43話 クルルの悩み
読んで下さった方、評価を入れて下さった方、ありがとうございます。
ライアットの家の前にある…庭園、だった場所。そこで草をむしっていたオレは立ち上がり、庭全体を見回してみた。
「どこまでが、庭…?」
わ、わからない。一応、隣の教会との間には柵が立ててあるから、あのへんまでだろうか?
その辺りはまだ見渡す限り草に覆われていて、判別がつかない。やることがない時は、こうして少しずつ草むしりをさせてもらっているんだが、そろそろ草のない地面が増えてきた。ライアットに聞いたら「適当でいいぞい」と言われてしまったが、どうしたものか。
庭を眺めてぼんやりしていた、疲れてはいないが少しだけ喉が乾いたな。庭の端にあるテーブルまで来ると、さっきシスターが置いていってくれた水差しをコップに注ぎ、横の丸太に腰掛けた。
コップの水を飲んでみると、とても冷たいことに驚く。よくよく手元を見てみると、分厚いコップにはきれいな小石が埋め込まれていて、そこから冷気が漂っていた。こ、これは。
「まど、うぐ…?」
一瞬、こんな高価な物に触れてしまってどれだけ怒られるのかと恐怖にかられる、しかしすぐシスターの言葉を思いだして、安堵の息を吐き出した。
この村では魔道具はそれほど珍しくもないから、薦められたら遠慮なく使え、と。そう言っていたのだ。
…魔道具なんて、この村に来るまで間近で見たことすらなかった。
あらためて恐々と手元のコップを眺め、観察する。…もうひと口飲んでみよう。
「…プピー…」
コップ越しに鼻の鳴る音がした。テーブルの上には小さなクッションが置かれ、真ん中に黒い毛玉が載っている。ジャックは昼寝中だった。
小さな丸い腹を上下しながら、時々髭がピクピクと動くのがなんとも可愛らしい。なにか夢を見ているらしく、口も動いているようだ。
なんとも言えない充足感を感じ、我知らず微笑む。
…平和、これがきっとそうなんだろう。なんて幸せな時間なのか。
ずっと、こんなふうに、平和に暮らせたら。
最近、先のことを考えることが増えた気がする。
奴隷であったころは、命令がない時はいつもぼんやりしていた。
何もせず、考えず、ただ生きていた。たまに頭がはっきりする時はひたすら餓えていて、それ以外のことを考える余裕なんてなくて。でも勝手に食べ物を探しに行く自由なんてなくて。
「…水溜まりの、泥水を飲んで、いた、な」
それが、今はこんな高級なコップできれいな水を飲んでいる。人生ってわからないものだ。
これから。これから…オレはどうなるんだろう。
王都で鑑定を受けて、犯罪者と確定したら?その瞬間から、オレという人間は…
そうだ、もしそうなった時、ジャックはどうなるんだろう?
