32.ヘンリーが苦労する一日と解き放たれた猥褻物ハリー
アレンと結婚して家を出て行く前に、みんなと一緒に遊びに行きたい。それはまあ、いいとして。彼女が言いそうなことだし。でも、さっさとシェアハウスから引っ越していったマリエルさんを含め、シェアハウスメンバーに声をかけてみたが、それぞれ反応がいまいちだった。
「うーん……。もちろんね? メイベルちゃんのお誘いだから、断るのは心苦しいんだけど」
「ええっと、無理しないでください。マリエルさん。もういいので……」
「私も会いたいのは山々なんだけど、ライさん、意外と嫉妬深いし、まだ引越しの片づけが終わってないし、落ち着いてからにしない?」
「あっ、じゃあそれで! でも、ライ叔父さんも嫉妬するんですね~」
「するのよ、これが。だからまた今度、私と二人だけで出かけない?」
「いいですね! 行きましょうか」
「いつ空いてる? 私はね~」
リビングでメイベルちゃんが魔術手帳を片手に、マリエルさんと話しているのを聞いていたが、絶対に面倒臭くて行きたくないだけだよなと、フレデリックさんと小声で話し合った。ノアの反応もいまいちで断られてしまったし、こいつらは結婚前にみんなと遊びに行きたいという、メイベルちゃんの気持ちを尊重するつもりが一切無いなと思ったが、仕方ない。いつものように「ヘンリー! 何とかして!!」と言われやしないか、ひやひやしていたが幸いなことに、彼女はみんなが揃っていなくても構わないらしく、突然、夜のリビングでこう宣言した。
「私、アレン抜きでみんなと遊びに行きたい!」
「はっ、はああ!? なんで俺抜きなんだよ!? メイベル!?」
「だって、いつもデートしてるでしょ? 結婚前にみんなと遊びに行きたいの。だから、たまにはアレンも誰かお友達を誘って遊びにでも行ったら?」
そこで何故か、アレンがマグカップを持ったまま、俺のことを振り返る。知るか! 自分でなんとかしろ。そう口パクで伝えると絶望していた。俺が新居のことについて、メイベルちゃんがどう思っているか早く聞きだせと言ったのに、こいつときたら「いや、メイベルがシェアハウスに住み続けたいって言ったら困るから……」とかなんとかぐだぐだ言いやがって、結局、メイベルちゃんが新居について、何か言い出すまで待っているという、とんだチキン野郎に成り下がっていたし、とことんメイベルちゃんに弱くなっている。甘くなってもいるが、基本的にとことん弱い。これが惚れた弱みかと思っているこの頃。
「だ、だけどな……。あー、誰と行くんだ? 遊びに」
「まずはね~、ハリーとフレデリックさんとシェラさん! あと、カイルさんにも連絡取ってみたんだけど行けるって! 暇だって!」
弁護士なんだし、そこまで暇じゃないはずだが……? それとも、うちの顧問弁護士が忙しいだけか? やたらと肌艶もいいし、俺とは違ってストレスフリーな毎日を送っているのかもしれない。紅茶の香りを楽しんでいると、またアレンが俺のことを振り返って、縋るような目で見つめてきた。悪いが、助けるつもりはない。自分でちゃんと言え! 口パクで「頑張れ」と伝えてみたところ、青ざめながらも視線をメイベルちゃんへ戻す。
「他のやつらはいいが、カイルはちょっと……」
(他のやつらはいいのか。あいつらも大概だぞ?)
「どうしてカイルさんだけだめなの? アレン、仲悪かったっけ?」
(そういうことじゃないって!! 狙われてるっぽいから、気をつけてって言ったのに!)
「いや、別に悪くないけど? 普通だけど?」
(どうしてそこで意地を張るんだ、アレン……!!)
