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五月第三週 休日






 二宮蓮(にのみやれん)にとって初年度の体育祭というのは、"クラスで最初に挑む催しもの"というただの書き連ねた文面以上の重さを持っていた。


 B組に居る、とある相手には何もかもで負けられない。

 そういう意味合いもあってクラスをリーダーとして纏めつつ、

 陸上部のホープ伊丹(いたみ)(しょう)や、女子の中心人物である進藤(しんどう)愛奈(あいな)、そして寡黙にして強烈な存在感を放つ薬師寺(やくしじ)和也(かずや)を味方に付けることで体育祭に向けての姿勢を万全なものにしている。


 体育祭(ここ)をまず、勝利で飾る。


 その意志は伊丹が抱く"活躍してレギュラーを勝ち取る"という思いと同等かそれ以上に強く、故に休日も返上して体育祭の為に準備を整えていた。


「ねえ、蓮。さっきからお楽しみお楽しみって言いながらどこに行くつもりなのさ。見たところ、この辺りには住宅街しかなさそうだけど。……それも大きい家ばっかり」

「まあ、あと少しだ」


 その一環として体育祭も二週間前に迫った今日、オタク趣味の友人である西田(にしだ)拓斗(たくと)を連れてとある閑静な住宅街を訪れていた。


 拓斗の方は戦々恐々としているが、蓮にとっては割と慣れた道。

 数えるほどしかこの道を通ったことはないにせよ、数度通れば慣れてしまえる。


 白亜の壁や上質な垣根が列を為すこの住宅街の十字路を、一つ曲がったところが目的地だった。


「もう着くぞ」

「着くって言ったって、誰かの家にでも行くの? ジャージで?」


 拓斗と蓮の二人は今日、上下ともにジャージ姿だ。

 昨日の夜、蓮に電話で呼び出されるや否や"明日はジャージで駅前集合"などと言われてほいほい着いて来たは良いが……悲しいかな目的や向かい先については何も知らされなかったのだ。


「まあまあ、体育祭に関することには付き合ってくれるっつったじゃんか」

「そりゃ朝練には参加するって言ったけどさ。申し訳ないけど蓮ほど体育祭に気合は入れられないよ?」

「それでも、お前が前向きになってくれただけで嬉しいよ俺は」

「……まあそりゃ、薬師寺さんがあんなことを言えば、ね」


 先週のロングホームルームで決まった毎日の朝練。

 拓斗としては渋るものもあったのだが、鶴の一声ともいえる薬師寺の言葉で決行になった。


 それ以降は拓斗も、不満気ながら毎日しっかりと参加している。

 否、そうせざるを得ない理由が彼にはあった。


『みんなで頑張ったねって、最後に手を繋いで輪を作って笑いたい人だけ頑張ればいい』


 薬師寺がその日言った台詞は、彼のものであって彼のものではない。


 その引用元はおそらく、拓斗にとっての()の台詞だったのだから。


 拓斗にもオタクの矜持と言うものがある。

 あの言葉を引き合いに出されては、どうしたって努力するしかない。

 嫁に顔向けできなければ、オープンにしている己のオタク性に泥を塗ることになるのだ。


「よっしここだ。着いた着いた」

「誰かの家にこの格好でお邪魔することになるとは……」


 蓮が足を止めたのは、この住宅街にあって一際存在感を発揮する、目測三階建ての邸宅だった。

 真っ白な景観に彩られた、バルコニーの観葉植物。そして一階部分に設けられた駐車場には、車好きにはたまらないこれまた白のCクラス・セダン。


 花崗岩に掘られた表札には薬師寺の文字。


「って! ここ薬師寺さんの家!?」

「うし、ぴんぽーんっと」

「躊躇なし!?」


 思わずツッコミを入れる拓斗の表情に余裕はない。

 それはそうだ、高校に入ってから最も影響を受けたと言っても過言ではない相手の家に、アポイントメントも取らない突然の訪問。いくら隣に蓮が居るとはいえ、めちゃくちゃだと拓斗は頭を抱える。


