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第四十四話

「お姉ちゃん――」

 葛西耕治の葬儀から帰って来た百合は千絵の顔を見ると、涙に顔を歪ませた。すでに散々泣き腫らしたであろう目は赤く、見ているこっちが痛々しく思えた。

 百合の合格発表があった翌日。葛西耕治は息を引き取った。

 こうなることはある程度覚悟していた。

 だが、まさか、よりにもよってこんな時に。

 自分で彼の命を刈っておきながら、千絵はそう思わずにはいられなかった。

 耕治はあの年齢で上限一杯まで命を売っていた。彼の残存寿命が十年以上なら十年分。それに満たない場合は、わずかな猶予期間を残して売却される。千絵はクライアントの残存寿命については知らされていない。だから耕治があとどれくらい生きられるかは推測するしかないのだが、おそらくそれほど多くの時間が残っていないのではないかという予感はあった。

 死神としての勘とでもいうか、耕治の命を刈った時から千絵にはそんな予感があった。

 だから、合格発表があったあの日、千絵は百合に強引に葛西家に報告に行かせた。耕治はずっと百合を可愛がって心配してくれていた。

 罪滅ぼしなどとは口が裂けても言えないが、それぐらいの恩返しはしておきたかった。そのすべてが欺瞞でしかないと分かってはいたが。

 千絵はしばらくの間、百合の頭を撫で続けた。

 その度に罪悪感で胸が締め付けられた。

「お姉ちゃん」ようやく泣き止んだ百合は、千絵から離れると震える声で言った。「死神に会ったことある?」

「え?」百合の口から死神という言葉が出て来たのを聞いて、千絵の背中に冷たい汗が流れた。

「私、あんな風に笑う人、初めて見た」百合はそう言うと、その顔に不快を滲ませる。「あんな気持ち悪い笑顔、初めて……」

 百合が他人に対してここまではっきりと悪意を口にするのを千絵は見たことがなかった。普段、朗らかな百合の印象とは似ても似つかない。彼女の中にこんな感情が眠っていたことに千絵は動揺を覚えていた。

 そんな百合の態度に千絵は怯みながら尋ねる。

「ゆ、百合。あなた、死神に会ったの?」

「うん」

「どこで?」

「葬儀場。おじいちゃんの火葬が行われているときに、外の川辺に咲いている桜をおばあちゃんと一緒に見ていたの。そしたら、あの人がやって来て……」嫌悪の滲んだ表情で百合は言う。

「それ、どんな人だった?」

「陰気くさい男の人。何かニコニコ笑ってはいるんだけど、見てるだけで苛々して来るっていうか……」

 百合の説明は具体性を欠いていたが、千絵はそれが那由多であると確信した。少なくとも、笑顔で人をここまで不快にする人間など彼をおいて他に知らない。

「それで、その人はどうして葛西さんの所に?」

「あ、うん……」百合はそう言って、足元を見つめる。

「百合?」

「あの、お姉ちゃん。今から私がする話、絶対に秘密にしてくれる?」

「え? ええ、もちろん」

 千絵が頷くと、百合は躊躇いながら口を開く。

「実はね、おじいちゃん、生前、死神に命を売っていたみたいなの。死神の人がおばあちゃんの所にやって来たのは、そのアフターサービスのためだって言ってた」

「アフターサービス?」

「うん。何か、命を売ったお金でも、相続するときにきちんと申請しないと税金が掛かるんだって。それを伝えるために来たってあの人は言ってたけど……」

「そう」

 千絵の死神としての業務は人の命を刈り取ることだけ。その他の契約内容の説明や命の査定に関してはまったく関与していない。だから、そのようなアフターサービスが行われていることは知らなかった。