ああ、だめだ。気が遠くなってきた。よそう、二人の会話にいちいちツッコミを入れていたら疲れる。クッキーでも食べよう……。茶葉入りのバニラクッキーをつまんで食べていると、メイベルちゃんがいきなり、とんでもないことを言い出した。
「大丈夫だよ! ヘンリーがいるし! 私、誰とも浮気したりしないから~」
「あーっとと、申し訳ないが俺も行けないかな! ちょっと疲れるし、ハリーのお守りをするのもちょっとな~!!」
俺、強制的に参加が決まってた! 怖い!! 慌てて否定すれば、メイベルちゃんがものすごく悲しそうな顔をして「そんな……」と呟く。あああああっ、だめだって! そんな顔をするとアレンがうるさいじゃん!? こいつ、メイベルちゃんと付き合ってからというものの、子熊を抱えた母熊みたいになってんのに! 案の定、俺の不安は的中し、アレンがすさまじい形相で肩を掴んできた。
「ヘンリー? なんで行けないんだよ、お前。よし、分かった。ハリーと俺は家で留守番してるから、」
「ちょっと待て、アレン。そうなったら、カイルさんとフレデリックさんとシェラさんだけになるぞ? 不安要素しか残らないじゃないか……」
「そこは頑張れよ。というか、ハリーがいても不安要素は増すだけだろ? なんであいつをまとも要員にしてる?」
「ああ、それもそうか。最近、疲れちゃってて……」
「仕事もしてねぇのにな」
「うるせえよ!! ある意味俺は毎日、ボランティアとして働いてるんだよ! 給料が出ない分、普通の仕事よりもきっついんだよ!! 分かるか!? この俺の気持ちが!」
「えっ? 何かしてるっけ? お前」
「このっ、平和ボケしやがって……!!」
俺がアレンの胸ぐらを掴み、ぎりぎりと締め上げていると、メイベルちゃんが慌てて止めにきた。
「分かった! じゃあもう、ヘンリーを連れて行くのは諦めるから。私……」
「ごめんな、メイベル。ヘンリーのやつが面倒臭がって」
「ううん。アレンはヘンリーとお留守番しててね。じゃ! 私、カイルさんと予定を詰めてくるから~」
「はっ!? えっ、ちょっ、まっ、メイベル……!?」
アレンが伸ばした腕が、虚しく空中を切る。呆然としたまま、俺の方を振り返った。
「なぁ、嫌われてんのかな? 俺……。メイベルに。何かした覚えはねぇぞ?」
「いや、たまにはみんなと遊びに行きたいだけじゃないか?」
「急に飽きたとか言い出すんじゃないだろうな……。最近、避けられがちだし」
「大丈夫だって。昨日も俺に惚気てたし。お前は知らないだろうけど!!」
やれやれ、これで巻き込まれずに済んだ……。そう思っていた先日の自分をぶん殴りたい。このアレンがメイベルちゃんを放っておく訳が無かった。今度は俺をつれて、尾行することになってしまった。公園の茂みに身を潜めながら、あまりの寒さに身震いする。さっ、寒い寒い! 寒さ対策で白いニット帽をかぶって、マフラーをぐるぐると巻きつけ、黒のダウンを着こんできたのにこの寒さ! しかも、地面から冷気が忍び寄ってくる。だが、アレンは目の前の光景が気になるのか、そっちをガン見していた。メイベルちゃんにばれたくないのか、黒縁メガネをかけ、グリーンのニット帽をかぶり、灰色のジャンパーを着ている。
「あいつ、メイベルに近すぎないか……? カイルのやつめ。なぁ、どう思う? 近いだろ? あいつの距離」
「気になるんだったら行けばいいだろ? てか、俺がいる必要は? ある!?」
「しっ。静かにしろ。ばれるだろうが」
「もうばれてるんじゃないのか? この前もあっさりばれたんだって? ダニエルさんから聞いたぞ、事の顛末」
「あれはハリーが騒ぐから、ばれただけで俺のせいじゃない!」
「あ~、はいはい。そうですか……」
なんで俺、ここにいるんだろう……。寒い! 今すぐ帰ってストーブの前に行きたい!!
