92話 宴の後、後の祭り
頭痛い。
うつ伏せにだらりと広げた体は重く、目を開いていると視界がぐらぐらと歪むようだ。
脳みそに直接ガンガンと音が響くような頭痛、かと思えば胃の下辺りからグリグリッと何か逆流してするような息苦しさが込み上げてくる。
「…………」
「キキ、キッキーキキ?(旦那様、喉は乾いておりませんか?)」
「……ミュ」
頭を持ち上げることさえ辛くて、前足の爪先を微かに浮かせるだけで応えた。
あー、めっちゃ心配かけちゃってるな。アルったらそんな涙ぐんで前足握ってたら、まるで俺が死にかけてるみたいに見えるじゃん。
ただの二日酔いだから……うっぷ。
「……こふっ」
「キ、キィー!?キキキッ!(だ、旦那様ぁ!?お気を確かに!)」
あぅあぅあぅ、頭に響くわぁー……アルさん、頼むから揺らさないで。あと小声で頼む。
普段は可愛いとしか思えないアルの甲高い鳴き声が、まるで耳から刺さってくるみたいだ。うー、辛い。響くわー。
「あっはっはっ、姫ちゃん大丈夫だよぉ。そんな心配しなくっても、皆ただの二日酔いだからね」
「キキ……!キィ、キキキィキ(女将さん……!でも、こんな苦しんでらっしゃって)」
「だーいじょうぶ!二日酔いってのはね、あんまり構いすぎないでそっとしとくのが一番だから。病気と違って薬で治るもんじゃないし、治癒術も効かないからねぇ」
朝から心配のあまり俺にくっついて離れなかったアルだったけど、食堂の女将さんが宥めてくれてようやく落ち着いたようだ。渋々といったふうだが、女将さんに抱き上げられ連れていかれていく。
二日酔いには果物がどうの、ムドの実がどうのとか言ってたから、何か体にいい物を持ってきてくれるのかもしれない。
うぅ、彼女には申し訳ないけど、確かに静かにそっとしておいてくれると助かる。
ゆっくり上下する視界をぼんやり眺めた後目を閉じ、重い溜め息を吐きだす。
おぇ。やっぱまだ気持ち悪い。
俺は今、寝そべったクルルの胸の上に腹這いになっていた。
お腹に伝わってくる規則正しい呼吸、クルルはどうやらまだ熟睡しているようだ。安らかげな寝顔が不思議である、こいつも昨夜けっこう飲んでて二日酔いのはず、なんだけど。
「……ははっ。ちび猫、お前も二日酔いかー……」
「誰だ、こんなガキに酒飲ませた奴は。うっぷ」
周りから聞こえた声に重い瞼を上げて、クルルの胸の上から横へ視点をずらす。
そこにはむさい男供がずらーっと横並びに寝ていた。どいつもこいつも顔色が悪く、唇を青くして震えてる奴もいる。
二日酔いである。ここにいる奴等はぜーんぶ、酒の飲み過ぎで起きあがることもままならないのだ。
俺らがいるのは村の広場……の隅に設営された(?)休憩所。平たく言えば雑魚寝用に作られたスペースだ。
適当な板を並べた上に厚みのある絨毯を敷いただけの寝所だが、これが案外寝心地がいい。体調最悪だから快適とは言えないし、さらに俺クルルの上に載っかってるけども。
そこに死屍累々と横たわる俺らの周りでは、村のおばちゃん方がせかせかと歩き回って昨夜の酒盛り……いや、祭の片付けに勤しんでいた。
さすがと言おうか、おばちゃん方の動きは無駄がなく迅速で、とっても力強い。
彼女らも昨夜はけっこう飲んでたと思うんだけど、ぱっと見た限り調子悪そうな人はいないな。
ちなみに、お片付けしている面々の中に男は数名しかいない。
理由?男は大多数が昨夜深酒しすぎて、今俺と並んで呻き声を上げてるからだ。
未成年の子とかは元気に駆け回ってるのが見えるけど、ものの見事に成人してる男は全滅状態である。
「うぅ、楽しくってつい飲み過ぎた」
「武器屋の親父まで潰れてるもんね、ドワーフがダウンするなんて珍しい」
「う、うるせぇ!……あいたたた」
「ぐあー大声出すな、響くー……」
……なにも、この村の奴等がことさら飲んべえって訳じゃない。
そもそもこっちの世界で飲まれてる酒っていうのはどれもアルコール度数が低めみたいで、体の小さい俺でもさほど酔う感じはしなかった、初めの内は。
「あー、酷い目にあったが昨夜はホント楽しかったなぁ」
「そういやあの歌、初めて聞いたがよ。誰が教えてくれたんだ?」
「いいよなアレ。ちび猫の踊りも可愛かったぞー」
「……ミョ」
隣で寝そべってるおっさんにわしわしと頭を撫でられ、吐き気と共に自己嫌悪が戻ってきた。
……もー、なんであんなの歌っちまったのかなぁー?
