46話 シスターの悩み、クルルの悩み
教会の所有する牧場の厩舎で、子供達と共に新しい牧草を積み上げる。牛たちの飲み水を代えて、床をざっと洗って、と。こんなものでしょう。
「さて、みなさんお疲れ様。では、ヨハンとトマスは搾乳の時間までに戻るんですよ」
「うっ」
「…は、はぁーい」
一瞬言葉に詰まるも大人しく頷いた二人を笑顔で見送り、前掛けをはずし軽くはたいた。
子供たちは嬉しそうに教会の敷地の外へ駆け出していく。
本来なら今日は神父様のお勉強会があるはずだったのだが、本人があの調子ではどうしようもない。よって今日の子供達の予定はぽっかり空いてしまった。たまにはこんな臨時の休日があってもいい。こっちもたまにはのんびりしたいし。
「メェー」
草地を軽やかに駆け回っていたヤギが、厩舎の入り口で動かない私を見つけて傍に寄ってきた。控えめに体を摺り寄せる彼女が可愛らしくて、しゃがんで視線を合わせる。頭から背中をゆっくり撫でてやると、嬉しそうに鼻を寄せてきた。
この教会では、自分たちで賄えるものは自給しようという方針の元、牛と鶏を育てている。今までヤギはいなかったが、乳が絞れる上こんなに懐っこいのなら、新しく迎え入れてもいいかもしれない。幸い、土地はまだまだ余っている。
「ふふっ。では、これを片づけたら私も一休みしましょうか」
大きな樽を二つひょいと両肩に載せると、のっしのっしと教会へ向かって歩き出した。雨上がりでぬかるんだ道だといちいち沈んで歩きにくいけれど、ここの所晴天続きで地面はからりと乾いている。重い物を運ぶ時はいつもこうだと助かるのだけど。
教会の裏手のキッチンに面した小屋にたどり着くと、肩にかついだ樽を揺らさないよう慎重に下した。ミルクも順調に収穫できるようになった、おかげでこの村へ来た当初に比べるとずいぶん食生活が豊かになったと思う。
農業について知識がある人達が来てから皆で協力したおかげで、この頃小麦はジルベールおじさんのとこで必ず交換してもらえるから、本当に助かる。村では作れない一部の調味料等以外はもうよそに仕入れに行く必要もないほどに、私達は自給自足が可能になった。
この10年の様々な努力を思い感慨にふけっていると、なんとはなしに己の肩に目が留まる。
「…嫌だわぁ、また太くなってるみたい」
さっきまで力んでいたから、肩周りが本来の形に戻ってしまっている。うんざりした気分で岩のように固いそこをつついた。
私は、熊の獣人だ。
獣人というものはかなりの種類がある。犬や猫、ウサギに狼、熊、トカゲ。
一般的な獣人といえば、普通の人間の耳が獣に近いとか尾が生えているとかその程度のものだ。他種族と混血が進むとその特徴はさらに薄くなったりする。身体能力やその習性もしかり。
だが、中にはそれぞれの種族の純血種に近い血統の獣人も残っている。そういった者はたいがいヒト型からやや離れた姿をしており、時々魔物に間違われてしまう事故も発生したり、わりと苦労が絶えないようだ。
そんな中、私は熊人の父と人間の母から生まれたいたって普通の混血である、のだが。どうしてか滅多にない先祖がえりというべき体質を持って生を受けたのだ。
普通にしている分にはまぁ一般的な人間そのものの姿だ、頭の上に黒い熊の耳があり、お尻にしっぽがある程度。それが、体の各所にぐっと力を籠めた瞬間に、「熊人」そのものといった膨れ上がった筋肉が全身を覆う。
里の長は「変化の一種」と言っていたっけ。筋肉に覆われた状態の私の筋力・体力は普段の比ではない、里で開催された祭りの腕相撲大会で優勝した時は人知れず泣いた。
小さい頃はよくそれで里の皆にからかわれて、泣いて帰ったものだ…だってその状態の私は他の熊人に比べても相当ゴツいんだもの、そりゃ一応女の子なんだから恥ずかしいのも仕方ないだろう。母にもよく無茶を言ったものだ、今思うと申し訳ない限りだ。
