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ボブ、サム、トム……そんな世界でジークハルトなんて名前、絶対に重要人物でしょう?~悪役令嬢は運命の人を見逃さない~  作者: 葵 すみれ


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06.ジークハルトさま、格好よすぎませんか?

 魔物が、茂みの向こうから次々と姿を現す。

 牙をむき出しにした獣のようなものもいれば、背中に硬そうな棘を並べたものもいる。

 どれもこちらを見据え、じりじりと距離を詰めてきた。


「ひっ……!」


 誰かが短く悲鳴を上げた。

 私も怖くないわけではない。

 けれど、ここで全員が動けなくなったら、それこそ危険だ。


「皆さん、固まってください! 私たちから離れないで!」


 右手をかざし、先頭の魔物へ風の刃を放つ。

 鋭い一撃が飛びかかろうとしていた獣を捉え、その身体を地面へ叩き落とした。


 よし、効く。

 次の魔物に狙いを定めたところで、隣のジークハルトさまが腰の剣を抜いた。


「ジークハルトさま、魔力は……!」


 成人の儀式の間、彼の魔力は一般人と同じ程度に封じられている。

 魔王の息子だからといって、今は強力な魔術を使えるわけではないのだ。


「ご心配には及びません。エリス嬢は、皆さんをお願いします」


 そう告げたジークハルトさまの前へ、棘のある魔物が跳び出した。

 危ない、と叫ぶより早く、銀色の線が走る。

 魔物は彼に爪を届かせることすらできず、地面へ崩れ落ちた。


 ……え?


 続けて二匹が襲いかかる。

 ジークハルトさまは一歩身を引いて片方の牙をかわし、その動きのまま剣を振り抜いた。

 もう一匹が横から飛びつくと、足の向きを変えただけで攻撃を外し、返す刃で仕留める。


 速い。

 それに、驚くほど静かな剣だ。


 大きく振りかぶることも、力任せに斬りつけることもない。

 魔物が迫るたび、必要な場所に剣があり、次の瞬間には敵が倒れている。


 魔力を封じられた魔王の息子が、こんなに強いなんて。

 ……いえ、魔力が封じられているからといって、剣の腕まで失うわけではない。

 以前、自分でもそう考えたはずなのに。


「エリス嬢、左を!」


「はい!」


 声に応じて振り向くと、別の魔物が班の仲間へ近づいていた。

 私は風の刃を放ち、その進路を遮る。

 怯んだところへもう一撃を重ねると、魔物は倒れた。


 ジークハルトさまは前方を、私は左右と後方を受け持つ。

 打ち合わせたわけでもないのに、彼は私が魔術を放つ方向を避け、私も彼の剣が届く範囲には風の刃を飛ばさなかった。


 このまま押し返せるかもしれない。

 そう思った矢先、背後で足音が乱れた。


「動けない……!」


 木に触れた男子生徒が、地面に座り込んでいた。

 目の前には、低く身を伏せた魔物。今にも彼へ飛びかかろうとしている。


「伏せて!」


 私は駆け寄り、彼の肩を押して横へ突き飛ばした。

 魔物の爪が、ほんの少し前まで彼のいた場所を裂く。


 間に合った。


 けれど、無理な姿勢で手を伸ばしたせいで、私の足が滑った。

 膝をつき、起き上がろうとしたところへ、魔物がこちらを向く。


 まずい。これでは避けられない。


「エリス嬢!」


 腕を強く引かれ、身体が浮いた。

 気づけば私は、ジークハルトさまの胸元に抱き寄せられていた。魔物の爪がすぐ脇を通り過ぎる。


 ジークハルトさまは私を抱えたまま身体をひねり、剣を一閃させた。

 斬られた魔物が、その場に倒れた。


「お怪我はありませんか?」


「……はい。ありがとうございます」


 顔を上げると、金色の瞳がすぐ近くにあった。

 思っていたよりも肩幅が広い。

 腕の力も強くて、つい先ほどまで自分がそこに抱き寄せられていたのだと、遅れて実感する。


 ……どうして今、そんなことを考えているのかしら。


 胸が落ち着かないのは、危ないところを助けていただいたから。

 それだけのはずなのに。


 ジークハルトさまの腕がそっと離れる。


「……もう大丈夫ですわ。ありがとうございました」


 私は服についた土を払った。

 助けた男子生徒が何度も頭を下げている。

 怪我はなさそうで、ほっとした。


 けれど、安心するにはまだ早かった。


「また来た……!」


 班員の声に顔を向けると、倒したはずの魔物と同じ姿が、森の中から現れていた。

 さっきから何匹倒したのだろう。

 それなのに、数が減った気がしない。


 このままでは、いつか誰かが怪我をしてしまう。


 私は周囲を見渡した。

 魔物が現れ始めたのは、あの木に触れた直後。だとすれば、あそこに原因があるのではないか。


 空き地の中央に立つ一本の木。

 幹の表面に、何かが淡く光っている。


 ……あれは?


