35.アレンの怒りと叔父の懺悔
母さんが腕によりをかけて作った鶏肉とキノコのポットパイ、クリームチーズと生ハムのサラダ、マッシュルームスープ、サーモンと薄切りにされたレモンのオイルパスタ、胡桃パンとバケットが並ぶ。飲み物は炭酸入りの林檎ジュースで、旅先で買い求めたという、アンティークのグラスに注がれていた。所狭しと並べられた料理の数々を見て、メイベルが喜んでいた。
(正直言って、ライさんとアランとは食いたくないな……)
そんな気持ちはおくびにも出さず、笑ってグラスをぶつける。飲めば、意外と強い炭酸が喉を焼いていった。俺の隣でメイベルが両目をつむり、「ん~、甘酸っぱい! 美味しい!」と嬉しそうに言う。まあ、メイベルが嬉しいのならいいか。紙ナプキンの上に並ぶカトラリーを見下ろし、悩んだ末、スプーンを手に取る。母さんお気に入りのスプーンで真鍮製だった。使い込まれている。ただ、俺がスプーンを手に取ってスープを飲もうとしたところ、向かいに座ったライさんとアランがにこにこと、嬉しそうな笑顔で見てくるもんだから落ち着かない。が、無視して飲む。
「それにしても良かったよ、本当に。兄ちゃんとメイベルちゃんが結婚することになって」
「ありがとう~、アラン君。弟になるんだよね? 私の。ちょっと変な感じ」
「だね。でも、付き合ってると思ってたから良かった~。兄ちゃんにはこういう優しい人が合うよね」
「優しいだなんてそんな」
「本当にそうだな。私も最初、メイベルとアレン君は付き合ってるものだとてっきり思っていたから……まあ、こうなって良かった。安心したよ」
灰髪を整え、額を出したライさんがほっとしたように笑う。今日は黒いタートルネックの上から、灰色のジャケットを羽織っていた。……まあ、笑えばぐっと優しそうな雰囲気になる人だし、メイベルが好きになるのも分かる。分かるが。林檎ジュースを口に含めば、痺れるような酸味が舌先を襲う。
「でも、本当に上手くいったみたいで良かったわ~。も~、アレンってば女性を見る目が無いんだから! いつもごちゃごちゃとトラブルを起こして、」
「おい、母さん。やめろよ、デリカシー無いな」
「あら、ごめんなさい。ついうっかり」
「大丈夫だよ、メイベルちゃん。昔の話だからね?」
不安そうな顔になったメイベルを見て、アランが慌てて話しかける。……ちゃん? いつからメイベルちゃんと呼ぶようになったんだ、お前は。この前の挨拶の時は「メイベルさん」だったろうが。しかし、細かいことでいちいち突っかかるのもどうかと思い、口をつぐむ。嫉妬している訳じゃないが、嫉妬していると誤解されたら面倒だ。俺が生のトマトをフォークで突き刺していれば、ぐいぐいと、メイベルが袖口を引っ張ってきた。可愛いすぎる。すぐさま手を止めて、メイベルに向き直ると、栗色の瞳が悲しげに潤んでいた。
「どうした? メイベル。……母さんが嫌な思いをさせてごめん」
「う、ううん、大丈夫。ちょっとどんな人と付き合ってたのかなって、気になっただけだから」
慌ててぱっと、袖口から手を離して料理に向き直る。嫉妬してるぞ、可愛い。ただ、どんな人か聞かれたがこれ、素直に言わない方がいいよな……? でも、メイベルが知りたがってる訳だし、言った方がいいか? 俺が悩んでいれば、苦笑した母さんが「ごめんね、メイベルちゃん」と言って終わらせる。隣を見てみると、メイベルが落ち込み、うつむきながらサラダを食べていた。……あとで二人きりになった時に言うか。どうせ、母さんもアランもライさんも帰るし。考えながらメイベルを見つめていると、ライさんが感心したように息を吐く。
「それにしても、アレン君は随分と雰囲気が変わったな……」
「えっ? そうですか? この前、髪を切りに行きましたけど」
「いや、そうじゃなくて……言葉の端々から、メイベルを大事にしている気持ちが伝わってくる。目が優しくなったよ。ありがとう、私の姪っ子を大事にしてくれて」
私の姪っ子という言葉に引っかかるのは俺だけか? メイベルはどうだ、引っかかってないか? でも、メイベルは俺の方なんて見ていなくて、顔を輝かせながら身を乗り出していた。
