26 両親の理由
その日の朝食後、デリックにウォートン伯爵へ手紙を届けさせた。
ラトクリフ家もセシリア・ウォートン嬢を次期当主の妻に相応しいと判断したので、王宮に提出する婚約者変更の書類にサインをしてほしい。そんな内容だ。
あくまで婚約者の変更はウォートン家側からの申し出だという前提に立ち、セシーとの縁が結ばれたことへの感謝で締めた。
手紙とともに、すっかり用無しになっていたウォートン嬢からの借り物もすべてウォートン家に運ばせた。
メイドのベラはラトクリフ家に残った。
もともとウォートン嬢がラトクリフ領に連れて来るメイドは結婚後もそのまま彼女に仕えるとウォートン伯爵と取り決めていたからだが、本人もセシーも喜んでいた。
デリックには書類も持たせたが、ウォートン伯爵はサインをせず、話をしたいと求めた。
予想はしていたことで、デリックは私の指示どおり、その場で伯爵にラトクリフ家を訪れるよう伝えた。
デリックが屋敷に戻ってからわずか一時間後、ウォートン伯爵は妻子を伴って現れた。
私はお祖母様とセシーと一緒に三人を迎えた。
セシーには「会わなくても良い」と言ったが、彼女はきちんと見届けたいと望んだのだ。
可愛いらしく着飾り、すっかり滑らかになった淑女の礼をしたセシーを見て伯爵夫妻は何とも言えない表情を浮かべ、ウォートン嬢はほんの一瞬、射殺さんばかりに睨みつけた。
身を竦ませたセシーの手をそっと握り、私を見上げた彼女に笑ってみせると、彼女はホッとした表情で頷いた。
応接間のソファに向かい合って座ると、ウォートン伯爵がすぐに口を開いた。
「このたびは、セシリアが勝手なことをしてご迷惑をおかけいたしました」
すべての責任をセシーに押しつける言葉も予想どおりだが、腹は立った。
それでも、自分の手の中にある小さな手の感触を意識して、できるだけ穏やかな声を出す。
「何を仰っているのですか? セシリアに迷惑をかけられたことなどありませんが」
「セシリアがフレデリカの振りをしてラトクリフ領で教育を受けていたことです」
「妹が私を羨んで勝手にラトクリフ領に行ってしまったのですわ」
伯爵の言葉に被せるようにウォートン嬢が口を挟んだ。
「しかし、彼女がセシリアだと私が一目で気づいたのに、ご両親が今日まで気づかなかったはずがありませんよね。それなのに、何も連絡して来られなかったのは、セシリアの行動を容認していたからでしょう」
「一目で気づいた?」
ウォートン嬢が思わず呟いたらしいのに、「ええ」と頷いた。
「でしたら、次期公爵こそどうして何も言ってきてくださらなかったのですか?」
今度は私を咎めるようにそう言った声には、これまでにない媚が感じられた。気色悪い。
「これは説明不足でしたね。実は色々と事情がありまして、私が領地でセシリアの顔を見られたのはクリスマス休暇になってからだったのです。その時にはすでに祖母が彼女をすっかり気に入っていて、私の妻になるのは彼女以外ありえない状況になっていました。そのため、こうして年明けすぐに連絡を差し上げたわけです」
「前公爵が決めたことをあっさり受け入れてしまうなんて、次期公爵はそれでよろしいのですか?」
「私にとってこの状況は喜ばしいだけですが」
「喜ばしい? 婚約者が私から妹に代わることがですか? その子は私から無理矢理奪おうとしているのですよ」
ウォートン嬢はまるで悲劇のヒロインのように顔を歪ませた。
「逆でしょう。あなたが奪ったのです、セシリアから」
「妹が次期公爵にどんな嘘を吐いたのか知りませんが……」
「縁談について何も知らなかったセシリアが嘘を吐けるはずがありません。それに、彼女の代わりにあなたが私の婚約者に収まったのは事実です」
ウォートン嬢が怪訝な表情になった。
「私がその子の代わりだなど、何を仰っているのでしょうか? 次期公爵が私を是非妻にしたいと望まれたのではありませんか」
それまでハラハラした様子だった伯爵夫妻が、ここに来て顔色をなくしているのに気づきながら、私ははっきりと応えた。
