79話 リュートとサラ
私は込み上げる感情を抑えきれず、両手で口を抑えて全身を震わせる。そのまま、足の力が抜けて床にへたりこんでしまった。
ぼろぼろと溢れる涙が胸や膝に落ち、着ている服に黒い染みを作るが、気にする余裕はなかった。
「ちょっと、大丈夫かい!?どこか傷むの?」
焦った声が間近で聞こえて、背中を大きな掌が撫でていく。
涙で目が開けられないが、傍らの女性に心配をかけてしまったようだ、慌てて立ち上がろうとするも腰が抜けたように力が入らず、声も出ない。
「っぐ、だっ…大丈……っく、う、嬉しく、て……ひっく」
「……へぇあ?な、なんだいそりゃ。って、ありゃあんたといっしょにいた子達か。あー……なるほどね」
しゃくりあげる私の言葉を聞いて、彼女は呆れたようだった。でも、背中をゆっくり撫で続けるその手はとても優しい。
「ほら、あの子達を探してたんだろ?んな泣きべそ顔じゃ心配されちまうよ」
床に座り込んでいた私を軽々と抱えあげた女性に、ポンとベッドの上へ座らされた。
ハンカチを渡され慌てて瞼に押し付ける。
「シャルー!目がさめたんだね、だいじょうぶ?」
駆け寄ってきたリュート様が窓枠に手をかけて背伸びをし、明るく声をかけてきた。
「ど、どうしたの!?傷む?どこか怪我してるの!?」
だがハンカチに顔を押し付けたまま肩を震わせている私を目にした途端に、慌てた声に変わる。
ああ、リュート様に心配されてしまったようだ。
震えながらもなんとか片手を弱々しく振り、無事を伝えようとする。
「あはは、シャルったらまた泣いてたの?でも良かったぁ、痛いんじゃないんだね?」
呆れたように、でも嬉しげに言われてまた涙が溢れてくる。
彼らに悟られないよう隠してきたが、確かに治療を受けるまでは全身あちこちに怪我をしていた。まぁ……体に合わない鎧でできた痣のほうが多いかもしれないけど。
その痛みがすっかり治まって、赤黒く変色していた包帯も清潔な物に替えられていた。
良かった……リュート様もサラ様も、無事だ。むしろ旅をしていた時より元気になって……。
じんわりとした幸福感に包まれながら、いつの間にか彼らの存在が私の中で大きくなっていたことに気づき、驚いた。
まるで……家族の無事を喜ぶような、暖かな想いが胸に満ちている。
私にとって、本当の家族より彼らのほうがずっと大切になっていたんだ。
だって父も母も姉も、村にいた誰も私を心配してくれたことなんてない。
そして薄情かもしれないけれど私自身も、リュート様とサラ様ほど彼らの事を思いやったことがなかった。
それに気がつき、なんとなく笑ってしまう。
なんだ、村の皆は酷い人だとばかり思ってたけど、私だって人の事など言えないじゃないか。
私は泣き笑いしつつ、でも喉を震わせながらなんとか、リュート様の無事を喜ぶ旨を伝えた。
そして隣にいる金髪の女性にも改めて礼を言う。
村の人達にもお礼を伝えなければならない、どこの誰とも知れない私達を助け、救ってくれたのだ。
ああ、そういえば私は……あの時私が餌を脅しとろうとした猫は、この村に住む貴族のペットだったんだろうか。まずい、どう謝罪すればいいのだろう?
