ククルちゃんの苦手なもの
「き、昨日は悪かったぞー……」
朝。起きるや否や、シールが僕の部屋にやって来て突然そう謝ってきた。
唐突ではあったが、『昨日』と言った時点で何のことかはすぐに察することができたため、そこまでの驚きはない。
まあ正確には今日の朝方でもあるのだが、そんな細かい指摘をするつもりもない。
「何ともなかったから別にいいけど、何で夜中にお酒なんて飲んでたの?」
「最初に飲んだとき苦くて嫌だったから、苦いのも平気になりたかったんだぞー」
「な、何で?」
「苦いのが苦手なわたしより、苦いのも平気なわたしのほうが、ご主人は好きだろー? わたしは、今よりもっとご主人に好かれたいんだぞー」
何だか、いつもより更に真っ直ぐ好意をぶつけられて、こっちが照れ臭くなってしまう。
もちろん嬉しいけど、お酒を飲んだ理由まで僕に関わっているとは……さすがに心配になってくる。
それに、苦いものを平気で口にできる子が好きだなんて一度も言ったことはない。
苦手なものを克服しようとする姿勢は立派で偉いと思うけど、理由が理由だけに、そこまで無理をするほどのことでもないだろう。
でも、シールは心の底からそう思い込んでいたらしく、浮かない顔を俯かせている。
僕は、そんなシールの頭を撫で、微笑みかけた。
「そんなの、気にしなくてもいいよ。僕は、いつものシールが一番好きだな」
途端。嬉しそうにぱあっと瞳を輝かせ、一瞬で笑顔が戻った。
実にいいことだとは思うけど、本当に単純で羨ましい。
「分かったぞ! 今度は、ご主人から夜這いされるように頑張るなー!」
「……そんな有り得ない未来に期待しないで」
そもそも、何をどう頑張るというのか。
本当に僕が言った意味を理解できているのか不安でしょうがない。
もう二度とあんなことがないように、僕が気をつけておこう。うむ。
「……あ、あの、ちょっといいですか?」
ふと。数センチ程度だけ扉が開いたかと思うと、その隙間から控えめにククルが顔を覗かせてくる。
今は僕とシールが話していたから、少し遠慮してしまっているのだろうか。
もう家族の一員になったんだし、気にする必要なんてないのに。
「どうしたの?」
「えっと……時間もあまりないですし、私の修行に付き合っていただけると、嬉しいかなって、その……」
そう言えば、ククルを鍛えるのに協力することになっていたんだった。
もう一日が過ぎてしまったことで、実質あと二日しかない。
このままだと、残り二日もあっという間に終わり、ククルは故郷へ帰らなくてはいけなくなってしまう。
ククル自身は、これからも僕たちと一緒にいたいと思ってくれている。
だから、そうなるのだけは避けないと。
「分かった。でも僕だけじゃ不安だから、シールと……あとはフーリーにも協力してもらおう」
「は、はい……分かりました……っ!」
僕が言うと、ククルは緊張した様子でありながらも、気合を示すように両手の握り拳で控えめにガッツポーズをとった。
体と心を強くする、か。
具体的にどうすればいいものか未だに分からないが、とりあえず頑張ってみるか。
§
僕たちは家の外に出て、修行を開始することにした。
元々人気が少ない場所に家を出現させたとはいえ、静かすぎるほどに周りに人は誰もおらず、今なら周りに気を遣う必要もなくてちょうどいいだろう。
「あたしが思うには、体を強くするにはまず心が強くないとだめだと思うんだよね。途中で心が折れたり、諦めちゃったりする可能性もあるもんね」
「な、なるほど……」
フーリーが教師然とした態度で説明すると、ククルは得心がいったように頷いた。
確かに一理あるとは思うけど、何だか既にノリノリである。
もはや僕の存在は必要ないのではなかろうか。
「で、でも、どうやって心を強くすれば……」
「まずは、苦手なものを克服しよっか! ククルちゃんの苦手なものって何?」
「えっと……怖い人と、暴力を振るう人……あとはパリピです」
「いや、そういうんじゃなくってー。ほら、高いところが怖いとか、虫が苦手とか、辛いものが食べれないとか、色々あるでしょー?」
「だったら……冷たいものと、寒いところ、だと思います」
どこか躊躇いがちに、ククルはそう答えた。
冷たいものと寒いところ、か。
それなら、アイスクリームとかも苦手なのだろうか。
この世界のことをまだよくは知らないし、寒いところがどこなのかは分からないが。
「にゃるほどー。だったら、あたしに考えがあるよっ! ちょっとついてきて」
突然フーリーは踵を返し、また家の中に戻っていく。
一体何をするつもりなのか。
怪訝な思いが強まるのを感じつつ、僕たちはフーリーの背中を追う。
やがてフーリーが足を止めたのは、とあるひとつの個室の前だった。
僕たちは一人ひとつずつ部屋を与えてはいるが、それでも部屋の数があまりにも多く、全ての部屋を使いきれてはいない。
この部屋は、その使っていない空き部屋のひとつである。
「それじゃあ、ククルちゃんだけ中に入って」
「えっ? あ、あの、ほんとに何をするんですか……? あんまり、その、怖いことはしないでいただけると……」
「ほらほら、ここまで来て情けないこと言ってないで早く入った入った」
「ひ、ひゃい……っ」
フーリーに背中を押されて部屋の中に入るククルは、もう既に泣きそうな顔になってしまっていた。
本当に大丈夫なのだろうか。
僕も何をするつもりなのか全く分からなくて少し怖くなってきたくらいだが、とりあえずフーリーを信じてみるしかない。
「んじゃ、いっくよー!」
そう高らかに宣言し、右腕を頭上に掲げる。
今まで長い袖で隠れていたから分からなかったけど、手の指に、綺麗な指輪が嵌められていた。
指輪は突如として薄く光りだし――ククルの部屋に、いきなり雪が降り始めた。
「ひゃあ……っ!? さ、寒……っ、何ですか、これぇ……!」
両腕で自分を抱きしめ、ガクガクと震えながら叫ぶククル。
僕たちが今いる廊下には何の影響もなく、ただククルのいる部屋だけが真冬状態だった。
そうこうしている間に少しずつ雪が積もっていき、見ているだけでかなり寒そうだ。
というか、近くにいるからか普通に寒くなってきた。
「あたしはね、この指輪で色んな魔法を放つことができるんだ。あたしの魔法で部屋を寒くしたから、せめて一時間くらいは耐えてみよっかー」
「ひぇ……そ、そんなぁ……っ」
震えたまま涙目になっているククルを完全に無視し、フーリーは扉を閉めてしまう。
何というか、これは可哀想になってくるな。
「あの、ちょっとやりすぎじゃ……」
「だめだよ、リオンちゃん。その優しさは、ククルちゃんが強くなるのには邪魔なんだよ。二日しかないんだから、どんどん容赦なくやっちゃわないと!」
荒療治すぎる。
今の僕には、フーリーが少し恐ろしく見えた。
フーリーさんや、ちょっと楽しんでないですか、あなた。
頑張れ、ククル。
僕は心の中で、強く強く念を送った。




