プールに行こう
家へ帰ってからも、部屋中には暗い雰囲気が充満していた。
ククルはリビングの椅子に俯いて座り、今にも泣き出してしまいそうな顔をしたまま一言も発さない。
そんな彼女に、僕たちはどんな言葉をかけてあげればいいのかすら分からず、ただ遠巻きに眺めるだけになってしまっていた。
あのお姉さんとククルに、どんな過去があるのかは知らない。
それでも、あの一連のやり取りだけで、決して仲がよくないことくらいは分かる。
落ちこぼれだと蔑まれてきた……と、初めて会ったとき言っていた。
それは、あの姉からもそうだったのかもしれない。
だとしたら、帰ることを躊躇ってしまうのも無理はないだろう。
「なー、ククルー」
ふと、いつの間にかククルの傍らにシールが立っており、いつもの屈託のない顔で声をかけていた。
さっきまで僕の隣で一緒に眺めていたはずなのに、移動していたことに全く気づかなかった。
「あの人、誰なんだー?」
「……え? あ、ああ、あの人はカウ・クラーヴァっていって、私の……実のお姉ちゃんなんです」
ククルは気づかないうちにシールが近くにいたことに驚きつつも、問いにはちゃんと答えた。
カウさんというのか。会話の内容から分かってはいたが、やはり実姉だったらしい。
「嫌いなのかー?」
「嫌いってわけじゃないんです。ただ……怖いんです。また、何もできない私に落胆して、がっかりして、悲しませてしまうのが。ただ……悔しいんです。お姉ちゃんみたいに、他のみんなみたいに、強くなれないことが」
そう言って、ククルの瞳から大粒の涙が零れた。
それは、何とも優しくて、残酷な悩みだろう。
自分自身のことより、他の人のことを考えて。その結果、強くなりたいと願っている。
でも、願いの大きさで叶うなら、誰も苦労はしない。
だからこそククルは苦しみ、想いの丈をシールに吐露していた。
「帰っても、きっとまたみんなに怒られて、蔑まれて、痛くなるだけ。それでも、ここでシールさんやリオンさん、フーリーさんたちと一緒にいても、今度はみんなに迷惑をかけるだけ。三日後に連れ戻しに来るって言われてしまったからには、もう私には抵抗する術なんてないんです」
「んー……ククルって、本当に弱いのかー? ご主人を追い詰めたくらい、かなり強かったと思うぞー」
「……あはは、そんなことないですよ。リオンさんが強かったとはいえ、それでも結局人間に負けてしまいましたし。龍族は、空を飛んだり炎を吐いたりは人間の姿でもできるのですが、私は何もできませんから」
「でも、ドラゴンの姿になれば強いだろー? ちゃんと戦えてたぞー」
「……強く、ないんです、本当に。あの程度、お姉ちゃんに比べたら……全然。それに、こんなに泣き虫で、ドラゴンにならないと臆病で何もできない私なんて……」
シールの励ましにも次々とネガティブに答え、さすがのシールも言葉を失っていた。
カウさんがどの程度の実力なのかは見たことがないため知らないが、それはきっとここまで弱気になる大きな要因ではないのだろう。
僕たちは人間だから、『ドラゴンになれば強い』『ドラゴンになれるなんてすごい』などと思ってしまうけど、龍族にとってはむしろ当たり前のことなのだ。僕たちが呼吸をするのと、同じみたいに。
だから龍族のククルは、そんな彼女たちの常識の範囲内に入れていないことを嘆いているに過ぎないのだと思う。
人間の僕には、詳しくは分からないけど。
種族間の悩みに容易に口を出すことができるのは、あくまで同じ種族の者だけだ。
でも、それでも。
本当に、僕たちに言えることは何もないのだろうか。
本当に、僕たちにできることは何もないのだろうか。
「……えーっと、さ。ククルちゃんにも、色々あるんだと思うけどさ」
と、さっきまで僕と一緒にククルを遠巻きに眺めるだけだったフーリーが、気まずい空気をわざと壊すよう明るく言いながら前に出た。
そして、ククルのすぐ眼前にまで近づき。
「とりあえず――みんなで、プールに行こう!」
「……はぇ?」
思わず、僕の口からそんな素っ頓狂な声が漏れた。
シールはきょとんと首を傾げ、ククルは薄らと口元が引きつっている。
いきなり何を言い出すんだ……と思っていたら、フーリーは更に明るく続ける。
「誰にだって、悩みの一つや二つや三つくらいあるもんだよ。でも、そうやって落ち込んだり、暗くなってばかりじゃ本当に気が滅入るし、いい案も浮かばなくなっちゃうよ。三日も猶予があるんでしょ? それじゃあ、気分転換しながら一緒に考えようよ!」
そう言って、ニッと笑ってみせた。
これは一本取られたかな。
確かに、その通りだ。いつまでも沈んでばかりいても、何も始まらない。
ククル自身がどうしたいのか、そしてそのために何ができるのか。
それは、こんな暗い状態ではなく、心機一転したあとで一緒に考えよう。
まさか、それをフーリーに教えられてしまうとは。
短く吐息を漏らし、前に出る。
ククルへと歩み寄りながら、僕も自分の思いを口にする。
「そうだね。僕たちだってククルの家族なんだし、もっと頼ってくれてもいいんだよ。一緒に悩んだり、一緒に考え込んだり、一緒に苦しんだりするし……その分、どんな気分転換にも付き合うから」
ククルは、僕たちの顔を順番に見上げる。
やがて瞳が潤み、涙で顔をくしゃくしゃに歪めた。
「ありがとう……ございます……っ」
決して、問題の解決はしていない。
それどころか、むしろここからが正念場だろう。
だけど、まずは。
三日間あるうちの一日くらいは、暗く沈むことなんて忘れて一緒に楽しんでしまおう。
悩むのは、そのあとでいい。




