第5話 騎士団、足元より崩壊す
その朝、視立て屋には二つの届け物があった。
一つは医務院からの弾劾状(通算二通目。相変わらず、弾劾のふりをした検め返しである。今回は「投影水晶の像は歪みを含む。倍率を検めよ」だった。するよ、爺さん)。
もう一つが、王国騎士団総本部からの使者だった。雨の朝だった。
『極秘。新生王国騎士団に、正体不明の呪印が蔓延せり。既に罹患者、団員三百のうち百八十四名。至急、参上されたし』
「百八十四名!?」ミレイユが声を裏返した。「り、竜の襲撃でもそんな被害は出ませんわ!」
「書状を運んできたのは、私です」リタの顔も強張っていた。「ギルド経由、封蝋三重の極秘依頼。……騎士団は魔王亡き後の国防の要です。『王国の剣が呪いで崩壊中』なんて漏れたら、王都中が浮き足立ちます。だから正規の医務院にも教会にも出せない依頼が、Sランク視立て屋に来たんです」
王国の剣が、内側から崩れようとしている。しかも、誰にも知られずに直せ、ときた。
俺たちは雨の中、騎士団総本部へ走った。
◇
練兵場は、地獄絵図だった。
甲冑を脱ぎ捨てた屈強な騎士たちが、そこら中で足の裏を掻きむしっている。歴戦の百人長が半泣きで軟膏を塗っている。士気も何もあったものじゃなかった。
そして本部棟の前には、金糸の刺繍も眩しい紫のローブ集団が陣取っていた。胸に「聖杯と手」の紋章――治癒師組合だ。
「これはこれは。噂の視立て屋どのじゃないか」
集団の先頭で、恰幅のいい男が嘲るように腕を組んだ。指という指に治癒石の指輪。治癒師組合長・ボルドス。王都の「治し」の値段を一手に握る男だ。
「騎士団の治しは、当組合が王家から独占契約を賜っている。素人の出る幕はないぞ」
「へえ。じゃあなんで俺が呼ばれたんだ?」
「……ふん。呪いだからだ」ボルドスは忌々しげに吐き捨てた。「我らの回復魔法は完璧に効いておる。現にかければ即座に治る。だが五日、七日、十日と経てば戻る者がおる。しかも七日ごとに新たな小隊へ患者の波が出る。完璧に治るのに再発し、暦どおりに広がる――これすなわち呪い! 呪いは教会と、まあ、お前のような際物の領分。我ら治癒師の責任ではない!」
「かければ治る。でも何日かで戻る。新しい患者は七日ごとに増える」
「そうだ」
「それを百八十四人分、毎週」
「そうだ」
「……ずいぶん儲かるな、その独占契約」
ボルドスの顔が、治癒石より赤くなった。
「き、貴様! 我らが故意に治しておらんとでも――」
「そこまでは言ってない。ただな、組合長。あんたらの『治し』は本当に効いてる。そこは疑ってない。――問題は、治ってるのに、なぜ戻るかだ。それを考えるのが」
俺は白銀の筒を掲げた。
「視立てだ」
◇
罹患騎士の「呪印」は、見事なまでに揃っていた。
足の裏と指の股。すねや腕にも、くっきりとした環状の紋。まるで魔法陣のような正円に、騎士たちは「魔王残党の呪印だ」と震え上がっている。
レンズで視る。呪いの根は――ない。百八十四人、一人も、ない。
代わりに視えたのは、奇妙な光景だった。
「……環の『外側の縁』だけが赤くて、粉を吹いてる。環の内側は、ほとんど治りかけの肌だ」
