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神も人も〜人に砕かれた神の核を巡る、現代妖異譚〜  作者: 佐藤 潮


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第32話 神隠し その2

数日ぶりに感じる、不思議な心地よさを伴う揺れ。


その揺れに身を任せているうちに、白依は少しずつ瞼が重くなっていくのを感じていた。


うとうとと意識が薄れかけた、その時だった。


「主!海ですよ!」


焔羅の弾んだ声が響き、車の揺れに溶けかけていた意識が引き戻される。


白依はゆっくりと目を開け、窓の外へ視線を向けた。


確かに、水面が見える。


光を受けてきらきらと揺れる広い水の面が、窓の向こうにどこまでも広がっていた。


「あれは琵琶湖だよ。日本一大きい湖」


哀が、優しい声で焔羅に教える。


「ふーん……」


焔羅は生返事をした。


どう見ても大して話を聞いていない。

きらきらと光る水面にばかり気を取られているのが丸分かりだった。


哀はそんな焔羅に小さく苦笑してから、前方へ視線を戻す。


「白依様、そろそろ目的地ですけど……先に宿へ向かおうと思います」


「わかった」


白依は短く答えた。


車はそのまま琵琶湖沿いの道を離れ、新たな土地――天塚市の中へと入っていく。


「時期的に空いていて良かったです」


宿の部屋へ入るなり、哀は荷解きをしながらそう言った。


畳の匂いがまだ新しい部屋は、広すぎず狭すぎず、しばらく身を置くにはちょうどいい造りだった。

窓の外からは、夕方の気配がゆっくりと夜へ沈んでいくのが見える。


白依は部屋の中を一瞥する。


「出るのは夜ですよね?」


哀が振り返り、白依へ問いかけた。


「いや、すぐに出る」


白依が即座に返す。


「え、あ、わかりました」


哀は一瞬きょとんとしたものの、すぐに頷いた。

けれど、そのまま少しだけ迷うように視線を揺らす。


「あの……理由を聞いても?」


白依は淡々と答えた。


「白依のいた時代にも、神隠しはあった」


その声は静かだった。


「その大体が、黄昏時に起きていた」


昼でも夜でもない、境の曖昧な時間。

人の世と、それ以外のものとの境目が緩む刻。


そういう類の異変が起こるには、十分すぎる時間だった。


哀はその説明を聞き、神妙な顔で頷く。


「……なるほど」


その一方で、宿へ入るため一時的に白依の内へ収まっている焔羅は、別の意味で落ち着きがなかった。


『えぇー……先にご飯じゃないんですか。腹減ったんですけど。すごく減ったんですけど』


頭の奥で騒ぐ声を、白依はきれいに無視する。


哀は手早く必要なものをリュックへ詰め込み、刳斬舞を腰に携えた。


それを見た白依が、わずかに眉を寄せる。


「……まだ明るいのに、いいのか?」


白依は、哀の話や携帯を通して、現代の知識を少しずつ身につけつつあった。


この時代では、刀のような武器類を公に持ち歩けば、“銃刀法違反”というもので罰されるらしい。


だからこれまでは、明るいうちは布に包んだり、鞄へ入れたりして目立たぬようにしていた。

それなのに、まだ陽の残るこの時間に、哀が刳斬舞をそのまま腰へ差している。


白依が疑問を抱くのも当然だった。


「大丈夫です!実は蘭丸さんに貰った車の中に、いくつか護符があって。聞いたところ、もしもの時に車や刀に使える認識阻害の護符らしくて……これからは堂々と持ち歩けます!」