 目を凝らすと、細い線が幾重にも重なり、円を描いていた。

 木肌に紛れるほど薄いけれど、間違いない。


 魔術陣だ。


 最初にこの場所へ来たとき、あんなものは見えなかった。

 木に触れたことで仕掛けが動き出し、魔物を呼び寄せているのかもしれない。


「ジークハルトさま! 木の幹に魔術陣があります!」


 彼は魔物を一匹斬り伏せ、木へ視線を向けた。


「見えました。あれを止めれば、状況が変わるかもしれませんね」


「私、確かめてきます」


「では、私が道を開きます。ついてきてください」


 ジークハルトさまが前に出る。

 木までの間には、まだ魔物がいる。

 けれど、彼の剣が閃くたびに、一歩ずつ進めるようになった。


 横から迫る魔物は私が魔術で退ける。

 背後には、ほかの生徒たちが固まってついてきた。


 ジークハルトさまは一度も振り返らない。

 それでも、私がついてきていることを疑っていないようだった。

 私も、彼が前を守ってくれると信じている。


 あと少し。

 最後の一匹を風の刃で退け、私は木の幹へ駆け寄った。

 淡く光る魔術陣には、指先で触れられそうなほどはっきりした輪郭がある。


 触れたら、また何かが起きるかもしれない。

 けれど、何もしなければ魔物は増え続ける。


「エリス嬢、今です!」


 ジークハルトさまの声に背中を押され、私は魔術陣へ手を伸ばした。


 指先が光に触れる。

 小さく弾かれるような感触があったあと、幹に浮かんでいた線が一斉に消えた。


「……止まった?」


 森の奥を見つめる。

 新しい魔物は、現れない。


「エリス嬢、下がってください。残りを片づけます」


「はい!」


 私は木から離れ、仲間のそばへ戻った。

 ジークハルトさまが前方の魔物を斬り、私も逃げ道を塞ぐ一匹を魔術で倒す。


 やがて、最後の魔物が地面に倒れた。


 誰もすぐには口を開かなかった。

 聞こえてくるのは、風に揺れる葉の音だけ。

 さっきまであれほど恐ろしかった森が、何事もなかったかのように静まり返っている。


「……終わった、んですよね?」


 班員の一人が、おそるおそる尋ねた。


「新しい魔物は出てきていません。ひとまず大丈夫そうですわ」


 答えた途端、膝から力が抜けそうになった。

 私は踏みとどまり、改めて全員の顔を見る。

 服が汚れている生徒はいるものの、大きな怪我をした人はいないようだ。


「さっきは助けてくれて、ありがとうございました」


 木に触れた男子生徒が、申し訳なさそうに頭を下げる。


「無事でよかったですわ。まずは先生のところへ戻りましょう」


 そう答えてから、私はジークハルトさまを振り返った。


「ジークハルトさま。剣がお得意だったのですね」


「多少は心得があります」


「……多少、ですか?」


 思わず聞き返してしまった。

 あれだけの魔物を相手にして、ほとんど息も乱していらっしゃらないのに。


 ジークハルトさまは困ったように口元を緩めた。


「エリス嬢こそ、お見事でした。あの魔術陣に気づかなければ、まだ戦っていたでしょう」


「そんな。ジークハルトさまが道を開いてくださったからですわ」


「それでも、気づいたのはあなたです」


 まっすぐにそう言われて、返す言葉に迷ってしまった。

 最初は、魔王の息子という正体が気になって、何か秘密を探ろうとしていた。

 けれど、今は違う。

 ジークハルトさまが私の力を認めてくださったことが、ただ嬉しかった。


 それに、さっきのこともある。

 倒れかけた私を引き寄せた腕、すぐ近くで見た金色の瞳。

 剣を振るうときの、迷いのない横顔。


 ……困ったわ。


 ジークハルトさまが重要人物かどうかなんて、今はどうでもいい気がする。

 ただ、こうしてそばにいるだけで嬉しくなってしまうのは、どうしてなのかしら。

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