耳をぺたんと倒して内心げっそりと後ろ向きな後悔に苛まれる俺。
昨夜、俺はクルルの妨害に合うも諦めず、隙をついて念願の酒を飲んだのだ。嘗めたって言ったほうが正しいかもだけど。
生ぬるくて妙に酸っぱい、ほんのりフルーティーなビール?って感じの酒、おっちゃんは「エール」って言ってた。
で、コップに顔つっこんで数口飲んだ俺は、たいして酔ってはいなかったけど、なにせひさしぶりのアルコールだったから嬉しくってさ。妨害を避けてやっと口に出来た達成感もあって、つい。
いい感じに酔っ払ってしまい、会社で飲み会する時の定番「カツミDEサンバ」を熱唱しちまったのである。
演歌歌手・村正カツミの大ヒットソング、老若男女問わず知らぬ者はないってほど知れ渡った名曲。
それまで常に着物を着てしっとりした演歌だけを歌っていたのに、ラメ入りのド派手なスーツを纏いラテンのリズムで激しく踊り歌う彼の姿はお茶の間に衝撃を与えたものだ。
そんな名曲を、フリ付きでそれはそれは全力で盛り上げてしまいました。
こっちの世界では馴染みのないリズムだったろうに、村の酔っ払い達はいたくこの歌を気に入って、アルが念話で通訳してくれたこともあり、あっという間に歌詞を覚えてしまった。俺の鼻歌みたいなのからキレイに演奏までも再現し、それまでヘタッピだったにわか楽団が一丸となっての演奏、オンステージ。
で、それから大勢で輪になって何十回もカツミDEサンバを大勢で演奏し歌い踊り、気づいた時にはみーんなすっかり出来上がってしまっていた。文字通り、ベロンベロンである。
で、一晩中かけて狂喜すら感じる酒宴を堪能した結果、今のこの惨状となる。
「やー、あんな楽しいのは久しぶりだったなー……ちっと飲み過ぎたけど」
「かっつーみーでさーんばー♪」
「オッレ♪……うぷ」
「あああ目が回るー」
真っ青な顔ながらとても幸せそうな表情のおっさんの内の一人が、サンバのリズムに合わせて無理して上体を起こした後、ヨロリと倒れた。
だ、大丈夫かなぁ?
この歌、こっちの世界で広めちゃってよかった?まずかったか?まずかった気がする……
なんか、昔のヨーロッパぽい長閑でまったりしてたこの世界に、異物混入しちまったかもしれん。サンバだよ?こんな明るくて楽し気な歌、こいつら誰も知らなかったみたい。昨夜はみんな雰囲気変わってたもんな。
だ、大丈夫、だよね?誰か大丈夫だって言って。
「んーちび猫、どうしたんだ?頭抱えて唸ってるぞ」
「可哀相に、その小せぇ体で酒飲むなんて無茶だよなぁ。よしよし、しばらく休んでりゃ治まるから頑張れ」
また別のおっさんに頭を撫でられた。
いや、違うんだ。確かに二日酔いだけど、俺が悩んでるのはそっちじゃない。
「ちょっと、新しい旅人が村に来て……なんだいあんたら、まだ寝てんの?」
おお、この声はハンナ様!
底辺まで沈みきっていた俺の気分が急浮上。今朝も変わらず麗しい、俺の心の女神ハンナ様が広場の入り口に姿を現した。
だが、いつもだったら微笑みが浮かんでるはずの凛凛し美しいその顔には、呆れたような困ったような表情が。
おや、キャシーもいる。
そういえば、こいつはたいして酒飲んでなかったっけ、くっそーいいなあ、俺も自制しときゃ良かった。なんて思うが後の祭り。人生だいたいそんな感じだよね、後悔先に立たず。
「はぁ、まったくいい大人が大勢で。たかが酒ごときに村長まで寝込んでてどうするのさ、仕方ない男供だよ」
「まーまー。下手に無理させて、村にせっかく来てくれた人達の前で吐いたりしたら目も当てられないでしょ?今日はあたし達でお迎え頑張りましょうよ」
「仕方ないね」
やれやれといった顔で溜め息を吐くと、ハンナ様はキャシーに背中を押されて来た道を戻っていった。
およ、キャシー達と入れ違いで猫が数匹歩いてきたぞ。
まっすぐこっちに……あ、クルルの腹の上に載った。ども。
ほうほう、そこが一番温かいの?なるほど、朝食後のお昼寝っすか。
って、ほんとだ村長いた!?