そんな訳で、筋肉ゴリゴリの同じ熊人の男の子達からもろくに女扱いしてもらえず、まして普通の人間や他の種族の異性なんて淡い可能性すらなく。この年になるまで未だに恋人の関係になった相手は一人もいない。
ため息をつき、自分の肩と腕の硬い筋肉を見つめた。
力を抜いてしばらくするとまた細く女らしい腕に戻るのだが、時々「このまま戻らなかったらどうしよう?」と不安になったりもする。教会の皆は気にするなと、どっちの姿でも私には変わりないと笑ってくれるけれど。
「…はぁ~」
ミルクが並々と入った樽に寄りかかり、またため息を吐いた。
結婚願望がないと言えば嘘になる。私だって普通の女なんだもの、夢を見るくらい許されるはずだ。でも、こんな女を好きになってくれる人なんて果たしているのだろうか。もし、もしもいるのだとしたら、どうか私がおばあちゃんになる前に現れてほしい。
村の若い子みたいに、背が高い人がいいとか、強くて頼りになる人がいいとかそういう理想はとくにない。でも出来れば…シンシア様みたいな、幸せな結婚というものをしてみたい。どんな姿でもいい、私だけを見てくれる相手がいい。はぁ。
いけないわ、ため息ばっかりついてると不運を呼び込むって言われてるのに。何か他のことを考えないと。
前向きな事を考えようと悩みうんうん唸っていると、軽やかな足音が聞こえた。
「あ!シスター、こっちにいたんだねっ」
足音が止まり建物の角からぴょこんと顔を出したのは、村長の家で下男をしているラックだった。頭の上で白く長い兎耳がぴくぴくと揺れる様は少女のように可愛らしい、小柄できゃしゃな少年である。たしか今年で15歳になったはず。
「これ、村長からの手紙。あとこっちはうちで作った苺のジャム!すっごくおいしくできたから、シスターに食べてもらいた…い、いや、皆に食べてもらいたくて!」
立派な白い封筒と大きなビンを差出しつつ恥ずかしそうに頬を赤らめる少年を見下ろしながら、手前勝手な恨みが募る。あぁ女神様、どうしてこの子はこんな可愛いのに私はこんななのですか。
「シ、シスター?どうしたの、何か悲しいことでも?」
「あ…いいいええ、違うの。うん、なんでもないのよ。このジャムとってもおいしそう、ありがたくいただくわ。いつもありがとう」
目の前の純真無垢な少年に醜い心の内を悟られまいと、慌てて全力の笑顔を顔に貼りつける。
うん、人をうらやむなんていけないわ、例え自分が死ぬほど望んでるものを…男である彼が持っていたとしても。うん、ポジティブポジティブ…
自分に必死で言い聞かせていると、ラックは顔を真っ赤にして耳をピンと立てていた。ぷるぷる震えながら私の顔を見あげたかと思うと、長い耳がふにゃ~っと下へ下がっていった。
「あ…あの、シスター。いえ、ジャ、ジャク…ジャクリーン…」
「なぁに?」
あら、彼に名前で呼ばれるなんて初めてだわ。
一体どうしたのかしら、何か言いにくい頼みごとかも。いつも快活な彼の、珍しく小さく尻すぼまりな言葉の続きを聞き逃すまいと、心もち中腰になって目線を近づけた。
「!?あわっ、あわわっ…!」
すると何やらラックは顔を先ほどより赤く染め、なぜか後ろへ仰け反り唇を震わせ始めた。
どうにも様子がおかしいわね、もしかして体調が悪いのかもしれない。
心配になった私は、思わず教会の子供達にするようにラックの小さな顔の、おでこの部分に右手をあてて体温を確認した。やっぱりちょっと熱いみたい、風邪でもひいたのかも。
「………~ッ!!」
「え?ラック…」
少年はこぼれそうなほど大きく目を見開いた後、突然回れ右をして脱兎のごとく走り去っていってしまった。
手の中に手紙とビンを持ち、唖然と取り残される私。あの子、どうしたのかしら…?
