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ボブ、サム、トム……そんな世界でジークハルトなんて名前、絶対に重要人物でしょう?~悪役令嬢は運命の人を見逃さない~  作者: 葵 すみれ


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3/7

03.名前からして怪しいと思っていたら、魔王の息子でした

 悪役令嬢。

 昨日から、その言葉が頭を離れない。


 金髪縦ロールの公爵令嬢。取り巻きを従え、周囲から恐れられている。

 前世の乙女ゲームなら、まず間違いなく主人公の前に立ちはだかる役どころだ。


 もっとも、ここが本当にゲームの世界なのかはわからない。

 思い当たる作品もないし、前世の記憶が戻ったばかりで、まだ頭の中は混乱している。


 とにかく、人に嫌がらせをするのはやめよう。

 ……いや、そもそも私はしていないつもりだったのだけれど。

 知らないうちに自分の名前が使われていたのだから、今後はもっと気をつけなくては。


 そう決意したところで、廊下の先に黒髪の男子生徒を見つけた。

 ジークハルトさまだ。


「ごきげんよう、ジークハルトさま!」


 声をかけると、彼は足を止めた。


「……エリス嬢。ごきげんよう」


 相変わらず礼儀正しい。

 けれど、こちらへ向ける金色の瞳には、ほんの少し警戒の色がある。


「学園にはもう慣れました?」


「ええ。特に不自由はありません」


「授業はいかがですか?」


「興味深いものもあります」


「例えば?」


「……歴史、でしょうか」


 そこで会話が途切れた。

 私が尋ねれば答えてくれる。でも、ジークハルトさまから質問が返ってくることはない。


 やっぱり、秘密を抱えた人物らしい慎重さだわ。

 ……というのは、さすがに考えすぎかしら。


「お時間を取らせてしまいましたね。それでは、また」


「失礼します」


 彼は丁寧に頭を下げ、歩き去っていった。


 それから数日、私はジークハルトさまを見かけるたび、つい声をかけてしまった。

 ある日の昼休みには、中庭の端で一人、本を読んでいる姿を見つけた。


「こちら、よろしいかしら?」


「……どうぞ」


 隣のベンチに腰を下ろすと、彼は本を閉じた。


「いつもお一人ですのね」


「そうですね」


「寂しくはありません?」


「特には。静かなほうが落ち着きますので」


 あっさりした返事だったけれど、強がっているようには見えなかった。

 誰かと親しくなれなくて困っているのではなく、自分から静かな場所を選んでいるらしい。


「私がお邪魔してしまいました?」


「……いえ。お気になさらず」


 少し間があった。

 やっぱり、お邪魔だったのかもしれない。


 それでも彼は、私が立ち上がるまで本を開かなかった。

 こちらの話を聞くときは、きちんと顔を向けてくれる。

 無愛想というより、必要以上に踏み込まない人なのだろう。


 また別の日には、思い切って尋ねてみた。


「ジークハルトさまには、何か秘密がおありだったりしません?」


 彼は一瞬、動きを止めた。


「……なぜ、そのようなことを?」


「なんとなく、ですわ」


「仮に秘密があったとして、そう尋ねられて答える者がいるでしょうか」


「……確かに」


 もっともすぎて、返す言葉もない。

 私が苦笑すると、ジークハルトさまの口元もわずかに緩んだ。


 あら。笑うと、少し雰囲気が変わるのね。

 その表情をもう少し見てみたいと思った、翌日のことだった。


「エリス、少しいいかな」


 授業を終えた私に声をかけたのは、ボブ殿下だった。


「もちろんです、殿下」


 殿下は人通りの少ない廊下へ私を誘い、穏やかな声で切り出した。


「取り巻きの令嬢たちと距離を置くことにしたそうだね」


「はい。私の知らないところで、ほかの方々に迷惑をかけていたようですので」


「君自身が気づいて、きちんと向き合ったのはよいことだと思うよ」


 そう言って微笑んだあと、殿下は少し言いにくそうに続けた。


「ただ、ジークハルト君のことでも、一つ気になっていることがあるんだ」


 思わず背筋が伸びる。


「彼に、何度も声をかけているだろう?」


「……はい」


「君に悪気がないのはわかっている。でも、君は公爵令嬢で、彼は地方の下級貴族だ。君から話しかけられたら、断りたくても断りにくいと思わないかい?」


 胸の奥が、ちくりとする。

 思い返せば、ジークハルトさまはいつも私の質問に答えてくれたけれど、自分から話を続けようとはしなかった。

 中庭でも、本を閉じて私の相手をしてくれた。あれは、私を追い返せなかっただけなのかもしれない。


「……そう、ですね」


「君を責めているわけじゃないんだ。ただ、相手がどう感じるか、少し考えてあげてほしい」


「はい。教えてくださってありがとうございます」


 殿下はほっとしたように微笑んだ。


「君が誰と親しくするかは、もちろん君の自由だよ。ただ……僕としては、少し気になってしまうんだ」


 最後の言葉だけ、少し声が小さくなった。


「お気遣いいただき、ありがとうございます」


 ジークハルトさまの気持ちだけではなく、私の立場まで考えてくださるなんて。優しい方だわ。


 けれど、私はすっかり落ち込んでいた。

 悪役令嬢らしい振る舞いをやめようと決めたばかりなのに、また自分の立場を忘れていたなんて。


 翌日からは、ジークハルトさまを見かけても、挨拶だけにとどめた。


「ごきげんよう」


「……ごきげんよう、エリス嬢」


 彼は少し意外そうにしたものの、それ以上は何も言わなかった。

 寂しくないと言えば嘘になる。

 けれど、私が知りたいからという理由だけで、彼の時間を奪うわけにはいかないもの。


 それから数日後。

 放課後、図書室へ向かおうと中庭沿いの回廊を歩いていると、赤いものが頭上を横切った。


「……鳥?」


 見上げると、見慣れない鳥が一羽、回廊の柱を越えて飛んでいく。

 深紅の羽が陽光を受けてきらりと光った。

 綺麗な鳥ね。こんな鳥、学園にいたかしら。


 鳥が降りた先に、ジークハルトさまがいた。

 声をかけようとして、私は足を止める。

 殿下に忠告されたばかりだ。邪魔をしてはいけない。

 そのまま通り過ぎようとしたとき、鳥の周囲に淡い光が広がった。


「……っ、なぜここに」


 ジークハルトさまの声が聞こえる。

 いつもの落ち着いた声とは違い、明らかに焦っていた。


 光の中に、人影が浮かび上がる。

 赤い髪に、ジークハルトさまと同じ金色の瞳。

 見知らぬ女性が、まるでそこに立っているかのように姿を現した。


『久しぶりね、ジークハルト。ずいぶん静かに暮らしているそうじゃない』


「姉上……! こんなところへ連絡をよこさないでください」


『あら、困ることでもあるの? まさか、何もせず一年を終えるつもりじゃないでしょうね』


「今は話せません。すぐに通信を──」


『私たちは魔王の子なのよ? ただ人間界で一年過ごしただけで満足するつもり? 私はあなたよりずっと大きな功績を残してみせるわ』


 ……え?

 今、何て?

 魔王の、子?


 私は立ち尽くしたまま、ジークハルトさまを見た。

 彼も、こちらに気づいた。

 金色の瞳が大きく見開かれる。


「…………」


「…………」


 私たちは、互いに何も言えなかった。

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