67話 幕間・地下世界からの迷い人
意識を集中し、体内の魔力を目に集める。ほんの一瞬だけ体が空に引き上げられるような危うい浮遊感に襲われるが、傍らに立つ少女に繋がれた手の平から暖かな魔力が流れ込んでくると、すぐに治まった。
今私に流れ込んできた魔力量は、普通の「人間」であれば2,3人ほど空っぽになるほどの濃さだったのだが…心配になり右上を見上げるも、俺の視線に気が付いた少女の顔に浮かんだのは柔らかな微笑みだけ。内心、ほっと胸を撫で下ろす。
万が一私のせいで彼女が魔力切れになどなってしまったなら、きっと自分で自分を許すことができないだろう。
理由はわからないが、今の私は以前のように魔法を発動させることが出来なくなっていた。
魔法を使おうとするとありえないほど急激に体内の魔力が失われ、立っていることすらできなくなる。初級の火魔法を発動させるだけで、この私が魔力切れの症状に襲われるのだ。
だがこの少女の傍にいると、失われた魔力があっという間に彼女から私へと流れ込んでくる。始めは驚き、彼女を心配して動揺した。でも彼女はまるで自分の魔力が私に奪われたことに気づいていないとしか思えないほど、ケロリとしているのだった。
通常、これほど多量の魔力を一度に奪われてしまえば即座に魔力切れになり、その場に昏倒してしまう。が、彼女は全くそんな様子が見られないのだ、ただの一度すらも。
そうしてある日気が付いたのだが、どうやら私は魔法を発動させるまでもなく、ただ息をしているだけで体の中に保有しているはずの魔力がじわじわと失われているのだ。
こんな症状は聞いたことがない、原因も何もわからないが、もし仮に魔力が失われるのに任せていれば1日も保たず私は重度の魔力欠乏状態により死んでしまうだろう。
内心申し訳ないと思いつつも、私は常に彼女のすぐ傍にいる。こちらの世界に来て彼女に出会ってから、多分離れていても数時間ほど。毎日こうして彼女から魔力を奪い、辛うじて生き延びている状態だ。
体内に保有している魔力というものは、一般的に自分の意志で相手に与えたり奪ったりは出来ないものだ。そういった魔法やスキルも稀に存在するとは聞いたことがあるが。
彼女が意図して私に魔力を与えているのか、もしくは奪われているのに気がついていないのか。なんとなく、言葉は通じないながらも前者の可能性が高い気がしている。
それにしても、やはりこの少女の保有魔力量は尋常ではない。私も魔人の中では相当魔力が多いほうだと自負していたが、彼女に比べたら、いや比べることすらできないほどだ。
少女の無事な様子に安心と共に気恥ずかしさが湧いてきて、少女から目を逸らし前に向き直った。少女が小さく笑う声が頭上から聞こえると、己の頬が熱くなるのを自覚する。目があった…笑いかけてくれた…
意識がふわふわしてくるのを慌てて抑え、瞳に集めた魔力を練り直す。
いかん、どうも気が散りやすくなっているようだ。
軽く首を左右に振って雑念を振り払ってから、目の前に広がる森に向けて魔術式を展開させた。
使用するのは「魔力探知」の魔法。私には気配探知スキルも魔力探知スキルもない、だがこの魔法を使えば周辺に存在する魔力をある程度感じ取ることが出来る。
ふむ。
…小さな魔力が3、4、…あっちに2、向こうには5か。大きな魔力は近くには感じられない、これならあの騎士共だけでなんとかなるだろう。
馬車での移動を続ける少女達に連れられての道のりは、時折襲い掛かってくる魔物を警戒しながらのものだった。
言葉が通じないなりになんとなく理解できることもある、あの少女とよく一緒にいる老婆。どうやらあの女性が一番身分が高く、鎧を着こんだ騎士共がその護衛役、旅装に身を包む女性の一団が老婆の世話をする身分らしい。
こちらの世界の常識には疎いが、あの老婆の身分は相当上のほうと思われた。
身に着ける服も装具も、よく見て見れば他の者とは一線を画す質の高さ。さらに纏う空気が全く違う、気品のような物が感じ取れるのだ。彼らの身分制度には詳しくないが、おそらく上流階級の者の中でも相当上…王族階級かもしれない。
なぜそのような身分の者が、わずかな護衛と数台の馬車だけでこんな人里もないような場所を、こんなに慌ただしく走り抜けているのか。それを考えればなんとなくだが、現在の彼らの状況がわかってきた気がする。
彼らはおそらく逃亡者だ。
逃げている理由はわからないが、まぁ支配者階級が蹴落とし合いに日夜明け暮れているのは地上も地下も変わりあるまい。問題は彼らが私に害意を持っているか否か。言葉もわからず種族も違う、何も持たない私を。
私がこの地上世界に来てから、すでに2週間ほどの時間が過ぎていた。
何故このような事態になったのか何一つ理解できていない、だが私は生きている。なら、なんとかして元の場所へ帰るため努力すべきだろう。
兄には、もう私以外に家族と呼べる存在が残っていない。兄は最強だが脆い所もある、一刻も早く傍に戻らねば…私がいなくなってしまったら、彼がどうなってしまうか想像もつかない。
まさかとは思うが、普段の兄を知っていると不安が消せない。
この世界に来た当初、私は少々混乱していた。
記憶があいまいだが、全身を強く打って死にかけていた。何故そんなことになったのかは覚えていない、どこか高い所から落ちたのだろうか?