屍のごとく寝転がって呻く中年親父の群れの中に、たしかに村長がいる。
おいおい、村長なのに二日酔いかよ、頼りになんないねー。村の代表だろうに。
あ、でもさすがにさっきのハンナ様の言葉は図星だったみたいだ、頑張って起き上がろうとしてる……ってダメか、潰れたわ。ご臨終です。
「う、ううう……頭が……だが村を解放した記念すべき日に、村長の私が……」
言いながら体を起こそうとしてまた倒れた。ちーん(仏壇の鈴を鳴らす音)
「村長~、無理するなよ。ここは女衆に任せておこう」
「だね。正直、今の俺らが客を出迎えたら、この村は疫病でも流行ってんのかとか誤解されそうだし。ああ、吐き気が……」
ダメダメだなーこいつら。うっぷ。
って俺も酔っ払いだったわ、とほほい。こりゃ今日は一日寝てるようかも。
「なぁちび。ところでこいつ、さっきからピクリともしないけどよ……死んでないよな?」
少し離れたとこに寝てたおっさんが、恐る恐るといったふうに問いかけてきた。指差す先は俺の体の下、クルルだ。
……息はしてるけど、確かにこれは不安になるよね。
俺はこいつとずっと一緒にいるから知ってるが、クルルは寝相がいい、つーか寝てる時は本当に身動きしないし寝返りしない、いびきもかかない。寝息もメチャ小さい。マジで「安らかに」って言葉がはまるくらい、微動だにしないのよ。
今も、胸がゆっくり上下に動いてなかったら「死んでます」って感じだ。
心配するおっさんにジェスチャーでなんとかそれを伝える。わりと露骨にホッとしてるのが何人かいた、何気に皆気にしてたんだね。
しかし、クルルは寝てる時いつも静かだけど、普段は眠りは浅いみたいだった。
それが今日は朝になって、周りで人がわいわいしてても目を醒まさない。やっぱ不調は不調なんだろうか、俺らと違って全然苦しくなさそうなのが羨ましいんだけど。
「うわー!」
「は、白狼!?くそっ、こんな村の中で……っ」
「逃げろ、俺達が注意を引く!村の人達をどこか頑丈な建物に避難させるんだ!急げ!!」
おお?な、何事!?
突然叫び声がして、バタバタとけたたましい足音が聞こえてきた。
背中の毛をブワリと膨らませて、出っぱなしの短い爪をいっぱいに開いてクルルの胸にしがみ付きながら、いったい何事かと声がしたほうに意識を向ける。でもそっちを見る勇気はない、正直ビビッてます、はい。
「あ」
「あー。余所の人らはそりゃ知らないよなぁ、女衆もうっかりしてる」
恐怖から逃げたくてたまらないのに動けない俺を尻目に、訳知り顔で頷きながら、何故か和やかに笑い合うおっさん達。
何がなんだかわからない、え、向こうでまだメッチャ騒いでるみたいだけど?
何かおっかないことが起こってるわけじゃ……あれえ?なんか、おっさん達を見てたらビビッてる自分が恥ずかしくなってきたぞ。
なんかそれほど緊急事態じゃなさそうだな。
ぽけっとしていたら、おっさんが笑って説明してくれた。
「ちびは知ってるだろ?ヒルダだよ、村に初めて来た奴等が怖がってんだ。まー、初見だと確かに白狼に見えるから怯えるのもわかるけど。何も聞かないで見せられたらああなるんか、俺らにとっちゃ可愛い子供でしかないのに」
「まー、ハンナがいるなら滅多なことにゃなるまいよ。うー、頭重いわー」
「森の道の途中にいくつか看板建てて、もう幻覚も解いてあるんだろ?なら、ぼちぼち人が来始めるし、ヒルダが怖くないって誰にでもわかるようにしとかなきゃね。村の解放計画、土壇場で色々変更になったからまだ足りない部分がありそうだ」
おっさん達がわりと真剣そうに相談始めたけど、相変わらず絨毯の上に寝そべったままだ。やる気が感じられない。
「くぁー」
クルルの腹の上に寝そべった茶色い猫が伸びをした。ぐいーっと伸ばされた前足の先が、俺の鼻先に。
ちょいちょい。
「にゃ?」
あ、しまった、つい。
「ミー(ごめん)」
俺に肉球をつつかれた茶色猫が目を開いた、慌てて謝る。
「ゴロゴロゴロ」
と、茶色猫は喉を鳴らし、首を伸ばして俺の頭をべろーんと舐めてくれた。
うひょーひゃっこーい、スースーする。
あれだ、気化熱ってやつ?舐められた時は生暖かいんだけど、その後スーッてすんだよな。これが気持ちいいのだ。
「ミー。プルルル、プルルル」
「ゴーロゴロゴロ……」
そのまま毛繕いしてくれた、ありがとー猫のにーちゃん。
でかい舌で背中をなめられながら喉を鳴らしてうっとりしていると、周りのおっさん達がにこにこしながら眺めていた。
「すっかり村の猫に馴染んだな、ちびも」
「ああ、魔獣なんだがこうしていると猫にしか見えない。これ、育ったらどうなるんだろ?」
「……育つのかな」
「…………」
「ミャッ!?」
ちょお、聞捨てならないよ!?何でそこで誰も何も言わない!?育つって言ってよ!!
茶色の猫に毛繕いされながら、口ごもってた数人のおっさんへ必死にミャゴミャゴ鳴いて責めるも、おっさん達は温かい目で俺を見下ろすだけだった。
お話の中で出てくる歌は、架空のものですw




