第29話 整理と方針
白依たちは、杣木邸で数日を過ごした。
哀は平気だと強がっていたが、ここ数日の疲労が溜まっていたところへ、杣木邸での一件まで重なったせいで、結局は体調を崩してしまった。
しばらくは、まとまって休むしかない。
そう判断するのは自然なことだったが、当の哀は「大丈夫です」の一点張りだった。
焔羅がいくら宥めても聞かない。
休めと言えば「少し横になるだけで十分」と返し、寝ろと言えば「まだ動ける」と起き上がろうとした。
そのたびに焔羅が「だから休めって言ってるだろう!」と騒ぎ、哀が「本当に平気だから……!」と言い張る。
そんなやり取りを何度か繰り返した末――
白依が、ひと言だけ告げた。
「黙って寝てろ」
その瞬間、哀はぴたりと大人しくなった。
「……はい」
返事は小さく、けれど驚くほど素直だった。
焔羅はその様子を見て、「最初から主に言ってもらえばよかった……」と呆れたように耳を伏せた。
白依は何も言わない。
ただ布団へ潜り込んだ哀を見下ろし、きちんと横になったことを確認してから、静かに視線を外した。
杣木邸には、ようやく穏やかな時間が流れ始めていた。
白依は、日陰になった縁側に腰を下ろし、静かに今後のことを考えていた。
杣木邸の怪異は退けた。
蘭丸から受けた依頼も、ひとまずは完了したと言っていい。
だが、問題がすべて片づいたわけではない。
あの後に感じた、謎の視線。
杣木邸の屋根裏から、確かにこちらを窺っていた“何者か”の気配。
敵意がなかったから、あの時は手を出さなかった。
哀も焔羅も消耗していた以上、余計な衝突を避けた判断自体は間違っていなかったと思う。
けれど――
それきりだ。
蘭丸からも、何もない。
あの視線の主が再び姿を見せることもない。
ほかに何かが動き出す気配もない。
何もなさすぎる。
それが逆に、白依には気味が悪かった。
白依の目的は、じじいの核を取り戻すことだ。
そのためには、これから先いずれぶつかるであろう御三家や、その他の勢力に対抗できるだけの力が要る。
相坂トンネルや杣木邸でそうしたように。
白依は、霊や妖を取り込み、自らの力へ変えていく。
それが今の白依にとって、最も手早く、最も確実に強くなる方法だった。
拠点を増やし、力を得る。
それには、蘭丸の言う“いわく付き物件”を当たっていくのが、手っ取り早く、そして確実だと白依は考えていた。
蘭丸のことは、一切信用できない。
あの男は与えるふりをして、こちらの価値を見ている。
そういう類の人間だ。
だが、それでも。
哀の話や、今回の件を見る限り、情報の正確さだけは確かだった。
使えるものは使う。信用はしない。
あくまで、利用するのみだ。
白依はそこまで考えて、今後の方針を大まかに定めた。
ふと背後へ視線をやる。
そこでは、哀と焔羅が未だにこそこそと言い合っていた。
その光景を見て、白依は静かに目を細めた。
次に動き出せば、また面倒ごとが増える。
力も要る。核も探さなければならない。
考えるべきことは、いくらでもある。
それでも今だけは――
この平穏を、もうしばらく噛み締めていようと、白依は思った。
――――――――――
陰務省・会議室。
四名の隊長と、総監の緋珠、副総監の澪。
合わせて六名が、ひとつの卓を囲むように揃っていた。
「いやはや、またしても集まってくれてありがとね」
緋珠が、どこか軽い調子で全員へ声をかける。
その言葉に最初に反応したのは、制縛部隊隊長の結城だった。
「確かに」
眼鏡の奥の目を細め、淡々と口を開く。
「この短い間で、またこのメンバーが集まるほどのことが起きたんですか?」
声音は穏やかだ。
だが、その奥にはうっすらと嫌味が滲んでいる。
結城はそこで一拍置き、さらに続けた。
「ここ最近、やけに怪異が活発化してきていましてね。私もなかなか忙しいんですが」
会議室の空気が、わずかに張る。
緋珠はそんな結城の物言いに気を悪くした様子もなく、むしろ面白がるように目を細めた。
「まあ、お察しの通り、例の“白い童”についてだよ」
緋珠がそう言うと、結城は露骨に肩を落とした。
「またそれですか」
心底うんざりしたような声だった。
「正直、そこまで重視することでしょうか? あれから私も調べましたが、大した情報は出てきませんでしたし、黒羽家の件以降、特に目立った問題も起きていないでしょう」
そう言って、やれやれとでも言いたげに肩をすくめる。
その態度は、半ば本気だった。
得体の知れない存在ではある。
だが現時点では、警戒対象としては曖昧すぎる。
結城の目には、そう映っているのだろう。
澪が、堪えきれずに声を上げた。
「お忘れでしょうか?その者は神格者である可能性が高いのです。重要度で言えば、最重要案件です」
その声音には、珍しくはっきりとした苛立ちが滲んでいた。
緋珠はそんな澪を横で軽く宥めるように手を上げる。
「うんうん。結城隊長の言い分は分かったよ」
穏やかな声だった。
だが、そこで緋珠はわずかに目を細める。
「けどね――」
その一言で、空気が変わった。
緋珠の声が、一段低くなる。
「組織として動いてるんだ。その幹部である隊長ともあろう者が、情報の重要性を理解していないとは……如何なものかね」
