第四十一話
「たまにはこういうのもいいよね?」
十一月の第二日曜日。千絵は百合と一緒に市内にあるデパートまで買い物に来ていた。今はそこで遅めの昼食を取っている。
千絵は正面の席で満足そうにオムライスを食べている百合を見て、「あなたはね」と、不満そうな声を上げた。
今日このデパートにやって来たのは午前十時。そして今は午後二時を回っている。その間、千絵は百合に付き合わされて、デパート中のお店を見て回っていた。
服屋や雑貨、ペットショップなど、このデパート内で百合が可愛いと判断する店はほぼ網羅していた。
今日は休日で人も多いため、余計に店を回るのに時間が掛かった。おかげで人込みが苦手な千絵はすでに疲労困憊になっていた。ペットショップに百合が三十分以上居座ったときは、本気で彼女を置いて行こうかと考えたくらいだ。
そんな不満を露骨に顔に出していると、「お姉ちゃん、ごめーん」と、まったく反省の色の見えない顔で百合が謝って来た。
「久しぶりのショッピングだったから、ついはしゃいじゃって」
「それにしたって限度があるでしょう?」
「だってー」百合は間延びした返事をすると、小さく肩を落とす。「多分、これが最後の息抜きになるだろうし」
今年も、もう残りわずか。年が明ければ、高校入試までは目と鼻の先となる。時間が限られているということは百合も十分承知しているようだった。
だから今日くらいは百合の我儘に付き合ってあげることにした。
「まあ、いいわ。たしかにせっかくの休日なんだし。いつまでもむくれてるのも大人げないし」
「大人げないって、お姉ちゃんがそれ言う?」
「どういう意味よ?」
「いや、だって、家でのお姉ちゃんって、大人とは対極っていうか、まさに子供の典型って感じだし」
「そんなことないわよ」
「うっそだー。寝坊はするし、すぐ拗ねるし、料理もまともに作れないし」
「料理は関係ないでしょ! ほかはまあ合ってるけど……」
「まったく、そんなんじゃあ、いつまで経っても……」百合はそう言い掛けて、何かを思い出した様に千絵を見つめる。「ね、ねえ、お姉ちゃん」
「な、なによ?」
「あの……、お姉ちゃんって、彼氏いるの?」
「え、何? 突然、何でそんなこと聞くの?」
「何でって。この前、葛西のおじいちゃんと偶々そういう話になったのを思い出して……」
「葛西のおじいちゃん?」
「あれ、覚えてない? 私が入院していたとき、同じ病室だった人なんだけど」
百合に言われて、千絵は記憶を遡る。すると、すぐにある老人の顔が頭に浮かんだ。
「たしか肺炎で入院していた人よね。優しそうな感じの」
「そうそう、その人」
「で、この前、遊びに行った時、お姉ちゃんに彼氏がいるんじゃないかって、おじいちゃんが言って……」
「ちょ、ちょっと待って」千絵が片手を上げて言う。「遊びに行ったって、どういうこと?」
「あれ、言ってなかったっけ? 私、定期検診がある日はいつも帰りに葛西のおじいちゃんの家に寄ってから帰ってるんだけど」
「初耳です!」
「おかしいな。言ったつもりでいたのかな?」
「あなたねえ」千絵は頭を押さえる。「それで、いつから葛西さんにはお世話に?」
「えっと、たしか、最初の定期検診のときの帰り道で葛西のおばあちゃんとバッタリ会って。それでお茶でもいかがって誘われて。それからはもうずっと……」
「そういうことは先に言っておきなさいよ」溜息交じりに千絵は言う。「お世話になっているなら、こちらもご挨拶をしておかなくちゃいけないし」
「お姉ちゃん、何だか保護者みたい」
「実際、そうでしょ。おとうさ……、あの人、そういうとこ、あんまり気が回らないし。私がしっかりしないと」
「こういう所は大人なんだよね」ぼそっと百合が呟く。
「何か言った?」
「ううん。何にも」
「まあ、いいわ。とにかく、一度、ご挨拶に行くから。次、葛西さんの家に行くときは私にも連絡頂戴」
「それだったら」百合はそう言って、バッグから携帯電話を取り出すと、どこかに電話をかけ始めた。「あ、おじいちゃん。私、百合だけど――」
※
どうしてこうなったのか。
千絵は今、葛西家のリビングでその家主である耕治と向き合っていた。
ことの発端は、百合が強引に葛西家へ向かうことを決めてしまったことにあった。
百合がお世話になっていた葛西家には、近いうちにお礼をしなければならないと思っていたが、まさか即日それを実行に移すことになるとは思わなかった。
しかし、それだけならまだいい。問題は百合が千絵と耕治を残して、葛西家のもう一人の家人である沙織を探しに行ってしまったということだ。沙織は近所のスーパーまで買い物に出掛けているらしい。帰りが遅く、連絡もつかない彼女を心配して、百合は探しに出てしまっていた。
おかげでほとんど面識のない二人が取り残される形になっていた。
話をするにも、何を話せばいいのかまるできっかけが掴めない。