「そうなの! アレン、すっごく目も仕草も優しくなったの! こう、甘さが全身から滲み出ている感じでっ」
「待て待て、メイベル。恥ずかしいからやめてくれよ……」
「えっ? 惚気てないんだけど、だめかな?」
「ああ、まあ、いいけど」
「兄ちゃん、許すの早いな~」
メイベルに「だめかな?」と聞かれたら、頷くしかないだろうが! ここでだめだとは言えないだろうが!! でも、からかわれるのが嫌で口をつぐむ。俺が黙々とパスタを食べていれば、微笑ましい顔のライさんと母さんを交互に見つめながら、メイベルが嬉しそうに語り出す。
「アレンとは最初、お友達だったから付き合ってもこんな感じかな? って思ってたんです。でも、ぜんぜんそんなことはなくて、道を歩いている時もここに段差があるぞ、気をつけろよとか言ってくれるし、ああ、そうそう、お昼ご飯を誘いに来る時も前とは違って、彼氏! って感じがするんです~。この前は私がくしゃみをしただけで、無言で自分がしていたマフラーを私に巻いてくれたし! その時のアレンがものすごくかっこよくて、」
「メイベル、惚気だから。それは……」
「あらあら、まあまあ。アレンがそんなことを? へ~え?」
俺がメイベルを止めるのと同時に、母さんがにやにやと面白そうな顔をする。……まあ、元カノから俺の不満を散々聞かされた母さんとしては、俺がメイベルを大事にしているのが面白いんだろうけど。ライさんにも優しい微笑みで見つめられるし、いたたまれなくなって目をそらす。
「俺のことよりも……そうだ、マリエルとはどうなんですか? 結婚式準備進んでますか?」
あ、やばい。間違えたかもしれない。内心焦っていると、ライさんが気まずそうな、どこか照れ臭そうな表情でフォークを置く。
「進んでいるよ、ありがとう。ただ……そうだな、意外と慎ましい式になりそうだ。身内だけで挙げる予定だし」
「僕も行ってもいい? ライおじさん」
「もちろん、ぜひ来てくれ。でも、エディ君達は呼ばないつもりだから黙ってて貰えると助かる」
「分かった、内緒にしておくね。エディさん、騒ぎそうだもんね……」
「エディ? ……ああ、あいつか」
最初「戦争の英雄と仲良くしてて大丈夫か? お前」と思っていたが、それなりに良い関係を築いて上手くやっているらしい。何度か街中で見かけたことがある。まぶたの裏に、色鮮やかな赤髪が浮かんだ。メイベルが笑顔で頷きながらも、ポットパイを割って、中身を掬い上げる。火傷しないかどうか不安になった。
「確かにずるい~! って言いそうな人だよね」
「メイベル? 会ったことあるのか?」
「うん。何度かお客さんとして来てるよ」
「ふーん、そっか」
メイベルは意外と交友関係が広い。俺も友達は多い方だが、メイベルは「誰だ、そいつ!」と言いたくなるような男と知り合いだったりする。前もやけにいかつい男だなと思って見ていたら、友達と飲みに行った店で、知り合った常連客とか言い出して「はぁ?」って言いそうになった。傷付くだろうから、すんでのところで言葉を呑みこんだが。若干イライラしてきたから、パスタをよく噛んで食べる。
「そうだ、メイベル? 結婚祝いをまだ渡していないよな? 何がいい?」
「えっ? いいよ、そんな。お金はお父さんとお母さんと、おじいちゃんとおばあちゃんから貰ったし」
「違う違う。お金はまた今度改めて渡すけど、それ以外でだよ。喜ばしいことだし、ちゃんとお祝いしたい。まあ、また考えておいてくれ」
「……うん、分かった。ありがとう」
ライさんの優しげな青い瞳にも、メイベルの澄んだ栗色の瞳にも、違う何かが宿っているみたいで落ち着かなくなった。二人が見つめ合えば、俺は透明人間か何かになったような気分に陥る。二人に周りの人間なんて見えていなくて、見つめ合っている間中、ずっとお互いの悲しみや諦観を理解して、悦に浸っているんじゃないかという疑念すら湧いて出てくる。
(……嫉妬してるのか。ださいな、俺)
