エピローグ
いつもの朝がやってきた。この天井も見れなくなるかと思うと悲しい。目元を擦って起き上がれば、冷たい空気に肩が震える。でも、断熱性が高くて、実家とは比べ物にならないぐらい暖かかった。
「ん~……バニラちゃん、おはよう。今日は私に会いに来てくれたの?」
「にゅうん」
赤とオレンジに染まった落ち葉がひらり、ひらりと舞い落ちている森と湖のベットカバーの上で、バニラちゃんが丸まって眠っていた。すっかり冬毛になっていて、ひとたび指先を埋めると、幸せなふわふわ感触に包まれる。アレンがヘンリーに頼まれて、各部屋のドアにバニラちゃん専用ドアを作ったから、こうしてたまに私の部屋を訪れるようになった。微笑みながらも、至福の一時を過ごしていたら、おもむろにドアが開く。アレンだった。私が贈った渋いグレージュのエプロンを着ている。
「おっ、メイベル。おはよう、今日は起きてたか」
「ふふ、いつもありがとう。ついさっき、ぱちって目が覚めたの。そしたらバニラちゃんがいて。ね~? 可愛いねえ、本当に」
「にゃあん」
大きく鳴いたあと、青い瞳でアレンをじっと見つめ、すぐさまベッドを飛びおりた。あまり構ってこないアレンに懐いていて、それをヘンリーもハリーも残念がっている。足にすりすりと擦り寄られ、アレンがちょっと嫌そうに笑った。
「おいおい、やめろって! 毛がつくだろうが。あとでコロコロしなきゃな」
「そうなの? デニムだし、大丈夫じゃない?」
「……今日は猫アレルギーの三姉妹に教えに行くんだ。毛がついてたら痒くなるし、くしゃみも止まらなくなるだろ? まあ、命に関わるほど重たくはないみたいだけど」
「そうなんだ……」
アレンが嫌そうな顔をしながらも、しぶしぶと甘えん坊なバニラちゃんを抱き上げる。アレンの不機嫌さにはいつも優しい理由が隠されていて、私はアレンのそんなところが好き。にこにこ笑っていると、苦笑しながら近付いてきた。
「メイベル? 朝だぞ? 起きて支度しような?」
「ふふ、ごめんなさい。優しいなと思って、アレンが」
「ん~、これぐらい普通だろ。あとで着替えるか……面倒臭いな」
もう着替えるって決めたから、甘えてくるバニラちゃんを抱っこしてあげたんだ。しなくても良かったのに、別に。バニラちゃんのこと、甘やかしてる。私が笑みを深めていると、バニラちゃんをあやしていたアレンがふと見下ろしてきて、急に床へおろした。抗議しているのか、不機嫌そうに「うにゃあん」と鳴く。
「メイベル? ほら、飯作ったんだし、笑ってないで支度しろよ? ……ああ。それとも、俺に着替えを手伝って欲しいとか?」
「へっ!? い、いいよ! 別に……!! 一人でも出来るから!」
アレンが手を伸ばして、シャツパジャマのボタンに触れる。慌てて後ろへ下がると、アレンが色っぽい笑みを浮かべた。青い瞳が細くなって、私に迫ってくる。最近気が付いたことだけど、アレンは私がからかったり、照れ臭くなるとキスしてくる。ぎゅっと両目をつぶった瞬間、おでこにキスしてきた。おそるおそる目を開けてみれば、悪戯っぽい笑みを浮かべている。
「……どうしておでこにしたの? 今」
「俺のことをからかったからな。バニラ、来い。飯の時間だぞ」
「にゃあん」
ご飯と聞いて、さっきまで不機嫌そうに揺らしていた尻尾をぴんと立て、弾むような足取りで出て行った。ドアが完全に閉まったあと、キスされたおでこを押さえる。
「アレン、照れ隠しが可愛い~……。じゃあ、着替えようっかな!」
