27 伯爵の理由
「私がセシリアをヒューバートの妻に相応しいと認めたの。つまり、マリーヌ校に入学していなくても、セシリアなら将来、ラトクリフ公爵夫人を担えるということよ」
お祖母様の子どもにでも言い聞かせるような優しい口調に、私の背筋が冷んやりした。
「前公爵が何をどう判断してそんな結論を出されたのか存じ上げませんが、間違っておりますわ」
「私には人を見る目がないと言いたいのかしら?」
お祖母様に喧嘩を売るとはウォートン嬢は肝が太いわけではなくただの阿呆だったのかと思ったが、自分の言葉が失言であったことには気づいたらしい。
「そういう意味では……」
「だったら、この一月の間、次期公爵夫人教育と称して私とセシリアがただお茶を飲みながらのお喋りに興じていたとでも思っているの?」
私は思わず笑い出しそうになった。
領地でのお祖母様とセシーは、側からみればまさにそのような感じだった。
ただし、会話の内容は学校の授業などよりずっと高度だったが。
「いいえ。本来なら私が受けるはずだった前公爵からの教育を妹が受けてしまったのに、それで婚約者の変更などと言われても納得できないのです」
「今さらそんなことを言うくらいなら、なぜあなたは大人しく王都に留まっていたの? すぐにラトクリフ領に行って、私にセシリアのしたことを訴えようとは考えなかった?」
「それは……」
「そもそも、あなたには私の教育を受ける意思が本当にあったのかしら? 私が送った本を読んで感想文を書いたのもセシリアよね」
「あれも妹が勝手にしたことです」
「だから、どうして後からでもあなた自身が書いたものを送って来なかったのかと訊いているのよ」
「本を妹に奪られて、読むことができなかったのです」
「本なんて、私なり伯爵なりに言えばどうとでもなったでしょう。王立図書館にだって並んでいるわ」
言葉に詰まったウォートン嬢を、お祖母様は笑顔で見据えた。
「何もせず言い訳ばかり並べているあなたではなく、ラトクリフ領に来てどうしてもヒューバートの妻になりたいのだと言ったセシリアに、私の知るすべてを教えてあげたいと思うのは当然ではなくて?」
セシーのあの言葉は私が言わせた面もあるが、それをここで口にする必要はまったくない。
「ですが、妹は本当に何もできない子なのです」
本を読んで感想文を書いたのがセシーだということは認めながら、何もできない妹だと貶める。
その矛盾に気づかないままウォートン嬢は言い募った。
「その子を次期公爵夫人にすれば、きっとラトクリフ家が恥をかきます。相応しいのはこの私です」
お祖母様がうんざりした様子で嘆息した。
「そこまで言うのなら、挽回の機会をあげるわ。あの五冊を読んで感想文を書いてちょうだい。セシリアが書いたものより私の興味を引けたなら、婚約者の変更を考え直しましょう」
そこで咄嗟に声をあげたのは私だ。
「お祖母様、私とセシリアの結婚式まであと五か月しかないことをお忘れなく」
「ああ、そうだったわね。そんな悠長なことをしている時間はなかったわ」
五か月かけてもウォートン嬢には無理だと私が言外に匂わせたのを正確に理解したお祖母様の笑みを見て、私が口を挟まなければ自分で言うつもりだったのだとわかった。
何やら逡巡してから閃いたような表情を浮かべたのも演技だろう。
「では、試験をするのはどうかしら?」
「試験ですか?」
とりあえず私はお祖母様に付き合うしかないが。
「ええ。例えば、フレデリカ嬢が十六位だったという先日のマリーヌの中間試験を、今度はセシリアとフレデリカ嬢に受けてもらうの。そのままでは時間がかかるから一教科につき一問か二問に絞って。それならすぐに結果が出るでしょう?」
お祖母様がわざわざ口にした順位はともかく、その試験を一度受けて正解も知っているはずのウォートン嬢に有利な条件だ。普通なら。
だが、お祖母様は勝つのは間違いなくセシーだと信じている。私も同じ意見だ。
ウォートン嬢も自信がないのか、応えに悩む様子だった。
「それとも、フレデリカ嬢が首位を取った二年生の時の中間試験のほうが良いかしら?」
身を強張らせたウォートン嬢に、お祖母様が追い討ちをかけた。
「何にせよ、過去の試験問題ならマリーヌ校にいくらでも保管してあるでしょうから、その中から適当に組み合わせてふたりのための試験を作っていただけば良いわね」
ウォートン嬢が目を瞠った。
「作っていただくとは、マリーヌ校の先生方にですか」
「もちろんよ。実は、マリーヌの今の校長は私のマリーヌ時代からの友人なの。他にも知己のある先生は何人かいるし、きっと協力してもらえるわ。何なら、試験監督や採点もお願いしてしまおうかしら」
ウォートン嬢の顔が青ざめた。
マリーヌの教師たちの前で試験を受けてセシーのほうが高得点を挙げたなら、以前の試験で首位を取ったのはウォートン嬢ではなく妹だったのではと、教師たちも疑うに違いない。
試験での不正行為が明らかになれば、マリーヌは退学処分。社交界でも居場所を失うだろう。