メイベルはそうじゃないって言ってるのに、信じられないのか。何も知らないふりをして、笑顔で料理を平らげ、母さんやアランと楽しく喋っているライさんを見ると、唾を飲み込みたくなる。嫉妬? 違う。じゃあ、これは何だ? 怒りみたいなもんだ。────どうして、あんたは知らないふりをしていられる? 一見優しいように見えるが、メイベルから逃げているだけじゃないのか? メイベルがあんたと二人で歩いていた時、クラスの同級生から売春していると誤解されたんだぞ。
(距離が近かったんじゃないのか? いいや、そもそもの話、どうしてメイベルを拒絶しなかった? 連れ歩かなきゃ良かっただろ。そうすれば、メイベルも傷付かずに済んだのに)
それは優しさじゃない。メイベルの恋心を理解しているのなら、きっぱり言えば良かった。学校終わりに家に寄って、上がりこんでおやつを食べていたと言っていた。どうして合鍵を渡した? メイベルに。猫の世話をして貰うためだとか、悩みがちなメイベルに、家や学校以外の場所を提供したかっただとか、そういうことをぐだぐだ言っていたみたいだが。気が付けば、皿の上は空っぽになっていた。メイベルは楽しそうに食後の紅茶を飲みながら、アランと母さんと喋っている。
(そうか、俺……。問い詰めたくてしょうがないのか)
どうしてあんなことをしたんだと聞きたい。だから顔も見たくないんだ。でも、それを顔に出すほどガキじゃない。出されたガトーショコラにフォークを入れながら、笑顔でライさんと喋る。ああ、疲れた。久々の母さんの手料理だったが、ろくに味なんてしなかったな。胸にわだかまりが残っている。でも、メイベルもライさんのことも傷付けたくない。これ以上、引っ掻き回したくない。切なさと諦めが入り混じった表情で見つめ合う二人は、やたらと綺麗に見えたし、俺が入り込む隙間なんて微塵も無い。……それに、俺はどうせあとから来た人間だろ?
(ごちゃごちゃ言うと、二人の負担になるか。やめておこう)
後片付けを手伝おうと思い、腰を上げれば母さんに止められた。
「いいわよ、別にここは。アランと二人で片付けるから、あなたはメイベルちゃんとゆっくりお庭でも歩いてきたら?」
「そうそう、僕と母さんでやっておくから。兄ちゃんは何も気にしなくていいからね」
「あ? でも、皿割らないか? お前」
「割らないよ! 大丈夫だって、心配性だな~」
「うるせぇよ。前科があるからだろ」
俺がアランと喋っていると、意外なことにライさんがやって来た。目の前に立つとやっぱ威圧感がある。背が高いし、体格が良いせいか。でも、その厳つい顔に優しげな笑みを浮かべた。
「アレン君、良ければこの庭を案内してくれないか?」
「ああ、別に構いませんけど……」
「私も行く~、腹ごなしに行きたい!」
「わ、悪い。メイベルはその、ちょっとだけ待っていてくれないか? アレン君と少し話したいことがあるから」
「ええっ!?」
メイベルが俺の腕にしがみつき、不満そうな顔で睨みつける。ライさんが焦っていた。思わず笑いながらも、メイベルを見つめる。
「ごめん、メイベル。俺もちょっとライさんと話したいことがあるから」
「え~? でも、何の話があるの? 何も無いでしょ? もう」
分かっているんだか、分かっていないんだか、くちびるを尖らせながら拗ねていた。笑いながらメイベルを抱き寄せ、チョコで黒く汚れた口元を拭う。丁寧に親指で拭っていると、徐々に顔が真っ赤になっていった。思わずキスしたくなったが、母さん達がいるし耐える。
「ほら、チョコがついてたぞ? 悪いが、口元を拭きながら待っていてくれるか? ……それとも、どうしても我慢出来ないか? メイベル」
「うっ、ううん!! じゃっ、ソファーでお昼寝して待ってるから!」
「あっ……」
俺を軽く突き飛ばしたあと、小走りで逃げていった。あーあ。本当に照れ隠しか? あれ。まあ、照れ隠しなんだろうな。苦笑しながら顔を見合わせ、俺は黒いコートを、ライさんはグレンチェックのコートを羽織り、庭へ行く。夏に来た時とは違って、庭は随分と寂しくなっていた。鬱蒼と生い茂っていた木々は、その葉をみな落とし、空に向かって裸の枝を広げている。でも、いくつか葉を茂らせている木もあった。枯葉が落ちて、積み重なっている地面を踏みしめれば、足が柔らかく沈み込む。