この頃気がつくといつもそれを考えてしまい、そのたびに憂鬱な気分になる。
じつは、使い魔やテイマーについての知識はほとんどない。でも、たしか使い魔とはテイマーが所有する「モノ」として扱われるのだと聞いた。
なら、テイマーの人間が犯罪者であったら?その使い魔も…よくは思われないだろう。まさか、もしやとは思うが、一緒に処刑されたり…
不吉な想像に、目の前が暗くなるような気がした。オレが罰を受けるのは仕方ない、でもジャックは何も悪くないんだ。もしそんなことになったら、オレのせいだ。
ずっと考えていた。
ジャックは、オレと一緒にいないほうが幸せになれるんじゃないだろうか。
この村は豊かで、住む人も皆信じられないほど親切だ。しかも、ジャックと同じ…姿をした、猫がたくさん住んでいる。ジャックは魔物だとライアットとウロが言っていたから、もしかしたら育てばもう少し大きくなるかもしれないが、多分ここの人達なら多少姿が変わっても受け入れてくれるだろう。
仲間も、おいしいご飯も、守ってくれる優しい人間もいる。今の赤んぼうで非力なジャックにとって、オレと王都にいくより遥かに…幸福な暮らしがある。
ぼんやりと考え事をしていたら、いつの間にか寝ているジャックの顔が険しくなってきた。髭の動きも激しくなり、とうとうぱちりと目を開く。
少し間をおいて、小さな頭を持ち上げるとキョロキョロ周りを見回した。何かを探してる、ようだ。
「ミィ…」
そして動きが止まったと思うと、今度は何か悲しそうに鳴いた。髭もしょんぼりと下がっている。そしてうつ伏せになると、顔をクッションに充てたまま載っているクッションを前足でぺふぺふと叩き始める。
「ミゥ、ミゥ、ミゥー…」
なんだろう、すごく物悲しい鳴き声だ…
思わず、そっと手を伸ばし背中の毛並みを撫でてやる。ゆっくりと小さな体を撫でていると、じきに安らかな寝息をたてはじめた。
ジャックは、時々夜中に目覚めてこんなふうに悲しそうに鳴くことがある。ライアットが言うには、親が恋しいんだろう、と。
「………」
なんとはなしに、自分は小さい頃どうだったろう、と思い返す。だが、それらしい記憶には思いあたらなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
目が覚めると、もう昼近かった。
うぬぅ、朝飯の後で昼寝して、まさかの二度寝。それで起きたら昼って、さすがに寝過ぎじゃね?いくら子猫ったって、こんな生活してたら脳ミソ溶けるぞ。
あーあ、それにしても惜しかった。二度寝前に見た夢を思い返し鼻の頭をぺろぺろと舐める。
…でっかいおにぎりを食べる夢を見た。なのに、いざかぶりつこうとしたら目が覚めてしまったのだ。あまりの悔しさに、目覚めた後両手でテーブルを叩きまくった気がする。二度寝したけど夢の続きは見られなかった。
ううう、俺のおにぎりぃー!つーか和食!味噌汁、漬物、肉じゃがあああー…
あーもー米食いてー。
こっちの世界にも日本っぽい国ないかな?
いまいる村には米も醤油もないみたいだし、そろそろかなりご飯と味噌汁が恋しくなってきた。人間になるのが今のとこ一番の目標だけど、仮に人間になれたとしても食い物がなぁ。
などととりとめもなく考えながら、また鼻を舐めた。かすかに塩味。
ん?
なんか、俺のいるテーブルの横、でっかい丸太にクルルが座ってるんだが、妙に横顔が暗いな。俺が起きたことにも気がついてないみたいだ。
「ミー!」
腹が減ったよー!そろそろ昼飯ー!
「…あ、ジャック。目が覚めたの、か」
俺の声に気づき顔を上げたクルルに、ぶんぶんと頷きながら這い寄っていく。そして載っかってたクッションから降りる…っつか落ちた。
ぽて。
「ミッ」
か、顔からいったぞ。ちょっと痛かった。
慌てて前足で顔をごしごし。するとクルルが抱き上げてくれた。何故かじっと顔を見下ろされ、見つめ返す。
なんだろうと思い少しの間見つめあっていたら、暗い影のあったクルルの顔が、ふっと和らいだ。
「そうか。もう、ご飯の時間、だな」
「ミュッ、ミーアー」
そーそー!あ、ちなみに俺のご飯はヤギ乳じゃなくてパンでお願いします。
にこにこしながら俺を抱っこして歩き出すクルル、最近わりと意志疎通できるようになってきた。ふむふむ、なんか知らんが立ち直ったらしいね。
笑顔を向けられるとやっぱりこっちも嬉しい。何を悩んでたのか知らないけど、あんま深刻に考えすぎるとハゲるぞ。
で、その後クルルに連れていかれたのはやっぱりヤギのところだった…内心がっかりしつつ、ぐびぐびとミルクを飲む俺。あー、固形物が食べたーい。
今日は昼過ぎにキャシーが遊びに来た。
なんか、村に来たばかりのクルルが一人で心細いだろうと気をつかった村長が彼女にお使いを頼んで、それでいつも教会に来てるっぽいな。しかも、保護者で世話人の立場にあるじいさん、いま寝込んでるからね。
クルルは子供だしちょっと変わった経歴あるし、そら心配だわな。ほんとにじいさん頼りない。
それで、昨日はパン屋さんと雑貨屋さんを紹介してくれた訳だけど、今日もどこかお店に案内してくれるのかな?
