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第三十三話

 手術室からは二人の医師が出て来た。その内の一人は百合の手術を担当していたアメリカ人の医師だった。彼はくたびれた様子で千絵の前までやって来ると英語で何かを話した。彼が何を言っているのか、千絵には何となく理解出来た。だが、頭では理解出来ても、気持ちがそれについてこなかった。

 千絵は何を言っているのか分からないといったように半笑いに似た表情を浮かべて、アメリカ人医師を見上げた。すると、もう一人いた医師が口を開いた。

「申し訳ありません。最善を尽くしましたが……」

「え?」

「残念ですが、力及ばず――」

 それから二人の医師が手術の結果を千絵に話して聞かせた。千絵はそれを終始無言のまま聞き続けた。話が終り、医師たちがいなくなると、まるで夢の中に入るような浮遊感が千絵の体を襲った。

 千絵は力なく椅子に座りこむと、ただ茫然と手術室を見つめ続けた。

「――百合が、死んだ?」

 不意に、信じられない事実が言葉になって口から零れた。千絵は自ら放ったその言葉を否定する様に更に言葉を紡ぐ。

「嘘……………。嘘、嘘、嘘……。嘘よ、そんなの!」

 頭を抱えながら、千絵は呪文のようにそう繰り返した。だが、繰り返せば繰り返すほど百合の死が現実なのだと気付かされた。自分の吐き出す声が、そして、いつの間にか溢れ出していた涙が如実にそれを物語っていた。

「やだ。……やだぁ」

 どうにかなってしまいそうだった。

 千絵は頭を掻き毟るようにしながら、視線をそこら中に彷徨わせた。

 誰か、助けて。

 そう、大声で叫び出しそうになったとき、誰かが千絵を呼んだ。

「天音さん」

 その声に千絵は肩をびくりと震わせると、ゆっくりと声の主に目を向けた。すると、目の前に那由多が立っていた。

 那由多は千絵と目が合うと、微かに笑みを浮かべた。その顔を見て、千絵は先程那由多が発した言葉を思い出した。

 このままでは百合は間違いなく死ぬ。那由多はたしかにそう言っていた。それはまるでこうなることを予め知っていたかのような口ぶりだった。

 百合の死と那由多の言葉には因果関係はどこにもない。それは分かっているのだが、那由多の微笑を見ていると言いようのない怒りが湧いて来た。

「まだ、何か用ですか?」怒りを吐き出すようく千絵が言う。

 だが、那由多は動じる様子を欠片も見せずに、「はい」と答える。

「天音さん。もし、妹さんを助ける方法があるとしたら、あなたはどうしますか?」

「どうするって……。そんなこと決まってます」意図の読めない那由多の質問に千絵は眉を顰めながら答える。「百合を助けられるなら、私はどんなことだってする。でも……」

 千絵はそこまで言うと、その口から堰を切ったように嗚咽が溢れ出して来た。

 百合を助けられるのなら、自分はどんなことだってする。だけど、もう百合は死んでしまった。今更、何をしても百合を助けることは出来ない。

 絶望が体中を蝕んで行く。

 そのまま千絵が泣き続けていると、膝の上で固く握られていた彼女の手に那由多が優しく触れて来た。

「天音さん。諦めるのはまだ早いですよ」

「え?」

 千絵が顔を上げると、目の前に那由多の顔があった。彼は膝を着き、千絵と同じ高さの目線で話を続ける。

「妹さんを助ける方法ならまだ残されています」

「どういう、こと?」

 千絵が尋ねると、那由多は大きく頷いて答える。

「先程、私がお渡しした名刺には、『life-buyer』と書かれていたはずですが、あれにはもっと別の呼び名が定着しておりまして……」

「別の、呼び名?」

「ええ。『死神』と言うのですが、ご存知ありませんか?」

「死神? 死神って、あの? 人の命を買うっていう……」かろうじて動き始めた頭で千絵は答える。

「ええ、その死神です」

「それなら知ってますけど……。じゃあ、もしかしてあなたは……」

「はい。私もその死神です」

 千絵は信じられないものでも見るように目を見開いた。那由多はそれを愉快そうに眺めてから立ち上がると、ひらりと手を横に翳す。すると、その手の上に異様に大きくて歪な形をした鎌が現れた。

 那由多は二メートルを超えるであろうその鎌を悠々と担ぎ上げると、千絵に言う。

「あなた、その死神になる気はありませんか?」

「え?」

「そうすれば、妹さんを助けることが出来ますよ」

「それ、どういうこと?」

 涙はいつの間にか引いていた。千絵は目を見開いたまま、那由多の話に食いつく。

「言葉通りの意味です。あなたが今、ここで死神になることを誓えば、妹さんを生き返らせることが出来ます」

「うそ?」

「本当です」那由多が断言する。「もっとも、それだけとはいきませんが」

「え?」

「あなたが死神になって妹さんを助けた場合、そうですね、最低、千年分の命を他所からかき集めてもらうことになります」

「千年?」その数字の大きさにピンと来ないまま、千絵は鸚鵡返しにそう言った。

「まあ、一度亡くなった方をよみがえらせるわけですからね」それくらいは妥当だろうといった口調で那由多が答える。

 千絵はわずかに逡巡した様子を見せると、確認するように尋ねる。

「それで、本当に百合を生き返らせることが出来るんですか?」

「もちろん」

 自分が死神になる。

 そんなこと考えたこともなかった。

 だが、そうすれば百合を生き返らせることが出来る。

 

 だったら――。

 この日、人の命を買い漁る死神に、一人の少女が名を連ねることになった。

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