哀はどこか誇らしげにそう言った。


白依は、その言葉に哀の腰へ視線を落とす。


刳斬舞の鞘には、たしかに見慣れない札が一枚、貼られていた。


元々派手な刀ではないが、気配だけが妙に薄いように感じる。


白依は小さく目を細める。


「……」


蘭丸らしい手回しだと思った。


使えるものを渡し、こちらに恩を売りつつ、次も動きやすくする。

親切に見えて、結局は先を見越した準備だ。


だが、便利なのは確かだった。


哀は白依が納得したのを見て、少しだけ嬉しそうに表情を緩める。


「なので、すぐ抜けますし、今までより動きやすいです!もっと白依様のお役に立ちます!」


白依はそれに頷いた。


「そうか」


そう言って踵を返す。


哀もすぐに後を追い、二人は宿を出た。


黄昏の色は、もう街に深く落ち始めている。


「道案内は任せてください。ここからなら歩いて行けます」


そう言って、哀が白依を先導する形で宿を後にした。


――だが。


あれからどれほど歩いただろうか。


本来なら、日が沈みきる前に現場へ着いているはずだった。

それなのに、気づけば辺りはすっかり暗くなっていた。


街灯の明かりが地面をぼんやり照らし、夜の住宅街はひどく静かだった。


「おい」


白依が低く声をかける。


「待ってください!もうすぐ……あれ……」


哀は足を止め、困惑したように周囲を見回す。


白依は、ため息混じりに焔羅を呼んだ。


「焔羅、出てこい」


するりと白依の内から姿を現した焔羅は、どこか不貞腐れたような顔をしている。


だが白依は、それを気にも留めずに言った。


「哀に協力してやれ」


「……」


「おい」


焔羅は唇を尖らせたまま、ぼそりと零す。


「ご飯……」


どうやら、未だに食事にありつけていないことと、先ほど白依に無視されたこと、その両方に拗ねているらしかった。


白依は小さく息を吐く。


「哀、何か食べられるものはあるか」


携帯の地図を見ながらわたわたしていた哀は、不意に話しかけられて肩を揺らした。


「あ、はい!えっと……非常食みたいなものしかないですが」


「焔羅、今はそれで我慢しろ」


「……はーい」


不満を隠しきれない声で返しながらも、焔羅はしぶしぶ頷いた。


哀は慌ててリュックを下ろし、中を探り始める。


その横で白依は、静かな目で夜の道を見渡していた。


ただ道に迷っているだけではない、妙な違和感。


白依が少し考え込んでいると、哀から渡された焼き菓子のようなものをもぐもぐと食べながら、焔羅が話しかけてきた。


どうやら、多少は機嫌が直ったらしい。


「主、ここなんか気持ち悪いですね」


「どう気持ち悪いんだ」


白依が視線だけを焔羅へ向ける。


焔羅は口の中のものを飲み込むと、眉を寄せて辺りを見回した。


「うーん……結界みたいな。でも、結界じゃなくて……」


歯切れの悪い言い方だった。


うまく言葉にできていないのだろう。

だが、白依にも焔羅の言いたいことはなんとなく分かった。


白依は、ふと哀の腰にある刳斬舞へ目を向けた。


違和感。


宿で、あの護符を目にした時に覚えたものと似ている。


言葉にするには曖昧すぎる。

けれど、確かに引っかかる。


そう考えた、その瞬間だった。


白依の目の前に――道が現れた。


今までそこには無かったはずの道。


まるで最初からそこにあったものを、ようやく認識できるようになっただけのように。


その道の脇、塀や電柱には札が貼られていた。


刳斬舞に貼られていた護符と似ている。

だが、同じではない。


形も、紙の質も、流れる気配も近い。

けれどそこに込められた術式は、もっと街全体へ広がるように組まれていた。


隠すための札。


白依は、その道を静かに見据えた。


今まで迷っていたのではない。


最初から、この道そのものを“見せられていなかった”のだ。


隠されていたということは――この奥に、何かがある。


「こっちだろう。行くぞ」


白依はそう告げると、哀と焔羅を置いて先に歩き出した。


「白依様?そっちは、ただの塀……」


哀が戸惑った声を上げる。


だが白依は、その言葉を気にも留めず、自分に見えている道へそのまま足を踏み入れた。


すると――


「え……急に、道が……」


哀が目を見開く。


ついさっきまで塀しか見えていなかった場所に、今は道が確かに現れていた。


どうやら、白依が踏み込んだことで、哀にも見えるようになったらしい。


焔羅が耳をぴんと立てる。


「うわ、ほんとだ!さっきまでこんなの無かったですよね?」


白依は振り返らない。


ただ、夜の奥へ続くその道を見据えたまま、静かに足を進めていく。


「私のせいで、白依様の予定していた時間より遅くなってしまって……申し訳ありません……」


哀は、あからさまに肩を落としていた。


自分が道を見失ったせいで時間を浪費した――そう思っているのだろう。

声にも、背中にも、分かりやすく落ち込みが滲んでいる。


「哀殿、どんまい!」


その足元では、焔羅が妙に明るい声を上げていた。


励ましているのか、それとも若干煽っているのか、絶妙に判別しづらい調子だった。


哀はそんな焔羅を見下ろし、さらにしょんぼりと眉を下げる。


白依は二人のやり取りを横目に見ながら、小さく息を吐いた。


「もういい。見つかったならそれでいい」


短いその言葉に、哀がはっと顔を上げる。


夜はすっかり深まっていた。

だが、隠されていた道の先には、まだ何かが待っている気配がある。


しばらく歩いたところで、白依と焔羅が同時に足を止めた。


「どうしましたか?」


哀が戸惑うように問いかける。