ちょっとわくわく、村の中にはけっこう看板のついた建物があるんだけど、字が読めないから何屋さんかわかんないんだよね。イラストとかロゴマークみたいのがある所は想像できるけど。
俺が一番気になってるのは、ひょうたんみたいな丸いのに棒とスプーンみたいのが刺さった絵が描いてある看板の店だ。
その店も窓があるんだけど、雲ってて店内は全く見えない。匂いも外に漏れてないし、めっちゃ気になる。
うーん、何の店なんだ…食堂は村に一つだけって言ってたし、雑貨屋は昨日行ったし。
あ、そこ!キャシー、そこの角の店!そこに案内してー!
クルルに抱えられた状態で必死に前足をばたつかせアピールするも、キャシーはにこーっと笑顔を向けただけで反対方向に足を向けてしまった。ちがうー、こっちだってばー!
「それにしても、神父様が二日酔いなんて珍しいわよね。いつもお祭りの時くらいしか飲まないのに」
「そう、なのか」
「そ。なんかお酒全然ダメらしいの。嫌いではないみたいだけど、弱いんですって」
あー、まぁコップ一杯で潰れてちゃなあ。俺も強くはないけど、さすがに缶ビール2本くらいは飲めるし。
「あ」
キャシーが、ふいに何かに気づいたように声をあげた。つられて視線を前に向けると、見えたのは走り去る猫の尻。
「今の、見た?さっきの白い猫がブチ助よ。村の猫の中では古株なの」
「ぶちすけ…」
うん、キャシー?尻だけで紹介されてもな。
でもブチ助君かぁ、やっぱこうして猫に転生したからには交流持っときたいなぁ…うーん。
ブチ助が走り去った方をなんとなく見ていたら、俺を抱える手がかすかに震えたことに気づいた。
訝しむ間もなく、何故か俺はキャシーの目の前にずいとつき出される。
「ミュ?」
「なーに?どうしたの、クルル」
とっさにキャシーの小さな手が俺を受けとり、胸に抱えた。うん、柔らかい。
「え?ちょっと、どこ行くのよ」
「…オレ、は、…よ、用事がある、から。ジャックを、猫に会わせ、て、くれ」
えぇ、なんだ?
なんかどもったような声が聞こえて慌てて後ろを振り返るも、言い終わると同時にクルルは脱兎のごとく走り去っていった。なになに、どした?あれ、ちょ、用事ってなによ?
「えぇ~?な、なんなのよぅ…」
俺はキャシーと二人、唖然と取り残されてしまうのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ジャックをキャシーに託し、オレは無心で村の中を走っていた。
通りすがった何人かが驚いた顔で見てたけど、立ち止まる余裕もなくそのまま駆け抜ける。
気がつくと、村の入り口の門を通り抜けてしまっていた。…ぼーっと辺りを見回して、薪が積み上げられ丸太が並ぶ場所を見つけ、そこに落ち着く。
ここは村の外だし、誰もいないみたいだ。無断で入ってすまないがここで少し休ませてもらおう。
ちょうどいい高さの丸太を見つけ、座った。
「………」
ずっと握りしめていた手を開き、手のひらに目線を落とす。
ジャックを抱いていると、オレの手はとてつもなく大きく見える。普通の人間とは形が違う、不格好な手。
この国へ来るまでのことは、あまり覚えていない。
途切れ途切れに残る記憶はどれも短く、どこか他人の記憶のようだ。だが、あの日遺跡でジャックと出会ってからのことは、何故かよく思い出せる。
…傍に…あの小さな暖かい生き物が、いない。そう思ってしまうと、途端に自分が一人きりなんだという気持ちが強くなり、心細くなる。寂しい、怖い。
丸太の上で膝を抱えた。ぎゅっと顔を膝に押し付けて違うことを考えようとするが、頭から不安が消えることはなかった。
どのくらいそうしていたろう。時折吹く風や葉の揺れる音に混じり、誰かの足音が聞こえてきた。