「それの何がおかしいのじゃ?」
「呪いでも毒でも、普通は『中心』が一番ひどいだろ。これは逆だ。中心はもう終わっていて、縁だけが今も進んでる。つまりこの環は――外へ外へ、広がった『あと』の形なんだ」
外へ外へ、円く広がっていくもの。
足だけではなかった。
従卒の少年が一人、袖を手首まで引いて壁際に立っていた。名はトーマ。十三歳。右手の甲に、小さな環が三つある。
「騎士じゃないのに、なぜお前が罹ってる」
少年は団長の顔を窺い、言い淀んだ。
「言っていい。ここの誰より、いまはお前の手の方が役に立つ」
「……毎晩、百人長の足へ薬を塗ってました。治癒師様の軟膏は高いから、薄く延ばせって。素手で」
「塗った後、手は」
「水桶で洗いました。でも、同じ布で拭きます。従卒みんな」
共用の靴。共用の布。人の手。
魔法陣に見えた瞬間、全員の目が「呪い」へ飛んだ。足元の、ただの「触れた」を、誰も拾わなかった。
ミレイユがトーマへ薬を塗ろうとすると、少年は手を引いた。
「俺は後でいいです。騎士様から」
「あなたの手が治らなければ、また騎士様へ戻します。順番の問題ではありません」
ミレイユは有無を言わせず少年を座らせた。王女のくせに、そういうところは速い。
考えながら、昼は騎士団の食堂に紛れ込んだ。兵隊のことは、兵隊の飯場で聞くに限る。
騎士団の食堂は、身分の縮図だった。上座に正騎士、中程に騎士候補、末席と給仕に従卒――騎士の身の回り一切を務める、十二から十五の少年たちだ。革鎧の紐を結い、槍を磨き、そして騎士サマの湿り足の軟膏を塗るのも(百人長が半泣きで頼んでいた)、従卒の仕事らしい。
俺は大鍋の豆煮込みと引き換えに、従卒たちから騎士団の暮らしを根こそぎ聞き出した。起床の鐘、朝駆け、装備検分、週替わりの小隊持ち回り。
「持ち回り?」
「はい! 栄誉の持ち回りです」一番小さい従卒が、誇らしげに胸を張った。「毎週、勲功のあった小隊が選ばれて、英雄靴を賜るんです。俺たち従卒が前の小隊から回収して、磨いて、油を塗って、次の小隊へ。……あの、視立て屋さま? どうかなさいました?」
「……その靴、磨く前に洗うか? 水と灰汁で」
「め、滅相もない! 英雄の武運が落ちてしまいます! 汗は絞って、油を重ねて――」
汗を絞って、油を重ねて、週替わりで、三百人の足へ。
何かが、喉元まで出かかっていた。湿ったもの、円いもの、外へ広がるもの――
その日の帰り道、答えは下町のパン屋の店先に転がっていた。
「よおレイジ先生! 見てくれよ、パン種がいい塩梅だ。端からぷくぷく育って、もう倍の丸さよ」
木鉢の中で、円く、外へ外へと膨らんでいくパン種。
「……オヤジ。それ、真ん中はどうなってる」
「ん? 真ん中はもう育ち終わりよ。育つのは端っこ、縁の若いところだけさ」
縁だけが育つ。円く広がる。
「――カビだ」
「へ? 俺のパン種がか!?」
「違う、騎士団がだ! 世話になった!」
俺は駆け出した。パン屋のオヤジの「ええ……?」という声が背中で聞こえた。
◇
だが、正体の見当がついても、まだ謎が残る。
なぜ、新しい患者の波はきっかり七日ごとに来る?
