下げ、礼を言った。


「本当に気にしないで。むしろ、それを餌にしちゃったみたいでごめんなさいね」


蘭丸はそう言って、ひらひらと手を振りながら玄関を出ていく。


その後ろを、呉代も無言のまま続いた。


夜の空気が、玄関先へすっと流れ込む。


哀は顔を上げ、去っていく二人の背中をしばらく見つめていた。


蘭丸の言葉がどこまで本心なのかは分からない。

けれど、それでもこの指輪をもらったことに感謝しているのは本当だった。


左手の中指にはまる黒い指輪を、哀はそっと撫でる。


それから小さく息を吐き、戸を閉めた。


蘭丸たちは、少し離れた場所に停めた車まで歩いていた。


「ボス、ごめん……」


呉代が、蘭丸の半歩後ろから小さく謝る。


蘭丸は足を止め、振り返った。


呉代は俯いたまま、顔を上げない。


「なに気にしてるのよ。らしくない」


「私のせいで、黒守環を手放す羽目になった……」


呉代が絞り出すように言う。


蘭丸はそんな呉代を見て、ふっと息をついた。


「あんなの、気にしなくていいのよ」


柔らかく言って、呉代の頭をそっと撫でる。


「呉代ちゃんを助けてくれたお礼だもの。あれでも安いくらいよ」


その声音は、軽いようでいて嘘がなかった。


「今回の件は、私もごめんなさいね」


呉代はその言葉に、少しだけ顔を上げる。


(ボス……)


目元が熱くなるのを感じていた。


「それに、使えなきゃ宝の持ち腐れってやつよ!うふふ」


蘭丸はわざと明るく笑ってみせる。


けれど呉代には、その言い方の奥に、どこか隠しきれない寂しさが滲んでいるように聞こえた。


「さ、早く戻って開店準備するわよ!」


「ん」


二人は車へ辿り着き、蘭丸が鍵を開けようとした、その時だった。


ぶわっ、と強い風が吹きつける。


「きゃ、もう。髪が崩れちゃうじゃない」


蘭丸は文句を言いながら髪を押さえ、舌打ち混じりに車の鍵を開ける。


そのまま乗り込もうとした――次の瞬間。


ドゴーン――。


凄まじい轟音が、夜気を引き裂いた。


同時に、大地が大きく揺れる。


車体がびりびりと震え、足元の地面が波打つように軋んだ。


呉代が咄嗟に身を低くし、蘭丸も車のドアに手をついたまま周囲を見渡す。


ただの地震ではない。


二人とも、瞬時にそう悟っていた。


蘭丸は、音のした方向を見て目を見開いた。


その先は――ついさっきまで白依たちといた、杣木邸の方角。


そこから、天高くまで砂埃が柱のように立ち上っていた。


夜空を貫くような土煙。


ただ崩れただけでは済まない規模だと、一目で分かる。


蘭丸の表情から、いつもの軽さが消えた。


「何が起きたかは分からないけど、戻るわよ」


蘭丸が素早く言う。


「でも――すぐに突入はなし。まずは様子を見るの」


「了解」


蘭丸の指示に、身を低くしていた呉代は即座に立ち上がり、短く返事をした。


二人は即座に杣木邸へ向かって駆け出した。


(いったい何が……白依ちゃん?)


蘭丸の脳裏に不安がよぎる。


しばらく走った、その時だった。


土煙の中から、黒い影がひとつ、勢いよく飛び去っていくのが見えた。


「今のは――」


呉代が息を呑む。


だが、その正体を確かめる間もなく、二人はさらに足を速めた。


やがて杣木邸が目視できる距離まで辿り着き、蘭丸は再び目を見開き、足を止める。


そこにあったのは、もう“家”ではなかった。


壁だけは辛うじて残っている。

だが、屋根は大きく崩れ落ち、建物全体が無残に口を開けている。


かつての杣木邸の面影は、もはやほとんど残っていなかった。


蘭丸はすぐに平静を取り戻すと、崩れかけた玄関を踏み越え、白依たちのいた居間へと急いだ。


居間へ入った瞬間、まず目に飛び込んできたのは、壁際で獣の気配を剥き出しにし、唸り声を上げながら爪で畳を掻き毟る焔羅の姿だった。


そして、その先。


居間の中央。

崩れた瓦礫に囲まれながら、月明かりに照らされ、ただ静かに天を見上げている白依がいた。


その姿は、状況が状況でなければ、蘭丸でさえ思わず見惚れてしまったかもしれない。


けれど今は、そんな場合ではない。


蘭丸の視線が、素早く室内を走る。


(……哀ちゃんがいない?)


「白依ちゃん、いったい何があったの?哀ちゃんは――」


蘭丸の声に反応し、白依がゆっくりとこちらを向く。


その瞬間。


蘭丸は、声を失った。


全身が硬直する。

息が浅くなり、額から一気に汗が吹き出す。


凄まじい圧だった。


それは比喩ではない。


この場の“重さ”そのものが、何倍にも増したようだった。

気温が急激に上がったかと思えば、次の瞬間には骨の髄まで冷え込む。


熱い。

冷たい。

重い。


それらすべてが一度に押し寄せ、立っているだけで身体の芯が軋む。


呉代はその場で腰を抜かし、ガタガタと震えていた。


ついさっきまで荒れ狂っていた焔羅でさえ、今は身を縮こまらせている。


それほどまでに、白依から放たれる気配は異常だった。


そして――


白依が、ゆっくりと口を開く。


「……お前もなのか」


低く、重たい声。


その響きには、憤怒と憎悪、そして哀愁までもが、濁流のように入り交じっていた。

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