半分無意識に、自分が耳と鼻に集中していたことに呆れる。もう、盗賊達のために周囲を警戒する必要はないのに。
…足音の主は、若い男のようだった。あまり大柄ではなく、汗くさくて鉄の武器の類いは持っていない。村から出てくるみたいだ、誰だろう。
街道の横の丸太で膝を抱えたまま、ぼんやりとそんなことを考える。
「…うおっ!?」
あ、オレに気がついて驚いている。まだ離れているのに、彼はオレより目がいいかもしれない。
脅かすつもりはなかったのだが、悪いことをしたな。
茶色いシャツに金髪の、少し元気のなさそうな男だった。なにか恥ずかしそうに頭をかきながらこっちへ向かってくる。
「脅かすなよ…魔物がいるのかと思っちまった。こんなとこで何してんだ?」
「なに…。何も、してない」
「ははっ、なんだそりゃ」
男は軽く笑いながら、なぜかオレの横の丸太に腰掛けた。
たまたま村を見つけて数日前から滞在中の冒険者だという、彼はマリオと名乗った。
なんでも、オレとキャシーが食堂に行った時に彼もいたらしい。今日は子猫を連れていないのかと聞かれ、俯いてしまう。
何も言えずに地面を見ていたら、マリオはポツポツと色んな話を聞かせてくれた。
マリオは、王都の出身らしい。成人すると当時に家を飛び出して、特技を生かして仕事にしようとするも叶わず、今は冒険者として喰い繋ぎながら修行をしているらしい。
そして彼には、ずっと傍にいたいと願う幼馴染みがいるという。だが、二人は身分が違うせいもあり周りがそれを許さなかった。
しかし、悩むマリオにその幼馴染みは「身分なんて関係ない、貴方と一緒にいたい」と言ってくれた…だが、マリオはその言葉に喜びながらも、納得できなかったそうだ。
結局、幼馴染みが止めるのを振り切り町を飛び出して数年経つと聞き、オレは不思議に思った。
「なんで?って顔だな。お前無表情っぽいくせに、思ってることが目に出てるぞ」
「…そ、そうか。ごめ、ん」
目に出てる?そうだったのか、気をつけないと。
頬を指で触れて確認する。
目か…顔ではなく。どうにも、自分は意識して表情を作るのが下手なようだ。長年、あの首輪をつけたままでいたので、その影響かもしれない。なんだか嫌だな。
「ははは、まぁ気にするほどのもんじゃない…さっきの話だがなぁ、どうして俺は納得できなかったと思う?」
ちょっと考えたが、何も思い付かない。
お互いに思い合っているというのに、なぜだろう。やっぱり周りが駄目だと言ったせい、なんだろうか。でも、違う気がする。
答えを知りたくて横を見ると、マリオは寂しそうに笑っていた。なんだろう、悲しそうにも見えるけど、嬉しそうな気もする。
「俺はな、ガキの頃は身分なんて意味ないって内心思ってた。そんなの周りの連中の考えであって、好きとか嫌いってことには関係ないってな。でもよ、少し大人になってくると考え方が変わった」
そこまで言うと、少し悩むように言葉を切った。
「自分はあいつに釣り合ってるんだろうか、って考えるようになったんだよ。あいつと並んだ時、堂々としていられる自分になりたかった」
確認するようにゆっくりそう言い切ると、カバンを開けて四角い箱を取り出した。カバンの大きさと変わらないその木箱は大きさのわりに厚みがなく、フタの所が小さな金属の留め具で固定してある。
「これを見てもらえるか」
箱を開けて神妙な顔をしたマリオが、中から紙を二枚出してオレに差し出した。
「…!?」
すごい、これは…
目に飛び込んで来たのは、鮮やかな色彩。平たい紙を見ているはずなのに、そこに描かれた絵が今にも動きだしそうなほど生き生きと感じられた。
その紙には、見たこともない美しい黒髪の女性が微笑んでいた。声もなくただ見とれる。
