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神も人も〜人に砕かれた神の核を巡る、現代妖異譚〜  作者: 佐藤 潮


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第21話 杣木邸の曰く

BAR《夜桜》の裏手に用意されていたのは、艶のある黒塗りの車だった。

街のネオンを鈍く映す車体は、妙に静かで、最初からそこに“待っていた”ように見える。


白依たちはそれに乗り込む。


そのまま名古屋駅へ戻り、コインロッカーへ預けていた荷物を回収した。

哀が買い込んだ衣服の紙袋、必要最低限の持ち物。


すべてを積み終えると、車は夜の街を滑るように走り出す。


向かう先は――蘭丸から話のあった、呪われた古民家。


街の灯りが疎らになり、高いビル群もいつしか背後へ消えていく。


車内には、なんとも言えない空気が流れていた。


走行音は一定だ。エンジンの低い唸りも、タイヤが路面を撫でる音も変わらない。けれど、車内を満たす沈黙が妙に重い。


誰も口を開かないまま、時間だけがじりじりと進んでいく。


そんな中、不意に焔羅が口を開いた。


「そういえば、主が探してる核のことはよかったのか?」


その一言で、車内の空気がぴんと張った。


運転席の哀が、びくりと肩を揺らす。


「……っ、申し訳ありません!」


反射的に謝罪の言葉が飛び出し、勢いのまま頭まで下がる。


「哀殿!前!前!」


慌てた焔羅の声。


哀ははっとして顔を上げ、慌てて前方へ視線を戻す。ハンドルを握る指先に力が入り、喉の奥で小さく息が詰まる。


「も、申し訳ありません……」


今度は先ほどよりもずっと小さな声だった。


白依は窓の外へ目を向けたまま、少しの間、何も言わなかった。


流れていく夜の闇に、街の名残の光がわずかに滲んでは消えていく。


赤い瞳は流れる景色を映してはいたが、そのどれも見ていないようだった。けれど確かに、もっと別の何かを見つめているようでもあった。


やがて、ぽつりと落ちる。


「あれは仕方なかった……と思う」


白依にしては珍しく、少しだけ歯切れの悪い言い方だった。


焔羅が耳を動かす。


哀は前を向いたまま、そっと唇を引き結んだ。


忘れていたわけではない。


白依が探しているもの。

砕かれ、奪われ、散らされた――じじいの核。


それが、白依にとってどれほど重いものか。哀も焔羅も、痛いほど分かっている。


だが、あの場では踏み込めなかった。


蘭丸という男の前で、白依の事情をこれ以上晒すのは危うかった。どこまで喋れば情報になり、どこからが“値札”になるのか、判別がつかなかったからだ。


哀は小さく唾を飲み込む。


「……忘れていたわけでは、ないんです」


言い訳がましくならないように、慎重に言葉を選ぶ。


「ただ、あの場で話すには……危険だと判断しました」


白依は否定もしなければ、肯定もしなかった。


ただ、静かに目を伏せる。


「わかってる」


その一言は責める響きを持たなかった。

それでも哀の胸には、鈍い棘のように残る。


焔羅が、前足の上に顎を乗せながら小さく息を吐いた。


「まあ、アイツ胡散臭いですしね」


軽い調子で言ってみせるが、その声の奥には警戒が滲んでいる。


「でも、どうにかして見つけ出すんですよね。核」


白依の視線が、ゆっくりと前方へ戻る。


「ああ」


短い返事だった。


けれどそれだけで十分だった。


迷ってはいない。

揺れてもいない。


白依の中で、その目的だけは最初から何ひとつ変わっていないのだと、哀には分かった。


車は夜道を進み続ける。


人気の薄くなった道の先、闇の深さばかりが濃くなっていく中で――

それぞれが胸の内に別の重さを抱えたまま、次の場所へ向かっていた。

それから、しばらく。


車は夜の道をひた走り、窓の外の景色は少しずつ色を失っていった。


街の名残はとうに消え、代わりに増えていくのは、闇に沈んだ木々の影と、濃くなる土の匂いばかりだった。


やがて周囲から人工物がほとんど姿を消し、道は森の奥へと伸びていく。


舗装もろくにされていない細い道だった。

目的地がその先にでもなければ、まず踏み入ることはないだろうと思えるような、人気のなさがある。


車が進むたび、両脇に鬱蒼と茂った木々や枝葉が車体を掠めた。

しゃり、と葉の擦れる音が窓の外で続き、ときおり細い枝が鈍く車を叩く。


哀は速度を落とし、慎重にハンドルを切る。


どれほど進んだのか、自分でも分からなくなりかけた頃だった。


狭まる一方だった道幅が、ほんの少しずつ開けていく。


圧迫するように迫っていた木々が後退し、息苦しいほど近かった闇に、わずかな余白が生まれる。


