36話 幕間 魔人侵攻(後編)
前回に続いて、読んで少し不快になる所があるかもしれないので苦手な方はご注意下さい。
評価・ブックマーク入れて下さった方々、ありがとうございます。
暗い森の中を、夥しい数の異形が静かに這って行く。
あたりには未だ焦げ臭い臭いが漂い、日が落ちてきたせいか森の中はさらに薄暗くなっていた。
地表を水が流れるように移動していく白い群れの中、ただ一人黒いローブを纏った老人が歩く。その顔は目深にかぶったフードと長い髭に隠れ、表情は読み取れない。ただ、唯一露になった口元にはなんの感情も浮かんでいなかった。
カチャカチャカチャカチャ…
辺りを包む不快な音を聞きながら、ローブの袖口をちらりと見下ろす。節榑立った老いた手に握られた小瓶、それは淡く輝く青い液体をいっぱいに詰めたものだった。
手の中で清浄な光を放つそれにゆっくり口をつけながら、老いた魔人はなんとはなしに今までの己を思い返していた。
今日これまでの…その記憶にあるのは、ただただ怨み憎み呪ってきた日々。
自分から全てを奪った人間達への、果てし無い憎しみだけ。だが、他にはなにもないと思っていた心の中に、かすかに残っていたものがあった。
先ほどの黒い翼を持つ青年、その顔に浮かんだ怒りを思い出す。そこにはそれ以外の感情も読み取れた気がした。気のせいだと言い切ることは、今の自分に出切るのだろうか。
「………」
あの時脳裏に浮かんだのは一体何の感情だったのだろう?
あの青年が、今にも泣き出しそうな子供に思えたのは何故だ?
わからない、だから考える。考える…しかし、半分欠けた脳では、どれだけ考え続けても何もわかることは出来なかった。たった今摂取した上級ポーションの効力を持ってしても、ここまでイキモノとして不完全になってしまった自分を完全に回復させることはできない。
有り余る魔力で無理矢理修復し、継ぎ接ぎに復元させた体がギシリと音をたて、痛みを訴えているような錯覚を覚える。痛覚などとうの昔に失われているというのに。そして、そのことに対してなんの痛痒もないという違和感。
視界に広がっていた暗い森のあちこちに、木々の隙間から夕日が差し込み始めた。街道を埋め尽くす白い異形達にもその色が落ち、ポツポツとあでやかな赤い模様を描き出す。
以前、こんな景色を見たことがある。
そうだ、ちょうどこんな色だった、真っ白な雪で一面覆われた窓の外を…目の覚めるような、赤い染みが…
………
一瞬、脳裏にぼんやりと浮かんだ光景はなんだったのか。それが自分の記憶なのだと理解することは、もはや彼にはできなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「姫様、本当にあいつに行かせて良かったんですか?」
手に持った槍を肩にトンと下ろして、隣にいるはずの主に声をかけた。だが、わかっちゃいたが返事はない。代わりに聞こえてくるのはズシン、ズシンという鈍い地響きだけ。
「ひめさまー?」
「…なに?」
「はぁ。ま、いいですけどね。あいつも最近はだいぶ落ち着いてきてますし」
ため息まじりに呟き、ちらりと横を見た。
この方はいつだってこんな感じだ。今だってオレの声が聞こえたはずなのに、次の瞬間にはもう興味を失って無表情にアコの実をシャクシャク齧っている。
だがまぁ、あいつはオレたちの中では新参でありレベルも一番低い。経験も浅いし色々未熟ではあるが、今回の敵が想定通りであったならそう危険はないだろう。こういう時くらい経験値を積ませてやらなくては。
何より、一緒にクイーンの偵察部隊もついていったし。様子を見て戻ってくるくらいなら問題ないはず。
「ライラ、あいつが戻ってきたら三人で特攻でいいか?」
前を歩く背の高い女に声をかける。金色の耳と尾を持つすらりとしたヒト型の魔物が、首を傾げた後振り返ってこっちを見た。
「あたいはそれでいいけどさ、あいつが素直に命令通りに戻ると思うか?多分、見つけた途端大喜びで突っ込んで行くよ」
「…やっぱそうかな」
「そうだろ」
ものすごく確信を持って何度も頷くライラ。最近はわりと素直に、指示通りに動いてくれてたと思うんだけど。
