アリアは後悔と羨望を胸に秘める
私、アリア・バン・ウェステリアは、屋敷の私室で現在受けたくもない奉仕を受けている。
「お嬢様、いかがいたしましたか?」
「いえ、気になさらずに。それにもう疲れたでしょう。今日はもういいわ、お勤めご苦労様。」
「かしこまりました。それでは失礼致します。」
そう言って、この屋敷に仕えるメイドはマッサージで足に触れていた手を離し一礼してから部屋を出る。
一連の動きの中で、その目には感情らしきものが最後まで浮かばなかった。ただあるがままに主の命令を聞く人形に対し、抱いた感情は同情ではなく共感。
だって、私は彼女たちと同様この地では、いえ、母の手の内にある間は感情の壊れた人形なのだから。
鏡に映る姿が酷く霞んで見えるのは、きっと夜風が瞳をひどく乾かしたからだろうか。
ただの生理現象。乾いたものを潤そうとするだけ。
そう無理やり結論付けて、瞳に薄っすらと溜まった涙を拭えば、鏡に映っているのは美しく、官能的とすら呼べるネグリジェを着た、ただの人形だった。
開け放たれた窓を閉め、ただ一人の世界を作り出した私は、そっと瞼を閉じた。
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「・・・・・・ん、誰か、騒いで、る?・・・違うわね・・・。」
夜遅く、地面を伝わって響く物音に目が覚めて、自身がまた知らず知らずのうちに床に移動していたことに気づく。しかしその行動になんの疑問も抱かず、ネグリジェの上からロングカーディガンを羽織って扉の外に出る。手には愛用の剣が握られ、まだ非常事態にも迅速に行動することができるということがわかり、心の内に少しばかり余裕ができた。
「物音は、東棟からね。」
周囲に危険がないことがわかると、即座に地面に耳を当て、問題の音がどこから響いてくるか調べる。
この屋敷は帝都の中で1、2を争う豪邸。東西南北にそれぞれ棟があり、それらが中央棟を囲むように配置されている。それぞれの建物から中央棟までは庭の存在によってなかなかの距離が開いており、正直言って不便極まりなく、私の苛立ちを更に増幅させる。
東棟は、昼間であれば居心地が良いのだが、夜になると今度は最低最悪の気分にさせられるので近寄りたくはないのだが、今日はその原因である物音が次々と止んでいく。
なるべく心を閉ざそうとしていた私は、普段とは違うその現象によって覚醒してしまったようだ。
廊下を疾走し、されど物音一つ立てず、私は瞬く間に屋敷から出ると、そのまま東棟に向かう。
太陽のもとで美しく咲いている花たちも、月の光を浴びてその美しさを半減させている。
いや、昼間の花でさえ、もう私にとっては美しいとすら思わないのだが。
東棟につくとやはりいつもは聞こえるはずの押し殺すような鳴き声と、夜の虫のささやきよりも小さい泣き声が聞こえない。
そして私がもっとも忌み嫌う卑しい声が、焦りと緊張に塗れつつも余裕を装って話し始めたのが聞こえる。
その部屋の場所は、嫌でもわかる。
私の父の、夜の部屋だ。
「・・・っく、なぜ私の足は動くんだっ。」
口を突いて出た言葉は、その力強さに比べて、とてもとても小さいものだった。
自身の体が健康で強く無ければ、どれほど良かったことかと思わずにはいられない。
病弱で、屋敷の外を知ることも無く、ただあるがままに無知な人生であればと、後悔に似た羨望を抱いた。
そんな絵空事に思考を割いていても、自然と足は進み、未だ説得をするように言葉を連ねる声が聞こえる問題の部屋に到着する。
ここから去って事が終わるまで知らない振りをしていれば、明日の朝には消えてほしい人物が望み通り消え去っているはずなのに、それでも私は強く扉を開け放ち、平静を装った声で賊を問いただそうとした。
そう、問いただそうとしたのだ。
だがしかし私が自ら口を閉じることを選ばせたのは、闇を切る闇より深い、『夜』だった。
『ガキン!』
「!!!?」
明確な声にはなっていないが、はっきりと伝わる動揺は、渾身の一振りを防がれたことに対するものか、それとも突如として現れた私に対するものなのかはわからない。ともかく両者の得物は弾き合いになり、重量を感じさせない相手の剣の方が大きく弾かれる。
その隙を見逃す訳もなく私は弾かれた剣を即座に引き戻して、反撃の一撃を決めようと一歩踏み出した。
そして、三つのことが同時に起こる。
一つ目は、起こったというよりは、起こらなかったこと、とも言える。
踏み出した足が地面に着地する際になるはずの音が、一切聞こえなかったのだ。