「……で? ライさん、俺に話とは?」
「ああ、その前に少しだけ庭を見ても? 綺麗だ。よく手入れされている」
「どうぞ。不思議と落ち着く庭ですよね、ここ」
無難な返答をしてから、ほれぼれと青空を見上げているライさんの隣に立つ。見上げてみれば、木々の間から、冬らしい澄んだ青空が覗いている。鳥がピチピチと軽やかに鳴いていた。雨上がりのような匂いと葉の湿った匂いを嗅げば、感傷的な気持ちになる。
(……この人が、もう少し嫌な人だったら良かったんだけどな)
数え切れないぐらい、そんなことを考えてきた。メイベルもライさんも、その優しさがたまに毒となって、誰かを傷付けていることを知らない。はっきり言えたらいいのに、そんなことを。俺が眩しい陽射しに目を細め、青空を眺めていると、おもむろに切り出してきた。
「私に話があるのはアレン君の方だろう?」
「はい? ……どうしてそう思ったんですか?」
「視線を感じたから、物言いたげな視線を。よく私の兄がそんな目をしていたよ。メイベルはお父さんにそっくりな人を選んだんだな」
「ええ……?」
あれと俺が似てる? 嫌だな~。ごめんだぞ、そんなの。俺が嫌そうな顔をしているのを見て、ライさんが無邪気に笑う。顔に「そこまで嫌そうな顔をしなくても」と書いてあった。ふとライさんが視線を外し、また青空を見上げる。吐き出した息が白くなっていった。
「メイベルから、私について何か聞いているか?」
「聞いていますよ、全部。……メイベルがあなたのことを好きだってことも、あなたがそれに気付いていながらも、無視しているということも」
「なんだ、話していたのか。意外だったな。でも、ほっとした。これで一安心だ」
眩しい陽射しの中で笑うライさんを見て、猛烈に腹が立った。優しげな笑顔だったからこそ、余計に腹が立つ。まるで自覚してないんだな、この人は。ぐっと、無意識に拳を握り締めていた。
「何が一安心なんですか? 俺としてはちっとも安心出来ないんですけど?」
「えっ? あ、ああ、でも、安心して欲しい。私にはマリエルがいるし、浮気する気なんて微塵も、」
「そうじゃない! ……メイベルの気持ちはどうなるんですか? どうして気が付いているのなら、最初から拒絶しなかったんですか?」
メイベルが引き摺ってたのってあんたのせいだろ? メイベルが苦しんでいたのも、悩んでいたのもあんたのせいだろ? でも、それを言えば深く傷付いた顔をするだろうから、言えなかった。この先、ずっと俺の言葉が胸に突き刺さるような事態は避けたい。必死に両手の拳を握り締め、耐える。流石に驚いた顔をしていた。ややあって、戸惑った様子で口元を押さえる。
「ごめん……。ただ、最初は気のせいかと思っていたんだ。確信に至ったのはつい最近で、」
「こんなこと、言うのはどうかと思うんですけど言います。嘘でしょう? それ。この期に及んで、自分の保身に走るのやめて貰えませんか? 反吐が出る!」
高校生が普通、叔父さんの家の合鍵を貰って喜ぶか? 喜ばないだろ。素行に問題があるのならまだしも、メイベルは優等生だった。どうして毎日、学校帰りにあんたの家に行ってた? それを黙認してただろ! 知ってただろ、メイベルの気持ちを。やめようと思ったが、止まらなかった。
「知っていて加速させたのはあんただろ? ライさん。……本当は弟を助けてくれた命の恩人だし、こういうことは言いたくない。でも、言わなきゃ永遠に分からないままだろ? あんたがメイベルを傷付けてきた理由を」
「傷付けてきた……そうだよな。傷付けてきたんだろうな」
「他人事ですか? それともどうでもいいんですか? メイベルのことは」
「ちょっと待ってくれ。嫉妬する気持ちも分かる。分かるが、しかし……」
「嫉妬しているんじゃない! もっと早くに言えば良かっただけだろ!? あんたが! メイベルは醜くない、悪くないってそう!!」