やっぱあいつにゃ作戦とか無理だったろうか。なんか自信なくなってきた。
うーんと頭を捻りつつ必死にあいつを信じようとするオレの顔にふいに冷たい風があたり、軽い物が肩にふわりと着地する。
「アイツ馬鹿ダカラネー、今頃一番乗リー!トカ言ッテ マッスグ突撃シテルヨー。偵察ナンテ無理無理ー」
う。あ、あり得る。
オレの左肩に留まり早口でまくしたてるのは、美しい真っ白な小鳥。
彼女は仲間内で一番おしゃべりだが、わりと観察力があって的確なことを言ったりもする。だからよけいにうるさく感じるんだが。
「うーん、ベアードにウピアトの旦那。ちょこっとだけ急いでもらえるかな?」
「グルルゥ」
アコの実の芯をボリボリ齧っている主を背中に乗せた巨大な熊の魔物、彼はウピアトとは違い走るのが少々苦手だ。申し訳ない気持ちになりながらもお願いすると小さく頷きを返し、走る速度をゆっくりと上げていってくれた。
徐々にリズムが早くなるズシンズシンという地響きを聞きながら、少しだけ疲れた気分でオレも走り出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ブン………
またか。視界の端を掠めた影と羽音に、何故か不穏な気配を感じて辺りを見回す。
もうすぐ森を抜ける、そう思った頃だろうか、蜂の羽音がやたら聞こえるようになった。
最初に見た一匹と同程度の大きさの魔餓蜂が、わかるだけですでに20匹はいる。近くに巣でもあるのかと思ったが、パペット共に調べさせてもそれらしいものは見当たらなかった。
魔餓蜂とは亜熱帯の地域でよく見られる魔物だ。
一匹の女王蜂を頂点とした群で生活し、巣に近づいた生き物に対しては容赦のない集団攻撃を仕掛ける。
高速で飛行し、尻の針には強い毒を持っておりゴブリン程度なら一刺しで絶命させうる。性質はまぁまぁおとなしく、近づいたり刺激したりしない限り無暗に襲い掛かってくることはない。
今あたりを飛び回っているのはそれほど危険のない種類だが、これがレベルが上がり進化を経たものとなると危険度が桁違いに上がる。
まぁ、もっとも魔人たるズンバにとっては何匹いようと到底脅威にはなりえず、また彼の操るパペットも生物ではないが故にさして危険があるとは思えない。
だが、この数が巣の近くでもないのに一定の距離をもって周遊しているとなると、いささか不可解だ。
「妙なこともあるものじゃな…」
さほど警戒してはいないものの、何か頭に引っ掛かる。
「ギギッ」「ギィ」
パペット供が急に騒ぎ始めた、左端のほうから異変が伝わって来る。何か、魔物が襲って来ているようだ。
この数を見てなおかかってくるとは、無謀な魔物がいたものだ。
確かにパペット単体ではたいした強さではない。だが、すぐそばに操者がいるというのに。
ズンバは魔力を集中し、今何者かと戦っているパペットのあたりに意識を向けた。
「なっ…んだと!?」
そこにいたのは、黒々とした毛並みを靡かせた狼の魔物。胸元に見える白い紋様、さらに全身がほのかに淡く光る様は間違えようもない。
ズンバは我知らず口元をニヤリとひきつらせ、興奮に瞳を歪めた。
まさか、この目で見ることが出来ようとは。
しかもあの混ざりもののない、ただそこにいるだけで体から溢れ辺りを照らす魔力は、見紛うことなく純血だ。しかも病の兆候もなく、若い。
…すばらしい。パペットの素材として破格の存在だ。
老いた魔人はペロリと舌舐めずりをすると周囲のパペット達に次々と指示を出した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
白い不気味な人形達の間を、風のように駆け抜ける。その際に踏みつけた何体かがガラスの割れるような音をたて、バラバラに崩れた。
「ひゃっほー!」
自慢の脚にさらなる魔力をこめると嬉々として駆け回り、人形達を次々に壊していく。思いっきり蹴らないと壊れないのが面倒だ、こいつら案外丈夫にできてる。さすがは魔人特製!ってところか。
それにしても見た目に反してこいつらの動きはけっこう速い、まぁオレに比べたら亀みたいなもんだけど。
よっしゃ一番乗りだ!自分一匹でこのまま全部ぶっ壊してやる!