さらに数分。


ぽつり、ぽつりと、人工物の気配が見え始めた。


崩れかけた石垣。

低く積まれた石の囲い。

人の手が入った痕跡が、闇の中に断片的に現れては流れていく。


前を見据えたまま、哀が口を開いた。


「白依様、そろそろ目的の村です」


その声は抑えられていたが、緊張が隠しきれていなかった。


さらに少し進むと、家々が見えてきた。


藁葺き屋根の古い家が、十数軒。

寄り添うように、けれどどこか互いを窺うような距離感で並んでいる。


どの家も闇の中に沈んでいるのに、戸の隙間や障子の奥からは、かすかな灯りが漏れていた。


人は、いるのだろう。


だが、その姿はどこにも見えない。


村は静かだった。

静かすぎるほどに。


車の走行音だけが場違いに響き、その音さえも、どこかよそ者を告げる鐘のように思えた。


村へ足を踏み入れた瞬間から、空気が変わる。


見られている。


そうとしか思えない感覚が、途切れることなく肌に張りついてくる。


家の奥から。

閉じた戸の向こうから。

あるいは、もっと別の暗がりから。


何が、とは言えない。

けれど確かに、無数の視線のようなものが、車の行く先を追っていた。


哀は小さく生唾を飲み込んだ。


ハンドルを握る手に、自然と力がこもる。

家々と畑のあいだを抜け、さらに奥へ進んだ先。


そこに、一際大きな古民家があった。


「……これですね」


哀が、ほとんど独り言のように呟く。


車のライトに照らし出されたその家は、ぱっと見ただけなら少し古い民家にすぎなかった。

藁葺きの年季の入った屋根。黒ずんだ柱。広い造り。手入れが行き届いていた頃なら、それなりに立派な家だったのだろうと思わせる佇まい。


だが――事前に聞かされていた話と、この村に入ってからずっと肌にまとわりつく異様な気配のせいか、哀の目にはそれがひどく不気味なものに映った。


ただ建っているだけなのに、妙に存在感がある。


まるでそこだけ、夜の色が濃い。


哀は無意識に唾を飲み込み、ゆっくりと車を止めた。


エンジンを切る。


低い駆動音が途絶えた途端、周囲の音が一気に押し寄せてきた。


風が吹く。

木々が揺れる。

葉と葉が擦れ合い、枝が軋む。

どこか遠くで、鳥の鳴く声もする。


本来なら、山や森では当たり前の音のはずだった。


なのに――


それらの音が、どこか人の呻き声のようにも聞こえた。


哀は、思わず肩を強張らせた。


全員が車から降りる。


足が地面を踏む感触は確かにあるのに、空気だけが妙に現実感を欠いていた。


目の前の古民家は、何も言わずそこにある。


けれど、その沈黙がかえって不自然だった。


まるで――

入ってくるのを、待っているように。


白依は何も言わず、目の前の古民家を静かに観察していた。


ただ眺めているわけではない。

蘭丸から渡された情報を、ひとつずつ頭の中で照らし合わせていく。


ここは岐阜県の山間部。


廃村寸前の集落、その外れに建つ古民家――杣木邸。


かつてはただの古い家だったはずのそこは、今では死者や行方不明者を幾人も出し、この村どころか周辺一帯にまで名を知られていた。


通称――呪民家。


その名が示す通り、もはや“気味の悪い家”などという程度では済まされない。


人が死に、人が消え、それでもなお残り続ける家。


目の前にあるのは、古民家の形をした“何か”だ。


始まりは、数十年前に遡る。


この村自体は、百年以上前から山間に在り続けてきた小さな集落だった。

だが時代の流れとともに過疎化は進み、いつしか残っているのは老人ばかりになっていた。


若い者は町へ出て、戻らない。

畑も家も、辛うじて維持されているだけ。

村そのものが、静かに寿命を迎えかけていた。


杣木邸もまた、そんな村の流れから外れられなかった家のひとつだった。


もとの住人が亡くなってからというもの、長く空き家となり、手入れもされないまま、ただそこに残されていた。

広い屋敷と古い造りだけが、かつての面影をどうにか留めていたにすぎない。


そこへ越してきたのが、都会から移り住んできた三十代の夫婦と、その幼い娘からなる三人家族だった。


静かな土地で暮らしたい。

子どもを自然の近くで育てたい。


そんな、どこにでもありそうな理由だったのかもしれない。


少なくともその時は、誰もがそう思っていた。


越してきた夫婦は、古びた杣木邸を自分たちの手で直して住むつもりだった。


傷んだ柱や軋む床を少しずつ整え、古い家に新しい息を吹き込む。

いわゆるDIYでの改修だった。


村人たちは当然、心配した。

あの家は広いぶん傷みも大きく、素人仕事でどうにかなる規模ではない。そもそも、長く空き家だった家には人の手が入らないなりの理由がある――そう思っていた者も少なくなかった。