あまりの痛みと苦しみに意識を失って、次に目覚めた時には、黒髪の麗しい少女が傍らにいた。
少女は聞いたこともない言葉を話し、だがなにくれとなく私の世話を焼いてくれた。見も知らぬ、どこの誰とも知らぬ私に。見目が美しいだけでなくなんと慈悲深い、まるで聖母のごときあの瞳…いや、いかん、つい彼女のことを考え始めると止まらなくなってしまう。
ここが自分のいた場所とは違う世界だと気付いたのはなんのことはない、細々とした違和感もあったが、なによりある大きな違いに気が付いたからだ。
そう、この世界では「太陽」が…魔力の塊ではない、本物の「太陽」が空に燦然と輝いているのだ。始めは気が付かなかった、見た目はまるきり同じに見えたからな。
地下に生きる我々にとって太陽とは、初代魔王様が作り上げたもの。暗闇で生きてきた我らに光をもたらした偉大な大魔法だ。それは神々の時代にあったとされる本物の太陽を模した、あくまでも贋作であった。
だが、この世界で地上を照らす太陽は…地下世界の太陽のように魔力を放出してはいなかった。
初代魔王様のお造りになった太陽とは全く気配が異なっていたのだ。それに気が付いた時、私は自分の頭がおかしくなったのかと疑ってしまった。気づいてしまえば、それほどに違和感は強かった。
…地上世界。
あれほど憧れ、焦がれ、だが絶対に足を踏み入れることは叶わないと諦めていた世界。その大地に、自分は今立っている。
そのことを理解して数日の間は、魂が抜けたかのように茫然としていたものだ。
兄の元に帰らねばならない、でも地上を探索したい、人間の生態を生活を文化を、何より地上独自の生態系を、地上にしか存在しない原種動物を見たい!知りたい!触れ合いたい!
だが私はたった一人、何故か魔人だと気付かれてはいないらしいが、人間達にそうと気づかれてしまったら…戦う術はある、が、たった一人で逃げ延びられるだろうか?自分の魔力が高いことは知っているし、攻撃魔法も数多く習得してはいる、でも実際に戦ったことなどない。全て、ただ学んだだけ、書物から知識を得たに過ぎない。実戦経験など皆無である。そんな私が、生まれ落ちた時から全員が戦士であるという野蛮な人間達と対等に戦えるのだろうか?
そんなことが頭をぐるぐると巡っていた。
が、はたと気づいたのだ。
あの少女をはじめとして、実際にこの目で見た人間達の行動が書物で得た知識と全く真逆であるということに。
城の書庫にあった地上に関する本には、「人間はすべからく好戦的で、幼い個体であっても常に戦いを求め弱肉強食を至上としている」「弱い個体は淘汰され、親を亡くした人間の子供はすぐさま他の成体に殺されるのが常」「人間は力も魔力も弱く、だが生まれ持ったその暴力を好む性質により、長い時間をかけて戦闘技術が磨かれてきた」などといった文章が並んでいたものだ。
しかし、実際に私が見た人間達はどうだ?
あの少女も、一緒にいる老婆も騎士共も、人里とおぼしき場所にいた大勢の人間達も、皆むしろ…地下世界の魔人達よりも穏やかに見えた。
同族に武器を振るうのをまだ見たことがない、魔物相手には戦っているようだが、それも嬲るような様子は見られなかった。
どこから来たのか自分でもわからない、彼らと全く違う種族である私にも笑顔で話しかけ、怪我の治療をし食事の世話をし、絵本のような冊子や木彫りの人形のような物をくれたりもした。人間の子供も何人か見かけたが、どの子も貧しい身なりながら大人から慈しみ大切にされている様子が見られた…
結論から言うと、私が今までに見聞きしてきた地上に関する知識は正確なものではなかった、としか思えない。
私が魔人だと知られてしまったらまた違う結果になるとは思うが、彼らは決して好戦的で残虐なイキモノではないのだ。我ら魔人と変わらない、理性のある知的な生き物だったのだ。
彼らは、私を守ってくれているようだった。まるで自分の子供を世話するように。
そして、なぜかはわからないがその旅路に同行を許してくれるらしい。
私は考えた。
兄の元へ帰るためにどうすればいいのか、何をすれば地下世界へ戻れるのかがわからない。そもそもどうやってここに来てしまったのかすら分からない。
帰るためには知識が必要だ。まずは、彼らの用いる言語を習得するのが近道である、と。
今、私が何をすべきか、何ができるのか。
彼らの旅についていき、出来る限りの知識を得る。目的地は分からない、より栄えた都市に向かう可能性もある。逆に人のいない山奥で隠れ住むことになるかもしれない。が、この少女と一緒にいる老婆は、おそらくだがとても見識が深いはずだ。彼女から得られる可能性のある知識を考えれば、また私に対する態度を考えるにそうそう無碍にはされないはず。
魔人だと気付かれればそれまでかもしれない、だがそれは地上のどこへ行っても同じだろう。右も左もわからない地上に、味方もなく一人で飛び出して彷徨うよりは近道なはずだ。
少女に手を引かれて歩きながら、馬車の周りで荷物を片づけている騎士共を見ながら考える。
彼らが無事に目的地に着けるよう、何故か上手く作動させるのが難しい魔法を駆使して手助けをしよう。言語が理解できるようになったなら、なんとかして彼らから地下世界についての情報を得る手がかりを、せめてそれに繋がりそうな話を聞きだそう。
まずは、私に対して好意的な彼らを魔物に殺されないよう気をつけねばならない。会話さえ成立できれば、得られる知識は段違いに増えるはず。
まずはそこから、何をするにしても言語を理解することからだ。
私の手を優しく握る柔らかな細い指先。
…彼女が、ここ最近急激に痩せてきたことに関する心配も、言葉がわかるようになったなら晴れるはず。
今まであれほど食事をたくさん摂っていた彼女が何故急にその量を減らしてしまったのか、げっそりと痩せて別人のように細くなってしまったその手足をちらりと見て、決意を新たにする私だった。




