✩あたしは、フーリー
時間にして、たったの数分程度だっただろう。
そんな短い間でありながら、まるで時間が止まったかのように息をすることすら忘れ歌声に聴き入っていた。
「みんな、ありがとー。ありがとねーっ」
やがて歌が終わると、笑顔で何度もお礼を叫びながら走り出した。
なぜか、こっちのほうへ。
僕たちの存在に気づくや否や、足を止めて声をかけてくる。
「あれ? もしかして、君たちもあたしの歌を聞いてくれてた?」
「あ、うん。歌、すごく上手いんだね」
「あはは、ありがとっ」
素直に思ったことを言うと、少女は照れ隠しのように微笑んだ。
歌を聞いているだけだと、美しくもどこか神秘的な印象を抱いたものだが、こうして実際に会話をしてみると、やっぱり年相応の可愛らしい少女だ。
「もしかして、プロだったり?」
「え? あはは、まさかー。ちょっと歌うのが好きなだけの、ただの美少女だよー」
自分で美少女って言うのか……と少し思いはしたものの、わりと間違ってはいないからスルーしておく。
それにしても、あれでプロではなく一般人なのか。
やっぱり、素人でも上手い人ってほんとにすごいんだなあ。
「いやー、あたしが可愛すぎて八割くらい男の人ばかり来るから、こんなに可愛い子たちに来てくれたの嬉しいなぁ」
「そ、そうなの?」
「もちろん男の人でも聴いてくれるだけで嬉しいんだけどね。でも、あたし女の子が大好きだからっ! 女の子ラヴだからっ!」
「……あ、そ、そう」
ぐいっと顔を近づけて「女の子ラヴ」などと言われても、どう反応すればいいのか分からない。
心なしか、目を輝かせて興奮しているような気さえする。
「でもねでもね、女の子なら誰でもいいってわけじゃないの。あたしが好きなのは、可愛いものと可愛い子だけ。だから、自分のことも大好き。ほら、可愛いでしょ?」
聞いてもないことをペラペラと語り出し、ウインクをしてぺろっと上に舌を出す。
もちろん可愛いのは確かなのだが、ちょっと調子に乗りすぎ……というか、端的に言って少しうざい。
と、思わず半眼になって口角が引きつるのを抑えられずにいると。
突然シールが前に出て、腕を僕の体の前に伸ばした。
「気をつけろ、ご主人ー。ご主人が可愛いからって、狙ってそうな目をしてるぞー」
「……ご主人?」
シールの発言に、少女は訝しそうに首を傾げる。
普通、友達のことをご主人などとは呼ばないから、変に思うのも無理はない。
しかし、こちらが説明するより早く、少女は何やら得心がいったように何度も頷いた。
「なるほど、なるほど。そういう関係だったんだねー。プレイのお楽しみ中に、ごめんね」
「不名誉極まりない勘違い!?」
叫ばずにはいられなかった。
そういう特殊な方のアレはよく分からないけど、僕は至ってノーマルなのである。
「ご主人となら、わたしはそれでもいいぞー」
「だめだから! せめて否定して!」
「ご主人ー……もうしないから、お仕置きは許してほしいぞー……」
「もう役になりきってる!?」
しかも、それどういうシチュエーションなんだ。
僕がシールにお仕置きをしているところを想像しようとして、なんかいけないことをしているような気がしてすぐに中断した。
そんな僕たちのやり取りを見て、少女はいきなり腹を抱えて笑い出す。
「あははははっ! 仲いいね、君たち。ねーねー、ご主人のこと好き?」
「んー? 大好きだぞー」
「おお、即答だね。じゃあさ――」
少女は少しだけ屈み、シールの耳に口を寄せて何かを囁く。
最初はキョトンとしていたシールだったが、少女の囁きに応じてコロコロと表情を変えていく。
少女は楽しそうにニヤニヤしているのに対し、シールはなぜか顔が真っ赤に染まっていた。
「え、ええ……な、なんだー、それ? な、舐め……咥え……? 挿れ……ええ……?」
「ちょいちょいちょい、何の話してんの!?」