「いいえ、もともとラトクリフ家からウォートン家に申し込んだ縁談は、私とセシリアとのものでした。ところが、あなたのご両親がセシリアは病弱だなどと仰ったのを私の両親が信じ、あなたを婚約相手に認めてしまったのです」
ウォートン嬢の顔に驚きが浮かんだ。
「そんなはずありませんわ。お父様がラトクリフ公爵家から私に縁談が来ている、断るのはもったいないから妹でとお願いするなんて言うから……」
「嫌々受けたのですか?」
「喜んで、ですわ。そうですわよね、お父様?」
伯爵は口を開いたが、「ああ」という形に動いた後は言葉が続かなかった。
おそらく、このことに関してはウォートン嬢は嘘を吐いていないのだろう。
「つまり、伯爵が私の両親だけでなくご令嬢にも嘘を吐いてまで、私と彼女を婚約させたわけですね」
いったい、何のためにそんなことを。
愛する娘にオーガスト・テニスンのような男と結婚させたくなかったのか、あるいは、セシーよりウォートン嬢のほうが次期公爵夫人に相応しいとでも思ったのか。
だが、伯爵夫妻の娘たちについての認識は、本当に今もメラニーが知る頃と変わらないのだろうか。
「もしや、ご自分の手に負えなくなったウォートン嬢を私に押しつけるためですか?」
伯爵夫妻の肩がビクッと震えたのが応えだった。
「ご両親なら、ウォートン嬢がセシリアに何をしていたかなどもちろんお気づきでしたよね。セシリアがいなくなれば今度はそれが自分たちに向けられるかもしれない。ましてや、セシリアが次期公爵夫人としてウォートン嬢より上に立つことになれば、さらに酷いことになるに違いない。だから、セシリアではなくウォートン嬢を屋敷から出したかった。違いますか?」
親でありながら、セシーをウォートン嬢に対する防波堤にしていたばかりか、彼女がウォートン嬢から逃れる機会を奪ったのだ。
ああ、確かに、メラニーの考えこそ正しかったのかもしれない。ウォートン嬢には一切同情できないが。
「それではまるで父と母が私を厄介者だと思っていたかのようではありませんか。いくら次期公爵でも、失礼ですわ。そもそも、本当に縁談が妹へのものだったとして、その子のことをどこで知りましたの? マリーヌの花道で私を見初めたのに、名前を取り違えただけでしょう」
ウォートン嬢は表情を取り繕えきれなくなったらしい。おかげで、私は少し冷静さを取り戻した。
「私がセシリアに出会ったのは、森です」
「森? 妹が森になどいるはずがないですわ」
ウォートン嬢には記憶力がないのだろうか。
「もう一年半前になります。森でひとり花を摘んでいた彼女を偶然見つけて、王都まで送りました。王太子殿下のお供をしていた時のことなので、必要なら殿下に証言をお願いできます」
ウォートン嬢の顔が強張った。
だが、私もここでセシーが森にいた本当の理由まで暴露するつもりはなかった。
姉に殺されかけていたことは、セシーには告げていない。お祖母様にも。
真実を知るのは当事者のウォートン嬢とビル、彼から話を聞いた私とデリック、そしてレイだけだ。
伯爵夫妻はセシーが森に置き去りにされたことすら知らぬ様子だった。
しかし、ウォートン嬢を見つめる表情からして、セシーが森にいたのはウォートン嬢が何かしたからだとは察したようだ。
「その後、セシリアを忘れられなかった私は求婚を決意し、彼女がいるだろうとマリーヌの花道に行きましたが、そこにいたのはセシリアによく似たウォートン嬢だけだったのです」
「ええ、そうですわ。妹は到底マリーヌ校に通えるような子ではないのですもの。そんな妹が次期公爵夫人になれるはずがありません」
態勢を立て直せるとでも思ったのか、ウォートン嬢の顔に微笑が浮かんだ。
それを消し去るための言葉を紡いだのは、私の口ではなかった。
「あなたはヒューバートが言ったことをもう忘れてしまったのかしら?」
私とウォートン伯爵との話し合いの場であるはずが、私とウォートン嬢との言い合いになってもずっと口を閉ざしていたお祖母様の声が静かに応接間に響いた。