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
広場で子猫のジャックが他の猫達と仲良くなったのを確認すると、私達は食堂へと向かった。
昼時を少し過ぎた時間なせいか、食堂は少し空席が出始めたところだった。この村の人たちはわりと時間に忠実なので、昼休憩の時間もきっちり決まってる店が多い。なのでその時間を避けてここへ来ると、席が空くのを待つ手間がはぶける。
この村に滞在するのってたいがい休暇の時だから、つい贅沢しちゃうのよね。昼食はさっき食べたのに、でも今日の日替わり菓子…とってもおいしそうだわ。
無駄遣いはいけないとわかってはいるのだけど、いつものように甘いものと紅茶を女将に注文してしまう。太らないよう気をつけないと。
「うー、もうちょっとジャックちゃん達を見守りたかったのに~」
「貴方のは見守るって範囲を超えてるのよぉ。それに猫って天邪鬼なとこあるからぁ、こっちから行くよりそっけなくしたほうが、構ってほしくて寄って来るんじゃない~?」
「はっ!?た、確かにそれも一理あるかもっ」
未練がましく広場の方向を向いてぼやくシャティをたしなめながら、同じテーブルの向かいの椅子へ座った少女に目を向ける。
キャシーは単純な娘だ。何か悩んでいると全部顔に出てしまう、今のように。
「それで?今度は何を悩んでいるのぉ?」
「へ!?な、なんでわかるの」
「わかるわよぉ~…」
手元の紅茶にお砂糖を一つ沈め、スプーンでかちゃかちゃと混ぜた。
相変わらずこの村で使っている食器類はモノがいい、木のコップも手に馴染んでいいけど、私はやっぱりこういう陶器のカップがキレイで使いやすいと思う。ここ以外でこんなカップに紅茶入れて客に供する店なんて、そうとう高級なとこだけよ。
私が優雅に紅茶を一口飲む間に、キャシーは表情をくるくると変えて逡巡した後眉を下げうつむいた。
「なんか、ね。クルルがおかしいのよ…」
…やっぱり。なんとなくそうかなとは思っていた。
キャシーの話を聞いていくと、あの獣人の少年が何かに悩み落ち込んでいるようだという。
あの子については、先日村の冒険者がまとめて村長宅に集められて話を聞いた際に、話題に出た。
様子が妙だとは思っていたが、まさか10年以上も奴隷をしていたとは、しかも隷属の魔道具をつけられていたとは思わなかった。普通の人間であったら、とっくに精神に異常を来しているだろう。それほど非道な扱いだと思う。
…隷属の魔道具と一言で言っても、色々な物がある。
高級な物だとその内部に魔石を組み込んであり、着用者に悪影響を与えず、ただ自由に動くことができなくなるだけだったりする。しかし質の悪い物だと着用者自身の体内の魔力を無理やり引出し、それを使って作動する物が多い。
普通の人間は、大なり小なり魔力を持って生まれてくる。だがその魔力を生まれつき自力で操作できる存在はというとかなり限られている、よって魔力を練り上げ「魔法」という形で行使できる人というのは、数年の訓練を経て完成するのが一般的だ。
なのに、訓練を受けることもなく隷属の魔道具が体から無理やり魔力を引き出すとどういうことになるか。それは個人差による部分が大きいが、たいていの場合本人への負担はとても重いものとなる。
この国には、奴隷制度がない。だが、よその国から奴隷が逃げてきたり、事情があって保護されてきたりすることがある。大陸の多くの国では未だに奴隷というものはありふれていて、特に珍しいものではない。
普通に奴隷と呼ばれる人々は、隷属の魔道具なんてつけられてはいない。
これをつけられているのは、奴隷の中でも本当にごく一部。それは貴重な物なので元手がかかるという事以外に、本人への負担が大きいという部分も大きい。間違っても、成長途中の未熟な子供に着用させるなんて話、聞いたこともない。
私が見聞きした限りでも、成人後のそれなりに健康な者が隷属の魔道具を1年つけたままでいて、魔力が枯渇した状態が長かったのが原因で失明した人がいた。3年つけていて足が動かなくなった者もいる。
質の悪い物であればあるほど、着用者から吸い出す魔力は無駄に多く、ただ周囲の大気に漏れ出て消えてしまうものらしい。例え高級で質の良い物であったとしても、5年6年もつけていたら無事ではいられない。
そして、普通の奴隷と少し異なる事情もある。それは、解放された後の心理状態だ。
犯罪奴隷であったら刑期を終えた時、借金奴隷であったら借金を返し終えた時。奴隷には自由になる道が残されている。それを目標に、奴隷達は皆必死で日々を耐え忍び生きていく。
が、隷属の魔道具をつけられた奴隷はというと、少々異なる。
彼らには自由に行動する権利はもちろん、普通の奴隷とは異なり「自由意思」も制限されている事がほとんど。辛い時、悲しい時、苦しい時にも、そう考えることすら出来なくなる、自分で自由に思考することができないのだ。そうなれば、その人の人格は一体どうなるか?
