第14話 会議室にて
トンネルの外は、まだ夜が深い。
雲の切れ間から、月が静かに顔を覗かせていた。
白依たちは車へ戻り、香坂トンネルを後にした。
――――――――――
ーー陰務省・第一会議室。
その部屋には、最初から異様な空気が流れていた。
窓はない。円形のテーブル。その中心に据えられたホログラムが、室内を青白く照らしている。光は均一で、影は薄い。だからこそ、わずかな動きがやけに目立った。
椅子は五脚。等間隔に置かれ、既に四名が席についている。
誰も言葉を発さない。
――だが、沈黙は静けさではない。
足を組む。腕を組む。視線を落とす。息を吐く。喉が鳴る。
その一つひとつが、互いに線を引き、距離を測り、評価を積み重ねていく動作に見えた。
ここは会議室ではなく、刃を並べた鞘の中だ。
コツン、コツン――。
外から足音が近づく。
全員、その音の主が誰かを知っている。
ガチャ。
扉が開き、二人が入室した。
久遠緋珠。
その半歩後ろに、相楽澪がつく。付き従うようでいて、距離は保ち、気配は鋭い。
緋珠は上座にある空席へ迷いなく進み、深く腰掛けた。
椅子がほとんど音を立てないのに、空気だけが一段沈む。
澪は、その斜め後ろに立つ。
立ったまま、四名を静かに見渡す。
「やっ!集まってくれてありがとう!」
静寂を裂いたのは、拍子抜けするほど気さくで能天気な声だった。
その一言だけで、張り詰めていた空気が――ほんの一瞬、柔らかくなる。
緋珠は机に頬杖をつき、にへら、と笑う。
「形骸化してるけど、一応いつものやっとこっか。珍しく全員集合してるしね」
一拍。
青白いホログラムの光が、緋珠の橙の瞳に映って揺れる。ふざけた口調のまま、目だけが鋭くなる。
「隠密部隊・隊長――籠杜伝」
まだ幼さを残す声が、面の奥から返った。
猫の着ぐるみ。狐の面。異様な出で立ちなのに、この場では妙に馴染んでいる。
籠杜は肩をすくめ、軽く手を上げた。
「どもどもー」
緋珠は次へ視線を移す。
「殲異部隊・隊長――東冥斬」
返ってきたのは、腹の底から鳴るような低い声。
制服の上に黒を基調とした和風の羽織。金糸の刺繍が、ホログラムの青光を吸って鈍く光る。
服の上からでも分かる盛り上がった筋肉。座っているのに、周囲の圧が一段重くなる。
「……」
返事はない。
声よりも、黙ったままこちらを“見る”目が答えだった。
緋珠は気にしない。むしろ楽しげである。
「制縛部隊・隊長――結城一」
高くも低くもない、澄んだ声音。
東と同じ制服姿だが、羽織は色違いの白。線の細い体つきが、逆に冷たい安定感を醸す。
結城は眼鏡を指で押し上げる。所作が理性的で、無駄がない。
「……毎度毎度、よく飽きませんね」
言い方は淡々としていた。
緋珠が最後へ目を向ける。
「祓医部隊・隊長――毒島夷織」
返ってきたのは高い声。けれど耳に刺さらず、胸へすとんと落ちるような声だった。
白衣。首から下がるのは聴診器に似た器具――ただし金属の光がどこか冷たく、医療というより“計測”の匂いがする。
毒島は微笑んだ。柔らかいのに、目だけは笑っていない。
「今回は“神格反応”……でしたっけ」
その一言で、柔らいだ空気が元の重さへ戻る。
五脚の円が、ようやく“会議”の形になった。
緋珠は、うんうんと満足げに首を縦に振った。
「やっぱこれがあると引き締まるよねー」
「――ここからは、私、相楽澪が進行させて頂きます」
緋珠の声を切るように、澪が入る。
淡々とした声音が、会議室の空気を一段“仕事”へ戻した。
「毒島隊長の言う通り、今回は神格レベルの反応が兵庫県北部の神社で確認されました。
そして既に、籠杜隊長に偵察へ行ってもらっています。本日はその内容の共有です」
澪の言葉が終わるのを待っていたように、籠杜がぶーぶーと不貞腐れ気味の声を出した。
「あれ、ほんと大変だったんだよー」
澪は一瞥もしない。
緋珠で鍛え上げられたスルースキルで、籠杜の文句を空気に溶かし、次へ進める。
「結論から申し上げます。――具体的な原因は掴めませんでした」
誰も動かない。
驚きの声も、苛立ちも、落胆もない。
ここにいる面々は、“その程度”で揺れるほど甘くない。
ただ、続きがあることを知っているだけだ。
澪は間を置かず、淡々と続ける。
「しかし、籠杜隊長が現場へ到着した時点で神主並びに警備の者が惨殺されており――鷹宮家。天狩と遭遇しています」
その瞬間、空気が変わった。
目に見えない線が引き直される。呼吸の音が、一拍だけ遅れる。
結城が、思わず零す。
「……まさか、天狩が神格者に……」