でも、その前にヘンリーに今のこと、報告しに行こうっと! 部屋に洗面所付きのバスルームがあるから、そこで歯を磨いたり、髪を梳かしたりすればいいんだけど、ヘンリーにのろけたいから、最近は共有の洗面所を使っている。私がパジャマ姿でるんるんと歩いて洗面所へ行けば、予想通り、ヒゲを剃っている最中のヘンリーがいた。ヘンリーは寒がりだから、白と紺色のシャツパジャマの上から、もこもこの白いガウンのようなものを着ている。しかも、羊毛の暖かいスリッパまで履いていた。
「おはよう、ヘンリー! 今って話聞ける?」
「あ、ああ、うん。おはよう、メイベルちゃん……。どうしたの? またアレンとお泊りした時の話? それともカラードレスを選びに行った時の話かな? ああ、それとも、昨夜は一緒に温泉に入ってたみたいだから、その話かな?」
「えっ!? なんで知ってるの!?」
「メイベルちゃんは気付かなかったみたいだけど、二人で温泉に入る前、脱衣所に俺がいて、おやすみって言ったからだね……。つまりは俺がそこにいたからだね!」
「そうだったんだ? 気付かなかった~、ごめんね?」
「いや、別にいいよ。大丈夫。この前みたいに剃刀で肌を削りたくないから聞くんだけど、刺激が強い話かな……?」
ヘンリーが力なく微笑みながら、剃刀を手に振り返る。アレンが電動シェーバーにすればいいのにって言ってたけど、ヘンリーは頑なに剃刀を愛用していた。
「ううん、ちっとも強くないやつ~!」
「なら良かった、はははは……で? 何かな?」
「さっきね~? アレンがしぶしぶバニラちゃんを抱っこしてたんだけど、抱っこを嫌がっていた理由がね? 猫アレルギーがあるお子さんの家に行くからだったの! あとで着替えるんだって。優しくない?」
「そうだねー、優しいねー」
「で、私がにやにや笑ってからかってたら、恥ずかしかったみたいで……ああ、そうそう、アレンって何気にバニラちゃんのことを甘やかしてるよね? 私が一番、アレンに甘やかされてるんだけど! ふふふっ」
「アレンは俺のことも甘やかしてるけど!?」
「うわっ、出たな……。ハリー」
ヘンリーが低くうめき、真っ赤なシャツパジャマを着たハリーを見つめる。どうやら、私が一番甘やかされているのが気に食わないみたいで、ふんがっと鼻の穴を広げ、いきなり床へ這いつくばった。そして、私の足首をがっと握り締める。ヘンリーは引き続き、ヒゲを剃るために鏡へ向き直った。
「俺がっ、俺が元々は甘やかされてきたんだからね……!? そこ勘違いしないで頂きたい!! あと踏んで? 踏みおさめっ」
「おはよう、ハリー。ええっと、踏むってどこを踏んで欲しいの?」
「せっかくだから股間を!! 引っ越しちゃうし、メイベルちゃん!」
「っぶ……!!」
ヘンリーがむせたあと、いきなり洗面所の床で寝転がって、「股間を踏んで欲しい!」と言い始めたハリーの頭の横を、だんっと踏みしめる。ハリーが驚いて「うわぁっ!?」と叫んでいた。でも、両腕は広げたままだった。
「何言ってるんだよ!? ハリー! いい加減にしろ、お前というやつは!」
「え~? ヘンリーは堅苦しすぎるんだよ。やっぱり貴族だから?」
「あっ」
「きぞく……貴族!」
私、知らなーい。最近は貴族と言われることが少ないからか、一度爆発したらなかなか収まらない。ぶるぶる震え始めたヘンリーを眺めていると、急に寝転がっていたハリーを無理やり起き上がらせ、胸ぐらを掴み、激しく揺さぶった。
「いいか!? 本来は貴族なんていう単語はこの世から抹消されるべきなんだ!! あいつらは人間の皮をかぶった、家名と家の体面ばかりを気にする醜い怪物で、馬の糞以下、ヘドロよりも下水道よりも悪臭を放つ人間のクズどもと言われるぐらいでちょうどいいんだ!! 分かるかっ!? なぁ!」