爽快な気分で疾走していたが、急に右の後ろ足が重くなり転びそうになる。慌ててバランスをとり踏みとどまるも、なんだかやっぱりその足だけが動かしづらい。
「なんだ?うわっ」
後ろを振り返ってぎょっとした。
オレの足に絡み付いていたのは、壊れたパペット達だった。
手、足、胸、指…ばらけた体の各部分が虫のように地面を這いカチャカチャと音をたてながら、まるで元々そういう生き物であるかのようにすべらかに動く。生きているとしか思えないなまめかしい造形ながら関節の所だけが人形のようになってるのが、また不気味だ。
「おえー…キモいぃ」
咄嗟に足を後ろにぶんぶん振って振りほどこうとするが、がっちりしがみついていて全く取れない。
それはほんの一瞬のことではあったが、獲物が動きを止めたこの時を人形供が見逃すはずもなく。
カチャカチャカチャカチャカチャカチャ
「キャイーーーン!?」
夥しい数の人形に一気にのし掛かられて堪らず悲鳴をあげる。つーか、おっも!潰れる!?
背骨からなんだか木が折れる前みたいな不吉な音がしはじめて、一気に血の気が引いた。
「ヒーッヒッヒッ、骨ぐらいは折れても良い。ああ、くれぐれも頭だけは潰すでないぞ」
なんだか汚い嗄れ声が聞こえたかと思うと、体にかかる重量が一気に増えた。いよいよ背骨がヤバそうだ。少し離れて周遊していた蜂の羽音が変化し、何匹かがこっちへ向かう気配がする。でも、間に合うのだろうか?
「グギュー…ッ!」
「ブラッド!そのまま臥せてな!」
ズバン!!
「ぶはーっ!」
聞きなれたドスの効いた声と同時に、俺の上にいたものが軒並み吹き飛ばされていた。背中の圧迫感が消え、息ができるようになる。
他の所もかすかに拘束が緩んだ隙に、身体中に絡まっていた人形の部品を全力で振り払い、一気に駆ける。ちょっと腰が痛くてもたついてしまったのは仕方ないことだろう。
森の途切れたあたり、ちょうど木々の間から街を囲む防壁が見える場所でこっちを見ていた姐御の傍らに滑り込むようにして静止する。その上空には見覚えのある蜂がブンブンと飛び回っていた。彼らも心配してくれていたらしい。
心臓がバクバクいってる、今のヤバかった。
「危なっ!ちょ、背中の毛何本かイッたッスよ!?」
「うるっさい!男がそのくらいでガタガタ抜かすな」
「キューーーン…」
恐ろしい一喝を聞き俺の耳と尾がぺたんと下がり、鼻を鳴らしてしまう。だ、だって恐いんだよぅ。
「ほぉ!よい、これはよいぞ!素晴らしい、パンテ・レオのメスなぞ始めて見るわい!」
さっき聞いた汚い声だ。
声のするほうを見ると、白い人形の群れの中で一ヶ所だけ黒い物があった。
小さな、人間のじいさんみたいだ。ボロボロの黒いローブを着ている、なんか色んな生き物が腐ったような臭いがするけどアンデッドじゃなさそう。こいつが魔人なのかな?
