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第二十三話

 沙織が町内会の集まりに出掛けて二時間ほど経った頃、百合から電話があった。

『あっ、おじいちゃん。私、百合』

「おお、百合ちゃん。今日はどうした?」心なし弾んだ声で耕治は答える。

『私、今、ちょうど病院に検診に来てるんだけど、このあとちょっとお邪魔してもいいかなあって思って……』

「それなら大歓迎だよ」

『よかった。じゃあ、すぐにそっちに行くね』

 電話があってから十五分ほどで百合はやって来た。耕治は重い体を引き摺って玄関まで行くと百合を出迎える。

「いらっしゃい」

「こんにちは。あれ? 今日はおばあちゃんは?」

「あいつなら町内会の集まりに行っているよ」

「一人で?」先月沙織が倒れた事もあり、そう尋ねる百合の声は心配そうだった。

「いや、お隣さんと一緒に……」

 耕治の返事に百合が胸を撫で下ろす。

「そっか」

 百合には随分と心配を掛けてしまった。あのとき彼女が居てくれなかったら今頃どうなっていたことか。

「あの時は、百合ちゃんのおかげで本当に助かったよ。ありがとう」耕治は改めて礼を言った。

「ううん。そんなこと……」百合は胸の前で両手を振って答える。

「とりあえず、中へどうぞ。外は冷えただろう」

 耕治はそう言って百合を家の中に上げた。彼女をリビングへ通すと、そのままお茶の用意を始める。

 すると、百合が、「私がやるからおじいちゃんは座ってて」と言って、耕治の代わりにキッチンでお湯を沸かし始めた。勝手知ったる様子である。客人にお茶を用意させるのは気が引けたが、普段、家のことは沙織に任せっぱなしにしていた耕治はどこに何があるか分からない。申し訳ないと思いつつも、耕治は大人しく百合がお茶を淹れてくれるのを待つことにした。

 しばらくして薬缶が音を鳴らすと、百合がお茶とお土産のどら焼きを持って戻って来た。

「このどら焼き、最近出来たばかりのお店のなんだー」ワクワクした様子で百合が言う。

 それを見て耕治は微笑む。

「それは楽しみだ」

 一服した後は一時間ほど百合と雑談をして過ごした。初めのうちは他愛のない世間話をして過ごしたが、途中から彼女の定期検診の話になった。術後一年経過を見て、体調も良好だったこともあり、今後はもう少し間を開けて検診を受けることになったそうだ。

 また、受験勉強の話も上がったが、こちらの内容はあまり芳しくなかった。彼女が志望する高校は県内にでも有名な進学校だ。その高校に進学するには今の百合の学力だと少し厳しいらしい。

 百合はそこまで話すと、珍しく言い淀んだ。耕治は百合が次の言葉を発するのを黙って待った。

「最近、模試の結果も少しずつ良くなって来てはいるんだけど、まだ少し足りないから。だから、これからしばらくこっちに顔を出せなくなる、かも」申し訳なさそうな表情で百合は言った。

「そうか」耕治は短くそう答えてから笑顔を浮かべる。「百合ちゃんも受験生だからな。むしろ今まで気を使ってやれなくてこっちこそ悪かった」

「そんなことないよ。私が好きでここに来てたんだから」

「まあ、何にしても、ここからが百合ちゃんにとって正念場だろうからね。私たちのことは気にせず受験に専念すべきだ」

「でも、受験が終わったら絶対にまた顔を出すから」身を乗り出して百合が言う。

「そうしてくれると嬉しいよ。そうだな、その時は合格のお祝いを用意しておこう」

「ちょっと気が早いよ、おじいちゃん」百合は笑いながらそう言うと、荷物を持って立ちあがる。「それじゃあ、私はそろそろお暇するね」

「ああ」耕治は頷くと百合を玄関まで見送りに向かった。

「本当はおばあちゃんにも会いたかったんだけど……」百合は玄関で靴を履くと、残念そうに言った。

「仕方ないさ……。それに百合ちゃんが受験生なことはあいつもよく分かってるから気にしなくていい」 

「分かった」百合はそう答えると、ふと玄関のある一点を見つめた。「……そういえば、おじいちゃんの家ってバリアフリーになってたんだよね?」

「ああ、そうだね。でもどうして?」

「やっぱり、こういうのがないと大変なのかって思って」

「まあ、あるとないとでは大分違うかな。私は足も腰も良くないから高い段差を上るには骨が折れるし」

「そうなんだ……」

「ただ、設置するとなると結構費用が掛かるからね。一部の条件を満たせば補助金が下りるようなんだが、私の場合はその条件に合わなくて――」そこまで言って耕治は一度口を閉じる。「――ああ、すまない。つまらない話をしたね」

「ううん、そんなこと。私、将来は絶対看護師になりたいって思ってるから。直接は関係ないかもしれないけど、そういうことも知っておきたいと思うし。もしよかったら、また教えてほしいな」

「そうかい? まあ、私で分かることならいくらでもお話するよ」

「ホントに? ありがとう」百合はにこりと笑うと玄関を開ける。「じゃあ、また今度」



 沙織が戻って来たのは、百合が帰ってすぐのことだった。

「誰か来ていたんですか?」テーブルに置いてあったどら焼きを見て沙織が言った。

「百合ちゃんだよ」

「百合ちゃんが?」

「ああ、それでなんだが……」

 耕治は沙織に百合が受験のためしばらくこちらに顔を出せないと言っていたことを伝えた。それを聞くと沙織は急にすごい剣幕で怒り出した。

「ちょっと、それならどうして引き留めておいてくれなかったんですか⁉ 私も百合ちゃんとお話ししたかったのに」

「仕方ないだろう。お前がいつ帰って来るかなんて分からんのだし。それに百合ちゃんも受験生なんだ。あまり長い時間引き留めてしまっては申し訳ないだろう」宥めるように耕治が言う。

 だが、沙織の機嫌が良くなる様子は見られない。まさかここまで彼女が気分を害するとは思っていなかったので、耕治は内心でかなり動揺していた。

「それでも、もう少しくらい待ってもらっても……。大体、来てるなら来てるでメールの一つでも送ってくれたらいいじゃないですか。そしたら私もすぐに戻って来たのに!」

「それは……」

「あなたはいいですよ。自分だけ百合ちゃんとお話しして、いつも家ではのんびりして……。でも、私はっ!」

 そこまで言うと、沙織は急にふらつく様にして額に手を当てる。

「お、おい。大丈夫か⁉」驚いた耕治はつい大声を上げた。

「大丈夫です。ちょっと眩暈がしただけですから」そう答える沙織の口調はひどく苛々していた。「ただ、今日は調子が優れないので夕食は出前でもいいですか?」

「ああ。それは構わんが……」

 耕治が了承すると、沙織はそそくさと出前の電話をかけ始めた。


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