「すっ、すみません……分からないです」
「大体、俺がこうしているのはどうしてだと思う!? あいつらに幼少期から叩き込まれたからだよ! 俺のためじゃない、すべて家のためだ! 一流のマナー、一流の知識、一流の振る舞い、身だしなみ、すべてだ!! そのすべてが家のために叩き込まれ、それが大人になっても染み付いて消えないもんだから、他のやつらに貴族みたいって言われるようになってしまったんだ!! ああ、忌まわしい、忌まわしい……!! この世に平穏が訪れる時、それは貴族がすべて死に絶える時だな!!」
「ごっ、ごめんなさい!! メイベルちゃん!? 俺が悪かったから助けてっ!?」
「えっ? どうして? ハリーが招いたことだよね? バニラちゃんもうんちしたあと、ちゃんと自分で猫砂をかけてるよ? じゃあね~」
「ああああああっ……!!」
助けを求めるハリーを無視して、洗面所を出る。さあ、今日はどんな服を着よう? 最近はお昼休みを利用して、アレンとデートしてるから、ちょっとだけおしゃれするようになった。でも、雑貨屋さんの素敵な雰囲気を崩さないよう、可愛すぎるデザインは避けている。自分の部屋の洗面所で身支度を整えたあと、色とりどりのニットやスカートを出して悩む。
「うーん……。今日はこれにしようかな? 仕事以外、予定は無いし」
悩んだ末に、灰色がかったケーブル編みのニットに赤チェック柄スカートにした。着替えてリビングへおりると、もうアレンが温かいスープやパンをテーブルに並べているところで、声をかけようとした瞬間、マリエルさんが座っていることに気が付く。眩しい金髪をまとめ、深いグリーンのニットアップを着ていた。
「あれっ!? マリエルさん!? 来てたんですか?」
「メイベルちゃん、おはよう! 久しぶり~。ほら、メイベルちゃんが引っ越しちゃうでしょう? だからその前に、アレンが朝飯を食いに来いって」
「そこ余計だろ。お前がメイベルに会いたくて来たって言ったら、もっと喜んだのに」
「あ~、はいはい。でも、メイベルちゃんはアレンに優しくして貰ったって、それを知る方が嬉しいでしょ? だから」
「まあ、お前と俺、どっちがメイベルにとって上かって言うと、俺が圧倒的に上だから合ってはいるけど……」
「そこ張り合うのやめてくれない? 私、メイベルちゃんとアレンの恋を応援していたのよ? 分かってる?」
二人とも、相変わらず仲が悪い……。苦笑していると、静かに睨み合い始めた。でも、きりがないので止める。
「マリエルさん? じゃあ、ライ叔父さんは? 来てるんですか?」
「ううん、来てないわ。あの人はいきつけの喫茶店でご飯食べてるの。最近はほら、私と二人でご飯を食べてるじゃない? 結婚してからぜんぜん来てくれなくなったって、おじさん店主が嘆いてたから行ってるわ」
「ああ、なるほど! もしかしてハトの看板のところですか?」
「そうそう、知ってる? そう言えば、メイベルちゃんを連れて行ったことがあるって言ってたわね」
アレンが全神経を尖らせて、私達の話に集中していた。ひそかに嫉妬してる~、嬉しい! ただこれ以上悩ませたくないので、話題を変えようとしたところ、後ろのドアが開き、ノアとシェラが入ってきた。ノアはゆるっとした黒いシャギーニットとズボンを、シェラは黒いタンクトップと短パンを着ている。寒くないのかな? っていつも見ていて思うんだけど、寒くないらしい。本人は「お酒を飲んでるから寒くない」って言ってた。
「ノアにシェラ! おはよう~」
「おはよう、メイベルちゃん。あれ、マリエルさんだ。久しぶり~」