そう思い出し顔を青くして聞いてみれば、金髪の女性に腹を抱えて笑われた。なぜだろう。
「もぐもぐ、んむ!ぷはぁ、シャル、これおいちいでしゅわよ!はぁ、ふぅ。おさとうをたくしゃんつかった、高貴なたべものなんでしゅって!ほらっ」
「!?」
遅れて聞こえた幼い声に、腰が抜けているのも忘れてがばと立ちあがり窓枠から身を乗り出した。
リュート様の隣に立つ小さな幼女が私を見上げていた。
やっと口の中の物を飲み込めたようで、彼女にしてはかなり速いスピードで歩いたせいか、肩で息をしている。
窓に向かって高く掲げられた右手には茶色い揚げ菓子のような物を掴んでいて、どうやらそれを私に差し出しているらしい。 宝石のように美しい紫色の瞳が期待するように私を見つめている。
思わず手を伸ばして菓子を受けとると、サラ様の痩せた頬にえくぼが浮かんだ。嬉しそうに、得意気に私を見返す瞳は澄みきっている。
今では見慣れたとはいえ青い肌が痛ましいが、それでも随分と頬に赤みが戻り、少しでも人目を避けようと常に丸められていた背中はピンと伸ばされている。埃まみれでもつれていた髪も洗われたのか艶が戻り、可愛らしく結われて赤いリボンまで結ばれていた。
まるで出会ったばかりの頃のような無垢で愛らしい姿に、呼吸を忘れるほど嬉しくなった。
お屋敷から連れ出して以来ずっと目にしていた、瞳の奥の暗い影が消えている。
「そうでし!おにいしゃま、サラをおいて先にいきゅなんて、ひどいでしゅわよ!れでいふぁーすとはどうしたんでしゅか!」
「だ、だってサラ走るの遅いじゃないか。シャルが目を覚まして嬉しかったんだよー」
「ちょれでも紳士でしゅの!?はくじょうでしゅわっ」
「ご、ごめんってば、いたた、痛いよ」
窓の下、もちゃもちゃと取っ組みあいを始めた二人を見る内に、また視界が滲んできた。
こんな、彼らが年相応にじゃれ会う姿を見られる日が来るだなんて。
止まらない涙に溺れそうになりながら鼻をすすること数分。
リュート様にからかわれつつ、借りたハンカチがびしょびしょになるくらい泣いてる間に、金髪の女性……ハンナさんが、私が倒れてからの話を聞かせてくれた。
私が意識を失った後、リュート様から事情を聞いたこの教会のシスターが、私達の保護を決めたらしい。聞こえた言葉が信じられず、二回聞き返してしまった。
教会が……女神教の信徒が、サラ様の肌を見た上で助けてくれるだなんて。
一瞬何か下心めいたものがあるのかと疑ってしまったが、ハンナさんが言うにはそういったものは一つもないらしい。
なんせここは田舎だからねーと笑っていたけど、そういう問題なんだろうか。
でも、信じるしかない。
今の私には、二人を守りながら旅を続けるだけの力なんて残ってないのだから。
教会の治療を受けられたおかげか全身の痛みは嘘のように消えているけれど、自分の体は自分が一番理解してる。
……分厚い鉄で作られた重厚な全身鎧。
私と体格が似ているから、と壊れかけのそれを引退する先輩冒険者から譲り受けたのは15歳の頃。
幸いそれから身長が伸びることもなく、直しながらも使い続けてこられたのは好運だったんだろう。
だが、元々が男性用に仕立てられた物。いくら私が女と思えない体格をしていても、骨格そのものは男とは違うんだ。
肩や腰、背中……動くたびあちこちに違和感が出るのを誤魔化し続けてきたけど、多分そろそろ限界だ。すっかり歪んでしまったこの体が言うことを聞かなくなるまで、きっと何年もかからないだろう。
そう、早い段階から解っていたのにあの鎧を纏わない訳にはいかなかった。
自分の体に合う鎧を買うお金なんてないし、そもそもあの街の店で女物の全身鎧を扱っている所なんて、一件もなかった。
……鎧がなければ魔物を相手に出来ない、冒険者として食っていけないから……
でもきっと、それは一番の理由じゃない。本音を言うなら、鎧を着ていないと人前に出る勇気が持てなかったんだ。
こんな有り様でまともな仕事に就けるはずもなく、多分死ぬまで魔物と戦うことしか出来ない私が、これから先この異国の地でたった一人で幼い彼らを守っていけるとは思えない。
それに、もしかしたら……もしかしたら本当に、シスターとやらは何も含むものがなく助けてくれただけなのかもしれないじゃないか。
勝ち気そうなのに確かな優しさが透けて見えるハンナの瞳を、私と変わらない高さにある顔を盗み見ながら、彼女達を疑う気持ちが拭えない自分に嫌気が差す。