途中でよからぬ単語が聞こえ、つい止めざるを得なかった。
今のワードはまずい。何かの勘違いであることを願い、話の内容を訊ねてみたら。
「何って、もちろん大好きなご主人と、そういうことをしてみたいかどうか、的な?」
「どういうこと!? できるわけないでしょ!」
「女の子同士でも、お互いのことを想い合ってお互いが気持ちよくなれれば問題なし!」
「名言みたいに言わないで!」
なんということだ。歌はかなりよかったのに、そのあとの会話のせいで色々と台無しじゃないか。
僕の中身が男だということを知らないから仕方ないとはいえ……いや、何も仕方なくはないな。
「ご主人ー、そういうことしたいのかー……? ご主人がしたいんだったら、頑張るぞー」
「頼むから真に受けないで! シールとはいつも通りでいいから!」
「そうかー? 分かったぞー。だったら、いつも通りご主人とずっと一緒にいるなー」
「……あの、できればそれも自重していただけると……まあ、いいけど」
ただ普通に会話をしているだけのはずなのに、何だかもう疲れてきた。
正直、早く店に行きたいところなのだが、まだ名前も知らない少女は未だにニヤニヤと僕たちを見ている。
「――おりゃっ」
そんな、奇妙な掛け声をあげたかと思うと。
突然、シールの背後に回り込み――和服の上から、胸を揉み始めた。
「な、にゃんだー!?」
「おお、もしかして着痩せするタイプ? あたしほどじゃないけど結構あるねー」
赤面して驚くシールに構わず、少女はもみもみと揉み続ける。
確かに、揉まれる度に、和服の上からでも僅かだが形を変えているのが分かる。
シールのこんな表情、初めて見たな……って、そんなことを思っている場合ではない。
「ちょっ、何してんの!?」
「あはは、ごめんごめん。ちょっとやりすぎちゃった?」
「……ちょっとどころじゃないよ」
僕が慌てて止めると、少女は全く反省する素振りすら見せず、笑って手を離す。
さすがの僕も、もう呆れるしかない。
シールは自身の胸部を腕で覆ったまま、僕の背中に隠れてしまった。
慰める意味を込めて頭を撫でてみたら、途端に表情が緩んだ。犬みたいでちょっと可愛い。
「ほんとにごめんね? ご飯を奢るから許して?」
「ご飯って……どこの……?」
「外食のほうがいい? あたし、こう見えて料理できるから、手料理を振る舞ってあげようと思って!」
失礼かもしれないけど、これは確かに意外だ。
僕もシールもククルも料理ができなくて困っていたところだから、正直その申し出はありがたい。
ただ、僕だけで決めるわけにもいかない。
二人のほうへ視線を移し、反論意見はないか確かめる。
「……二人はどう?」
「あ、私は大丈夫です! むしろ嬉しいですっ!」
「んー……分かったぞー。ご主人が喜ぶなら、わたしもそっちのほうがいいぞー」
シールはまだ少しの躊躇がありそうだったが、どうやら僕を尊重してくれたらしい。
僕のことを第一に考えてくれているみたいだけど、自分自身はどうなのだろうか。
でも特に反論はないようで、僕は少女の申し出を受け入れることにした。
「ほんと? よかったー。じゃあさっそく行こー! あたしの家がいい? それとも、君たちの家に行くのも面白そうだけど」
「……じゃあ、僕たちの家に来る?」
「うんうん、行く行く! 女の子の匂いが詰まった家に行くの楽しみだなあ」
……最後の一言で、連れて行きたくなくなってしまった。
単純にどんな料理を作ってくれるのか楽しみだし、お店を探す手間も省けたのだから大目に見るとしよう。
「あ、そうだ。あたしは、フーリー・キュオーンっていうの。よろしくね」
思い出したように名前を告げ、僕たちも順に名乗っていく。
そうして、僕たちは家への道を引き返した。
何だか、出会いってのは本当に突然で予測不可能だなと、身を以て実感しながら。