「ふふふふ、久しぶり~。シェラも久しぶりね? おはよう!」
「おはよう……眠たい」
ノアもシェラも眠たそうで、ふらふらとした足取りでやって来る。戸惑っていると、いきなりノアが後ろから抱きついてきた。そのまま、私の肩に顔を埋める。
「ねむた……。面倒臭いけど、メイベルちゃんのためにおりてきたよ。嬉しい?」
「嬉しい! ありがとう~」
「おいこら、ノア! 近いって! いちいちお前は!」
「別にいいじゃん。お風呂も一緒に入った仲だし。ね~?」
「俺への当てつけでべたべたしてんのが気に食わねぇんだよ、やめろっ!!」
アレンがトレイを片手に怒鳴ったところ、ノアが「ふーん」と呟いてから、私の頬にちゅっとキスしてきた。アレンがトレイをテーブルに置いた瞬間、素早く逃げ出す。
「あっ、こら! 逃げるぐらいなら最初からするんじゃねーよ、クソが!!」
「ほら、言ってあげたらー? メイベルちゃんのために今日、計画したってこと!」
「おい、やめろって! だから!!」
「えっ? なになに? 私のために計画したってどういうこと?」
戸惑っていれば、眠たそうな様子のシェラがやって来た。アレンはノアの胸ぐらを掴んだまま、気まずそうな顔をしているし、マリエルさんはくすくすと笑っている。
「だからさ、その……お前が喜ぶと思って計画したんだが、こいつらのせいで台無しだよ。もう」
「言えばいいじゃん、もう。言えばさ」
「アホか、お前。何度も言ったけどな? メイベルはお前らがメイベルのためにっつって、集まって朝飯食べる方が喜ぶんだって! 俺がわざわざ計画したってのがばれたら、嬉しさが半減するだろ? だから、黙ってろって言ったのにさ……」
私のため? 明日引っ越す私のために? 言葉が出てこなくてぼんやり佇んでいると、ふいにシェラが喋り出した。
「メイベル。アレンが……メイベルのために計画して、この間からずっとそわそわしてた。みんなで朝ご飯食べようって、最後に」
「お前ら全員、絶対口外しないっつってたよな!? あーあ、これなら魔術で宣誓させておくべきだった。絶対言わないって言うからしなかったのに」
「あと、晩ご飯も全員で揃って食べるよ。今日」
「えっ!? 晩ご飯まで!?」
「おい、シェラ!」
「そう。でも、明日もみんなで集まってパーティーする……。アレンがそわそわしながら計画してた」
「あ~っ……!!」
ものすごく言って欲しくなかったことなのか、アレンが頭を抱え、低くうめき出す。でも、そっか。まだもう少しだけ、みんなと一緒にいれるんだ。約一年、騒いで喋って、遊んでご飯を食べて、ゲームをして……。泣き出しそうになっていると、沢山のパンを持ったフレデリックさんがやって来る。
「ははは! そうそう、こいつ、メイベルちゃんのためにって言いながら、せっせと用意しててさ~。俺にも頼み込んできたんだよ。定休日じゃないって知ってるけど、今日はパン屋を休んでくれないかって!」
「おい、このクソクソおっさんが! オーブンに頭を突っ込んで焼くぞ!?」
「新手の拷問だな、それ。いいね! でも、言えばいいのに~。きっとメイベルちゃん、その方が喜ぶぞ? だって、俺達よりもアレン、お前のことが好きなんだから」
その言葉を聞いて、アレンが青い瞳を丸くした。ノアもマリエルさんも、あのシェラでさえもにやにやと笑っていて、ようやくおりてきたヘンリーとハリーも、不思議な空気を感じ取り、「なんだなんだ?」と言う。私がにっこりアレンに微笑みかければ、照れ臭そうに笑った。
「まあ……なんだ。じゃあ、言えば良かったか? メイベル」