うえ、なんでか知らないけど滅茶苦茶嬉しそうにこっち見てるよ。「良い!良い!」とか言いながら腕振り回してるし、テンション高い魔人だなぁ。
「あたいらを見て喜ぶヤツなんて、始めて見たよ」
「オレもッス」
横で姉御が呆れていた。
そりゃそうだ、人も魔物もオレらを見ると大なり小なり嫌そうな顔をする。中には、何もしてないのに泣いて土下座を始めた奴もいたっけ。失礼な話だ。
カチャカチャカチャカチャカチャカチャ…
うわっ。
黒いローブのじいさんが杖をゆらゆらすると、パペットが次々にその形を崩し、下から巻き上げるようにして一つに固まっていった。なんかキモい。
「…そーいうことも出来るのかい」
おえーっと舌を出す俺の横で姉御が頬をひきつらせて笑う。
みるみる内に、高級な宿くらいの大きさの白い化け物が組み上がっていく。パペットの腕が足が腹が、虫の脚のような物も蛇の尾のような物もみなバラバラに崩れながら歪なパズルのように繋がっていった。これは、何の生き物の形なんだろう。
よく見れば、パペット達の頭だけは上のほうに全て集まり、カチャカチャと音をたてながら内側へ巻き込まれていた。
その際に、なんとはなしに見て気づいた。
化け物の中へ溶け込んでいく無数の頭は、多少形が崩れてはいるもののヒトの顔としての造作を持っていて、全て目鼻立ちが微妙に異なるということに。老いた顔、若い顔、男に、女に…
「あ、姐御、あれ…」
「あんたは見なくていい、…本当に趣味が悪いじいさんだね」
思わず凝視していた俺の瞼を、小さな手がそっと覆っていた。
今見た光景は脳裏に焼き付いてしまったが、その手の温かさを感じて我に帰る。
…死者を、あんなふうに貶めるなんて。何故そんな酷いことが出来るんだ。
落ち着くと同時に、ふつふつと怒りが沸いてくる。
こいつはここで仕留めなきゃいけない、こんな外道を放っておくなんてこと出来るはずがない。
決意を胸に、足を四本しっかりと地面に食い込ませ、ぐっと力を溜める。いつでも走り出せるように。
大丈夫、きっとできる。だって強い姉御と強い俺が揃ってるんだから。
「姉御、どうやって仕留める?」
ガンッ!
「キャイン!?」
何故だ、げんこつで殴られた。
あまりの衝撃に顎から地面に激突し、前足が開いて這いつくばってしまう。瞼の裏にお星さまが大量に見えますキラキラキラ。
「何言ってんだいクソガキ!偵察だっつってんのにあんたが勝手なことするからこうなったんだろ!?」
「キューン、キューン」
地面に伏せたまま前足でおでこを抑え、痛みを耐える。その時、ふわりと風が吹いてしっぽの毛が揺れた。
「ボルが追いついた、それじゃ行くよ!いつまで寝てんだい」
「う、うッス!」
金色の髪を靡かせ大剣を振り上げて駆け出す姉御の後ろを、よろけながら慌ててついていく。
「ヒッヒッ、向かってくるか。さすがは勇猛で知られた種族よ…む?」
黒いローブのじいさんと巨大パペットの回りを大きく円形に囲むように、茶色い風がぶわりと巻き起こった。たちまち、砂の竜巻が生まれ巨大パペットをその中心に納める。
「なにぃ!?」
唸りをあげて吹き荒れる風の音に濁声が混じる、さすがにこれには驚いたらしいな。
よく見えないけど黒いローブのじいさんはパペットの触手に守られてダメージを受けていないようだ。でも多分口ん中とかは砂が入りまくってるはず。あれ辛いんだよな。
猛威を奮う砂嵐だったが、パペットを中心にした円から外へは全く影響していない。
ある種、異様な光景だがこれは結界魔法によるものだ。これをしないと、すぐ傍にある街の防壁とか森の木々が破壊されてしまうだろう。それでは後々文句を言われてしまう、人助けをして叱られるとか嫌なので、この魔法にはいつも本当に感謝である。
砂嵐の及ばないところでそんなことを考えながらのんびり見学していたら、巨大パペットに動きが見え始めた。大量の個体が合体した状態から少しずつ中身が飛び出して、全体が小さく縮んでいく。小さくなることで風の影響を弱めようとしているようだ。
大きな白いシルエットがゆっくり崩れてゆき、無数のパペット達が地面を掴み這いながら、結界から溢れでてくる。
「行くよ!」
姉御の掛け声で駆け出した。
パペット達の白い奔流に真っ向から突っ込み、姉御と背中を合わせるようにして互いを守りながら、一体ずつ確実に壊していく。
えーっと確か、パペットってのは魔法攻撃に耐性があるから、スキル以外は使わないように、だっけ?