こうして、鎧を脱いだ状態で他人と会話すること自体が久方振りだ。ハンナさんに対しては不思議と警戒心が和らいでいる。
いつもの私だったら、きっとこんなに堂々と顔を晒すことなど不可能だろう。
だって……兜をはずすと……あまりの醜さに誰もがぎょっとした表情になり、息を飲むのだ。その変化を見るのが何より辛い。
鎧越しに対話していた時は対等に扱ってくれていた人が、素顔を見せた途端にその顔を凍りつかせる様を何度も目にしてきた。そのたびに打ちのめされ、絶望が積み重なっていった。
彼らにはおそらく悪気なんて、ない。
私が素顔を見せてもいいと過去に思った人達は、皆尊敬に値する人格者ばかりだった。だから、私がこんな顔だということを教えずにいるのが心苦しくなって、騙しているようで。
自分自身の罪悪感を少しでも取り去りたくて、素顔を見せたのだ。
彼らは……姿形なんかどうでもいいと、私を仲間だと思っているからパーティーを組んでると言ってくれた。
でも、やっぱり顔を見せる前と後では……雰囲気が違う。
それはそうだ、いくら人間は顔じゃないとおためごかしを言ったところで、相手が化け物みたいな姿をしていれば本能的に許否するだろう。
はぁ、いっそのこと獣人に生まれていたら諦めもついたろうに……あの獣人の村には私より大柄な女性もいたし、もっと人間離れした顔立ちの者すらいた。
そうだ、リュート様達を守るのに必死でろくに会話してこなかったけど……あの村の、何か長い名前の狼人の青年にいきなり「結婚してくれ」と言われたっけ。
私もリュート様も呆気に取られてしまってうやむやのまま来てしまったけど、そういえば傍で見てた他の獣人は驚いてなかった。
ってことは、この顔を見てプロポーズするのに違和感がなかったということ。狼人から見ると「化け物顔」じゃないのかもしれない。
……ほんと、どうして獣人の親から生まれてこなかったんだろう。
「うちの村は住人こそ少ないけど、土地は広いから……どうかしたのかい?」
「……あ。い、いえ、なんでもありません」
ハンナさんに声をかけられ、我に帰る。
いけない、つい考え込んでしまってた。頭をぶるぶると降るって雑念を払う。
駄目だな、気を抜くとつい後ろ向きに考えてしまう。いつもリュート様に注意されてるのに。
「ねえねえハンナ!このお祭りはすごいんだよ!オークのへんいしゅっていうのを討伐したお祝いなんだって!村の子達が色々教えてくれたんだっ」
「そうでしゅ!ハンナ、このあたりの領地では、きぞくもへいみんもいっしょにごはん食べりゅんでしゅって!おみせも、おんなじとこに入れりゅんでしよ!!」
「そうそう!貴族だ平民だーって、うるさく言われないんだって!ぼくらのいたとこと全然違うんだ、すごいよね」
「わたち、おかちをてづかみで食べたのはじめてでしゅ!みんなみーんないっしょに、おんなじお皿からとるんでしゅよ!」
怒涛のように始まったリュート様とサラ様の話。
ハンナさんの話が終わった途端に、笑顔で競い合うようにこの村について説明を初めてくれたのだ。
リュート様が平民の生活に興味を持っているのは知ってたけど、あれほど頑なに「貴族であれ」との親の教えを守っていたサラ様まで。
その変貌ぶりに、驚きと共に堪えようのない微笑みが顔に零れた。
「サラちゃんはねぇ、本当だったら何日かベッドに横になってて欲しかったんだけど。起きてスープ飲んだらすぐ元気になったみたいでさ。下手な獣人よか回復早いよ、たいしたもんだ」
「そうだよ、サラったら猫を触りたいって言って外に飛び出しちゃうんだもん。大人しくしてなきゃダメなのに」
「だってあんなちいちゃいのはじめて見たんでちゅよ!ちょれに、わたちはもう元気でちゅ!」
なんと。
サラ様、そういえばあんなに弱ってたのに。
思わず目を丸くして彼女の小柄な姿を上から下まで眺めてしまう。
た、確かに頬は痩けて手足も痩せ干そったままだけど、生命力に溢れた溌剌とした空気を纏っている。なんていうか、まるで生き返ったようだ。
「そうでしゅ!シャル、これ見て、すっごくかわうぃいんでし!」
得意気に言いながら、その場でくるりと回るサラ様。
「あー、連れてきちゃったの?」
「おや英雄様だ、今夜の主役なのにもう寝ちゃったのかい」
呆れたようにリュート様が笑い、ハンナさんは微笑ましいものを見るように目を細めた。
窓の下でこちらに背を向けながらニンマリと笑い振り返るサラ様の小さな背中には、黒いぬいぐるみのような……子猫が。おんぶ紐でくくりつけられていた。
シャルロットさんは少々ネガティブです。