(でも、前みたいに全部、ダニエルさんに任せる訳にはいかないし。俺、家主だしな。もう)
早くも家主をやめたくなってきた。黒いコートを着たカイルとハリー(今日はまともな格好をしていた)、まろやかなキャメル色のコートを着たフレデリックさん、白いダウンを着たシェラさんと、一人だけ、可愛い真っ赤なケープコートを着たメイベルちゃん達を追う。列車を乗り継いで向かったのは、なんと温水プールだった。まるで離宮のような外観の温水プール施設を前にして、アレンが立ち尽くす。辺りには高級感あふれる、灰色の石畳が敷き詰められていた。
「は……? いや、俺とのデートで行けば良くないか!? なんで!?」
「だから、はるか遠くの方にいるメイベルちゃんにそれを言えって。俺に言ってないで」
「くそっ、追いかけるぞ!! あいつらめ!」
「俺、もう帰りたいんだけど……!?」
意外とアレンは一人で動けないタイプだ。しぶしぶ入ってロッカーにコートと荷物を預け、水着のレンタル料と入館料を支払ってから、辺りを見回す。なかなかの金額だった。家族連れというよりかはカップル向けに作られた温浴施設らしく、ロビーには豪華なシャンデリアが煌き、白い大理石造りの床には、モザイク柄の高そうな絨毯が敷かれ、ホテルに置いてあるようなアンティークのソファーセットが並んでいる。
すぐ近くにはラウンジとカフェ、バーまで併設されているし、金持ちが道楽で作った施設にしか見えない。分かりやすく中央にあった、二階へと続く大階段をアレンと一緒に登る。白い壁にかけてある魔術仕掛けの絵画から、鳥の群れが飛び出していった。それを目で追いかけながら、やたらと高い天井を見上げる。
「メイベルちゃん達、完全に見失ったな……。大丈夫か?」
「大丈夫だ。俺が作ったネックレスをつけてるから」
「作った……? いや、いい。聞かないでおこう。アレン、お前が突然、彫金に目覚めて自分が作った結婚指輪をメイベルちゃんに贈ると言い出しても、驚きはしないさ。今さらな!」
「あ? なんで分かったんだ?」
「おぅふっ!?」
まさか、今のでとんでもない惚気スイッチを踏んだんじゃないだろうな……!? 青ざめる俺をよそに、レンタルした水着とタオルを持って、前を歩くアレンが話し始めた。
「二人で作ろうかって話してて、今。メイベル、好きなブランドとか特に無いんだよな~。調べてみたら、彫金師に教わりながら自分達で指輪が作れるサービスがあって、そこで結婚指輪を作ろうかって話してる」
「あー、そうですか。はいはい」
「ただ、時間がかかるんだよな~。仕方無いんだけど」
「大変だねー。そうかそうか」
「相槌下手くそすぎかよ、お前!! もうちょっとちゃんと聞け!」
「やめろって! ここ、品が良いんだからさ!?」
真っ赤なカーペット敷きの廊下で、アレンが俺のことを軽く蹴ってきた。どうどうとなだめながらも、男性用の更衣室へ入る。今回、ハリーに位置を補足出来るバングルを渡したらしく、アレンが「大丈夫だ。あいつら、中に入ってるぞ」と言ってきた。ロッカーの前に並んで立ち、黒いタートルネックニットを脱ぐ。混んでいるかと思いきや、値段が値段だからかあまり人はいない。
「まあ、あいつのことだからな~。メイベルとずっと一緒にはいないだろうけど」
「そうだな、あてにしない方がいい。というか、俺、アレンと一緒に温水プールに入るのか……?」
「今さらの疑問だな、それ。入った時に気が付けよ」
「俺、帰ってもいいか……? 金を無駄にしてでもいいから帰りたいんだ」
「うわっ!? これ、見てみろよ! よく見てなかったけど、ぺらぺらのビキニだぞ!? 着んの!? 俺! これ!」
「メニューに書いてあったじゃんか……。適当に選びやがって」
本当にそれでいいのか、アレン? って聞こうと思ってやめたが、聞いた方が良かったか……。若干後悔していると、急に俺が持っていた普通の水着をひったくり、黙って足を入れ始めた。あまりのことに、わなわなと手が震える。
「おいっ!? アレン! お前がちゃんと見てなかったのが悪いんだろ!? 返せよ、俺もビキニを着るのは嫌だ!!」
「大丈夫だって。俺とは違ってヘンリーは脱毛してるし、いけるいける」
「一体何が……!?」
喉の奥から、振り絞るような声が出た。流石のアレンもまずいと思ったのか、俺が借りてきた水着を履いたまま、温水プールの出入り口へと走っていった。あああああっ、せっかく家でぬくぬくと毛布にでも包まって、眠っていたかったところを無理して、アレンについてきたというのに……!! おそるおそる、アレンに手渡された水着を確かめる。
(嫌な予感がするが、これはまさか……?)