「うん、もちろんっ!」
「わっ!?」
嬉しくなって抱きつけば、笑って抱き返してくれる。その瞬間、いつもはからかってくるみんながわぁっと、一斉に歓声を上げながら拍手をし出して、すさまじい幸福感が襲いかかってきた。ここは私の居場所。引っ越したって、他の誰かがいなくなったって、また集まれば、シェアハウスで一緒に暮らしていた時のように、楽しく笑い合えるはずだから。泣かないと決めていたのに、涙があふれ出てきた。
「っありがとう、アレン! みんな……。私、泣かないって決めてたのになぁ。だって、ここから誰かが出て行ったらどうしよう? 淋しいなって言ってたくせに、私が早々に、その、アレンと結婚して出て行くことになったから……」
「いやいや、メイベルちゃん? 俺としては引っ越すことになって嬉しかったよ!? 気にしないで!」
「そうそう、ヘンリーはもう限界だから! 許してやってくれー!」
「だから、何が限界なんだよ!? おっさんといい、ヘンリーといい、メイベルが傷付くようなことを言うなよ!」
「「知らないのはお前だけだっての! 黙ってろ!!」」
綺麗に揃った声を聞いて、くすりと笑う。アレンがしがみついてくる私を抱き締めながら、戸惑って「なんだよ、もう……」と呟いていた。ああ、淋しいなぁ。もう終わっちゃう。ここで暮らした日々は宝石の砂みたいに、きらきらと輝いてたけど、たまに大きな石ころが混じってるの。
沢山喧嘩もしたし(主にみんなが)、お酒を飲んで、ぐでんぐでんに酔っ払って、リビングで雑魚寝したこともある。誰かの過去を聞いて、ほんのり慰め合ったりもした。それぞれ、優しさが無い訳じゃなくて、でも、自分自身のプライドが高いから、他の人達のプライドを傷付けないよう、同情だけは絶対にしなかった。そんな冷たさと温かさがちょうどよく混じって、ぬるま湯みたいな居心地の良さがあった。
(でも、私。同情して欲しい訳でも、悲しんで欲しい訳でもなかったの。ましてや、責められたくなんてなかった……)
ライ叔父さんのことを想う。それと同時に、自分の苦しみにも思いを馳せる。私がちゃんとアレンに話せたのって、このシェアハウスのおかげじゃないかな? 例えば、アレンと職場で知り合って、友達になったとしても“ライ叔父さんが好き”なんてことは絶対に言い出せなかった。……でも、みんな、世間に半分馴染めなかった人達だから。死んじゃうほど苦しい訳じゃないけど、しっくり落ち着く場所を見つけられなくて、ちゃんと社会で生きている人達を見て、もやもやを抱え込んじゃって、淋しく生きてきた人達だから。
「……色々あるって分かって良かったよ、私。アレン」
「えっ? メイベル?」
耳元で呟いてから離れると、不安そうな顔で見下ろしてきた。ふふ、あとで言おうっと。ここがどれだけ、ちょびっと歪んでしまった私にとって、心地良いベッドだったかを。
(……同情して欲しい訳じゃなかった。ましてや、悩みを解決して欲しいと思ってた訳じゃなかったの)
理解して欲しかった訳でもない。ただ、傷付きたくなかった。そっとしておいて欲しかった。誰にも言えないようなことを隠していても、歪んでいても、内心ボロボロで傷付いていても、深くは聞かずに寄り添って欲しかった。前向きに生きていかなくてもいい、ちゃんと真面目に生きようとしなくていい。とりあえず、今日もみんなと一緒にご飯を食べて騒ごう。誰一人として、ここにまっさらな人なんていないから。ここに来て、ようやく自分を許せるようになった。私を責めていたのは、私だけだってことに気がつけた。
「辛いこともいっぱいあったけど、私、ここに来れて良かった……。ありがとう、みんな」
