第十三話
那由多と会った日から五日後、彼から査定完了の連絡があった。査定額は文書ではなく口頭で伝えられた。その額を聞いて昌平は息を飲んだ。それは、今、抱えている負債を帳消しにするには十分すぎるほどの金額だった。これなら仮に自分の命をすべて売ってもお釣りが来るとさえ思った。
その日、昌平は自室で半日考えてから、命の売却を決めた。それを那由多に伝えると、彼は契約締結の日を指定して欲しいと言って来た。昌平はすぐにでもと答えた。結果、翌日の午後八時、市内のとある公園まで行くことになった。そこで契約を行うらしい。
なぜ、そんなところでと考えたが、今まで散々驚かされているのであまり気にはならなかった。それよりもこれで今の逼迫した状況から抜け出せると思うと、ようやく肩の荷が下りるような気がした。
後日、昌平は指定された公園に向かった。公園に到着したのは午後七時三十分だった。約束の時刻までは、まだ三十分あった
昌平は公園の隅にあったベンチに腰掛けると周囲を見渡した
その公園はひどく寂れており、人の気配がまったく感じられなかった。申し訳程度に設置された遊具も破損や錆がかなり目立った。その姿はまるでこの世界から忘れ去られてしまったかのようだった。
だが、ふと見上げた夜空には無数の星々が輝いていた。市街地から離れているせいだろうか。それにしてもよく見える。幼い頃、父親の田舎で見た夜空もこれくらい星が良く見えた。
そういえば、最近はあまり空を見上げることもなくなっていたような気がする。そんな余裕さえも失っていた。もし、この取引が成立したのなら、もう一度空を見上げてみよう。そのときはまた違った景色が見えるかもしれない。
これから命を売ろうというのに、昌平の気持ちはこの星空の様に晴れ渡っていた。それはとても不思議な感覚だった。ここへ来てようやく覚悟が出来たような気がした。
自分の命を売ることに対して恐怖や抵抗がなくなったわけではない。それでも家族や会社の従業員たちの顔を思い浮かべると自分の決断が間違ったものではないと思えた。
妻の誠子は今日もいつもと変わらず自分を家から見送ってくれた。息子の圭は最近毎日の様に連絡を寄越して来る。娘の茉里奈はこの状況を知らないが、今まで以上に勉強に励んでいる。従業員たちも会社の経営が危ういと分かっているはずだったが、それでも大半がまだ会社に残ってくれている。
どうにかして彼らの思いに報いたい。そんな思いが、昌平に最後の覚悟を決めさせていた。
夏の星座を昌平が静かに見上げていると、やがてそこに一人の女性が現れた。
※
現れたのは喪服を着た長身の女性だった。その女性は不気味な仮面で顔を隠し、背丈よりもずっと大きな鎌を右手に握っていた。彼女が死神であることは一目瞭然だった。
死神の象徴である大鎌。
あれがこれから自分の命を刈り取るわけだ。
昌平はベンチから立ち上がると、死神がこちらまでやって来るのを待った。
「大変、お待たせしました。柏木様」死神は昌平の前までやって来ると、慇懃な口調でそう言った。「今日はわざわざご足労頂き、誠にありがとうございます」
「いえ」
「早速ですが、契約の話に入らせて頂いても宜しいでしょうか?」
「はい。お願いします」
死神は昌平の返事に頷くと、左手に持っていたアタッシュケースを開いた。そこにはぎっしりと札束詰まっていた。
「これが、今回、柏木様が我々にお売り頂く命の代金です。お確かめ下さい」アタッシュケースを差し出して死神が言った。
昌平はアタッシュケースを受け取ると、時間を掛けてその中身に目を通した。
そして、契約の代金がきちんと揃っていることを確認すると、昌平はアタッシュケースを死神に返した。
「大丈夫です。問題ありません」
「では、こちらの契約書を確認して、宜しければサインをお願いします」死神はそう言って、一枚の契約書を昌平に渡した。
「分かりました」
昌平は契約書を受け取ると、文面を読み上げる。そして、問題が無いことを確認すると、サインをするため懐からペンを取り出した。
すると、それまで淡々と業務をこなしていた死神がぽつりと言った。
「随分と落ち着いていらっしゃいますね」
「え?」
「あ、すみません。ただ、大体のお客様はもっと緊張されているものですから」
「そうなんですか?」
「はい」死神は深く頷いて答える。「一部とはいえ、自分の命を売るわけですから。それなりに恐怖を感じたり、抵抗を感じたりするのでしょう。その契約書にサインをする時は、どの方も一度は躊躇う様子を見せます」
「まあ、そうでしょうね」昌平は契約書にサインをしながら答える。
「しかし、あなたにはそれがない。なぜですか?」
その問いかけに、昌平はサインをしようとしていた手を止めた。
「別に怖くない訳ではないですよ。実際、あなたの持っている鎌を見ると、怖くて縮み上がりそうになります」
「そんな風には見せませんが」
「ならきっと、守らなければならないものがあるからかもしれません」
「守らなければならないもの、ですか?」
「ええ」昌平はそう答えると、視線を星空へと向けた。
「それは、一体――」死神はそこまで言って、慌てた様子で口元に手を当てた。
その死神の態度を昌平は怪訝に思った。表情は仮面で隠れて見えないが、彼女が動揺していることは明らかだった。
「あの、どうかされましたか?」
「いえ」首を振って死神は答える。「余計な事を言いました。どうか、忘れて下さい」
「はあ?」昌平は不思議に思いながら契約書にサインをした。「これでいいですか?」
「はい。ありがとうございます」死神は契約書を受け取ると、持っていた鎌を軽く持ち上げた。「それではこれより、契約に入らせて頂きます。那由多から事前に説明は受けていると思いますが、覚悟の方は宜しいですか?」
「ええ。お願いします」昌平は静かに目を瞑った。
「では、そのままじっとしていて下さい」死神はそう言うとそこから数歩下がって、鎌を振り翳した。「一瞬で終わりますから」
刹那、鎌が風を斬る音が聞こえ、昌平の命の一部が体から分離した。