なんで何十年もメイベルは苦しんできたんだよ。それさえ無ければ、のびのび暮らせてただろ。後ろめたい思いをすることも無かっただろ? 俺がさっき慰める必要も無かった。無理かもしれない。だけど、本当はメイベルに一点の曇りも無い人生を送って欲しかった。一人で抱えて、苦しんでいるのを想像するといてもたってもいられなくなる。ライさんが青い瞳を見開いて、俺のことを凝視していた。
「苦しむ必要は無かった、メイベルもライさんも。さっさと言っていれば、こんなことにはならなかったんじゃないのか?」
「あ……」
今初めて気が付いたとでも言いたげな様子で、口元を押さえ、地面を見下ろす。……すみません、知っているんです。ライさんもライさんで苦しんできたことは。でも、どうしても苛立ちと怒りが収まらない。
「どうせ、傷付けたくなかったとか言う気なんでしょう? そういう綺麗事、嫌いなんで言わないで貰えませんか?」
「……アレン君。ただ、私は」
「いいです、聞きたくない。メイベルも割り切っているようですから。一生、あなたがそのことを口にしないって」
卑怯だろ、そんなの。さっさと拒絶しろよ、このノロマが! 深く頭を下げてから、家に戻ろうとしたその時、ライさんが「ちょっと待ってくれ」と言う。振り返れば、静かにうつむいていた。
「……何ですか? その続きは俺にじゃなくて、メイベルに言ってください」
「メイベルにも改めて言うよ、じゃあ」
「なら聞くだけ聞きますけど? 何ですか?」
不遜な態度の俺を見ても、ライさんは苦笑するだけだった。二の腕を組み、憔悴しきった顔を睨みつける。さっきとは比べて、一気に老け込んでいるように見えた。
「可愛かったんだ。好意を寄せられて嬉しかった」
「それは……」
「勘違いしないでくれ、男として嬉しかった訳じゃない。ただ、初めて出来た姪っ子だったし、言えば離れていくかと思ってな……」
まあ、メイベルは可愛いからよく分かるけども! 俺がまじまじ見ていると、横を向き、遠くを見つめるような眼差しで語り出した。
「知っていると告白して、拒絶すればもう二度と会ってくれないような気がしてな……。その頃のメイベルは思春期だったし、一過性のものだと思っていた。いや、そう思いたかったんだ。私が」
「……そうですか」
「ただ、アレン君の言う通り拒絶すべきだった。もっと早くに。来年言おうか、再来年言おうか。いいや、もっと早くに言おうか。でも、その頃になったらメイベルも彼氏が出来ているかもしれない……すまない、全部言い訳だ。逃げていた。怖かったんだ、拒絶して避けられるのも。拒絶した結果、あの子の傷付いた顔を見るのも」
まあ、ライさんもメイベルも優しいから。お互いに言うべきことを言わないで黙っていたんだろうな。不思議と涙が滲み出てきた。おいおい、ここで泣くのは俺じゃなくてメイベルだろ? 溜め息を吐いて見上げれば、空の青さがやたらと目に染みた。空を見上げて動かなくなった俺を見つめ、ライさんが近寄ってくる。かさかさと、枯葉が音を立てていた。
「申し訳ない、アレン君。でも、本当にメイベルのことを大事に思ってくれてるんだな? ありがとう、これからもよろしく頼むよ」
「言われなくてもそうしますよ、ライさん。……すみません、声を荒げてしまって」
「いやいや、元はと言えば私のせいだからな。身から出た錆だ。でも、メイベルのために怒って、泣いてくれるほどの男で良かった。あの子は見る目があるなぁ」
ライさんが苦笑して、俺の肩に手を置いた。空を見上げ続けるしかなかった。でも、涙は抑えられそうにもない。思わず目元に手をやる。
「泣いてませんけど? 別に」
「すまない。でも、アランから聞いていた通り優しいなぁ。驚いたよ、本当に。目も声も、メイベルに対してだけ甘くなるから」
「俺は……メイベルに苦しんで欲しくなかったんです。そして、あなたにも苦しんで欲しくなかった」
アランの命の恩人だし、本当は怒鳴りたくなかった。責めたくなかった。でも、耐え切れずに責めてしまった。俺が泣いて肩にしがみつけば、黙って背中を叩いてくれた。上手くいかねぇなぁ、本当にもう。
