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第十五話

 窓の外では風が強く吹き始めていた。

 その風が家の窓を叩き、音を鳴らす。

 十一月に入り、秋の気配も深まり始めると、すぐに冬の足音が聞こえ出す。

 一年の中でもっとも秋が好きな葛西耕治はそれを少しだけ寂しく思った。

「風が強くなってきましたね」

 リビングで耕治と一緒にテレビを見ていた妻の沙織が独り言のように言った。耕治はそれには答えず、「そういえば」と、何かを思い出した様な口調で言う。

「最近、あの子の顔をあまり見ないな」

「あの子って百合ちゃんのことですか?」

「……ああ」

 耕治は一年程前、肺炎で入院していた時期があった。百合とはそのとき同じ病室に入院していた女の子の名前だ。重い病にかかっていた彼女は一時、生死の境を彷徨うほど危険な状態にあった。しかし、その後、手術が無事成功に終わると彼女は驚くような回復を見せた。今では市内にある中学校に元気に通っている。

 入院していた頃の彼女は体調こそよく崩したが、明るく愛嬌があり、耕治や沙織とよく話をした。子宝に恵まれなかった彼ら夫婦にとって百合はどこか孫のように思えていた。

 百合は今も定期的に病院に検診に来ている。その度に病院の近くにある葛西家に顔を出してくれていた。

「百合ちゃんも学校が忙しいんでしょう。あの子も受験生なんですし」何かを察するような口調で沙織が言った。

「分かってる」

「そのうちまたひょっこり顔を出してくれますよ」

「……そうだな」窓の外を眺めながら耕治はそう答えた。



 百合が葛西家にやって来たのは、その日の午後四時頃だった。

噂をすれば影である。

 先程、百合から電話があった。

今日、病院で定期検診があり、その帰りにこちらに寄りたいということだった。

「ぜひいらっしゃい」電話に出ていた沙織は嬉しそうに答えていた。

インターフォンが鳴ると、沙織は足早に玄関まで向かった。

「こんにちは。葛西のおばあちゃん」

 沙織が玄関を開けると、明るい笑顔と共に百合が言った。

「百合ちゃん。よく来てくれたわね」

「これ、おみやげ。みんなで食べようと思って。私が好きなお店のケーキなの」百合はそう言ってケーキの入った白い箱を沙織に渡す。

 百合は葛西家を訪問するたびに何かしらこうしてお土産を持って来る。それは大体彼女が好きなお店のお菓子だったりした。

「そんなに気を使わなくてもいいのに」

「いいの、いいの。私がおばあちゃんたちと食べたかっただけだから」

 こういうところは本当にしっかりしている。沙織は箱を受け取ると、百合をリビングへと案内した。

「突然ごめんね。迷惑じゃなかった?」百合が前を歩く沙織に尋ねた。

「迷惑なんてとんでもないわ。あの人なんか、百合ちゃんはいつ来るんだって、いつも私に聞いてくるくらいなのよ」

 二人の話声が聞こえたのか、「そんなことは言っとらん」と、リビングから声が響く。

 沙織がリビングに入ると、耕治がムスッとした表情を見せていた。だが、百合が現れるとたちまちその相好が崩れた。

「おじいちゃん、久しぶり。最近、体調の方はどう?」

「ああ。大丈夫だよ。最近はとても調子が良いんだ」

「本当?」百合は沙織に目を向ける。

「まあ、たしかに調子はいいですね」そう答える沙織の口調は少し皮肉っぽい。「私の作った料理に毎回ケチを付けられるくらいには」

「おい、お前!」焦った様に耕治が言う。「百合ちゃんの前でそんなこと言わんでも……」

「本当のことじゃないですか」

 沙織はそう言うとおかしそうに笑った。からかわれたと気付いた耕治は、ぐうっと唸り声を上げる。そんな二人の様子を見ながら百合は、「相変わらず仲が良いですね」と言った。