そして二つ目。それは、明らかに私よりも剣を弾かれ、態勢すら若干崩れている、漆黒に身を包んだ者が瞬く間に二撃目の斬撃を、宙返りをしながら放ってきたこと。
そして三つ目。私が振るわんとした腕が、明らかに何かによって押さえつけられ、動かすことが出来なくなったのだ。
緊急のことに錆びついていた思考が急激に加速し、現状をどうにかしようともがく。
が、しかし。踏み出した足は引き戻すことはできず、前傾姿勢であっては状態を反らすこともできない。そもそも相手の斬撃は私の思考を追い越すほどはや―――否。
『バン!!』
急激に渦まいた、濃密な魔力。
私本来の力にして、植え付けられた汚らわしい紫紺の魔力。
「どこの誰かはわからないが、すまない、この力を出させた自身の実力を呪ってくれ。」
腕を抑えつけていた影も消え、踏み込んだ足に体重を移し、半身の状態になって剣を突き付ける。
咄嗟に出した魔力で形成されたベールは、宙に舞っていた敵を簡単に吹き飛ばした。家具などの調度品ももれなく吹き飛んで、一部の物は壊れたりしたが、それに気を向けるほど、私は愚かじゃない。
吹き飛んだ勢いを利用して天井に着地し、そのまま立ってしまう者相手にどうして油断できようか。
「ふん、今のお前に、負けるとは、微塵も思えないのは、何故だろうな。」
人が出す音なのか怪しい声で、一言一言を噛みしめるように放った男と思われるこの人物は、宣言通り私の纏った魔力色に対してなんの焦りも見せない。
それどころか、話を続けようとする。
「お前は、そこに泡を吹いて倒れている者の所業を、許しているのか?」
「―――――――ッッ!?」
突如として投げかけられた問いには、怒りなどと比較するのも烏滸がましい。まるで竜が向ける憤怒の咆哮のように、その声には圧があった。
そして、その圧を受けた私は、圧などかけなくとも、その言葉の内容だけで酷く動揺していた。
「黙認、せざるを得ないのよ。私は、逆らえないのだから。」
「枷、か。今はその回答のみで許す。次に会った時は、せめて本来の実力を示したうえで挑んで来い。そうでなければ、お前が本当に求めているものもわからないだろうからな。」
そう言って男は天井に吊るされるように逆さまのまま駆けだした。
咄嗟のことに、まったくもって反応できないのは、やはり投げかけられた言葉が私にとって何よりも重たかったからだろう。
辛うじて攻撃を防ぐために動かすことが出来た剣が、男の振るう剣によって音もなく断ち切られ、私の髪を数本切って眼前を素通りする。
手加減、それも最初の一撃よりも速く鋭いその太刀筋で実行された究極の手加減。
やはり音もなくそばに降り立ったその男は、呆然とする私の耳に別れの言葉を告げた。
「考えろ。思考を止めれば、お前が辿るのは懺悔にまみれた修羅の道になるぞ。」
そう言い残し、またすぐに駆けだした男は、剣を一閃して父である男の下半身の一部を剣で撫でるかのように切り、即座に部屋を後にした。
「あ゛あ゛あ゛ああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
気絶から痛みによって覚醒した男は、突如として訪れた想像を絶する痛みによってもがき苦しみ、部屋中にその血をまき散らして転げ回った。
私は、部屋に響く叫び声も聞こえず、散らかった家具など視界に入らず、ただただ、呆然と壁にかかる割れた鏡に映り込んだ姿を、見ていた。
何故だろうか。
映っていたのは美しいネグリジェを着て、髪がすこし乱れている、官能的とすら呼べる荒れた息遣いをした、一人の人間だった。
この時私は、ただの人形であったならどんなに楽かと、思わずには、いられなかった。
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「ふう、なんとか脱出成功。いや、焦った。アリアさん飛んでもない力隠してたなぁ。つい本気になれとか言っちゃったけど、あれ本当に本気出されたらさすがに負けそうなんだが。」
『いや、それ以上にさ。演技とはいえ、あの言動は少し恥ずかしいと思うよ。』
「あのな、あれはその場のノリなの。仕方ないの。それにあれより恥ずかしい言動をする人達を、俺が知っている。」
「あ、あのー、どちら様と話されて、その、いるのですか?」
「あー、気にしないでください。うるさい蠅が一匹飛んでいたんです。」
「え、そ、そんなことないと思いますけど、あ、その、すみません。」
張り詰めた空気感から逃れてきた反動のせいか、突如として脱力する話をしながら、俺と、俺の脇に抱えられた小人族の女性は、裏道を疾走していた。
この問題が片付いたら、次はアリアさん、あなたの番ですからね。