視立て屋の黒板(ドゥンカンが古い酒樽の蓋を黒く塗った)に、俺は騎士百八十四人分の調べ書きを書き並べた。最初に出た日、治療日、戻った日、所属小隊、寝舎の割り当て、装備――
「……レイジ様、これ」
ミレイユが指したのは、装備の欄だった。
『伝統の行軍靴(共用)・小隊持ち回り』
「新たに症状が出た騎士の所属と、その一つ前の週に『英雄靴』を賜った小隊の順番が重なっています。早い方は五日、遅い方は十日。ですが小隊単位で見ると、引き渡しの順番どおりです」
「……! 従卒どもの言ってた『栄誉の持ち回り』か。三十足一組を、汗を絞って、油を重ねて、洗わずに次の小隊へ。週に一度、勲功のあった小隊へ――」
「週に、一度」
七日周期なのは病そのものじゃない。感染源を次へ手渡す、騎士団の儀式だった。
回復魔法は肌の上のカビを消す。だが靴の中に残った「種」までは消せない。英雄靴は次の小隊へ渡り、そこで新しい環を作る。治した騎士も、共用の足拭きや従卒の手から種を貰い直す。
「治して、履いて、生やして、また治して……永久機関じゃねえか」
治癒師組合が儲かるはずだった。
◇
御前会議――とまではいかないが、騎士団長、ボルドス、そして王家の査察役が居並ぶ大会議室で、俺は視立ての結果を言い渡すことになった。
その査察役の顔を見て、俺は硬直した。
白銀の鎧。腰には聖剣アルヴァトーレ。
「……久しぶりね、レイジ」
「……フィアナ」
三年間、背中を預けた聖女。今や国家の剣たる「勇者」さま直々の査察だった。それだけこの件が国防問題だということだ。
「あなたが視立てなるものを始めたと聞いた時は、正直、耳を疑った。剣を置いたあなたが、何を……いえ。今は職務よ。――視立て屋レイジ。騎士団を蝕む呪いの正体を、述べなさい」
勇者の号令。会議室の空気が張り詰める。
騎士団長の喉が鳴った。ボルドスが卓に両手をついた。
俺は一呼吸置いて、言った。
「湿り足です」
「「「…………」」」
「下町で言う、あの湿り足です。正確には、肌を喰う極小のカビ。呪印に見える環は、カビが外へ外へ喰い広がった跡。最初の感染源は、この三十足一組の『伝統の共用ブーツ』。そこから足拭き、塗り手の従卒、共用の布へ広がった。対策は靴の廃棄、布の煮沸、全員同時の治療、洗浄と乾燥。以上」
沈黙は長かった。
騎士団長が絞り出した。「で、伝統の英雄靴が……国防の危機の、元凶……?」
「武運より先に湿り足が宿ってました」
◇
会議は荒れた。主に、面目を潰されたボルドスが荒らした。
「み、認めんぞ! 我ら治癒師の完璧な治しが、く、靴のカビ如きに敗れたなどと! 原因など治癒師の知ったことか! 治ればよいのだ、治れば!」
「治ってないから俺が呼ばれたんだろ」
「ぐ……! だ、だいたい原因究明などという発想が不敬なのだ! 病とは天罰、呪いとは宿命! それを人如きが暴こうなど――」
「――ボルドス組合長」
静かに割って入ったのは、フィアナだった。
「私の回復魔法は、大陸最高と言われている。その私が保証する。……私たちの『治し』は、目の前の傷を消すことしかできない。三年の旅で、私は毎晩、仲間に浄化をかけ続けた。完璧に、一晩も欠かさずに。――それでも、守れなかった命があった」
フィアナの目が、一瞬だけ俺を見た。
リュカ。
「治しは万能ではない。ならば原因を視る者は、私たち治癒師の敵ではなく――片割れよ。以上、査察役としての所見。対策は視立て屋の言に従う。異論は?」
勇者に異論を唱えられる者は、その部屋にいなかった。
ボルドスだけが、退室間際、俺に囁いていった。
「……調子に乗るなよ、視立て屋。貴様のやり方は、千年の秩序への挑戦だ。教会も、同じことを思っておるぞ」
捨て台詞のくせに、妙に情報量が多かった。教会も、ね。
◇
後始末は祭りになった。練兵場に築かれた「伝統の英雄靴」の火葬塚(騎士団長がどうしても弔いたいと言った)。三百人分の新品の軍靴。ミレイユ調合の塗り薬の大量生産ラインと化した視立て屋。
伝統を燃やすだけなら、一日で済んだ。
新しい暮らし方を騎士団へ覚えさせる方が難しかった。
足拭きは一人一枚。訓練後の靴は油を塗る前に乾かす。従卒が薬を塗る時は薄い手袋を使い、前後に手を洗う。症状を隠して行軍へ出た者は罰する――という案は、俺が消させた。