だが、夫婦がこの家を選んだ理由のひとつが、まさにその“古民家を自分たちで直して住むこと”にあったのだと聞かされれば、強くは止められなかった。


せめてもの助けになればと、村の中でも大工仕事の経験がある者が手を貸した。


柱の補強。

傷んだ建具の修繕。

床板の張り替え。

手の入れようはいくらでもあったが、人手が増えたことで作業は思いのほか順調に進んでいく。

そんなある日のことだった。


家の中のリフォームがひと段落し、夫婦は次に庭へ手を入れようと考えた。


どうせなら、ただ整えるだけではなく、何か“この家で暮らし始めた証”を残したい。

そう思った二人は、幼い娘が杣木邸と共に育っていくことを願って、庭に桜の苗木を植えることにした。


春になれば花をつける。

娘が大きくなるたびに、木もまた少しずつ大きくなっていく。


――そんな未来を、疑いもなく思い描いていたのだろう。


それは家族だけの思い出にしたかった。


だからその日は、村人の手も借りず、夫婦と娘の三人だけで庭の脇に穴を掘り始めた。


だが、地面は思いのほか硬かった。


土は浅いところですぐに締まり、そこかしこに石が混じっている。

鍬やスコップだけでは埒が明かず、夫婦は持ち込んでいた削岩機まで使って、ようやく土を穿った。


砕ける土。

跳ねる石片。

潰されていく、何か。


その時は、誰も気にしなかった。


ただ、苗木を植えるための穴を掘った。

それだけのことだった。


そうして苦労の末に、桜の苗木は無事に植えられた。


家族の新しい始まりを祝うように、まだ細く頼りない幹が、夕暮れの庭先にまっすぐ立っていた。


きっとその時の夫婦は、満足していたはずだ。

幼い娘も、土で汚れた手のまま笑っていたのかもしれない。


だが――


この日を境に、杣木邸の日常は静かに終わった。


そして代わりに、異常が始まる。

始まりは、ひどく些細なことばかりだった。


置いたはずの物が、いつの間にか違う場所へ移っている。

夜になると、妙に生々しい悪夢を見る。

家の中に誰かいるような気配がしても、見回せば何もいない。


その程度のことだ。


気のせいだと片付けようと思えば、いくらでもそうできた。


だが、そうした小さな歪みは、日を追うごとに少しずつ大きくなっていった。


人付き合いのよかった夫婦は、次第に人が変わったようになっていく。


村人に会ってもどこか上の空で、会話の途中に不意に黙り込む。

何もない場所を目で追い、誰もいない背後を気にする。

笑うべきところで笑わず、逆に何でもない場面で唐突に口元を歪めることさえあった。


明るく天真爛漫だった娘も、目に見えて変わっていった。


笑顔が減り、外で遊ばなくなる。

いつしか家の中に引きこもるようになり、村人が声をかけても、怯えたように親の後ろへ隠れるだけになった。


あの家で何かが起きている。


そう思う者はいても、誰も確かな言葉にはできなかった。


そして、それからしばらくして――


事件は起きた。


それから、ある日を境に――五日ほど、三人家族の姿をぱたりと見なくなった。


