08.ジークハルトさまが疑われていますが、私は信じています
メイが学園に戻ってきてから、顔を合わせる機会が増えた。
「エリスさま、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ、構わないわ。どうしたの?」
「ありがとうございます。あの、一つお伺いしたいことがございまして……」
いつになく歯切れが悪い。
メイは亜麻色の髪を揺らし、私の顔をうかがった。
「ジークハルトさまと、随分親しくなさったと聞きました」
「ああ、そのこと」
思いがけず名前を出され、胸が小さく跳ねる。
「課外授業で同じ班になったのよ。魔物に襲われたときも、助けていただいたわ」
「それは立派なことだと思います。ですが……」
メイは声をひそめた。
「エリスさまほどのお方でしたら、もっとふさわしい方がいらっしゃると思います」
「ふさわしい、というのは?」
「その……お家柄などもございますし」
ジークハルトさまは、学園では地方の下級貴族ということになっている。
公爵令嬢の私と親しくするのは、メイには気になることなのだろう。
「でも、助けていただいたことと、お家柄は関係ないでしょう? とても頼りになる方なのよ」
「……エリスさまは、あの方を高く評価していらっしゃるのですね」
「ええ」
素直に頷くと、メイは困ったように眉を下げた。
「私は、エリスさまに幸せになっていただきたいだけなのです」
「ありがとう、メイ。でも、心配しすぎよ」
そう言って笑いかけると、メイも微笑み返してくれた。
ただ、その表情はどこか複雑そうだった。
……それにしても、親しくしている、か。
以前なら迷わず頷いたかもしれない。
けれど今は、そう言い切るのが少し恥ずかしい。
私はジークハルトさまの平穏を邪魔しないと決めたのだ。
会えば挨拶はするけれど、以前のように質問を重ねることは控えている。
それでよいはずなのに、姿を見かけると、もう少しお話しできたらと思ってしまうのだから困る。
その日の午後、廊下の先にジークハルトさまを見つけた。
「ごきげんよう、ジークハルトさま」
「ごきげんよう、エリス嬢」
軽く会釈して通り過ぎようとすると、背後から声がかかる。
「最近は、あまり質問をなさらなくなりましたね」
振り向くと、ジークハルトさまがこちらを見ていた。
「以前は、少々お尋ねしすぎましたから。静かに過ごしたいとおっしゃっていたのに、申し訳ありませんでした」
「いえ。謝っていただくほどのことでは」
そう言ってから、ジークハルトさまはわずかに間を置いた。
「ただ、少し意外でした」
「何がですの?」
「あなたは、気になることがあれば確かめずにはいられない方だと思っていましたので」
「……否定できませんわね」
思わず笑ってしまう。
実際、ずいぶん失礼なことまで尋ねてしまった。
「でも、ジークハルトさまが望んでいらっしゃることは、尊重したいのです」
金色の瞳が、静かに私を見つめた。
「そうですか。……ありがとうございます」
お礼を言われるとは思わず、今度は私が言葉に詰まる。
「それでは、失礼いたしますわ」
「エリス嬢」
再び呼び止められた。
「森の木について、先生方から何かお聞きになりましたか?」
「いいえ。まだ調査中だそうです。何かわかれば教えてくださると思いますけれど」
「そうですか」
それだけの短い会話だった。
けれど、私が立ち去ろうとしたあとも、ジークハルトさまが話を続けてくださったことが、嬉しかった。
翌朝、教室に入ると、いつもよりざわついていた。
「昨夜、また倒れた人がいたんですって」
「魔力を奪われたって、本当なの?」
耳に飛び込んできた言葉に、足を止める。
話を聞くと、寮で暮らす生徒たちが、夜の間に何者かに呼び出され、魔力を奪われた状態で見つかったという。
昨夜だけではなく、すでに何人も被害に遭っているらしい。
命に別状はないものの、ひどい倦怠感で授業にも出られないそうだ。
この学園には、遠方の領地から来た生徒のために男子寮と女子寮がある。
ジークハルトさまは男子寮、メイは女子寮で暮らしているけれど、王都に家のある私は自宅通学だ。
夜の寮で何が起きていたのか、まったく知らなかった。
やがて教師からも、寮生は夜間に不用意に外出しないようにと注意があった。
学園側で調べているというが、詳しいことはまだわからないらしい。
魔力を奪うなんて、いったい何のために?