 だから、しばらく経っても返事が無かった時には半分の安堵があった。


「ありゃ、留守かな」

「ほんっとにアポも取ってないんだ!?」

「友達の家遊びくんのにわざわざ連絡入れる?」

「小学生かよ!!」


 空振りに終わるかもしれない用事に付き合わされたことや、その相手が"あの"薬師寺であったことも含めて拓斗はもういっぱいいっぱいだ。


 重い鉛を吐き出すようにため息を吐いて、今日はもう帰ろうと蓮の肩に手を置いた、その時だった。


「……あれ?」

「んぉ? おお、薬師寺じゃん!」

「お、おわあ!?」


 角を曲がって駆けてきた一人の青年が、少々驚いたように目を開いていた。

 上から下へと目をやれば、新品のジャージに新品のランニングシューズ。

 相変わらず髪は何のいじりも入れていないようだが、その美青年っぷりは少しも色あせることはなく。


 やあやあと手を挙げる蓮と、所在なさげに頭を下げる拓斗を見て、青年――薬師寺和也は困惑したように眉根を寄せた。


「……もしかして、連絡貰っていましたか?」

「い、いえいえいえいえ! 突然こっちが邪魔してしまったんですほんとすみません!!」

「……あ、いえ」


 あろうことか自らの非であるかのように口を開いた和也に対し、道化のように躍り出た拓斗が必死で謝罪する。

 その様子を面白そうに声を上げて笑う蓮を一睨み。だが、拓斗の丸眼鏡越しの睨みなど何の効果もないようで、蓮は相変わらず薄っぺらい笑みを浮かべながら和也に問うた。


「このあと、空いてる?」

「……ええ、特には」


 ふと、思考するように和也は顎に手を当てて、恐る恐る、というのだろうか。

 ゆっくりと、二人の目を見て問いかけた。


 上がって、行かれますか? と。


「お、話が分かるな! ありがとう!」

「あ、すみませんお邪魔します!」


 口々に礼を言う二人に、和也はどこかほっとしたような表情を見せてから先導した。

 ガレージの横を抜けて、玄関へ。彼が何かスイッチのようなものを押すと、ロックの外れる軽い音。


「相変わらずハイテクだなあ」

「そうでしょうか」


 軽い言葉を交わしながら、玄関へと足を踏み入れる和也と蓮。

 少し遅れて入った拓斗は「ほへー」と声を漏らしながら二人に着いて階段を上がっていった。


「……薬師寺さん、いつも走っているんですか?」

「もう、日課のようなものです」

「走るのが日課かー。……失礼ですけど、飽きませんか?」


 和也と書かれた表札が下がった部屋や、家の方の私室があるであろう部屋の横を通り抜けてリビングへ。その間に、ふと拓斗は疑問を投げかけた。


 あの日のカラオケを覚えている。

 完璧な歌い上げと振り付けで、拓斗も好きなアニメのオープニングを歌い切った彼にだから問いかけられるそれ。同じインドア趣味の香りがするのにも関わらず、ランニングを毎日続けるというその慣習。


 体力づくりというのなら分かる。けれどそれでも、あたりまえのように休日も平日も毎日走り続けるなどよほど好きでもなくばやっていられないと思うのは、拓斗が運動全般を苦手とするからだろうか。