焔羅は、暗がりの奥をじっと見つめたまま耳を立てる。


「主、なんかいますね」


「ああ」


白依も短く応じる。


道の先。


夜の闇に溶けるようにして、何かの気配があった。


人のようでもあり、

そうでないようでもある、

ひどく曖昧な気配。


けれど、それが“いる”ことだけははっきりと分かる。


空気が、そこで淀んでいた。


まるでその先だけ、夜の質が変わっているようだった。


哀も息を呑み、刳斬舞へ手をかける。


速度を落とし、慎重にその気配のする方へ進む。


音を立てないよう足を運び、呼吸さえ浅く抑えながら、三人はゆっくりと近づいていく。


やがて、道の先――その脇に、ひとつの影が見えた。


人影だ。


だが、微動だにしない。


こちらに気づいていないのか。

それとも、気づいた上で動かないのか。


判別のつかないまま、白依たちはさらに距離を詰める。


夜の暗がりに沈んでいたその輪郭が、少しずつはっきりしていく。


そして――その姿が、ようやく見える距離まで来た。


「人……ですよね」


哀が、静かに言った。


白依たちが見ていたのは、塀に凭れかかるようにして気を失っている茶髪の女だった。


ぐったりとして動かないが、死人の気配ではない。


生きている。


けれど、その女がただ倒れているだけではないことは、一目で分かった。


口元には、まだ乾ききっていない血が付着している。

さらに、その手元には短刀が一本、転がっていた。


それだけで十分だった。


この場に倒れていること自体も異常だが、

この女自身もまた、何かしら穏当ではない側の人間だと知れる。


「白依様、どうしますか?」


哀が、女から目を離さないまま問う。


正直、白依にとってはどうでもよかった。


敵でないなら、放置。

それで終わる話だ。


わざわざ拾い上げる理由もない。

余計なものを抱え込む意味もない。


「もし、御三家や陰務省の人間なら……面倒ですが……」


哀はそこで言葉を濁した。


助けるか。

見捨てるか。


その間で、迷っているのが分かる。


哀が、おずおずと口を開く。


「あ、あの……ここで恩を売れば、もしかしたら今後の役に立つかもしれません」


白依は、黙って哀を見る。


それがこの女を助けるための大義名分なのか。

それとも本当に、今後使える駒として見ているのか。


そこまでは分からなかった。


だが、ひとつだけははっきりしている。


哀はもう、この女を助けると決めたのだ。


白依は小さく息を吐く。


「……好きにしろ」


短く、それだけ告げた。


哀の表情が、ほんの少しだけ和らぐ。


「はい」


返事は小さい。

けれど、その声音にはもう迷いがなかった。


「場所は分かりましたし……明日、改めて黄昏時に来るというのはどうでしょうか?」


哀がそう提案する。


その言い方で、白依にも分かった。


とりあえず今夜は、この女を宿へ連れ帰って介抱するつもりなのだろう。


実際、白依たちがここへ来るより前に、すでに何かが起きていたのは確かだった。

ならば、無理に今この場で踏み込むより、一度退いて態勢を整えた方がいい。


白依は短く息を吐く。


「……わかった」


その提案を、白依は受け入れた。


哀は白依の了承を得ると、リュックを前へ抱え直し、その背に気を失った女を背負った。


「哀殿、代わろうか?」


焔羅が横から覗き込むように言う。


だが、哀は苦笑いを浮かべて首を振った。


「焔羅じゃ、この人、引きずっちゃうでしょ」


「たしかに……」


焔羅はすぐに納得したように耳を伏せる。


そうして三人は、来た道を引き返し始めた。


焔羅が「早く宿へ帰ってご飯を食べよう」と言わんばかりに、少し早足で角を曲がった。


その時だった。


「な、なんじゃこれ!?」


先に角を曲がったはずの焔羅の声が、白依たちの背後から聞こえた。


哀の肩がびくりと揺れる。


白依は即座に振り返った。


すると、そこには。


ついさっき前方で角を曲がったはずの焔羅が、何が起きたのか分からないといった顔で、白依たちの背後に立っていた。


「え……?」


哀が思わず声を漏らす。


焔羅もまた、耳を立てたまま慌てて前方と後方を見比べている。


そして再び、焔羅が角へ向かって駆け出した。


「今度こそちゃんと見ててくださいよ!」


そう言い残し、そのまま勢いよく角を曲がる。


白依も、哀も。

今度は一瞬たりとも目を逸らさなかった。


焔羅が走る姿。

角へ差しかかる瞬間。

そのまま見えなくなるところまで、確かに見届けた。


――だが。


次の瞬間には、またしても。


焔羅は白依たちの背後に立っていた。


「な、なんでぇ!?」


焔羅が半ば悲鳴のような声を上げる。


哀の顔が引きつる。


今度は見間違いでも、勘違いでもない。

確かに前へ進んだはずの焔羅が、何の前触れもなく後ろへ戻されている。


白依は静かに目を細めた。


「くふふふ。そのわんちゃんは、いい反応してくれるけど――一番泣き喚いてほしい子が無反応なのは、残念ね」


不気味な女の声が、道の奥からじっとりと滲むように響いた。


まるで空気そのものに染み込んでいるみたいに、

その声はどこから聞こえてくるのか判然としない。


哀の肩が、ぴくりと揺れる。


焔羅は毛を逆立てるようにして唸り声を漏らした。


足音はない。


けれど、焔羅が先ほど曲がったあの角の向こうから、何かが近づいてくる。


それを、白依だけが表情を変えず静かに見据えていた。

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