第四十三話
「あ、あった。……私の番号」
合格者の中に自分の番号を発見した百合は隣にいた千絵の手を強く握りしめていた。
千絵は百合の番号と張り出された合格者番号を何度も交互に見直すと、「ほんとだ……。あった」と、呟く。
三月上旬。
今日は百合の高校受験の合格発表があった。
試験を受けたとき、百合にはたしかな手ごたえがあった。それでも不安がなかったわけではい。特に合格発表までのこの一週間は他のことが手につかないほど胃の痛い思いを味わった。
その緊張からようやく解放された百合は、今までのストレスとすべて吐き出すように大きな溜息をついた。
「よかったー」
千絵は今にもその場にへたり込みそうな百合の腕を掴むと、「おめでとう」と言った。
「よく頑張ったわ」
「うん。……ありがとう」
「これで百合も来年から私の後輩になるのね」感慨深そうに千絵が言う。
「だねえ」
「何だか少し不思議な気分だわ」
「私も」百合は少し照れ臭そうに笑うと、それを誤魔化すように携帯の時計を確認する。「まだ十一時か……。ねえ、お姉ちゃん。このあと、ちょっとお茶してかない?」
百合の提案に千絵は少しだけ考えるような素振りを見せる。
「そうね。それもいいんだけど……。でも、その前に、百合。あなた、葛西さんのところに直接報告に行って来なさい」
「え?」
「ずっとお世話になってたわけだし。あちらも、きっと心配してると思うから」
「う、うん……。でも、別に今日でなくても」
今日は百合にとって特別な日だ。
だから出来れば家族と一緒にいたいと思っていた。
だが、
「だめよ」そう言った千絵の声は頑としていて、反論を許さなかった。
百合はその勢いに押されるように、「分かった」と答えた。
すると、千絵は微かに笑みを浮かべて頷く。
「やっぱり、こういうのはきちんとしておいたほうがいいでしょ?」
「そう、だね……」百合はそう答えると、携帯で葛西家のアドレスを探す。「じゃあ、ちょっと連絡してみるね」
「ええ」
電話が繋がるまでの間、百合はその胸に去来した小さな違和感について考えを巡らしていた。姉の笑顔が少しおかしい。どこがと問われれば明確に答えることは出来ないが、今まで見て来たものとは何となく雰囲気が違っていたような気がする。あえていうなら笑っているのに笑っていない。そんな感じだ。
それは単なる見間違いといって忘れてしまってもいいほど小さな違いだった。
だが、あの笑顔を思い出すと妙に胸がざわついて来る。
この違和感の正体は何なのか。それを掴む前に電話口から葛西沙織の声が聞こえて来た。
『はい、葛西です』
「あ、おばあちゃん? 私、百合」
『あら、百合ちゃん。ひさしぶり。元気にしてた?』
「うん、元気、元気」嬉しそうな沙織の声を聞き、百合は頬をほころばせて答える。「それでね。突然で悪いんだけど、今からそっちに行ってもいいかな?」
『え? ええ、別に構わないけど。どうしたの、何かあった?』
「それはねえ、そっちに着いたらご報告します!」
百合が元気にそう答えると、沙織が小さく笑った声が聞こえた。
『そう。分かったわ。じゃあ、待ってるわね』
「うん。じゃあ、またあとで」
電話を終え、百合が顔を見上げると、千絵が頭痛を抑えるように頭に手を当てていた。
「百合。あなた高校生になる前に、その言葉づかいを直しなさいね」
苦言を呈する千絵の顔にはもうさっきまでの違和感は見られない。それを見て百合は胸を撫で下ろす。肩を竦めて苦笑いを浮かべると、「はーい」と返事をする。
「本当に分かってるのかしらね」千絵が嘆息交じりに言う。「まあ、いいわ。あちらに着いたらよろしく伝えておいてちょうだい」
「あれ、お姉ちゃんは一緒に行かないの?」
「……ええ。私は、ちょっと用があるから」
「ふーん」一瞬返事の遅れた千絵を見て、百合は首を傾げる。「あ、もしかして――」
千絵は合格祝いの準備でもするつもりなのではないのだろうか。不意に百合の頭にそんな考えが浮かんだ。それなら余計な言及をするのは野暮というものだ。葛西家への報告を強く勧めたのも、もしかしたらそれが原因なのかもしれない。ならばここはあえて気付かないふりをしておくのがマナーというものだろう。
「なに?」
「ううん、別に」百合は笑ってそう答えると、小さく千絵に手を振る。「じゃあ、ちょっと行って来るね」
「ええ、気を付けてね」
千絵に見送られ、百合は葛西家へと向かった。
※
百合が到着すると、待ち侘びていたように沙織が出迎えてくれた。耕治も百合の顔を見ると、今までにないくらい嬉しそうな顔を浮かべた。
今日は急いでここに向かったため、お土産は用意していない。だが、土産話の用意はある。百合は葛西家のリビングに通されると、そこで今日、見事志望校に合格したことを二人に伝えた。
それを聞いた耕治も沙織も自分のことのように喜んでくれた。その顔を見ていると、千絵の指示に従って良かったと心から思えた。こんな風に自分のことを大事に思ってくれる人が家族以外にもいる。百合にはそれが合格したことと同じくらい嬉しかった。
「ああ、そうだ。百合ちゃんが合格したら渡したいものがあったんだ」
耕治はそう言うと、沙織に目配せをする。すると、沙織は別の部屋から小さな包みを持って戻って来た。
「気に入ってもらえると嬉しいんだけれど……」
「あ、ありがとう」百合は礼を言うと沙織から合格祝いを受け取る。「開けてもいい?」
「ええ、もちろん」
包みから出て来たのは文房具のセットだった。ピンクのボールペンとシャープペンシルが一本ずつ入っている。
「私も、沙織も若い子の好みはよく分からんから無難なものになってしまったんだが……」
「どうかしら?」
耕治と沙織が不安そうに尋ねる。
それを見て、百合は満面の笑みを浮かべると首を横に振って答える。
「……すごく気に入った。ありがとう。大事にするね」
百合の返事を聞くと、耕治と沙織は顔を見合わせて笑った。
そのあと、久しぶりに三人で長話をした。
本当は合格の報告をしたらすぐにお暇するつもりだったのが、なぜか今日はいつまでもここに居たい気分だった。
次回は、2026年04月25日 18時10分 投稿予定です。