「メイベルちゃん」
マリエルさんが呟き、そっと私のことを抱き締めてくれた。アレンが不満そうな顔をしていたから、思わず笑ってしまう。抱き締め返せば、いつもの薔薇の甘い香りが漂った。
「私……ようやく、居場所が見つかってほっとしていたんです。なのに自分から出て行くから、泣いちゃいけないような気がしてて。淋しいって」
「いいのよ? 泣いても。だって、嬉しいもの! メイベルちゃんに淋しがって貰えるのは」
「ありがとう、ございます……!!」
「よっしゃ、胴上げでもするか! アレン、アレン!!」
「あ? なんだよ、この社畜が! また妙なこと言いやがって!」
「いいね、しようしよう! アレンを飛ばしてみようよ」
「はあ!? ノア、お前、こんな時に限って……!!」
「うぇーいっ!! ほら、ヘンリーも手伝えって!」
「フレデリックさん、またぎっくり腰にならないでくださいよ!?」
「大丈夫大丈夫、この間のピンチは過ぎ去ったから!」
みんなが嫌がるアレンにたかって、胴上げをし始めた。シェラもノアも参加して、嬉しそうに笑ってる。次第にアレンも嬉しそうに笑い始めて、みんなが口々に「結婚おめでとう! また遊びに来いよー!」と言い出した。そんな光景をバニラちゃんが不思議そうに首を傾げ、見守っている。
(ああ、良かった。ここに来て……)
ここにダニエルさんがいてくれたら良かったんだけど。そう言おうと思った瞬間、キッチンでスープをかき混ぜていたらしいダニエルさんが、お玉を片手に青ざめていた。ああっ、存在感が無くてぜんぜん気付かなかった!!
「ごっ、ごめんなさい、私! ちっとも気付かなくて……」
「う、ううん。大丈夫……。でも、いつでも帰ってくるといいよ、メイベル。みんな出迎えてくれるから、歓迎するから」
「で、ですね! そうしようかな……」
そろそろ仕事に遅刻しちゃいそうだし、笑って止めた。すっかりテンションが上がってしまったアレンにディープキスをされ、びっくりして突き飛ばしちゃったけど、みんながそれを見て「ざまあみろ、アレン!」と言って笑ってた。ああ、最後の日もみんなはみんなだ。ここのシェアハウスらしさが出ていて、しみじみ嬉しい気持ちになった。
「……はい、おしまいね? ここでこの話は」
「えーっ!? なんでぇーっ!?」
「まったくもう、私の日記帳を勝手に引っ張り出してきたりなんかして!」
晩ご飯の時間よと言っても、なかなか屋根裏部屋からおりてこないから、何をしているのかと思えば! 私が古びた日記帳を取り上げると、娘がぷうっと頬を膨らませ、不満そうな顔をする。その顔が幼い頃のアレンにそっくりで、ついつい笑ってしまった。指先でつんと、頬をつつけば娘も笑う。
「そんな顔の子の写真が、お父さんのアルバムに入ってたわ。そっくりよ? も~、だめでしょう? 人の日記を勝手に見たりしちゃ!」
「まだ読みたい! まだ続きがあるんでしょう!?」
「でも、ヘンリーやハリーとか……変な人がいっぱい出てくるのはここまでよ?」
「そのあとは? お母さんは何を書いたの?」
「結婚式の話かな~。色々あったみたいだから。読む?」
「うん! 読む!」
あの色鮮やかな日々を忘れないよう、日記帳に書いて綴った。それがまさか、成長した娘に発見されて、読まれるなんてね。分かりやすく目を輝かせた娘を見て、笑う。
「でも、だーめ! 続きはまた今度ね? お父さんも待ってるからご飯、早く食べに行こう?」
「えーっ!? 今見たい、今!」
「だめだめ、また今度! お父さんが淋しくて泣いちゃう前に、お母さんと下へ行こうね~」