「罰があると、また隠す。報告した小隊の訓練を軽くしろ」
「病を申告した者が休めば、仮病が増える」と副団長。
「増えたら視る。隠されて百八十四人になるより安い」
トーマたち従卒には、自分の名を書いた布袋が配られた。初めて「騎士の付属品」ではなく、一人分として支給された道具だった。
二週間後、三百人を再診した。
治りかけの環は残っていても、外へ進む赤い縁はない。新しい患者も、ゼロ。
騎士団長はその数字を見て、英雄靴の灰を入れた箱を倉庫の奥へしまった。
「伝統は捨てぬ。失敗した伝統として残す」
それなら、燃やした甲斐もある。
夕暮れだった。帰り支度をしていると、火葬塚の熱がまだ練兵場の石を温めていた。
足音がした。鎧の音はしない。聖剣だけが、かちりと石に当たった。
「……リュカの件、まだ聞いてない。あなたが功績を全部私に押しつけて消えた、本当の理由」
「……いつか話すよ」
「その『いつか』、三年の旅でも何度も聞いたわ」
火葬塚で、英雄靴の油が爆ぜた。
フィアナは聖剣を地面へ立て、俺の方を見ないまま続けた。
「あなたが王都から消えた朝、私の部屋に魔王討伐の功績譲渡書が届いた。五人で歩いて、一人を失って、四人で斬ったのに、紙の上では私一人が勇者になった」
「聖剣は、お前が持つべきだった」
「剣の話をしてない」
分かっていた。
俺はリュカの盾の留め金を握った。首から下げ、服の下へ隠している、小さな金属片。
「あいつの首筋に、影があった」
フィアナの横顔が止まった。
「倒れる七日前。虫刺されみたいな影だ。俺は見張りを交代する時に見た。何も言わなかった」
「私も見たわ」
足が止まった。火が爆ぜる音だけが、やけに近かった。
「……嘘だろ」
「浄化をかける時に。魔力反応がなかったから――傷だと思いたかった」
三年だ。三年、俺だけが見逃したと思っていた。
――フィアナも、か。
「だから剣を置いたの?」
「剣じゃ、あの影を早く見つけられない」
「だから私からも逃げたの?」
答えられなかった。
フィアナはようやくこちらを向いた。怒っていた。泣いてはいなかった。
「あなたが全部背負えば、私の後悔は消えると思った?」
「お前のせいじゃない」
「それを決めるのは、あなたじゃない」
その言葉は、火の音より小さかった。
言い足りないのか、言いすぎたのか、自分でも分からなかった。フィアナも口を閉じた。
代わりに、火葬塚の向こうで薬を塗られている従卒たちを見た。
「視立ては、あの子たちへ何が起きたかを残すのね」
「次の小隊で同じことを繰り返さないためにな」
「なら、リュカのことも、いつか記録にしなさい。罰にするだけじゃなく」
返事はできなかった。――今度は、逃げるなよ、俺。
「それと、一つ、気になることを置いていく。査察でここ半月、王都の教会施設を回ったの。大聖堂の聖火――浄化の儀の火が、おかしい」
「おかしい?」
「聖火は本来、白金色。それが今、芯のところだけ、黒ずんで見える。司祭たちは『薪の質だ』と笑うけれど……私は三年間、呪いの土地であの色を見てきた。あれは――何かが『混ざってる』色よ」
聖火に、呪いの色。
王妃の封印。塗り潰された帳簿。廃坑の奥へ夜に運ばれた「何か」。そして教会。
「……フィアナ。近いうちに、聖剣の力を借りることになるかもしれない」
「ええ。――その時は、パーティー再結成ね」
勇者さまは、三年前と同じ顔で笑った。
(第5話・了)
次回予告:第6話「肌星は嘘をつかない」――宰相の首筋の黒い染み。ガイストは「老人の勲章」と言い、レンズは「死の網目」を映した。呪いでも、毒でも、虫でもない「体の内から来る敵」に、視立ては初めて刃を執る。
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### 今回の疾患メモ
**白癬(足白癬・体部白癬)**:白癬菌というカビ(皮膚糸状菌)による感染症。いわゆる水虫・たむし。体部白癬では「環状で、縁だけが赤く盛り上がり、中心は治ったように見える」皮疹が特徴で、これは菌が外側へ向かって広がっていくため。共用の履物やマットを介してうつりやすく、塗り薬で治しても感染源が残っていると再発を繰り返す。
※本作はフィクションです。実際の症状は皮膚科専門医にご相談ください。