だが籠杜は即座に首を振った。軽い口調のまま、しかし面の奥の瞳は笑っていない。
「いや、それは違うね。あれは“反応の当人”じゃない」
狐面の奥で、舌打ちに近い息が漏れる。
「結局、調査はできなかったけどさ。向こう、コレクション候補がどうとか言ってたし」
――沈黙が落ちた。
「天狩が動いたのもそうだけど――」
緋珠は、そこで一度だけ息を吐いた。
いつものふざけた軽さが消え、声が一段低くなる。
「伝くんからの報告の後、表の人間も調査に入った。まあ、神社の関係者が惨殺されてるとなると、さすがにね」
視線で澪に指示を出す。
中央のホログラムが反応し、青白い光がひとつ強まった。
空中に浮かび上がったのは、現場写真。
折れた鳥居の残骸。
参道に散る血飛沫。
本殿の床を黒く染める乾いた赤。
そして――無惨に転がる“関係者”の死体。
誰も口を挟まない。
喉の奥で空気を飲む気配だけが、円卓の上を静かに滑った。
緋珠は、ホログラムの写真を次へ送る。
社務所の室内。引き出しが引き抜かれ、棚が荒く開けられ、床に散った紙片。
最後に、駐車スペースの写真。そこだけが、妙に“空っぽ”だった。
「でも一人」
緋珠が、淡々と続ける。
「黒杖家の分家の女の子が、そこに奉公として出されてたらしいんだけど……」
言葉の途中、緋珠の橙の瞳が、ほんのわずかに細くなる。
「その子の死体は見つかってない。社務所が少し荒らされて、車も消えてる」
ホログラムに、車のタイヤ痕らしきものと、消えた鍵の管理札が映る。
“逃げた”のか、“連れ去られた”のか――判断材料が足りない、そんな写真だ。
緋珠は最後に、一枚の画像を出した。
本殿の奥。
床に残された、蓋の壊れた木箱だけが、ぽつんと置かれている。
「……本殿には、蓋の壊れた木箱のみ」
言い終えた瞬間、会議室の空気がさらに冷える。
東の肩がほんの僅かに上がり、結城の指が眼鏡のブリッジへ触れた。
毒島は笑みを崩さないまま、瞳孔だけがわずかに開く。
澪が、静かに確認するように言う。
「封印が解けたのか、解かれた……可能性が高い、ということですね」
緋珠は、軽く肩を竦めた。
「うん。――“中身がいない”ってことだけは、確定だね」
東が、重い口を開いた。
空気を押し潰すような低い声だった。
「で。その中身は」
短く、逃げ道のない問い。
緋珠は一瞬だけ口元を歪める。笑みじゃない。癖のような動きだ。
澪が、代わりに答えるように視線をホログラムへ向けた。
「過去の資料、文献を当たりました。……詳細は不明です」
言い切ってから、一拍置く。
その一拍が、余計に不穏だった。
「しかし――一文だけ、共通して記されていました」
澪の指が軽く動く。
ホログラムが切り替わり、古い紙面の写真が宙へ浮かぶ。
毛羽立った和紙。墨のにじみ。朱の修正跡。
現代のフォントに置き換えられた“翻刻”と、原文の写真が並んでいる。
「土地神の御蔭にて護られし白き穢れの童、討ち果たすこと叶はず。
よりて、此処に封じ置く。後の世の者、みだりに開くことなかれ。」
澪は淡々と読み上げた。
毒島が、軽く首を傾げた。
モノクルの奥、瞳だけが薄く笑っている。
「……その白き童が、神格反応の元ってことかしら?」
籠杜は椅子の背にもたれ、両手を頭の後ろで組む。足をぶらぶら揺らしながら、間の抜けた声を出した。
「僕よく分かんなーい」
その軽さが、逆に場を冷やす。
緋珠は一度、深く息を吐き――姿勢を正した。机に突っ伏していた“いつもの”が消え、総監の顔になる。
「今は情報が足りない」
橙の瞳が、ホログラムの“白き穢れの童”の文面から、四人の隊長へ順に移る。
視線だけで釘を打つように。
「黒杖家が分家を使って“それ”を奪ったのか。――はたまた、ただ封印が解けただけなのか」
わずかな沈黙。
円卓の上の青白い光だけが、呼吸のように明滅する。
緋珠は、全員をまっすぐ見つめた。
「とにかく。普段の任務の傍らでいい。
この件――“白き童”“木箱”“消えた分家の女”“神格反応”に繋がる情報収集を頼むよ」
籠杜が手を上げ、東が短く頷き、結城は眼鏡を押し上げ、毒島は愉快そうに口角を上げた。
「「「「了解」」」」
四つの声が重なり、会議室の空気が一瞬だけ動いた。
――その瞬間。
緋珠が、ぱっと表情を緩める。
わざとらしいくらい明るい声で、釘を刺した。
「あ!見つけても、いきなり敵対するのはなしね!」
冗談のような口調。
けれど橙の瞳は笑っていない。
“最悪の想定”を、全員が理解している目だった。
澪が、追い打ちのように低く言う。
