58話 ジャックの異変
突然、足元にいたジャックが動かなくなった。
さっきまで前足を上げたり何か歌うような鳴き方をしていたり、変わった動きをしていると思ったらぱたりとつぶれてしまったのだ。
慌ててその小さな体を持ち上げ、手のひらに載せた。
…白目を剥いて、ピクピクと震えている。
大変だ、これはバッタに蹴られた時と似ている。あの時はライアットが治療してくれて「死にかけていた」と聞いて…
ライアットは、どこにいるんだ?早く治療してもらわなくては、早く、ジャックが死んでしまう。
立ちあがり、見知ったエルフの姿を探すも彼の姿は見えない。ああ、どうしよう、気持ちが焦って匂いで探すのにも集中できない。
「クルル、どうしたの?死にそうな顔してるわよ」
キャシーに声をかけられ、気がついた。怪訝そうにこっちを窺っている。
そうだ、そこにマリーがいたんだ。彼女は魔法つかいだ、もしかしたら治癒魔法を使えるかもしれない。
「じ、ジャックが、」
必死に考えながら途中まで言った所でキャシーが顔色を変え、すぐ傍に近づいた。
彼女はオレが両手に掲げるようにしている子猫を素早く確認すると、小さな体をそっとひっくり返して腹に指をあてる。
「どうしたのぉ?」
「マリー、息はしてるし胸もちゃんと動いてるんだけど…すごく苦しそうなのよ。どうしちゃったのかしら」
「え!?ジャックちゃんが!?」
マリーが腰を上げるより早く、シャティがずざざっと音をたてて駆け寄ってきた。子猫を両手に抱えたまま。
「ジャックちゃんしっかり!」
「ちょっとシャティ…」
「あの、もしもしー、私に診せてもらえませんか」
肩でキャシーを押し退けるようにしてジャックの前に来たシャティの背後から、誰かの声がした。
「あらぁ、メボックさん。いいのぉ?」
遅れて近寄って来たマリーが、少し驚いたように知らない男に話しかけていた。
彼は誰だろう…ジャックのことしか見えていなかったが、ふと気づけば周囲にはたくさん人が集まっていて、騎士団の人達も心配そうにこっちを見ている。
先ほど声をかけてきた男がオレの正面に来て微笑んだ。
シャティは…マリーに引きずられて離れていくところだった、いつのまに。
白いローブに、半透明の丸い石がついた杖。彼はもしかして…治癒術師というものなのか?
「初めまして、私は村で自警団をしておりますメボックと申します。一応治癒術師をしておりますので、よろしかったらそちらの使い魔の容態を診せていただいても?」
「え、た、頼む、ます…」
「はい」
彼はオレのどもった返事に気を悪くした様子もなく、にっこり微笑んでジャックを持ち上げた。
治療術師のメボックが子猫を片手に載せもう片方の手に杖を持ち小声で何か唱えると、ふわりと優しい光がジャックを包んだ。
はらはらしながら見ているオレの前で、光が徐々に収まっていく。
「…うん、大丈夫ですよ。外傷も、病の兆候もありません」
その言葉に体が崩れ落ちそうになるのを堪えた。
良かった、ジャックは助かるのか。心から安堵し、力が抜ける。
「ですが、うーん…これは魔力切れ、でしょうか。魔法を使った訳でもないでしょうに、何故猫がそのような状態に…」
メボックが少し困惑するように杖の先を揺らした。
「メボックさん、その子一応魔物なの。さっきレベルが上がってたし、もしかして何か魔法を使おうとしたのかもしれないわよぉー」
思い当たったというふうにマリーが言う。
なんと、ジャックは魔法を使えるのか?すごいな、なんだかオレまで嬉しくなる。
だが、それを聞いたメボックは真逆の反応を見せた。
目を見開き驚愕に頬をひきつらせている。ジャックを載せた左手から顔を離し、仰け反るような姿勢だ。
「あら大丈夫よぉ、この子は彼の使い魔だから。頭もいいし大人しくて無害だわぁ、そもそも魔法を使えるようになったんだとしてもー…多分マトモに発動できるようになるのはまだ時間がかかるでしょう。たいした魔力も感じられないしぃ、なんの驚異もないわよー」
「な、そ、それなら…」
あからさまにほっとしているメボックだったが、その手のひらで時々びくんと震えている子猫を見る目には、さっきまではなかった怯えのようなものが感じられた。
だがそれより、オレはマリーの言ったことのほうが気になる…ジャックは、魔法を使えるようになったけど、使えない…のか?残念だ。
「くっくっ、おいクルル。お前わかりやすいのな、耳がぺたんこになってるぞ」
後ろからオレの肩を叩いたのは…騎士団のリックだ。彼も来ていたのか。
「こほん。いえ、失礼しました。しかし使い魔ということなら、契約者の近くにいたほうが回復は早いでしょうね。クルル君、でいいかな?」
頷いて、ジャックを受け取った。
手の平に載せた小さな黒い毛玉をしげしげと観察する。呼吸は安定しているし、温かい。よかった。
でも白目を剥いたままで、微動だにしないと思ったらたまにビクビクと足の先が動いたりして不安が募る。
心配が消えなくてジャックをずっと見つめていたら、魔力切れとはどういうものか、どうすれば健康な状態に戻るのか等をメボックが優しく説明してくれた。