ここへ来る途中でユニが注意事項を色々教えてくれたんだけど、このくらいしか思い出せないな。
あ、そうだ!操ってる奴を倒さない限り、粉々になっても動きが止まらないんだった…あー、だからかー。
「ブラッド!ぼーっとすんな!」
「わ、わ!はいッス姐御!」
考えていたらまた後ろ足にパペットが絡み付こうとしていた。姉御の大剣の一撃で、俺に群がっていたパペットが6体いっぺんに両断され、地面に散らばる。
視界を覆う量のパペットの流れに埋まらないよう慎重に戦っていると、依然として勢いを維持していたはずのパイセンの砂嵐がぶれ始めた。
何かが砂嵐の中で暴れている…それは太く長い尾をもった大蛇だった。しかしその動きは生き物としての領域を超えており、でたらめに荒れ狂う鞭にも見える。
「この程度でワシの作品を壊そうなどと、片腹痛いわ!」
じいさんの叫び声とともに、大蛇が砂嵐を突き抜けてこっちへ飛び出してきた。
分かってはいたけどやっぱりその蛇はパペットの部品の集合体だった…夢に出そうなおぞましさだな。
眼前に迫る巨大な人面蛇。その背に乗っていたじいさんは多分勝利を確信したのだろう、口を亀裂のように開いて笑っていた。
だが、俺たちは動かない。動く必要がないからだ。
キィーーー…ン。
耳鳴りのような音を迸らせて、人面蛇が一瞬で硬直した。
周辺の地面を這っていたたくさんのパペット達も、それを追うように一瞬びくりと震えた後、次々と地面へ崩れ落ち動かなくなった。
静まり返った空間で、鎌首をもたげたまま動かない大蛇の頭上へ悠然と舞い降りたのは、小さな小さな、光り輝く白い小鳥。長い尾羽がキラキラと夕日を反射しながら、雪の結晶を散らせる。
この小鳥こそが、この状況を作った魔物。
彼女の行使する魔法は、魔法に耐性を持っていてもそう簡単には無効化できない。その無尽蔵の魔力で、対象は内側に至るまで瞬く間に完全に凍結させられてしまうのだ。タイミングを合わせて魔法に抵抗することができれば話は違ってくるが、今回のように完全な不意打ちではいわずもがな。
パペットは生き物ではないが、これを食らったからには最早動くことは叶わず冷たい氷の像のように佇むしかない。背中にいたじいさんも、もろともに凍り付いていた。
「終ワッタヨー」
能天気な高い声で小鳥が言った。そのまま蛇の頭のてっぺんで、ちくちくと可愛らしく羽繕いを始める。
「おう、お疲れさん。そしてブラッド、分かってるよな?」
ぎく。
いつの間にか背後に立たれていた、け、気配がしなかったぞ。
後ろを振り返るまでもない。つむじの辺りに静かな威圧を感じながら俺の耳がゆっくりと下がっていった。
「全くお前は、ちょっと成長したかと思えばすぐやらかす。どうして計画通りに動かないんだ?」
「クーン…」
地面に力なく寝そべり、半泣き状態で鼻を鳴らす。そんな俺の頭には大きなコブの三段重ねが出来ていた。下から姐御、パイセン、さらに姐御作だ。
ゲンコツを食らいすぎて頭がズキズキする。こう続けざまに叩かれたらさらに馬鹿になっちゃうよ。
でも、なんか…いいなぁ、こういうの。痛くて悲しい反面なんとなく嬉しくもある。
色々厳しいことも言われるけど、パイセンも姉御もみんなも俺を仲間として気にかけてくれてる。
