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神も人も〜人に砕かれた神の核を巡る、現代妖異譚〜  作者: 佐藤 潮


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第16話 里帰り

白依たちは車に乗り込み、哀の実家へ向けて走り出した。


しばらく沈黙が続く。

エンジンの低い唸りと、タイヤが路面を削る音だけが車内を満たしていた。


その沈黙を破ったのは、焔羅だった。


「あの電話は……哀殿をただ心配してたんじゃないのか?他の家族も」


白依は聞いているだけ。

窓の外――夜の闇のさらに奥を、赤い瞳で見ているだけだ。


哀が、喉の奥を擦るように息を吐いた。


「……普通の家庭なら。そうかも、ね……」


ハンドルを握る手に力が入り、指先が白くなる。

震えは隠せていない。握り締めるほど、揺れが伝わってしまう。


「あの家……というより」


哀は言い直すように、言葉を選ぶ。


「御三家の血筋に生まれた以上、“普通”じゃいられないから。……特に、黒杖の家は……」


言いかけて、哀の声が途切れた。

そこから先を口にするだけで、喉の奥が痛むのだろう。


「それに、家族と言っても父と兄しかいないから」


それに反応したのは白依だった。

「母親はいないか」


「黒杖の女という立場それだけ弱いのです……」


あまりに悲痛な表情。それを見るだけで哀の母が辿った末路が想像できた。


「……そ、そうなのか」


焔羅の耳がへたり込む。

尻尾の青紫の火も、ぱち、と小さく縮んだ。


哀は一度だけ唾を飲み、助手席に座る白依の気配を確かめるように視線を動かす。

直接は見ない。――見る勇気がない。


それでも、尋ねるしかなかった。


「あ、あの……白依様」


声が、少し震える。


「なぜ……わざわざ、私の家へ向かうのですか?」


白依は、視線だけを哀へ向けた。

赤い瞳は冷たく、感情の揺れを見せない。


「お前の里帰りだと言っただろ」


短い答え。

それ以上でも以下でもない、と言わんばかりに、白依は視線を窓の外に戻した。


哀の喉が、ひゅ、と鳴る。


進めば進むほど、哀の震えは大きくなっていった。

肩が揺れ、呼吸が乱れ、アクセルを踏む足が微かにぶれる。


(……やっぱり、邪魔だ)