というか、お祖母様がマリーヌ校にそんな伝手を持っていたなど初耳だ。
「こんなことでマリーヌの先生方の手を煩わせるなんて、とんでもないですわ」
「こんなこと?」
お祖母様の低い呟きに、その場にいた誰もが凍りついた。
「我がラトクリフ公爵家の次期当主の結婚相手選びが、こんなことですって?」
完全に笑顔を消したお祖母様の視線を受けて、さすがのウォートン嬢もヒッと短く悲鳴をあげた。
「それは、言葉の綾で……」
「言い訳は結構よ。あなたが貴族の後継問題を軽んじていることはとっくにわかっていたわ」
「軽んじてなど……」
「そうでなければ、テニスン家の次男と結婚しようなどと考えるはずがないもの」
「オーガスト様は私ではなく妹の……」
「だから、伯爵もあなたを跡継ぎから外したのよ」
「……え?」
「もちろんヒューバートの言ったことも理由でしょうけれど、あなたとテニスン家の次男とではとてもウォートン家を任せられないわ」
お祖母様の言葉に納得した。
元は跡継ぎだったはずのウォートン嬢もオーガスト・テニスンも後継教育を受けていた様子はなかった。
おそらく伯爵はウォートン嬢が結婚して家を出てからセシリアを教育するつもりだったのだろう。
あるいはテニスン家とは婚約を解消して別の男を婿にすることまで考えていたのかもしれない。
「ウォートン家をセシリアに継がせるためにフレデリカ嬢は嫁がせることにした。そうですわよね、伯爵? セシリアがマリーヌで首席を取れるほどの学力を持ち、書斎で領地経営の書類まで読んでいたこともご存知だったのでしょう?」
ウォートン伯爵はしばし固まっていたが、やがて項垂れるように首肯した。
「仰るとおりです。もともとはフレデリカに良い婿を探して跡を継がせ、セシリアに補佐をさせようと思っていました。しかし、フレデリカがオーガスト殿と婚約したいと言い出し、私はそれを拒みきれませんでした。その直後にラトクリフ家から縁談を申し込まれて、魔が差しました。本当に申し訳ありませんでした」
セシーをとことん自分の都合の良いように使うつもりだったのか。
自分は被害者だと言いたそうなところも含めて、よく似た親娘だ。
「あら、セシリアが補佐役だなんてもったいない。私なら、彼女を次期伯爵にしますわ」
昔はこの国で女性が爵位を継ぐのは幼い嫡男が成人するまでの繋ぎといった場合ばかりで、子どもが娘のみの貴族は婿をとるか傍系から養子をとるかして爵位を継がせていた。
今もそうする家がほとんどだが、娘に爵位を継がせる家も少しずつ増えているらしい。
他でもない我がお祖母様がラトクリフ公爵として女性でもそれが可能だと示したからだ。
そのお祖母様が、セシーなら自分と同じことができると考えている。
「セシリアを次期伯爵に……」
伯爵はまるで天啓を受けたかのように目を見開いた。
「お祖母様、何を仰っているのですか」
私は慌てて声をあげた。
セシリアがウォートン次期伯爵になる。それは、つまり……。
「あなたとセシリアなら、将来、ふたりで協力してラトクリフ領とウォートン領の両方を治めていけるだろう、ということよ。私があなたにセシリアとの結婚は諦めなさいなんて言うはずがないでしょう」
「……ああ、なるほど」
ホッと息を吐く。
「確かに、セシリアとならそれも可能だと思います」
そう言って見下ろすと、セシーの顔には戸惑いが浮かんでいた。
「私が次期伯爵なんて……」
「セシリア、別に今すぐ領地経営をしろと言っているわけではないわ。私にはあなたに教えてあげたいことが山ほどあるの。それがなくなる頃にはあなたは立派なラトクリフ次期公爵夫人になっているでしょうけれど、同時にウォートン次期伯爵として立つことも十分できるはずよ」
お祖母様の声は、先ほどまでが嘘のように柔らかかった。
「お祖母様」
「大丈夫だ、セシー。私が一緒だ」
お祖母様に負けまいと私はセシーの手を握り直した。
「バート様」
「ウォートン領のためにも、君が次期伯爵になるべきだ。君ならきっと、領民を想い、領民から慕われる領主になる」
それに、セシーの幸せを願っているウォートン家の使用人たちのためにも。
徐々にセシーの顔に決意の色が浮かんできた。
「お待ちください。妹をラトクリフ次期公爵夫人ばかりかウォートン次期伯爵にするなんて、ご冗談でしょう?」
「私は本気よ。決めるのはウォートン伯爵ですけれど」
皆の注目が伯爵に集まった。
「お父様、あの子を次期伯爵になんてしませんわよね?」
テニスンとの婚約を押し切った時もあのような感じだったのかと思わせるウォートン嬢の声に伯爵が苦しそうな顔で俯き、だが、すぐにそれを振り払うように決然と顔をあげた。
「セシリア、おまえをウォートン次期伯爵に指名する。もちろん、私も必要なことはこれからすべておまえに伝える」
セシーは緊張した様子ながら「はい」としっかり頷いた。
「前公爵、ヒューバート殿、どうかセシリアをよろしくお願いいたします」
伯爵が頭を下げ、伯爵夫人もそれに倣った。