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第二十二話

 沙織が病院から自宅に戻って来た日は、普段より少しだけ彼女との会話が増えた。もっともそれは表面上のもので、お互い何かを遠慮しているようなぎこちなさがあった。だが、何に対しての遠慮なのかは分からない。ただ、放っておけばまた以前のような息苦しさがこの家に充満する予感があった。それを先延ばしするための措置に過ぎない。

 だから会話の内容なんて覚えていない。きっと天気や一緒に見ていたテレビのことでも話していたのだろう。そんな他愛のない会話さえ、ここ最近はしていなかった。

しかし、結局、そんな取り繕うような会話が長く続くはずもなく、三日と経たずにまた前のようになっていた。

 事務的に淡々と行われる必要最低限の会話。そこからは相手の意図することを感じ取ることは出来ない。それでも何とか現状を維持出来ていたのだから、この時はまだましだったと言える。

 月が替わり十二月になった頃から沙織の様子がおかしくなり始めた。初めは扉を乱暴に閉めたり、食器を雑に扱ったりする程度の軽いものだった。これさえも以前の温厚な彼女からは考えられなかったが、次第にエスカレートし、耕治に暴言を吐いたり、突然ヒステリーを起こすようになった。

 その変化には耕治も動揺していた。一体、何が彼女を変えてしまったのか。不満があるなら教えて欲しい。そう思い、彼女が落ち着いたときを見計らって理由を聞いても、「何でもありません」の一点張りで答えてくれる気配はない。

 もっともその理由には心当たりが多すぎた。その中には耕治自身が抱えている悩みと一致するものも多く含まれた。逼迫する生活、将来への不安、そして先月のあの出来事で浮き彫りになった老齢化の影響。更に沙織の場合、それに加え耕治の介護によって生じるストレスもある。彼女は口に出さないが溜まっているものは相当あるはずだ。

 だが、分かってはいても自分に出来ることが思いつかない。元を質せば、沙織のストレスの根本的な原因は自分にある。自分がリストラに遭わなければ、体を壊すことが無ければ、彼女が今のように苦しむことはなかったはずだ。そう考えると口を噤む以外に出来ることは何もなかった。

 自分さえいなければ。

 時折、そんな声が脳裏を過った。

「――では、行ってきますね」不意に沙織の声が聞こえた。

「あ、ああ。……どこへ?」

「町内会の集まりです。昨日、言ってあったでしょう?」

「そういえば、そうだったな」

 耕治が答えると、沙織は必要以上に重い溜息をついた。

「じゃあ、もうお隣の奥様が迎えに来てますので行ってきます」

「分かった」

 沙織の言葉はいつも耕治に大きな影響を与えた。

 辛い時、苦しい時、耕治を奮い立たせてくれたのはいつだって彼女だ。

 だが今は、彼女の声を聞くだけで胃が締め付けられるような感覚が走る。

 何かがもう取り返しのつかない所まで来てしまったような気がした。


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