「…すごい、これ、肖像画、なのか?こんなに、生きてるみたい、な」
「へへっ。これはな、俺の授かったスキルで描いた物だ…俺がこの目で見た人や景色を、紙にそっくり写し出せるんだぜ。ま、レベルを上げて、最近やっとここまではっきり写せるようになったんだがな」
…スキル?こんな、こんなスキルもあるのか。聞いたことがない、いやオレの僅かな記憶なんて宛にならないけど。
スキルというものは世の中の半数の人が持っていて、だいたいは…ちょっとしたことしかできないものだったはず。
たとえば、一日に水をコップ一杯分だけ生み出せる力。ほんの一瞬だけ体の動きを速くすることができる力。自分の手で触れることなく、物を少しだけ浮かせる力。そういったものがほとんどだ。
中にはライアットの「アイテムボックス」のように、ありえないほど便利な力を持って生まれてくる人もいるという。そういった人達は王様や貴族に取り立てられて、盗賊達曰く勝ち組…とかいうモノになれるらしい。
だが、今見ている肖像画…こういうスキルも存在するとは、考えたこともなかった。
スキル、スキル…ぽつりと思い浮かんだ考えに、ちょっと驚いてしまう。オレも、もしかしたら、その内何かのスキルを使えるようになったりしないだろうか。可能性はゼロじゃない、たしかスキルは生まれてから20歳になるまでに発現する者が多いというし。
あぁ、そういえばこんなことを考えるのは初めてかもしれない。この、胸がドキドキする落ち着かない気分はなんなのだろう。こんなの、7歳くらいの頃にオークの群れに放り込まれた時以来かもしれない。
スキル、いいなぁ…きっとスキルを持っていない人間は、オレだけじゃなくて皆そう思って、ちょっとだけ期待しつつ生きてるんだろうな。他の人ができないことを出来る、いいなぁ。
なんとなく羨ましくなって、横に座っているマリオと手元の美しい肖像画とをちらちら見比べてしまう。これ、このスキル、なんていう名前なんだろう?さっき何て言っていたっけ、目で見た物を…紙に…
「…いいんだよ見た目は!自分がブサイクだって自覚はあるんだ、要は人間として釣り合いたいって話だよっ、このこの、ガキのくせに無駄にきれいな顔しやがって~」
「へ、…ふぁに?」
怖い顔をしたマリオに、ほっぺたをぎゅーっと引っ張られてしまった。ちょっと痛い、何を怒っているんだろう?
「はぁ…まぁ、確かにな。見た目だけでももうちょっと良けりゃ、多少は自信が持てたかもしれないな。せめて足がもうちょい長かったら…いや、なんでもない」
膝に肘を置いて地面を見下ろして、長い溜息をつくマリオ。さっきより雰囲気が暗くなった気がする。
見た目…うーん、そういうものなのか?
よくわからない。だが、オレはこの間髪を切ってもらって、かっこいいと言われて。すごく嬉しかった、んだと思う。だから、おそらくマリオもかっこいいと思われたいんだろう。
いや、まて。では、この肖像画の女性が彼の幼馴染?
「なぁ…肖像画、ってどういうもんか知ってるか?」
地面から目を逸らさないまま、ぼんやりと問われた。しょうぞうが…
「だよな。だいたい貴族階級のモンだし、詳しくなんて分からないよな。肖像画ってのは、お貴族様が何かあるたんびに描かせるもんなんだよ。各々の家の専属の肖像画家に、な。専属なのよ、専属」
「…せんぞく…せんよう?」
「あー、まぁそれだ。まず貴族階級の家で、位にもよるけどだいたい一人から三人くらいしか雇わない。しかもそれだって貴族出身がほとんど、庶民でも学園の卒業資格を持ってるやつばっか。そんでさらに、肖像画ってのは…あー、本人そっくりでなくてもいい。むしろあんま似てないのが良いとされてる」
…え?