ついでに、と教えてくれた話によれば、テイマーは使い魔契約した魔物に関して管理義務があるそうだ。もし使い魔が問題を起こした場合、その主である契約者が全責任を負うことになる。
今のジャックにはおそらくそういう危険はないが、これから大きく強くなってからは気を付けたほうがいい、と言われた。
あと、使い魔として使役していくのなら出来るだけ早くレベルを上げて成体に近づけたほうがいい、とも。魔法を使える魔物は知能も高くなる傾向があるらしい。
うん、頑張ってジャックを強い使い魔に育てよう。
それからしばらくメボックやリック、ハロルド達と話をした。
村の近くにいた彼ら騎士団は村を襲おうとしたオークの群れと戦い、少々時間はかかったもののこちら側に死者はなく、重症の者はメボックが治癒魔法をかけた後、村の薬師に託し置いてきたらしい。
リックも怪我をしたと言い、何故か誇らしげに包帯で巻かれた箇所を見せてくれた。盾と手甲を割られ、腕を切り落とされそうになったらしい…鉄の防具を砕くとは、オークも案外力が強いようだ。
ジャックの背中を撫でながら真剣に話を聞いていたら、また一人誰かがこちらへ歩いて来るのに気が付いた。
皆同じような格好をした騎士団の中、一人だけ凝った装飾を施された甲冑を纏った…確か、村へ着くまでライアットとよく一緒にいた、団長と呼ばれている人だ。
「あー、ゴホン。クルル君、少しいいかな?」
「あれ、団長もういいんですか」
「ああ予定は決まった、さっき村に使いを出したところだ。優秀な猟犬がいるそうで助かったよ」
…いぬ?それに、オレに話があるらしい。なんだろう。
ハロルドがにやりと笑いかけてきた、リックも何か思いついたように口をパカリと開けてオレを指さし頷いている。
そんな二人を戸惑いながら見ていると、団長がまた咳払いをした。
「今回は君のおかげで助かった、バリーとリタを救い出してくれて…感謝する。本当に世話になった」
そう言うと頭を下げられてしまった。
騎士団長…騎士なんだ、よな、彼は。
どうにも、この国に来てから違和感が拭えない。
オレが今まで生きてきた国では、騎士と名のつく者はことごとく「平民」を下に見ていて何があっても絶対に謝ったり礼を言ったりすることはなかった。頭を下げるなんてありえない。
まして獣人となれば、街中でたまたま目についただけで突然殴られたり蹴られたりすることも多い。そういうものなのだと思ってきた。
オレの目の前で、下げていた頭を上げて照れたように微笑みながら後頭部を掻いている男。
その瞳は澄んでいて、表情にも嫌なものは少しも見受けられなかった。
「それにしても君はずいぶん強いんだな、人は見かけによらないものだ。複数のオークを相手に1人で立ちまわれるとは…しかもその若さで、武器もなしに」
きらきらした瞳で見つめられ、ちょっと戸惑う。なんだろう、団長の顔は妙に嬉しそうだった。
がしっ!
突然両肩を掴まれて正面から見つめられる。少しびっくりした。
「クルル君!王都でギルドに行った後の身の振り方は考えてあるのかい?もし行くところがないのなら、騎士団に入ってみる気はないか?」
…きしだん。え、オレが?
「君はもっと強くなれる、望むなら騎士団の養成所で色々学ぶことも可能だ。騎士見習いとなれば武器の扱いに体術、読書きや計算はもちろん様々な知識を得て将来の可能性を増やすこともできよう。騎士団に在籍したという経歴があれば後々有利になることは山ほどあるぞ、どうだ、仮入隊だけでもいいから考えてくれないか」
「団長団長、近いです」
「クルルが固まってるッスよ」
リック達に言われて、鼻先がくっつきそうだったのが少し離れてくれた。
騎士団に入ると得られることをあれこれ語る団長はとても熱心に思える、オレなんかをそれほど必要だとは、騎士団というのも案外人手が足りないものなんだな。
「それに騎士はもてるぞ、騎士団の制服を着ていると男っぷりが3割増しだと言われている。それに他の国では騎士というものは貴族が成るものだという考え方が一般的だが、我が国ではそんなことはない!平民出身の者でも力量さえあればどんどん出世できるのだ、我らが求めるものは腕っぷしだけではなく国を守るという気概、正義を愛する心!なにより民を守るという!」
「団長落ち着いて」
「おいあんちゃん、言っとくが騎士はモテないからな。若い娘からは汗臭いって敬遠されてる…重要視されるのは顔、次に学歴、服のセンスな」
「いやいや一部の女性達にはすっごいウケてるって、うちの制服」
「そうかぁ?」
「やっぱモテる秘訣はどれだけ口が上手いかだろ」
離れて聞いていたはずの他の騎士達が話に混ざってきて、なんだか盛り上がり初めた。とても楽しそうだ。バリーも混じってモテる男はどうだこうだ、といった話し合いをしている。
もはやオレにではなく演説するように話し続ける団長を囲んでわいわいと騒ぐ騎士達を眺めながら、キャシーやマリー、マリオ達は苦笑いしていた。