 体育会系の友人が今まで居なかったからこそ、胸の内から出ることのなかった困惑。

 それを気付けば、彼は和也に向けて飛ばしていた。


「そういや薬師寺は走るの好きとも嫌いとも言ってないな」

「だからちょっと気になってね」


 バツが悪そうに頬を掻きながら、拓斗は蓮の言葉に頷いた。


 通されたリビングは壁を一面窓とした心地よい空間となっており、今日の暖かな日差しがソファやローテーブルに降り注いでいる。

 どうぞ、と促された二人はそこに座り、一度ダイニングキッチンの方へ引っ込んだ和也は飲み物とコップを持って戻ってきた。


「……確かに、走るのは好きでも嫌いでもないです」


 和也自身はと言うとソファの一つに掛けることもなく、二人のそばに立って。


「じゃあ続けられるのは執念ですかっ……?」

「拓斗、やけに食いつくな」

「そりゃ、執念でも薬師寺さんが続けているというのなら俺も頑張ろうかと」

「ほう……」


 執念。

 拓斗の口から飛び出したそれを聞いて、和也は一考した。

 執念、なのだろうか。走る目的はただひたすらに、駆けている間は彼女のことを忘れられるからだ。それを意固地や執念というのなら、そうなのだろう。

 消せやしないものを、無理やり振り払おうとする意志。むしろ、振り払えないからずっと行っていること。


 和也は少し間をおいてから、口を開いた。


「走っている間だけ出来ることがある。でしょうか」

「走っている、間だけ?」

「ある人は、走っている間は絶好の考え事の時間だと。ある人は、走っている間が一番生きていることを実感できると。ある人は、走っていると色々なことに挑戦できると」


 それはどれも知り合いのことなのだろう。

 拓斗は一人納得して頷いた。


「ランニングの後なので、シャワーを浴びてきます。すぐ戻りますので、寛いでいてください」


 和也はそういうとリビングから出ようとした。

 その背に、拓斗は声をかける。


「薬師寺さんは……走っている間何が出来るんですか?」


 和也は振り返らない。

 ドアノブに手をかけて、そうですね、と一言おいてから。


「忘れることが、出来るんです。走っている間だけは」


 ぱたん、と閉じた扉。


 予想外に重い話を聞かされて、リビングに沈黙が立ち込める。


「……おい拓斗」

「ごめん……物凄くごめん……」


 拙いことを聞いてしまった。

 深く突っ込み過ぎてしまったやってしまったという想いが脳内で渦を巻く。

 予想以上に落ち込んだ拓斗を横目で眺め、蓮はソファに転がった。


「まいっかぁ! あいつも走ってる間は気分が良いってことだろ!」

「蓮!?」

「くつろげって言われたんだから良いだろ別に。薬師寺も、言ってもいいと思ったから言ったんだろ。あんまり落ち込んで空気悪くしてもしゃーない」

「……ごめん」

「同じ場所に居るとずっと同じ感情になっちまったりするからな。ちょっと冷蔵庫でも物色してこい」

「お前って奴は!!」


 ちょっと良い奴だと思ったら、と拓斗は嘆息して。しかし同じ場所に居ると気分が滅入るというのも事実だと思い、立ち上がる。


「……トイレ借りてもいいのかな」

「いいんじゃないか? この前はご勝手にって言われたし」

「それじゃ……」

「和也の部屋の奥、左」

「勝手知ったる他人の家だなほんと……」


 いってこーいと手を振られ、仕方なしに拓斗は廊下へ出た。

 シャワーの音が聞こえる洗面所の前を通り過ぎ、和也の部屋と書かれた看板の前を通った先に個室があった。


 便座に腰を下ろして、一息。


「……凄いなぁ」


 思わず口からこぼれた言葉は、紛れもなく拓斗の本心だった。


 何が、と問われれば簡潔な言葉は彼から出ることはないだろう。

 容姿に優れ、勉学も優秀、寡黙にして存在感は強く、どんなに持ち上げられても謙虚。

 それでいて過去に陰を持つ、クラスの重要人物。


 まさしく、拓斗が憧れるような、昔"こうなりたい"と思った理想の人物像そのものだった。

 現実には上手く行かず、人間関係の軋轢や運動神経という目に見える格差で絶望してしまった道。


 しかしそれを現在進行形で歩んでいる人間が居るとすれば、カッコいい以外の言葉が出てこない。


「……とりあえず、謝ろう。ぶしつけなことを聞いた点については」


 うん、と一つ頷いてから拓斗は立ち上がる。

 気づけばトイレにこもってから結構な時間が経っていた。


 扉を開けて廊下に出れば、シャワーの音はもう聞こえない。

 代わりにリビングから話し声が聞こえる辺り、もう和也と蓮で話をしているのだろう。


 自分も早く戻ろうと一歩を踏み出して、ふと気づいた。

 隣にある部屋の扉が薄く開いている。


 魔が差した。


 というのが、今の拓斗に最もふさわしい言葉だろう。

 "和也の部屋"と書かれたその部屋の扉は、押せば音もなくゆっくりと開いていく。


 暗い部屋ではあったが、綺麗に整頓されている。

 特に珍しいものは見当たらない。小学校の頃に友達の部屋で遊んだ記憶と、さして変わらない部屋の内装。もしかしたら彼が凄い秘密に近づけるかと思ったこともあり、案外拍子抜けする結果だった。