肖像画、って、似てないと意味がないんじゃないのか。
確か見合いの前にお互いに送り合ったり、死んだ後残された家族が寂しくないように家に飾る、とか聞いたが。なら、出来るだけ似てるほうがいいんじゃないか?それこそさっき見せてもらったのみたいに、紙に描いてあるとは思えないほど。
困惑が顔に出ていたらしい、こっちを見たマリオが深く深く頷く。
「肖像画ってのは、実物より美しく。モデル本人の満足度が一番大切、本人の特徴なんざ髪の色や目の色、ホクロ程度でいいのさ。…俺が今までに売り込みの機会をもらったお貴族様方。俺のスキルで描いた肖像画を見てなんて言ったかわかるか?」
すぐには答えられずしばらく考え込んでしまう。
あんな本物そっくりに描いてもらえたら、普通は驚いた後喜ぶんじゃないだろうか?何て言うんだろう、ありがとう?すばらしい?
あ、でも…実物そっくりじゃないのがいい、という事なら、そのまま本人そっくりに描いてあった場合はどうなるんだ?
「こんなブス、ワタクシじゃありませんわ!だの、こんな不細工がワシだと言うのか無礼者!だよ」
…思いもつかなかった言葉に唖然とする。本当にそんなことを言ったのか、なんで。
マリオは力なく笑い、木箱から何も描いていない紙を1枚取り出した。目の上に翳し、太陽に透かして見上げる。すっと瞼を閉じ、ふーっと息を吐きだした。
「このスキルを身に着けたのは、まだほんのガキだった頃だ。そん時作れたのは、それこそ子供の落書きみたいな、歪んでぼやけたひでぇモンだったよ。間違ってもモデルの面影なんざ見当たらない…でも俺の作ったヘタクソな肖像画を見て、あいつは喜んでくれた。たくさん褒めてくれて、宝物にするって言ってくれた」
はにかむように、大事なことを告白するようにつぶやくマリオ。その手元がじわりと光を放ち始める。
「俺は…胸を張ってあいつを迎えに行ける男になるまで、あいつの元には帰れない。力もない、魔法も使えない、商売の才能もない、学もない俺がのしあがるには、これしかない。だが正直、もう何年も方々を回って売り込んじゃいるが、肖像画家になれる道なんざ見えてこないよ。でも俺はあいつが褒めてくれたこのスキルを信じてる」
マリオの瞼の前に翳された紙に、まるで七色の光がしみ込んでいくように模様が刻まれていく。柔らかく暖かな光は明滅を繰り返しながら、紙の端まで届くとゆっくり消えて行った。
「実を言うとこの村に来る前までは、諦めかけてたんだ。俺なんてどうやったってあいつに釣り合う人間にはなれないんだ、ってな。だが、ここの連中は…自暴自棄になってた俺を救ってくれた。あんな奴らがいるんだったら、世の中まだ捨てたモンでもないって思えるようになったよ」
光りが完全に消え去ると、マリオは目を開き手元の紙をじっくり眺める。そして小さく頷きニッと笑うと、俺にそれを差し出した。
「これ、もらってくれるか?我ながらよく描けたと思うんだが」
「!?」
そろりと両手で紙を受け取り、目を見開いた。
その紙には、笑顔でジャックを抱きしめるキャシーが描かれていたのだ。豊かなこげ茶色の髪が風に吹かれ、胸元の黒い子猫は金色の丸い目をぱっちりと開いていて、ふわふわと柔らかそうな毛並をしている。
これ、この光景はいつか見た。そうか、マリオも村のどこかで見ていたのか、それを描いたのだ。
「へへっ、その内俺はこのスキルで世界一の肖像画家になる。そん時はこれを“あのマリオが描いた肖像画だ”っつって自慢していいんだぜ」
「あぁ、世界一だ」
思わず思ったままを呟くと、冴えない顔をしていた青年は顔を真っ赤にして咽り始めた。怪訝に思いながらも肖像画に見惚れていたら、べしっと背中を叩かれた後頭をぐしゃぐしゃと撫でられた。