 だが、それをまったく無関係の第三者である百合の前で話すとは。あの男は一体何を考えているのか。そんなことを千絵が考えていると、百合が恐る恐る尋ねてきた。

「ねえ、お姉ちゃん」

「何?」

「おじいちゃんがあんなに早く亡くなったのって、やっぱり死神に命を売ったことが原因なんだよね?」

 それを聞いた途端、千絵の心臓は早鐘を撞くよう鳴り出した。

 百合に他意は無いのは分かっていても、まるで自分が責められているような錯覚を覚えた。千絵は百合から目を逸らすと、「多分」と答えた。

「お姉ちゃん。私、許せないよ。いくら大金を払うからって、人の命をまるで物みたいに……。お姉ちゃんもそう思うでしょ?」

「そう、ね」

「どうしてそんなこと出来るんだろう?」

 千絵がその疑問に答えられずにいると、百合はトボトボと階段のある方へと歩いて行く。

「百合?」

「ごめん。私、部屋に戻るね。ちょっと、疲れちゃった……」

 受験に合格したときの明るさは、もう影も形もなく消え去っていた。

 そんな百合に千絵は何一つ言葉を掛けることが出来なかった。

階段を上って行く百合の足音が妙に重苦しく響いていた。


 

 百合の合格発表があってから一週間が経過していた。

 今日は先延ばしになっていた百合の合格祝いをするため、街中にある喫茶店まで足を運んでいた。その店の一番奥にある席で千絵は百合に合格祝いのプレゼントを渡した。

「遅くなっちゃったけど、合格おめでとう」

「ありがとう」百合がプレゼントを受け取って答える。「開けてもいい?」

「ええ、もちろん」

 千絵はプレゼントにブランド物の化粧品を選んでいた。それは千絵も使っているブランドで女子高生には割と人気があった。少し幼い百合にはあえて大人っぽい色のケースに入っているものを選んだ。

「いいの、これ? 高かったんじゃない?」

「まあ、こういう日くらいはね」

「このお店も予約してくれたんでしょ? なんだか悪いなあ」

「あら? あなたもそんなことを考えられるようになったのね」からかうように千絵が言う。

「もう、私だっていつまでも子供じゃないし!」

「そうね」千絵はクスリと笑うと、運ばれて来たコーヒーに口を付ける。「うん。美味しい」

「お姉ちゃんはコーヒー派なんだよね。私は紅茶派だけど」

「別にこだわってるわけじゃないけれど……。まあ、どちらかといえば、そうかもね」

「私、高校に入っても、ブラックでコーヒーは飲める気がしないなあ。……苦いし」

「砂糖やミルクを入れればいいじゃない」

「それはいや」

「どうして?」

「何か負けた気がするから」

「あなた、たまにそういう訳の分からないこと言うわよね」千絵は苦笑しながらそう言うと、コーヒーと一緒に運ばれて来たケーキを口に入れる。

 百合も同じようにケーキを一口食べると、「うわ、これ、超おいしい」と声を上げた。

「このお店のオリジナルらしいわよ」

「へえ、お姉ちゃん、こういうお店詳しかったんだね」

「ええ、まあね」

 実際は元気を失くしていた百合のために色々調べてようやく見つけ出した店だったのだが、姉の威厳を守るためにもそんなことは口が裂けても言えない。

千絵が平静を装いながらコーヒーを啜っていると、正面で百合がニヤニヤと笑っているのが見えた。

「どうしたの?」

「ううん、何でもない」百合はそう答えると、紅茶のカップを口に運ぶ。「ねえ、お姉ちゃん。このあとだけど、どうする?」

「そうねえ。特に決めてはいないけど……」

「それならさ、今週から新しい映画が始まったみたいだから見に行かない?」

「どんなの?」

「えっとねえ、ちょっと待って……」百合はそう言って、バッグから一冊の雑誌を取り出すと、映画情報の載っているページを開いた。「これなんだけど」

 そこに載っていたのはシリーズもののサスペンス映画で、今、上映されているのはそのシリーズの完結編となっている。千絵もそのシリーズは最初から見ていたので、続きが気になっていた所だった。

