一生弱いままでいい
「え……?」
そんな短い吐息が漏れたのは、誰からだったか。
自分だったかもしれないし、みんなのうちの誰かだったのかもしれないし、もしくは全員が同時に発したのかもしれない。
それすら分からなくなるくらい、突如として現れた女の突飛な発言が、僕の思考を奪っていったのである。
――私は、リリア・ニュクテリス。
――あなたたち人間を、滅ぼしに来たわ。
心の中で反芻してみても、全く意味が分からない。
ただひとつ分かるのは、リリアと名乗った女は決して僕たちに好意的な感情を抱いていないこと。
いや、それどころかむしろ――。
「申し訳ないけど、消えてもらうわ」
――僕たちの、敵だ。
無数にも等しいコウモリが、一斉に僕たちに向かって迫ってくる。
視界が狭まり、手で周りのコウモリを払おうとするも全く効果はない。
そう。僕たちは、周囲のコウモリに気を取られ、リリアから注意を逸らしてしまっていたのだ。
今このときに、攻撃の準備を整えていることなど知らず。
「リオンちゃんッ!」
ふと、フーリーの慌てた声が聞こえた。
ほぼ同時に、僕の目と鼻の先まで長い槍が迫り――瞬間、突然現れたバリアのようなものが槍を防いだ。
ただのバリアではない。眩く光り、肉眼で目視できるほどの濃い稲妻が走っている。
槍とバリアが衝突したことで。
しばらくせめぎ合い、やがてどちらからともなく霧散した。
「だ、大丈夫だった?」
フーリーは心配そうに訊ねてくるが、今のバリアはフーリーがやったのだろうか。
指輪を介して魔法を放つことができるらしいから、先ほどのバリアもそうだったのかもしれない。
ただ、それ以上に少し驚いたのは。
僕たちの誰も瞬時に反応できなくなるくらい、周囲にはコウモリの大群が蔓延っていて視界が狭まっている、この状況で。
よく咄嗟に気づき、僕を守ってくれたものだ。
などと考えながら、思わずフーリーのオッドアイに目を向けていると。
僕が何を考えているのか察したのか、説明を始めてくれる。
「あたしの、この片目だけはね――人一倍、目がいいんだ」
片目だけ目がいい。
フーリーはそう言ったが、視力の差に、そこまでの大きな差が生じるものだろうか。
単純な視力の差だけとは思えないし、もしかしたら目の色が違う理由も、何か関係があるのかも。
気になるが、今はそんなことを考えている場合ではない。
余計な思考を掻き消し、周囲に注意を凝らす。
すると――周りのコウモリたちが突然方々へばらけ、辺りを視認できるようになった。
だが。
リリアの姿は、どこにもなかった。
「ど、どこ行ったの……?」
「ご主人ー……もしかしたら、町の中に行ったのかもしれないぞー」
「え……?」
まるでシールの言葉に肯定するかのように、大量のコウモリたちは一斉に町の中へ飛んでいく。
僅か数秒程度で、僕たちの周りには一匹も残らなかった。
先ほど、リリアは確かに言っていた。
自分は、人間を滅ぼしに来た、と。
意味も動機も全く分からないが、もしその言葉が本当で、実際に行動に移してしまうのだとしたら。
これは、まずいことになった。
当然だが、町の中にはたくさんの人々が暮らしている。
その中には、戦うことのできない女子供や、体の不自由な人だっているだろう。
そういった、ただ楽しく平和に暮らしていただけの人たちが。
今こうしている間も、危険に晒されている可能性があるというのか。
「はぁ……帰るわよ、ククル」
不意に発せられた、気怠げな声に振り向くと。
カウさんが踵を返し、この地を後にしようとしていた。
今まさに、こんな危機に見舞われているというのに。
「で、でも、お姉ちゃん……」
「別に、龍族の里が襲われたわけでもないし、人間たちの問題は人間が何とかするでしょ。あたしたちには関係ないわ」
あまりにも冷たいその発言に、ククルは言葉を失っていた。
確かに、関係ないと言えばその通りかもしれない。
でも。たとえそれでも、この状況を黙って見過ごすなんて――。
「……だめだよ」
俯きながら。少しだけ、声を震わせながら。
ククルは、必死に声を絞り出した。
「確かに、私は弱いし何もできないような落ちこぼれだよ。でも、お姉ちゃんみたいに困っている人を放っておくことが強いってことなら、私は一生弱いままでいい……っ!」
「な……ククルッ!」
カウさんの呼び止めにも応じず、ククルは町の中へ走り去っていく。
初めてだったのだろうか。あそこまではっきりと姉に反抗し、自分の意思を示したのは。
今の衝撃を覚えたようなカウさんの表情が、それを物語っていた。
「あ、あたしたちも行こ!」
「う、うんっ!」
とりあえず、ククルを一人で行かせたままなのも気がかりだ。
僕たちは慌てて、後を追いかけた。
§
ククルに怒鳴られたのは、いつぶりだったか。
いや、もしかしたら今のが初めてだったかもしれない。
尤も、表情はいつもみたいに泣きそうで、声は涙を堪えているみたいに震えていたが。
あたしは、弱い者が嫌いだ。
それが、たとえ自分自身であっても。
だからせめて自分だけは弱くならないよう鍛えてきたし、自分の家族に弱い者がいることが何より辛かった。
あたしは、弱い者が嫌いだ。
弱いと、力を振るえないから。
弱いと、何も守れないから。
だけど、今のククルはどうだ。
本当にあたしが思っていた、憎んでいた弱い者だったか。
そして、今のあたしはどうだ。
本当に自分が思っていた、誇っていた強い者だったか。
「……ッ」
強く、奥歯を噛み締める。
強く、拳を握り締める。
強く強く、血が滲んでしまうほど強く。
ああ……何をやっているんだ、あたしは。
これじゃあ、どっちが本当に強いのか分からないじゃないか。
短い吐息を吐き出し、一歩を踏み出した。