ヒトの人格とは、生まれてすぐに出来上がっているものではない。日々の生活を送る中で何を考え、どう行動して、何を感じ取ってきたか、その積み重ねから少しずつ出来上がっていくものだ。
自由意思を持てずに過ごしてきた人が、奴隷の立場から解放された時何を思うか。何を考えることが出来るのか。
大抵の場合…数日は魂が抜けたような状態になり会話もままならない。記憶も薄らいで自分の名前すら憶えていないという者もいた。
そこから先は個人差が大きいので一概には言えないが、元の人格を取り戻すためにかかる期間はかなりばらつきがある。それはそうだ、今まで「これはああだ、それはこうだ」「こうしたい、ああしたかった」とか自分の頭の中で自由に考えることが制限されていて、だいたいが不合理で理不尽な命令に疑いも嫌悪も抱くことすら出来ず、自分以外の意志にただ従って生きてきたのだから。
そして、苦悶の末に人格を取り戻した彼らが向かう先。
心を囚われていたのが1年や2年であったなら、苦しみはするが多数が人間らしく生活できるようになる。が、その時間があまりに長くあったものは。
…人格を取り戻した後で、心を病んだり狂ってしまうものもいる。本来の自分に戻れたとしても、それを元の自分と同じだと思えず精神に不調を来す場合もあった。酷い場合は、自ら死を求めることさえも。
それ故に、隷属の魔道具をつけられていた者が普通の生活に戻るまでには、通常数か月から何年もかかることが多い。そしてその期間は、傍で見守り導く者が必要となる。
私の話を聞き終えたキャシーは石のように押し黙り、顔をうっすら青くさせていた。
あまり酷い部分は省かせてもらった上で、出来る限りわかりやすく説明したつもりだけど。
平和なこの村で大切に育てられた彼女には、いささか酷な内容だったかもしれない。だが、彼女とあの少年は少なくとも私が見た限りでは友人の関係にあるように思える。なら、ある程度のことは知っておいたほうがいいだろう。
私の隣でじっと押し黙って話を聞いていたシャティから、咎めるような視線を感じる。
確かに、こんな話は聞かせないほうが良かったのかもしれない。でも、知らずにいたら彼の苦悩を知ることは永遠に出来ないだろう。
何より、今目の前で悩んでいるこの少女は、とっても「いいヤツ」なのだ。今だって、会って数日の赤の他人のためにずっと悩んでいたのだから。
「私達はねぇ、余所から逃げてきたり保護されてきた元奴隷の人達をかなり見てきてるのよぉ。でも、その人達が周りにどうしてほしいって思ってるのか、私の勝手な考えだけど聞いてくれるぅ~?」
テーブルの向かい側で動かないキャシーに、可能な限り優しい声で問いかけた。
彼女はやはり動かないが、目だけは悩むように揺れている。うん、大丈夫。この分なら。
「彼らはねぇ、元奴隷だからってやたらと同情して欲しい訳じゃないの。普通の暮らしに戻れるまでは多少助けが必要なのは間違いないけどぉ、いつまでも腫物みたいに扱われるのはツライと思う。貴方になら簡単よぉ、今まで通り普通の人に普通にするように、素で扱えばいいのよ~。変に気を使わないで、単なる隣人として。ね?」
ゆっくりと語る私の言葉を噛みしめるように聞いていたキャシーが、今目が覚めたようにぱちりと瞬きをする。隣のシャティも、何かに合点が言ったように天井を見上げて何度も頷いていた。私が言った内容に心当たりがあるんだろう。
「そ…っかぁ。そうよね、それで…いいんだ」
暗い雲越しだったように翳っていたキャシーの表情が、徐々に明るくなる。そして、はっと気づいたように手元のコップに目をやると、両手で持って一息に飲みほした。コップの中のココアはすっかり冷めていたようだ。
「じゃあ、とりあえず今はクルル君を探しに行きましょう~。それで彼もここへ連れてきて、一緒に甘い物を食べさせましょ」
「そうね!悩んだ後は甘い物がいいって言うもん、じゃあさっさとこれ食べ終わしてあいつを追おうっ」
ばくばくと4つ切りのアップルパイを頬張る少女の顔には、もう暗い影はない。それを見てなんとなく安心した私はシャティに軽く目配せをして、ほんの少し残ったぬるい紅茶をすするのだった。