「すみませんでした、色々と言ってしまって……」
「大丈夫だ。むしろ、言ってくれてありがとう。この年になるともう、誰も怒ってくれなくなるからなぁ。これからももし、私が間違えていたら遠慮なく叱って欲しい。頼んだ」
ほら、やっぱり良い人だ。メイベルの叔父さんなだけある。それに不思議と気が緩む。甘えて弱音を吐き出したくなってしまう。少しの間だけと思い、肩にすがって泣いた。やがて俺の背中に手を回し、泣く子供をあやすみたいに抱き締めてくれた。ようやく涙が収まってきた頃、さくさく、さくさくと誰かが落ち葉を踏む音が響いてきた。ライさんがふと動きを止め、呟く。
「あ、メイベル……」
「メイベル?」
振り返れば、無表情のメイベルが佇んでいた。あっ、やっべ!! 怒ってる。ひとまずライさんから離れ、なだめるために両手を上げる。多分、ヘンリーがここにいたら「降参のポーズかな?」って言っていた。
「えっと、メイベル? 悪い、その、遅くなって……」
「アレン、泣いてたの?」
「あっ、えー、色々あってだな。ごめん、悪かった」
「ライ叔父さん。ひょっとして、アレンのことを泣かせたの?」
「えっ!? いや、そうじゃなくて! メイベル、実は……」
「聞きたくないから黙ってて、もう」
どっと背筋に冷や汗を掻く。こうなったらもうメイベルはだめだ。俺が硬直していると、悔しさを滲ませた表情のメイベルが近寄ってきて、急に腕を引っ張ってきた。困惑しているライさんから俺を引き離し、きっと睨みつける。
「ライ叔父さんが男性にモテることは知ってるけど!」
(男にモテるのか……)
「でも、こんなのってあんまりじゃない!? 私っ、私の前でもアレンは泣いてくれないのに!!」
「ええっ!? そっちか!? あと何か勘違いしてないか!? メイベル!」
焦って肩を掴めば、勢い良く抱きついてきた。しぶしぶと背中に腕を回しながら、困惑しているライさんを見る。どうしたらいいのかよく分からないようで、途方に暮れていた。
「あー、メイベル? 別に俺、泣いてないから……」
「嘘! 泣いてたもん。それとも、私には言えないようなことを話してたの?」
「いや、別にそういう訳じゃないけど。それとライさんがメイベルに話したいことがあっ、」
「いらない! 聞きたくない! 私、アレンまだかなーってずっと待ってたのに、二人は庭で抱き合ってたりして……」
「め、メイベル? すまない。だが、私は」
「いい、聞きたくない。今日から私の敵だから、ライ叔父さんは」
「て、敵!?」
メイベルが俺の胸元に顔を埋めながら、ふんと鼻を鳴らす。可愛い。可愛いぞ、これ……。にやけながらも抱き締め返せば、風が吹いて、ひらひらと真っ赤な葉が落ちていった。黄色い葉も混じっている。メイベルの頭に顎を置いて、庭の木々を何となく見上げた。
「あ~……そうか。俺が幸せにすればいいんだよな? その分」
「何の話? ねえ、一体何を話してたの?」
「メイベルのことを話してた。帰るか、俺達の家に」
「うん! あっ、ライ叔父さんはもうあんまりアレンに近付かないでね? 私、まだ疑ってるからね?」
「メイベル? 私にはマリエルがいるし……」
「じゃあ、なおさら抱き締める必要なんて無いでしょ? 慰めたいのなら、背中を擦るだけでいいじゃない。下心があるのかなって思っちゃうでしょ?」
「そ、そうだな。すまなかった……」
「そこで否定しないで謝るんですか?」
その後、何とかライさんがメイベルに謝ろうとしてたけど、終始無視されて落ち込んでいた。思ったようにはいかなかったが、これでいいような気がする。
(結局はメイベルも俺も、嫉妬し合ってただけか~……)
朝、目覚めるとメイベルが隣ですやすや眠っていた。肩から毛布がずれ落ちていたから、笑ってかけ直してやる。幸福そうな寝顔を見ていると、何もかもがどうでもよくなってなってきた。額にかかった茶髪を払いのけ、起こさないよう、優しくキスをする。すると、もにゃもにゃと頬を緩め、幸せそうに笑ってくれた。
「メイベル、お前が幸せならもうそれでいいよ。さて、いつ起こすか……」