考えていると、近くの生徒が声を落とした。
「ねえ、被害に遭った人たち、みんな同じことを言っているそうよ」
「同じこと?」
「ジークハルトさまに呼び出された、って」
思わず振り返る。
「それは、確かな話ですの?」
「エリスさま……! 私も聞いただけですけれど、何人もそう証言しているとか」
教室のあちこちで、同じ名前がささやかれ始めていた。
そんなはずはない。
ジークハルトさまは、ただ静かに一年を過ごしたいと望んでいらっしゃる。
人目を集めるような事件を起こして、何の得があるというのだろう。
けれど、被害者がそう証言しているのなら、ただ否定するだけでは済まない。
「エリスさま」
隣に来たメイが、心配そうに私を見上げた。
「やはり、あの方には近づかないほうがよろしいと思います」
「メイ。まだジークハルトさまが犯人と決まったわけではないわ」
「ですが、もしエリスさまに何かあったら……」
「心配してくれてありがとう。でも、私はジークハルトさまがそんなことをなさるとは思えないの」
「……そう、ですか」
メイは目を伏せた。
「エリスさまがそうお考えなら、これ以上は申しません。けれど、どうかお気をつけくださいませ」
「ええ。ありがとう」
メイは私の身を案じてくれている。
だからこそ、余計に気を揉ませてしまうのは心苦しかった。
それでも、ジークハルトさまを疑う気にはなれない。
森で魔物に立ち向かった姿を、私はこの目で見ている。
あのとき、私たちを守るために剣を振るってくださったことも。
何より、本人の話を聞かないまま決めつけたくなかった。
放課後、私はジークハルトさまを捜した。
男子寮へ向かうわけにはいかないので、授業を終えたあと、学園の廊下で声をかけることにしたのだ。
「ジークハルトさま。少し、お時間をいただけますか?」
振り向いたジークハルトさまは、私の顔を見ると小さく息をついた。
「……例の噂について、ですね」
「はい」
人目につかない場所へ移り、二人きりになってから、私は口を開いた。
「ジークハルトさまを疑うような証言まで出ているなんて……」
「ああ。俺には身に覚えがないが」
声は落ち着いている。
けれど、望んでもいない騒ぎに巻き込まれているのだから、穏やかな気分ではないはずだ。
「私は、ジークハルトさまがなさったとは思っておりません」
「……どうしてそう思う?」
「森で、私たちを助けてくださったでしょう。それに、これまでお話ししてきて、理由もなく誰かを傷つける方だとは思えませんでした」
ジークハルトさまは、しばらく黙っていた。
「ですが、被害に遭った方々は、あなたの名前を挙げていらっしゃる。だから、きちんと確かめたいのです」
「確かめる?」
「私にも調べるお手伝いをさせていただけませんか。何が起きたのかわかれば、疑いを晴らせるかもしれません」
言ってから、慌てて付け加える。
「もちろん、ご迷惑でしたらお断りくださいませ。勝手に首を突っ込むつもりはありません」
金色の瞳が、少しだけ見開かれた。
「……君は、本当に変わったな」
「そ、そうでしょうか」
「以前なら、俺が返事をする前に調べ始めていたんじゃないか?」
「……そうかもしれませんわ」
返す言葉がない。
すると、ジークハルトさまがかすかに笑った。
「でも、今回は俺から頼みたい。力を貸してくれるか、エリス嬢」
まさか、ジークハルトさまのほうから頼んでくださるなんて。
「はい。もちろんですわ!」
「まずは、被害に遭った者たちが何を見聞きしたのか、確かめる必要があるな」
「ええ。本当にジークハルトさまのお姿をご覧になったのか、それともお名前だけを聞いたのか。それだけでも違うはずです」
私たちは、まず被害者の証言を確かめることにした。
これまでは、私が知りたいことを一方的に尋ねてばかりだった。
けれど今は違う。
ジークハルトさまが望んでいた平穏を取り戻すために、力になりたい。
そして、ジークハルトさまも私を頼ってくださった。
そのことが嬉しくて、私は思わず背筋を伸ばした。
誰が、何のためにジークハルトさまの名前を使ったのか。
まだ何もわからないけれど、今度は二人で確かめていくのだ。