白依は窓の外を見たまま、胸の奥でだけそう呟く。


けれどハンドルを握る哀の背中は、止まらない。

怖さに潰れそうになりながらも、前へ進む。


そのことだけが――今夜の車内で、やけに目立っていた。


――ホテルを出て、数時間。


街灯はいつの間にか途切れ、家の間隔が広くなる。

舗装路の脇には闇が増え、田畑の匂いは消え、代わりに湿った土と杉の匂いが濃くなっていった。

やがて道は山に挟まれ、空は細く削られていく。


哀はハンドルを握ったまま、遠くを睨むように見つめていた。

ライトの先、闇の奥――そこだけが、妙に“黒い”。


「……白依様」


声がかすれる。


「……見えてきました……」


白依もそこへ視線を向ける。


分家とはいえ、さすがは御三家。

“家”の格が、遠目でも分かった。


瓦屋根の白い塀。

均一すぎる白さが、夜に浮いている。

塀は山の斜面に沿って長く伸び、どこまでが敷地か分からない。


その内側に、屋敷。


屋根の稜線は低く、だが重い。

木々に隠れてなお、そこにあるだけで周囲の空気が沈む。

そして正面には――門。


重い。

巨大で、飾り気がないのに、押し返してくる圧だけがある。

開けるための“入口”というより、拒むための“壁”だった。


門まで、あと数百メートル。


哀の足が、アクセルからわずかに浮く。

車速が落ち、やがて路肩へ寄せられ――止まった。


エンジン音だけが残る。

ライトが塀を舐め、白が冷たく反射する。


「……っ」


ハンドルに身体を預けるようにして肩が揺れる。

息が浅い。指が震えている。ハンドルを握る手が、ぎゅ、と硬直したまま離れない。


「も、申し訳ありません……」


声が裏返る。

顔面は蒼白で、唇の色すら薄い。


「まだ……心の準備が……」


言い終えた瞬間、哀の歯がカチカチと鳴っている。

震えは止まらない。止めようとしても止まらない。


助手席で焔羅が、白依の膝の上からそっと顔を覗く。

いつもの軽さが消えて、火も小さく揺れていた。


白依は、黙って門を見る。


その時、焔羅が――白依の膝から、ひょい、と哀の膝へ飛び移った。


「哀殿!」


突然の重みと声に、哀はびくりと肩を跳ねさせる。

ハンドルを握っていた指が一瞬だけ強張り、息が喉に引っかかった。


「……焔羅?」


焔羅は哀の膝の上で踏ん張り、尻尾の青紫の火をぱち、と小さく弾ませる。

そして、わざとらしいくらい明るく――犬歯を見せて笑った。


「大丈夫!」


言い切る声が、妙に真っ直ぐだった。


「何かあれば、また我が守ってやる!」


その言葉に、哀の喉が小さく鳴る。

震えが、ほんの少しだけ“ほどけた”。


呼吸が整う。

吸って、吐いて――それが、ようやく出来るようになる。


「……ありがとう……」


哀はそう言って、焔羅の頭にそっと手を置いた。

撫でるというより、確かめるように。

そこに“温度”があることを。


焔羅は嬉しそうに目を細め、鼻先を哀の手に押し付ける。


その光景を横目に、白依は小さく鼻を鳴らした。


ふん、と。


肯定でも否定でもない。

けれど――どこか、今の哀の呼吸を許した音だった。


車を降りると、夜気が肌に貼りついた。

街灯はとうに途切れ、山の匂いと土の湿り気だけが濃い。


白依たちは無言のまま歩いて門まで向かう。

白い塀は月明かりを跳ね返し、屋敷は闇の中で輪郭だけが重い。


門の前まで来た――その瞬間。


ギィ……。


低い音を響かせながら、門がひとりでに開き始めた。

誰も触れていない。風でもない。命令のように、ただ開く。


哀が息を呑む。

白依は反応しない。まばたきすらせず、門の奥だけを見ている。


焔羅が哀の少し前へ出た。

小さな身体で盾になるように立ち、青紫の火を尾先で震わせる。


門が開き切る前に、声が落ちた。


「――やはり、戻ったか。哀」


湿った低さ。喉の奥で笑っているような響き。

スマホのスピーカーから聞こえた声と、同じだった。


哀の肩がわずかに跳ねる。

それでも崩れない。焔羅の背中を見て、どうにか立っている。


白依は、ゆっくりと視線を奥へ深く差し込んだ。


――門の向こう。

闇の中心にいる“声の主”を、赤い瞳が真っ直ぐに捉える。


門の奥に立っていたのは、腰に刀を携え、白髪の混じる髪を後ろで低く結った男だった。

紺色の着物は皺ひとつなく、闇の中でも妙に“きちんと”して見える。


無精髭の生えた口元が、僅かに上がった。

笑っている――のに、温度がない。迎える笑みではなく、値踏みの笑みだ。


その姿を見た瞬間、哀の身体が強張る。

指先が冷え、肩が固まり、呼吸が浅くなる。声が出ない。


焔羅が、低い声で哀に囁いた。


「哀殿……あれが父君か?」


哀は言葉の代わりに、ちいさく首を縦に振った。

肯定の動きは弱々しいのに、そこに恐怖だけははっきりと乗っていた。


黒羽具廉くろば ともかど

黒羽家現当主。そして、哀の実の父。


「……まさか、これ程の土産を持ってくるとは」


まとわりつくような低い声だった。甘いのに、舌の裏が冷える。

具廉の視線は哀を越えて――白依と焔羅へ貼りついたまま離れない。


「お前は、この時のために生まれてきたのか」


その言葉に、哀の胸の奥で何かが揺れた。

白依と出会った夜が、脳裏に焼きついている。まだ一日も経っていないのに、ずっと前からそうだったような感覚。


『私は……白依様と出会うために、今日まで生きてきたのだと、産まれてきたのだと――確信しました』


あの言葉を、今ここで否定された気分だった。


白依と出会う前の哀なら、きっと頷いていた。

言われるがまま、受け入れて――自分を“道具”に落とし込んで、痛みすら当然だと思い込んでいた。


でも今は違う。


哀にも、信じたいものがある。

折れはいけない理由がある。

胸の中に一本だけ、芯ができた。


――熱い。


恐怖の底で、別の熱が立ち上がってくる。


具廉は楽しげに、喉を鳴らすように続けた。


「それは狛犬か? ……それと」


そして白依へ、ぬるりと視線が滑る。