「いいんじゃない。私は異論無しよ」

「じゃあ、決定」百合はそう言って雑誌をバッグへと仕舞った。

 そのとき、雑誌の表紙がちらりと千絵の目に入った。

「ねえ、百合、それって……」

「ん?」

「いえ、何でもないわ」

「そう? ならいいけど」百合はそう言うと残っていたケーキを平らげる。「あー、おいしかった」

 満足そうに言った百合を見て、千絵は思わず笑顔を浮かべた。葛西家の一件があってから百合はずっと落ち込んでいたので心配だったのが、この様子ならもう大丈夫だろう。

「喜んでもらえたなら良かったわ」

千絵は伝票を手に取ると会計に向かった。その間に百合は最寄りの映画館の上映時間をチェックしていた。

「次の上映、今から三十分後だって」

「そう。なら少し急いだ方が良いわね」千絵はそう言って足早に映画館のある方へと向かう。

 すると、後ろから百合に、「お姉ちゃん」と呼ばれた。

「ありがとね。色々」

 それだけで百合が何に対して、「ありがとう」を言っているのか十分に分かった。

 千絵は足を止めると、「どういたしまして」と、恥ずかしそうに答えた。



 映画を見終わった後、千絵と百合は帰り道の途中にあるスーパーで夕食の材料を買って帰ることにした。ちょうど人で混雑し始めた時間帯だったため、レジでは結構な時間を待たされた。千絵たちは買い物袋を二つに分けると、それらを一袋ずつお互いに分けて持った。

「来週はもう卒業式かあ」帰り道を歩きながら百合が言った。

「何よ。ちょっとセンチメンタルになっちゃってる?」

「そんなんじゃないけど……。でも、まあ、そんな感じかも。よく考えたら、あの手術からもう一年以上が経っているんだよね」

「いつの間にやらね」

「あの頃は自分がお姉ちゃんと同じ学校に通うことになるなんて思ってもいなかったなあ」

「私もよ」千絵はしみじみとした口調で答える。「あなたがうちの高校に受かるなんて思ってなかった」

「うわっ、ひどい!」

「じょーだんよ」

 千絵は百合から逃げるように早足で歩き出した。すると、視界の端に一孝が誰かと話している姿が映った。仕事の関係者だろうか。相手は二言三言、一孝と話すと、千絵たちとは反対の方角へ歩いて行った。それは真っ黒なスーツを着た男性で、彼は一度振り返るとあからさまな営業スマイルを浮かべて――。

「えっ……?」

「ちょ、お姉ちゃん、どうしたの。急に立ち止まって。あっちに何かあるの?」百合は千絵との接触を回避すると、その視線の先へと目を向ける。「あれ? 何だ、お父さんじゃん」

 百合は一孝の姿を見つけると、そちらに向かって歩いて行く。だが、千絵はその場から一歩も動けず、呆然と立ち尽くしていた。

「……どういうこと?」立ち去った男の顔を思い出し千絵は呟く。「何であの人がお父さんと?」

 ほんの一瞬見えただけだったが、あの顔を見間違えるはずはない。この世でもっとも醜悪な笑顔を浮かべ、人の命を商品と言って憚らない傲岸不遜の人物。千絵の直属の上司であり、生と死への渇望を誰よりも強く嗅ぎ分けることが出来るその男の顔は間違えようがない。

 彼がなぜ一孝と話していたのか。

 最悪の可能性が千絵の脳裏を過る。

 刹那、久しく感じていなかったあの感覚が甦って来た。

 頭のてっぺんからつま先まで一気に血の気が引いて行く感覚。続いて襲ってきた強烈な目眩と吐き気に千絵は崩れ落ちると、そのまま意識を失った。

 人の命を刈り取ることにはもう慣れたつもりでいた。

 だが、大切な人の命を失うことには、未だ慣れることは出来なかった。

 それに気付いたのは千絵が次に目を覚ました時のことだった。

次回は、2026年04月25日 19時10分 投稿予定です。


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