05.魔王の息子と課外授業に来たら、魔物に囲まれました
そして、課外授業の日がやってきた。
私たちは班ごとに分かれ、森の中で植物や昆虫の観察を始めていた。
生徒たちは植物の採取などに使うナイフを持参している。腰に剣を下げている生徒もいて、ジークハルトさまもその一人だ。
同じ班には、植物や虫に詳しい男子生徒がいる。
森に入る前から観察用の帳面を手にしていて、ほかの班員も彼の説明を楽しみにしているようだった。
もちろん、ジークハルトさまも一緒だ。
魔王の息子が人間界の森で植物や昆虫観察。
改めて考えると、なんとも不思議な光景だわ。
けれど、ご本人はいたって真面目で、男子生徒の説明にも熱心に耳を傾けていらっしゃる。
「この葉、表と裏で色が違うでしょう? 日当たりの悪いところに多いんです」
男子生徒は実に楽しそうだった。
足元の小さな草にも、木の幹にとまった虫にも名前があるらしい。
「よくご存じですのね」
「家の近くにも森があるので。子どもの頃から、こういうものを探すのが好きなんです」
彼が指さした葉を見比べていると、ジークハルトさまも隣から覗き込んだ。
「なるほど。こちらの葉は、確かに裏側のほうが白いですね」
「そうなんです! それに、よく見ると縁の形も違っていて……」
嬉しそうに説明を続ける彼に、ジークハルトさまは熱心に耳を傾けている。
人間界について学びたいというのは、本当なのだろう。
私が話しかけるときより、ずっと穏やかな顔をしている気がする。
……ちょっとだけ、面白くないわね。
「エリス嬢も、こちらをご覧になりますか?」
不意にジークハルトさまから声をかけられた。
「ええ、ぜひ」
示された枝には、小さな虫が葉にそっくりな姿でとまっていた。
説明されなければ、きっと気づかなかっただろう。
「まあ、本当に葉っぱみたい!」
「私も最初は見落としました」
そう言って、ジークハルトさまはかすかに笑った。
「ジークハルトさまは、こういうものがお好きなのですか?」
「ええ。知らないことを学ぶのは楽しいですから」
「では、ジークハルトさまの故郷には、どんな生き物がいるのですか?」
「そうですね。これに似ているけれど、羽を広げると幾重にも花びらを重ねた花のように見える虫がいます」
「まあ、素敵! それは見てみたいですわ」
「普段は葉に紛れているので、見つけるのは難しいですよ。私も一度しか見たことがありません」
ジークハルトさまが、どこか懐かしそうに目を細めた。
魔界の生き物の話を、こんなふうに聞けるなんて。
ほかの班員には、遠い地方の珍しい虫の話に聞こえているのだろう。
私だけが、その『故郷』の本当の意味を知っている。
そう思うと、なんだか嬉しくなってしまった。
「あっ!」
先を歩いていた男子生徒が声を上げた。
「今の蝶、見ましたか? あの模様、めったに見られない種類ですよ!」
「どこですの?」
「あそこです。ほら、青く光っている!」
木々の間を、小さな青い影がひらひらと横切った。
陽の当たるところへ出るたび、羽が宝石のように輝いて見える。
「少しだけ近くで見てもいいですか? すぐ戻りますから!」
彼は蝶を追って歩き出した。
私たちも見失わないようについていく。
「……あまり奥へ進まないほうがよいのではありませんか?」
ジークハルトさまが声をかけたけれど、男子生徒は蝶に夢中で聞こえていないようだった。
「あっ、あちらです!」
枝の向こうへ消えた蝶が、また少し先に姿を現す。
そのたびに足を進めているうちに、いつしか周囲の景色が変わっていた。
「そろそろ戻りましょう」
ジークハルトさまの言葉に、私たちは足を止めた。
ところが、振り返ってみると、先ほどまで見えていた踏み分け道がどこにもない。
「……あれ?」
蝶を追っていた男子生徒が、困ったように首を傾げる。
「すみません。夢中になってしまって……。でも、さっきの大きな木を目印にしていたので、戻れると思います」
「その木は、どちらに?」
「ええと……」
見渡す限り、似たような木ばかりだった。
……まさか、課外授業で迷子になるなんて。
けれど、ジークハルトさまは落ち着いていらっしゃる。
さすがは魔王の息子。こういうときも頼りになるのね。
「ジークハルトさまは、戻る道がおわかりになりますか?」
「……残念ながら。私もこの森に来るのは初めてですので」
そ、そうでしたわね。
魔王の息子だからといって、人間界の森にまで詳しいわけではないのだ。
「まずは元の道を探しましょう。むやみに歩き回るのは危険です」
ジークハルトさまの提案で、私たちは来た道を慎重にたどることにした。
しかし、覚えている景色はなかなか見つからない。
ほかの班の話し声も聞こえず、次第に不安が募ってくる。
「……あちら、明るくありませんか?」
班員の一人が指さした先で、木々の隙間から光が差していた。
道があるのかもしれない。
私たちは足元に気をつけながら、そちらへ進んだ。
そして、森が突然途切れた。
目の前に広がっていたのは、丸く切り取られたような空き地だった。
周囲には背の高い木が密集しているのに、そこだけ草が低く、空が大きく見える。
中央には、一本の木。
太い幹を持ち、枝を四方へ伸ばしている。
その周りには、ほかの木が一本も生えていなかった。
……待って。
こういう場所、ゲームで見たことがある気がする。
森の奥。ぽっかり開けた空間。そして、真ん中に一本だけ立つ木。
どう考えても、何かが起こる場所でしょう?
「立派な木ですね。何の種類でしょう」
植物に詳しい生徒が、興味深そうに近づいていく。
「待ってください!」
思わず声を上げたけれど、彼は振り返りながら笑った。
「大丈夫ですよ。ちょっと幹を見てくるだけです」
何が危険なのか、自分でも説明できない。
ただ、あの木には触れてはいけない。
そんな予感が、胸の奥で膨らんでいく。
「でも、その木は──」
彼の手が、幹に触れた。
その瞬間、足元から低い音が響いた。
地面が震え、木の根元に落ちていた葉が跳ねる。
驚いて後ずさった生徒の向こうで、茂みが大きく揺れた。
「な、何……?」
枝の間から、獣のような影が現れた。
一匹ではない。右にも、左にも、黄色い目が光っている。
魔物だ。
しかも、こちらを取り囲むように、次々と森の中から姿を現していた。
──やっぱり、ここはただの空き地なんかじゃなかった!