あの日、皆についてきて本当に良かった。鼻をすすりながらそんなことを思う。
「ボル、姫様はどうだい?」
「ずーっと無言でアコの実食べてる」
「あちゃあ、そろそろヤバイかね」
俺を挟んで立っていた姐御とパイセンが困ったように呻いて視線を向けたのは、馬車の横に寝そべった巨大な熊。の、背中に座った一人の美女。
彼女は元々無口で無表情、そもそもあまり物事に執着しないお方。でもたった一つだけ譲れない事がある、と聞いている。
「まずいね、早いとこ出発しないと」
「でも、なあ?あっち見てみ、すぐ離れるって訳には行かなそうだぜ」
パイセンの声に恐る恐る反対側に顔を向けると…あーあ。
森はすぐそこで途絶えていて、そのちょっと先には街の防壁と門がみえていた。
その石造りの門の上にちょこんと載った見張り台の中、みっちりと並んでぎゅうぎゅうになった鎧姿の人間達。
彼らはみな完全に停止してこっちに注目していた。揃ってぽかんと口を開き目を真ん丸に見開いている。
よく見ればその下の大門もかすかに開いていて、隙間からはたくさんの顔が一列に並んでこちらを覗いていた。
「「………」」
距離をおいて、街の衛兵達と静かに目線を交錯させる。お互い言葉はない、というかメッチャ警戒されちゃってます俺ら。
姫様の一年に一度だけのお楽しみ。例年通りであったら今日あたりウェスリー王国についていたはずだった。
俺はよく知らないけど、なんでも姫様が大好きな人がいて、でもなんか理由があるそうで頻繁には会えないから毎年この時期に一度だけ会うのが恒例になったそうだ。
先々月あたりから、あの口数の少ない姫様が「そろそろね」と何度も呟いていたのは俺も知っている。
いつも細かく予定を決めないで、わりと適当に世界中を回っている俺たちだったが、これだけは期日をきっちり守り前もって計画を立てて動いていた。そう、今年はたまたまいろんなことが重なってしまい遅れに遅れてしまったのだ。
さて、パイセンはどうするつもりなのかなーと遠い目をしていたら、背後から聞こえる楽しそうな声。静まり返ったこの場所で、けして大きくはないその声はめちゃくちゃ響き渡って聞こえる気がした。
「ユニ、なんか爪の色が昨日と違うニャ」
「わ!それ、素敵ですね」
「うふふ、“ステラ”の新色なのっ。もー並んでまで買うだなんて生まれて初めてだったわ~」
「わかります、私も前は行列に並んでまでいらないって思っていましたから。ステラの化粧品は別格なんですよね」
「そう!ハンナちゃんさすが分かってる。それにあの店のならファンデとか肌荒れもしないし、むしろ最近肌ツヤが良くなってきてね。あ、二人とも試しにちょこっと塗ってみる?」
「いいんですか?」
「キラキラだニャー」
ここへ来る途中で知り合った冒険者達とユニが、馬車の中で楽しそうに笑いあっている。
楽しそうなのはいいんだが、このビミョーな空気を感じ取ってほしいと心から思った。姫様がアコの実をボリボリバリバリと苛立たしく噛み砕く音がし続けているし、馬車を見るパイセンと姉御の目が座ってるのがちょこっと怖いんです。
バトルっぽい文章は難しいです。脱へっぽこ作文。