「……接触は報告の後。独断行動は禁止です」
東は無言で立ち上がり、椅子の脚が床を鳴らす。
結城と毒島も続き、籠杜は最後にひらひらと手を振って退室した。
――扉が閉まる。
会議室に残ったのは、緋珠と澪だけ。
青白いホログラムが二人の影を長く伸ばし、室内にまた異様な静けさが戻った。
緋珠が、机に身体を預けだらりと姿勢を崩した。
さっきまでの“総監”の顔はどこへやら、机に頬杖をついて、澪へと軽い調子で声を投げる。
「白き童かー。可愛い子だといいね?」
澪は一拍も置かず、視線だけで切り捨てた。
「そこは心底どうでもいいです」
冷たい。氷のように。
緋珠はむくれたように唇を尖らせる。
「えぇー。どうせなら可愛い子の方がいいでしょ!」
澪はゆっくり息を吐いた。
頭の奥が、じわじわ痛くなる。こうなると面倒くさい。
「総監。優先順位を理解してください。相手は“神格レベル”です。可愛いかどうかで、被害が減りますか」
正論を言っても、相手は正論で止まらない。
緋珠はにへら、と笑って、わざとらしく肩をすくめた。
「減らないけどさー、モチベは上がるじゃん?」
澪のこめかみがぴくりと跳ねる。
「上がりません」
「ええ……澪ちゃん冷たぁ……」
「冷たくしてるんじゃなくて、真面目にやってるんです」
緋珠は机に頬を落とし、だらだらと手足を伸ばした。
「はいはい。で、澪ちゃん的にはさ。“白き童”って、どっち寄りだと思う?話通じる系?それとも――」
澪は、その途中で言葉を切るように遮った。
「雑談するなら、仕事を片付けてからにしてください」
「片付けたら雑談していい?」
「帰りますけど」
緋珠が「ひどーい」とケラケラ笑い、澪は額に手を当てた。
(頭痛い……)
――――――――――
白依たちの帰り。
車内は行きの時より、空気が穏やかだ。窓の外を流れる街灯の明滅も、先程までの闇よりずっと“普通”に見える。
――けれど。
哀だけが、まだ夢の中にいるようだった。
死に直面した。
恐怖に犯された。
それでも、白依の言葉に救われて――胸の奥が熱くなった。
あの瞬間の“守れ”が、まだ心臓の裏で鳴っている。
横目で白依を見る。
白依は行きと変わらない。シートに背を預け、窓の外、その闇のさらに奥を、赤い瞳で真っ直ぐ見ている。
何を考えているのかは分からない。けれど、少なくとも――“揺れていない”。
(私、少しは……白依様のお役に立てたのかな……)
鼓動が、少しだけ早くなる。
それが怖さなのか、嬉しさなのか、哀にはもう区別がつかなかった。
哀は喉の奥で息を整え、ハンドルを握ったまま、できるだけ平静に言う。
「白依様。ご飯を買ってから、ホテルへ戻りましょうか」
助手席――白依の膝の上から、焔羅が即答した。
「我、からあげ!」
勢いがよすぎて語尾が跳ねた。尻尾の青紫の火も、ぱちぱちと小さく弾む。
哀は思わず笑いそうになるのを飲み込み、白依の返事を待つ。
一拍。
白依は窓の外から視線を動かさないまま、ぽつりと言った。
「……白依も」
その声は、先程までより少しだけ小さい。
“食べたい”と明言することに、まだ慣れていない音だった。
哀の頬が、ゆるみかける。
(……かわいい、は不敬かな)
口には出さない。
代わりに、声だけを整えて頷く。
「承知しました。からあげ、ですね」
焔羅が「やった!」と言わんばかりに胸を張り、白依は相変わらず窓の外を見ている。
なのに車内は、先程より確かに温かい。
そのまま車は、夜の道を滑るように走っていった。
――――――――――
白依の封印が解け、まだ一日ほどしか経っていない。
それでも――日本の各地で、もう歯車は回り始めていた。
兵庫の山間部。砕けた結界の残滓は夜気に溶け、折れた鳥居は“ただの木”に戻りながらも、そこにあった異常だけは消えない。
誰かが見た。誰かが嗅いだ。誰かが、気づいた。
東京。陰務省の奥では、数字が揺れ、警告が跳ね、報告が一枚、また一枚と積み上がる。
「神格」という文字が、扱いづらい不吉さを伴って画面の隅に残る。
京都。
古い屋敷の闇で、式神の気配がひとつ息をする。主の気まぐれひとつで、命令は“遊び”の形をして滑り出す。
宮城。
黒杖の名の下で、呪具の匂いが濃くなる。鍛えられる鋼が、理由のない苛立ちを孕み、火花が床に落ちるたび、何かが軋む。
大分。
言葉が、形を持つ家。口に出さずとも、言霊は準備を始める。沈黙の内側で、“声”が刃を研ぐ。
歯車は噛み合い、軋み、回転を速める。
誰かの意図で。誰かの恐れで。誰かの欲で。
そしてその中心に、白い影がいる。