「ちょっと羨ましいな……」

 百合が小声で呟くと、その顔を沙織が覗き込む。

「あら? もしかして、百合ちゃん。好きな人でも出来たの?」

「え! ちょっ、どうしてそうなるの⁉」

「なんだと⁉」

 耕治と百合が二人して動揺を浮かべる。

「どうしたの、あなた? そんなに驚いて。百合ちゃんも来年にはもう高校生になるのだし、好きな人の一人や二人いても不思議ではないでしょう?」

「いや、しかし……。そういうのはその、まだ、早くないか?」

耕治はあからさまに狼狽えていた。そんな耕治に沙織は諭すような口調で説明する。

「最近は、むしろそのくらいが普通ですよ」

「そうなのか?」耕治はそう言うと、同様に問いかけるような視線を百合に送る。

 その視線を受けると、百合は少し居心地が悪そうにして答える。

「私はまだそういう人は……」

「あらそうなの? 勿体ないわ。百合ちゃん、こんなに可愛いのに」

「そんなことないよ」右手をぶんぶん横に振って百合は言った。「それに、今は受験勉強に専念しないから。そういうことを考えている余裕はないっていうか……」

「そういえば、百合ちゃんはどこを志望しているんだったかしら?」

「一応、北高を志望してるんだけど……」少し自信がなさそうに百合は答える。

「北高って言えば、この辺じゃ有名な進学校よね?」

「うん。お姉ちゃんもそこに通っているから、私も同じ高校に行けたらと思って」

「百合ちゃんのお姉さんって、あの背の高い子よね? 利発そうな顔立ちの。百合ちゃんが入院していた時に何度かお会いしたけれど真面目そうな子よね」

「みんなそう言うんだよね。でも本当はすっごいずぼらなんだよ」

「そうなの?」沙織が意外そうに尋ねる。

「そうそう。朝なんか、私が起こさないとずっと寝てるし。家事も壊滅的だから、私が入院中の間は正直、気が気じゃなかったなあ」軽く溜息をついて百合が言う。

「何だか想像がつかないわね」

「確かにな」

 耕治は相槌を打つと、以前、百合のお見舞いに来ていた千絵の姿を思い出した。背丈も顔立ちもあまり百合とは似ていなかったが、笑ったときの様子はやはり姉妹だと思わせる雰囲気があった。耕治が一人で回想に耽っていると、沙織と百合はなおも楽しそうに話を続ける。

「でも、お姉さんも北高に通っているんでしょ? なら、頭はいいんじゃない?」

「それはもう」沙織が尋ねると百合は自慢げに答える。「去年まではずっと成績学年トップだったみたいだし」

「それはすごいわね」

「でしょ――」

 口ではあんな風に言ってはいるが、本当は姉のことが好きなのだろう。姉のことを話す百合の目はきらきらと輝いている。その目にはどこか憧憬のようなものが映って見える。 

だが、その表情に微かな翳りが現れる。

「――でも、二年生になった頃から、お姉ちゃん、ちょっと様子がおかしくて」

「様子がおかしいって、どんなふうに?」

「最初は気のせいだと思ってたんだけど、寝坊する回数やぼうっとしてることが増えて来てね。それからたまにコソコソ携帯を見てることもあったりもして」

「それは心配ね」

「うん。でも、理由を聞いても教えてくれないし。何か隠してるのは確かなんだけど。あの人、嘘つくとすぐ顔に出るから」

寝坊やぼうっとする回数が増えて、帰宅が遅く、さらにコソコソ携帯を見ている。

それはもしや……。

二人の話を聞いていた耕治の頭にある考えが浮かんだ。

「もしかして、百合ちゃんのお姉さん、彼氏でも出来たんじゃないか?」

「えっ、なんで? どうしてそう思うの⁉」

 耕治の発言に百合は過剰な反応を見せた。一言発するごとにこちらに詰め寄って来る百合に対して耕治は体を仰け反らせながら答える。

「さっき沙織も言っていたが、最近はそれくらい普通なのだろう? なら、百合ちゃんのお姉さんに彼氏が出来ても不思議じゃない。なによりあの容姿だ。男どもはほっとかんだろう」