この村で独り暮らしの老人が二日も顔を見せなければ、誰かが様子を見に行く。

そういう土地だ。


だが相手は、まだ若い家族だった。


町へ買い出しに出たのかもしれない。

家の中で何か作業に没頭しているのかもしれない。

体調を崩して、しばらく人前に出ていないだけかもしれない。


そんなふうに考えて、村人たちもどこかで“まだ大丈夫だろう”と静観していた。


けれど、五日。


さすがに長すぎた。


不安を覚えた村人たちは、数人で連れ立って杣木邸へ向かった。


あの家で何かが起きている。


誰も口にはしなかったが、その思いだけは皆の胸の内で一致していた。


何度か声をかけ、玄関の戸を叩いてみても、返事はなかった。


人の気配が、しない。


村人のひとりが恐る恐る戸に手をかける。

すると、鍵はかかっていなかった。


嫌な予感が、誰の胸にもよぎった。


それでも引き返すわけにはいかず、村人たちは再び声をかけながら、ゆっくりと家の中へ足を踏み入れた。


杣木邸の中は、異様なほど静かだった。


物音ひとつしない。

人が暮らしているはずの家にあるべき生活の気配が、綺麗に抜け落ちている。


空気は淀み、どこか鉄臭く、ひどく重かった。


村人たちは顔を見合わせることもできないまま、気配を探るようにして居間の方へ進む。


そして――


その眼前に広がっていた光景に、全員が言葉を失った。


そこに転がっていたのは、三人家族の死体だった。


母親と娘は、血まみれの状態で息絶えていた。

おそらく刃物で何度も刺されたのだろう。衣服は赤黒く染まり、畳にも乾ききらない色が広がっている。


その表情は、どちらも苦悶に歪んでいた。


逃げようとしたのか。

助けを求めたのか。

最期の瞬間に何を見たのかは、もう分からない。


だが少なくとも、安らかな死ではなかったことだけは、誰の目にも明らかだった。


それに対して――父親の死に様だけが、あまりにも異質だった。


血はわずかに付着しているものの、母親や娘のような目立った外傷は見当たらない。

それなのに、すでに事切れていた。


しかもその表情は、苦しみに歪んでいたわけではない。


むしろ、どこか愉悦に浸っているようにさえ見えた。


後の調査で、父親の死因は窒息死と判明した。


だが、あの場でどうやって窒息したのかは、結局分からなかった。


首を絞められたような決定的な痕跡もなく、周囲にそれを示すだけのものも見当たらない。

ただ、人を二人殺した直後に、その男だけが不可解な死を遂げていた。


この一件は、対外的には――


気を病んだ父親が母親と娘を惨殺し、その後に自ら命を絶った一家心中として処理された。


そう“処理する”しかなかったのだ。


あまりにも異様で、

あまりにも説明のつかないものを、

表へそのまま出すわけにはいかなかったから。


だが――この惨劇は、これで終わりではなかった。


むしろ、すべての始まりにすぎなかった。

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