 と、ふと気づく。

 真っ白な壁の違和感。まるでポスターか何かでも張ってあったかのような、長方形にやけた跡。うっすらと経年劣化で黄ばんでいる部分に比べて、五つほどの長方形にある白い違和感。


 何かが張ってあったのだろう。点々と画鋲の跡もうかがえる。


 思い出すのはある日のカラオケ。

 拓斗がエンディング曲を入れた直後にオープニングを突っ込んだのだから、きっとアニメを見ていたに違いない。もしかするとアニオタを卒業したのかもしれないなと、一抹の寂しさを抱えてしまう。


 アニオタ同士なら、より自分も頑張らねばと思ったけれど。

 もしオタクを辞めたから運動も勉強も出来るようになりました、というありきたりな話だったら少し失望してしまうかもしれない。


 勝手に部屋に踏み込んでおいて失礼な話と自覚しつつも、拓斗は少し寂寥感を抱えて踵を返し、


「――っ」


 息を呑んだ。


 そこにあったのは一つの小さな仏壇。

 デスクの隅におけるような簡素なものだったが、だからこそ拓斗は気づくことが出来た。


『忘れることが、出来るんです。走っている間だけは』


 その意味の片鱗に触れてしまった。

 きっと誰か大切な人が亡くなってしまったのだろう。


 だからこそ、それを忘れるために走っているのだ。

 薄々感づいていたことではある。けれど、目に直接触れるのとではわけが違う。


 出来心だった。

 つい拓斗はその仏壇に飾られた遺影を目にして――




 一瞬で薬師寺和也の全てを理解した。




「なっ――はや、――」


 言葉を失う。

 この男は、薬師寺和也という男は。


 ポスターが全て無くなっていることもそう、忘れたくても忘れられないというのもそう。


 何が、アニオタ同士だ。

 何が、オタクを辞めてしまっただ。


 違うだろう。


 あの人は。あのお方は。


 冗談半分などでなく、"嫁"を愛していたのだ。


「……二期から、もう、二年か」


『忘れることが、出来るんです。走っている間だけは』


 あれから二年。この遺影の少女が亡くなってから二年間。

 ずっと彼は走り続けている。否、走っている間だけは悲しみから逃れられているというのならきっと……それ以外の時間を全て、今も彼女に捧げている。


 雷に打たれたような感銘を受け、拓斗は震える手でノブを引いた。

 この場所は和也と"はやちゃん"の神聖な領域だ。己のようなものが侵していい場所ではない。


 転がるように廊下を駆け、何かを和也に伝えなければとそう心に決めてリビングへ出ようとして。そこで、耳に触れる声を聴いた。


『そうか。じゃあ、お前にとってその"彼女"っていうのは今でもずっと大事な奴なんだな』

『……ええ』

『カッコいいところあるじゃんか。今時、女一人にずっとなんて中々出来るもんじゃない』


 蓮と和也の会話。

 最後に飛び込んできた和也の台詞に、拓斗は。


『失ったけれど、忘れられない。彼女は、俺にとっての永遠の炎なんです』


 永遠の炎。

 その言葉の意味を、部屋の蓮は理解しただろうか。

 あの日和也が歌ったあの曲のタイトル。

 そして、今でも和也が想う"嫁"。


 気づけば拓斗の頬に一筋の涙が伝っていた。


「……頑張ろう」


 震える声で、拓斗は己を鼓舞する。


 自分も、りく女! の歩美ちゃんに恥じないよう、体育祭で必死に走ろう。


 自分も、嫁の為に頑張ろう。

 あのひとの嫁とは違って……彼女は今も生きているのだから。



次からまたペース戻せるかも。かもだけど。

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