「それが例の“白き童”か……」


値踏みだった。

品を見て、重さを測って、値段を付ける目。


白依の白さを、焔羅の焔を――“土産”として数えている。


その瞬間。


哀の中で、何かが切れた音がした。


「……お前如きがどうやったのかは知らんが、褒めてやる。早くそれらを――」


「……やめろ……」


声は小さかった。けれど確かに、哀の喉から出た。


具廉が眉を上げ、怪訝そうに哀を見る。


「なんだと?」


哀の唇が震える。

膝が笑いそうになる。心臓が痛いほど跳ねる。


――それでも。


哀は、顔を上げた。


「そんな目で――」


声が掠れ、次の瞬間、熱が一気に噴き上がる。


「白依様を!焔羅を見るのをやめろ!!」


それは絶叫だった。

胸の底から溢れ出た、魂の叫びだった。


恐怖も、習慣も、諦めも――全部を踏み潰して出てきた声。

哀はこの時、初めて自分の意思で父に、家に、今までの自分自身に反抗した。


白依は、目を閉じていた。

焔羅は目を丸くして、固まっていた。


――哀の叫びが、あまりにも“真っ直ぐ”だったからだ。


だが、具廉は鼻で笑った。


「……お前は、なにを勘違いしているんだ」


声は静かで、感情の起伏がない。

その分だけ、刃物のように冷たい。


具廉の眼光が、哀を貫く。


「はぁ。しばらく見ない間に、随分偉くなったな」


口元だけがわずかに上がる。笑みではない。

“折る”ための形だ。


「まあいい。――来い」


さらに声が低くなる。

地の底から響くように、命令が落ちる。


「もう一度、教育しなおしてやる」


哀は、踏ん張った。

逃げない、と決めたから。


けれど身体は、嘘をつけなかった。


過去の記憶が皮膚の下でざわめき、喉が勝手に縮む。

呼吸が浅くなり、指先から熱が抜ける。

怖い。――怖さだけは、隠せない。


哀の瞳がわずかに揺れる。


それでも。


哀は歯を食いしばり、声を絞り出した。


「……嫌、です」


かすれた音だった。

けれど、確かに“拒絶”だった。


具廉の眉が、ほんの僅かに動く。


「……ほう」


その一音だけで、空気が重くなる。

哀の目には門の奥の闇が、具廉の背へ集まっていくように見えた。


具廉が一歩、踏み出した。


砂利が、じゃり、と鳴る。

たったそれだけで、哀の肩がびくりと跳ねる。


哀へ近づき、具廉はゆっくり手を伸ばした。

指先が届く――その瞬間を、当然のように疑わない動きだった。


焔羅が、白依へ小声で問いかける。


「……主」


白依は目を閉じたまま、小さく頷いた。

許可。――それだけで十分だった。


焔羅の身体が、影のように沈む。次の瞬間には跳ね上がり、伸びてくる具廉の手へ爪を振るった。


切り裂く――はずだった。


だが、爪は空を切った。


具廉は体格に見合わず、軽やかに身を引いていた。

まるで、最初から読んでいたかのように。

焔羅の軌道だけを見切り、必要最小限の距離で避ける。


「躾のなっとらん犬だな」


具廉の声に焦りはない。

怒りもない。

ただ、道具を評するような低さだけがあった。


焔羅が歯を剥き、低く唸る。

青紫の焔が、尾の先でぱち、と弾けた。


具廉は焔羅から視線を外さず、腰へ手をやる。

そして、ゆっくりと刀を抜く。


――すう、と、金属が夜気を裂く音。


鞘を投げ捨てる。

構えが、洗練されていた。無駄がなく、重心が低い。

刀を振るためではなく、“斬るため”に積み上げられた形。


だが、それ以上に目を引いたのは――刃だ。


白い刃の縁から、薄く黒い気配が滲んでいる。

鉄の冷たさではない。

湿った嫌悪が、刃にまとわりついている。


空気が張り詰める。


焔羅の唸りが、喉の奥で少しだけ震えた。

強がりじゃない。

“格”を嗅ぎ取った獣の、警戒の音だ。


哀は息を呑む。

身体が勝手に硬直し、膝が震えた。

なのに――目だけは、具廉から逸らせない。


――――――――――


屋敷の物陰。

灯りの届かない陰の濃い場所に、ひとつ――男の影があった。


呼吸を殺し、柱の影からこちらを覗いている。

視線は、門前の三人へ。

まず焔羅。次に白依。最後に――哀。


「……あれは狛犬?それに、白い子ども?」


吐息混じりの声が、喉の奥で擦れる。


「あれが……土産、なのか」


面白がるように呟いたくせに、目だけは落ち着いていなかった。

ひとつでも見誤れば、自分が“格”の違いを突きつけられると、本能が知っている。


男の視線が、哀へ移る。


その瞬間――表情が歪んだ。

嫌悪が先に出る。理屈は後から付いてくる。


「……忌々しい」


歯噛みする音が、闇の中で小さく鳴った。


「血が繋がってると思うだけで……吐き気がする」


笑い飛ばせば楽だ。

あの“落ちこぼれ”の嘲れば、胸のざわつきも誤魔化せる。

そう思って、口角を上げかけた。


「野垂れ死にでもすれば良かったものを。……父上の関心を、今さら得ようとしてるのか?」


――無駄だ。


そう言い切る前に。


門前で、哀の絶叫が木霊した。


「そんな目で!白依様を!焔羅を見るのをやめろ!!」


声が、屋敷の壁を打った。

夜気を裂いて、骨まで届くように響く。


物陰の男は、固まった。


「……は?」


理解が追いつかないという顔だった。

次の瞬間、背筋がひやりとする。


(な、あいつ……何を考えて――)


生唾を飲み込む。喉が鳴る。

あの哀が。あの“何も言えずに潰れてた”哀が。

父へ、正面から噛みついた。


それは、滑稽な反抗のはずだった。


――なのに。


胸の奥が、ざらりと嫌な音を立てた。

笑えない。

笑ったら、何かを見誤る気がした。


男は、物陰で拳を握る。

爪が掌へ食い込み、痛みだけが確かだ。


「……見届けてやる」


吐き捨てるように呟いた。

それが嘲りなのか、焦りなのか、自分でも分からないまま。


男の影は、息を潜めたまま――門前から目が離せなくなっていた。

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