静かな口調だった。
怒鳴ったわけでもない。
語気を荒げたわけでもない。
それなのに、結城の背筋へ冷たいものが走る。
その場の誰もが、緋珠の機嫌がわずかに傾いたことを察していた。
会議室の空気が、目に見えない圧でひりつく。
結城は言葉を失い、無意識に喉を鳴らした。
一瞬、会議室は沈黙に包まれた。
だが、その空気を破ったのは緋珠だった。
ぱん、と軽く手を叩く。
「とまあ、言ってはみたけれど――不満を愚痴るのも大事だよね」
先ほどまでの冷えた声音は消え、緋珠はいつもの調子で笑う。
「ただ、時と場合を考えよう!それだけ!」
その一言とともに、会議室の張りつめた空気も少しずつ緩んでいく。
普段の調子へ戻った緋珠につられるように、場の空気も元へ戻っていった。
そして緋珠は、何も言わず視線だけで澪へ合図を送る。
次へ進め、と。
澪は小さく息を整え、手元の端末へ視線を落とした。
その後、澪が籠杜からの報告を読み上げ、さらに本人の話を補足する形で会議は進んだ。
報告に含まれていた情報は、決して多くはない。
だが――その場にいた全員が、顔や態度にこそ出さなかったものの、事の重大さを理解した。
特に結城は、先ほどまでの物言いとは打って変わって、どこか居心地悪そうに視線を伏せていた。
上がってきた情報は、二つだけ。
ひとつ。
――“白い童”は、黒羽の娘と狛犬を連れ、BAR《夜桜》の依頼を受けて動いていること。
そして、もうひとつ。
――その“白い童”に、隠密部隊隊長である籠杜が勘づかれたこと。
それだけだ。
それだけであるにもかかわらず、軽く流せる内容ではなかった。
《夜桜》と繋がりを持ったこと。
そして何より、あの籠杜の隠密に気づくほどの感覚を持っていること。
会議室には、再び重い沈黙が落ちていた。
「伝くん。接触はもちろん、敵対もしてないんだよね?」
緋珠が、籠杜へ静かに問いかける。
「うん。蘭丸とそういう約束だったしね」
籠杜は相変わらず気の抜けた調子で答えた。
「そかそか。なら、まだやりようはあるかな」
緋珠はそう言って、指先で机を軽く叩く。
そこで、東が口を開いた。
「して――その者は、神格者なのか?」
この案件における最重要部分を、東は回りくどさなく真っ直ぐ籠杜へ投げた。
会議室の空気が、わずかに張る。
だが籠杜は、狐の面の奥で首を傾げるだけだった。
「うーん。正直、わかんない」
気負いもなく、あっさりと返す。
「戦闘を見たわけじゃないし」
その飄々とした答えに、東はそれ以上追及せず、静かに口を閉じた。
分からない。
だが、だからこそ厄介だった。
神格者であると断定できない。
しかし、そうでないとも言い切れない。
その曖昧さが、かえって“白い童”という存在の危うさを際立たせていた。
「とりあえず、この件は伝くんに基本調べてもらおうか」
緋珠が、ゆるくそう言った。
「伝くんで気づかれるなら、それ以外がやったら即アウトっぽいしね」
その言葉に、会議室の何人かが内心で同意する。
籠杜の隠密に勘づく相手だ。
ほかの者が迂闊に近づけば、接触どころか敵対と受け取られる可能性すらある。
緋珠はそのまま、籠杜へ視線を向けた。
「というわけで、よろしく!」
「うへぇー……りょーかーい」
籠杜は露骨に項垂れるような調子で返事をする。
だが、その声に本気の拒否はない。
面倒がってはいても、引き受けること自体は最初から分かっていた。
緋珠は満足げに頷くと、ぱんと軽く手を叩いた。
「じゃ、この件はひとまずそんな感じで。解散!」
そうして、会議はお開きとなった。
隊長たちはそれぞれ席を立つ。
だが誰もが胸の内では理解していた。
“白い童”という存在は、まだ輪郭すら掴みきれていない。
にもかかわらず、すでに陰務省の中枢をこうして動かしている。
それが何を意味するのか。
答えはまだ出ないまま、会議室には椅子を引く音だけが静かに残っていた。
会議が終わり――訓練所近くの通路。
ドンッ――。
鈍い音が、人気のない廊下に響いた。
「クソがっ……」
低く押し殺した罵声が、小さく木霊する。
――――――――――
さらに数日が過ぎた。
哀の体調はすっかり良くなり、最近では庭に出て刳斬舞の素振りをしている。
まだ本調子とは言い難い。
それでも一振り、一振りに込める力は確かで、以前よりもずっと芯のある動きになっていた。
縁側では、そんな哀の姿を白依が静かに見つめている。
その隣では、焔羅が丸くなったまま、うとうとと目を細めていた。
杣木邸には、久しぶりに穏やかな時間が流れていた。
白依は、そんな光景を眺めながら、心の内ではそろそろ次へ進む頃合いだと考えていた。
杣木邸での休息は、必要だった。
哀の傷も癒え、暮らしの基盤も最低限は整った。
だが、いつまでもここに留まっているわけにはいかない。
じじいの核を取り戻すためには、動かなければならない。
力も、情報も、まだ足りない。
蘭丸の言う“いわく付き物件”も、まだ他にあるはずだ。
この穏やかさは悪くない。
けれど、白依にとってそれは、長く浸っていていいものでもなかった。
赤い瞳が、庭で刳斬舞を振るう哀を静かに映す。
その横で、焔羅が寝息混じりに尻尾を揺らした。
白依は小さく目を細める。
――次へ行く。