そんな千絵に気を使ったのか、耕治のほうから話を振って来た。
「――百合ちゃんはまだ看護師を目指しているのかい?」
驚いたことに耕治は百合が看護師を目指していることを知っていた。どうやら入院中にそんな話をしたことがあったらしい。耕治は百合からそのことについて相談されたこともあったと話した。
それを聞いて千絵は少なからずショックを受けた。千絵は百合が入院中、そんな話を聞かされたことは一度もなかった。一番身近にいたはずなのに。そんなに自分は百合にとって頼りない存在だったのだろうか。
だが、そんな千絵の考えを耕治は家族だから言えないこともあると言って否定した。
百合は自分の病が大変なものであると自覚していた。そのため看護師になるという夢を持つことさえ躊躇っていた。特に家族の前では余計な心配を掛けさすまいと、それを口に出すことさえしなかった。
将来に対する不安が百合の口を噤ませていたのではないかと、耕治は千絵に話した。
耕治の話を聞いて、千絵はそうかもしれないと思った。百合は昔から周りに気を使われるのを心苦しく思っているようだった。もしかしたら百合が過剰に明るく振る舞うのもその辺りが原因なのかもしれない。気が付けば千絵は耕治の話に聞き入っていた。
それからひと段落がついた頃、百合から連絡が入った。スーパーへの道の途中にある公園で百合は沙織が倒れているのを発見した。百合はすぐに救急車を手配し、今は病院に居るという。幸い、大事には至らず現在、沙織は医師の診察を受けているらしい。それを聞いたときは千絵も耕治も肝を冷やした。だが、その後、沙織から連絡があり、元気そうな声を聞くと耕治は安心した様子を浮かべた。
その後、沙織は一日だけ入院することになり、その日の葛西家の夕食は千絵と百合が作ることになった。ただし、千絵は百合から料理を作ることを許されず、食器を用意するだけだった。
百合は食事の間、終始明るい笑顔を保っていた。
食事も終わり、夜も更けると、千絵と百合は葛西家を後にした。
帰りのバスの中では流石に疲れが出たのか百合は一言も発しなかった。彼女はただ窓の外をぼうっと眺めていた。
「何だか、大変な一日だったね」バスを降り、家へと向かう道すがら、千絵は軽く伸びをしながらそう言った。
百合はそれに短く、「うん」と答える。
「でも、良かったわね。葛西さんの奥さんも無事で」
「そうだね」
「百合も頑張ったわね」
「え?」
「だって、あなたがいなかったら、もっと大変なことになっていたかもしれないのよ」
「そんなこと……」
「葛西さんもあなたに感謝していたわ」
「本当?」
「ええ」
千絵がそう答えると、百合はぽつりぽつりと独白のように話し出した。
「おばあちゃんを見つけたときね、私どうしたらいいか分からなくて……。とにかくどうにかしないとって救急車だけは呼んだんだけど、それだけしか出来なくて。もし、あそこにいたのが本物の看護師さんだったら、もっと何か出来たのかなあ」
百合の声には沙織を助けた達成感より、何も出来なかった無力感のほうが強く表れていた。
そんな百合の声を聞きながら、千絵は、「馬鹿ね」と言った。
「看護師だろうとなかろうと、あなたじゃなかったらあの場所に奥さんがいるなんてきっと気付かなかったはずよ」
「それはそうかもしれないけど……」
「あなただから彼女を助けることが出来た。それは間違いのない事実よ。だから誇ってもいいと思うわ」
「うん……」百合はそう答えたが、まだ納得してはいない様子だ。
「まあ、悔しいわよね。何も出来ないのって」
「え?」
百合が千絵の顔を見上げる。
「自分にもっと出来ることがあったならって、そういうの私にも少しは分かるから」
「お姉ちゃんにも?」
「ええ」
「そういうとき、お姉ちゃんはどうするの?」
「私なら――」
歩きながら千絵は百合の問いに考えを巡らした。だが、一向にそれらしい答えは出て来なかった。
何も考えず、ただひたすら人の命を刈り続ける自分には正しい答えを導き出すことは不可能だろう。
仮に正しい答えを知っていたとしても、誤った答えを享受してしまっている自分にはもうその道をたどることは出来ない。
だから逆に尋ねていた。
「百合はどうすればいいと思う?」
「私? 私は同じようなことがあったとき、今度はちゃんと出来るようになりたい、かな」
「何だ、分かってるじゃない」千絵はそう言って百合の頭をこつんと叩いた。「なら、悩む必要なんてないわ」
「そうだね、うん」百合は叩かれた頭を押さえながら答える。「何かちょっとナーバスになっちゃってたのかも」
「まったく、あなたは人に気を使い過ぎなのよ」千絵は大げさに呆れたふりをする。「それよりも今のあなたには他に集中しなくちゃならないことがあるでしょう?」
「えー、今、それ言う?」
膨れっ面を浮かべる百合を見て、千絵は声を上げて笑った。