 百合の姉である千絵は客観的に見て美人だと耕治も思う。それは身内である百合も同様らしく、「確かに」と大きく頷いている。

「それなら辻褄も合うし。でも、あのお姉ちゃんに限って彼氏だなんて……。けど、だったらどうして私に隠すんだろう?」

 百合は高速で頭を回転させているのか、ぶつぶつと独り言を繰り返している。その独り言に耕治があまり刺激を加えない様に返事をする。

「いや、百合ちゃん。これはあくまで推測だから。もしもの話だ」

「で、ですよねえ。もう、おじいちゃん。おかしなこと言わないで下さいよ」

 おかしいのは百合のほうだ。口調も急に敬語になっている。そんな百合の様子を見て沙織がクスクスと笑う。

「百合ちゃんは本当にお姉さんが好きなのね」

 沙織にそう言われ、百合は自分が取り乱していたことにようやく気付いた。気まずそうに咳払いをすると、姿勢を正す。だが、顔は上げない。真っ赤になった顔を見られるのがはずかしいのだろう。

 耳まで赤くなっている百合に耕治と沙織は揃って笑い声を上げた。

 その後、沙織が淹れたお茶と沙織が持って来たケーキを食べながらのんびりとした雑談が小一時間ほど続いた。

「じゃあ、私はそろそろこの辺で」話に区切りがつくと百合がそう言って立ち上がった。

「もう行くのかい?」耕治がリビングの時計を見て言った。

「うん。まだ、消化しないといけない課題があるから」

「そうだった。百合ちゃんは受験生だったな。すまない。長く引き留めてしまったようだ」

「ううん、そんなこと。私もおじいちゃんたちとお話しするの楽しいから」

「またいつでも遊びに来てね」

 沙織がそう言うと、百合は、「もちろん」と答えた。

「最近は日が沈むのも早くなって来たし、死神の噂もよく聞く。気を付けて帰るんだぞ」

 耕治が何気なくそう言うと、百合の表情に影がさした。

「死神って、確か人の命を売り買いするんだよね?」

「そうらしいな」

「……最低」

 低く、くぐもった声が百合の口から発せられた。彼女が誰かに対し嫌悪感を露わにするのを耕治と沙織は始めて見た。その姿はいつも愛らしく笑う彼女からは想像もつかないほど暗く冷たい。二人は思わず百合の顔を凝視していた。

 その視線に気付いたのか、百合は誤魔化すように苦笑いを浮かべる。

「あ、あはは。ごめんなさい」

「いや……」耕治が首を横に振る。

「私も前から死神ことは知ってるけど、やっぱり嫌だよね。人の命はものじゃないのに……」

そう話す百合の声は普段のものに戻っていた。それに安堵する様に、「まったくだな」と耕治が相槌を打つ。

「死神の噂をよく聞く時は世の中が物騒になっている時でもあるらしいから、百合ちゃん、帰りは本当に気を付けてね」

「ありがとう。でも、大丈夫。ここから近くのバス停からバスに乗れば、家までほとんど歩く距離はないから」

 玄関で沙織に見送られると、百合は自宅へと帰って行った。二人きりになると家の中は急に静かになり、テレビの音が異様に響いた。番組がワイドショーからニュース番組に切り替わると、沙織がソファーから立ち上がる。

「……そろそろ夕食の準備をしますね」

 沙織の言葉に耕治は、「ああ」とだけ、返事をする。

 さっきまでの明るい雰囲気が嘘のようだった。

 沙織は黙々と夕食を作り、耕治はぼんやりとテレビを見つめている。

 だが、これが葛西家の日常だった。

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