かろうじて大事な部分だけ隠せるビキニに、細い布が二本ついている。ホルターネックになっていた。これはまさか、乳首を隠すための布か……? 一瞬だけフリーズしたのち、はっと我に返る。そうだ、これはもう、受付に行って交換して貰うのがいいな! よし、そうしよう。決意した瞬間、いるはずのない人物が後ろから声をかけてきた。
「あれ? ヘンリー? なんでここにいんの? 偶然~!」
「はっ!? えっ、ハリー!? えっ!? なんっ、なんでここに!?」
「えっ? 何が? どうした?」
「いや、バングルは……ってあれ、つけてない!?」
「ああ、メイベルちゃんにアレンから貰ったんだ~って、思いっきり自慢したら奪われちゃった。いや~、女の子って怖いよね。嫉妬がすごいから」
「っく、だからか……!!」
「もしかしてついてきちゃったんだ? 俺達に」
もう会ってしまった以上、仕方ない。普通の水着を着ているハリーから目を外し、深い溜め息を吐く。
「そうなんだ。アレンがどうしてもって言うから、仕方なくついて来たんだが……」
「いいね! 一緒に泳ぎに行こう! 俺さ~、腹壊しちゃってさ~。トイレに行ってる間に置いてきぼりにされちゃった。つらい」
「ああ、だからここにいたのか……」
「行こう行こう! ヘンリーがいてくれて助かったよ、これで俺も淋しくない!」
「いや、この水着がちょっと問題のある水着で……。俺、今から受付に行って交換しなきゃ、」
「えっ? じゃあ、俺の水着と交換する?」
「これ、かなりセクシーなやつだぞ!? 大丈夫か!?」
客に貸し出すのにふさわしくない水着だ。一体誰が貸そうと言い出したんだ!? こんな水着! 俺が焦って「ほら! 見てみろよ、これ!」と言いながら、ぺらぺらの水着を差し出せば、ハリーが雄々しい顔で頷いた。
「大丈夫。今さら恥ずかしいことは何もない! 俺に出来ない、恥ずかしいことなんてもうこの世には存在しないっ!」
「は、ハリー……!! だが、これ、かなり目のやり場に困るやつだぞ!?」
「面白そうだから着てみるっ! 貸して!」
「ああっ、やめようぜ!? 俺、今からダッシュで交換しに行って、」
「いいって! それともヘンリーが着る? これ」
「いやいや、俺はハリーとは違って人間らしい羞恥心を持っているから、死んでも絶対に着ないけど……」
「え~? 傷付くなぁ。俺、せっかくヘンリーの代わりに恥ずかしい水着を着てあげようと思ってるのに! サービス、サービス!」
「あっ、おい、ハリー……」
ハリーがなんのためらいもなく、着ていた水着をその場で脱ぎ、素っ裸になって生温かい水着を手渡してくる。本当は嫌だ。トイレから帰ってきたばかりのハリーが着ていた水着を履くなんて……。青ざめて硬直している俺から、非常識なセクシー水着を奪い取った。
「ちょっ、やめた方がいいって! 絶対! かなり酷いやつだぞ!? それ!」
「大丈夫大丈夫、ヘンリーが着こなせなくても、俺は絶対に着こなせるって!」
「着こなせるかどうかの問題じゃなくて、それ、夏の海でもかなり際どい水着で……!!」
ハリーが俺の言うことなんて聞く訳が無かった。親切心から言っているのに、苦労しながらもセクシー水着を着ようとしているから手伝い、布の位置を調整する。途中から「乳首隠れてる? ちゃんと隠れてる!?」と、しつこく確認してくるから嫌だった。周囲からの視線が突き刺さって痛かった。
「……うん! これでどうだ!?」
えらそうに腰に手を当て、ふんぞり返ったハリーは目もあてられないぐらい、卑猥な姿をしていた。赤い布が小さすぎて毛がはみ出しているし、股間から、胸元まで伸びた紐状の布を見るだけで気が遠くなる。これじゃあ、セクシーな男を通り越してただの犯罪者だ!
「公然わいせつ罪で逮捕されそうだからやめようか! そうしようか!!」
「俺、今、人生で一番イケてるような気がするっ……!!」
「絶対気のせいだからな!? むしろ、今までで一番最悪な仕上がりだからな!? 正気に戻るんだ、ハリー! 頼むから正気に戻ってくれーっ!!」
ショックすぎて肩を揺さぶれば、きょとんとした顔で見つめ返してくる。だめだ、だめだ、こんなハリーを世に解き放ちでもしたら! 一応、小さいお子さん連れの家族もいるのに!
「絶対に絶対にだめだ、ハリー! 俺が悪かった!! 俺が悪かったからそれはもう脱げ! なっ!? なっ!?」
「これすごくいい! みんなに見せてくるーっ!」
「だめだ、メイベルちゃんに見せでもしたらアレンに殺されるぞ!? あっ、おい! 待ってくれ、頼むから待ってくれ、ハリー……!!」
俺の制止も虚しく、卑猥物としか言いようがないハリーが駆け出していった。追いかける気力も湧き出てこず、そっと、静かに両目を閉じるしかない。
「ま、まあ、人生、どうにもならない時だってあるさ……。ああ、でも、俺が面倒臭がらずにさっさと一階に戻って、受付で交換して貰ってたら……いやいや、そもそもの話、アレンにあの時、ちゃんと注意をしていたら」
ああ、後悔は尽きない。ハリーが履いていた生温かい水着を履いて、慌てて後を追う。まだまだ今日は始まったばかりだ、頑張ろう。俺。頑張るしかないぞ、俺……。




