第四十話
十月になり一孝は本当に仕事を変えた。おかげで家に帰って来る時間が早くなり、家族で食事をする機会が増え始めた。
だが、だからといって家族の会話まで増えるわけではない。未だ千絵と一孝の親娘関係は平行線をたどっていた。
「お姉ちゃん、おかわりは?」
「いえ、もうお腹いっぱいだから」
「お父さんは?」
「私も、もう大丈夫だ」
「そう……」
食事中、こんな不毛な会話の手綱を握るのは百合の仕事になっている。受験生の妹に余計な気苦労を掛けていることを心苦しく思わないわけではないが、そう簡単にこの親子関係を修復できるのなら苦労はしない。
それでも仕事のあるときは、この場にいないで済む。
死神になって初めて小さな恩恵を得ることが出来た。
ただ、最近は仕事の回数が増えて来ているのが気になる。おかげで百合に言い訳を考えるのも一苦労だった。
十月が過ぎ、十一月に入ってもそれは変わらなかった。学校へ行き、家に帰り、憂鬱な家族での食事をして、時折、死神として人の命を刈り取る。
このサイクルに慣れ始めた頃、一つの違和感に気付いた。
「――これで契約成立です。お疲れ様でした」
いつものように誰もいない公園で顧客の命を刈り取った千絵は、そう言って代金の入ったアタッシュケースを相手に渡した。
相手は見た目二十代半ばの男性だった。彼は契約の最中、聞いてもいないのに身の上話をペラペラと話していた。ギャンブルで借金を作ったこと。その借金を返済するために命を売ろうと考えたこと。借金を返済したらまっとうに働こうと考えているということ。まるで悲劇の主人公のように自分を語るその姿を千絵は冷やかな視線で見つめていた。
そして契約書にサインをする時、彼は卑屈な笑みを浮かべて言った。
「死神ってのは、本当に人の心がないんだな」
相手の男が何を言いたかったのか分からなかったが、千絵は契約書のサインを確認すると、速やかに彼の命を刈り取った。
今月に入ってもう三回目。今日は珍しく早朝に契約をすることとなったため、朝焼けが目に眩しい。ということは、もう少しすれば百合が目を覚ます時間になる。早く家に帰らなくては。
仕事を終え、千絵が家路を急いでたどっていると正面の道から那由多がこちらに歩いて来た。
「お疲れ様です」那由多は千絵の前で立ち止まって言った。「契約の方はいかがでしたか?」
「問題ありません。順調に終わりました」
「そうですか。それはよかった」那由多はうんうんと頷いて答える。「天音さんも最近は随分とこの仕事が板について来ましたね」
「そうですか?」あからさまなお世辞に、千絵は乾いた態度で返事をする。
「ええ。最初の頃に比べるとまるで別人のようです。以前に私が指摘した、顧客に対して情を持ちすぎるというあなたの欠点も大分改善されてきたようですし、とてもよい傾向だと思います」
「はあ……」
「最近は仕事の後に具合を悪くすることも減って来ている様ですしね」
「え?」
那由多に言われて千絵は、自分が顧客の命を刈った時に感じる痛みが以前より小さくなっていることに気付いた。
以前なら契約をした直後は込み上げる吐き気や目眩でまともにその場から動くことも出来なかったはずなのに、今は契約が終わるとすぐに家に帰れるようになっている。
「やはり、あの柏木氏の命を刈り取ったことが大きかったのでしょうか? ご友人のお父様の命を刈り取ったという経験があなたに死神としての意識を芽生えさせたのでしょう」
「さあ、どうでしょう?」千絵は動揺が表に出ないよう、細心の注意を払って答える。「すみません。私、早く家に帰りたいので、これで失礼します」
「おっとこれは気が利きませんでしたね。足止めして申し訳ありませんでした」那由多はそう言って千絵に道を譲る。「お疲れ様でした。また、次の仕事も宜しくお願いしますね」
千絵は那由多の声には返事をせず、足早にその場を立ち去った。




