02.重要人物を探していたら、私が悪役令嬢でした
「では、ジークハルトさま。どちらのご出身なのかしら?」
改めて名前を口にしてみる。
やっぱり、いい響きだわ。
「……王都から離れた地方ですが」
ジークハルトさまは、少し戸惑った様子で答えた。
「そうなのですね。では、どうしてこの学園へ?」
「学ぶためですが……」
ごもっともだった。
思わず口をつぐむと、ジークハルトさまは私の背後へ目を向けた。
教室にはまだボブ殿下を囲む人垣ができている。
こちらに視線を送ってくる人も少なくない。
「失礼ですが、私にどのようなご用でしょうか」
困った。まさか、名前がゲームの重要人物らしいから気になりました、とは言えない。
「先ほど、皆さまに道を塞がれても、穏やかに対応なさっていたでしょう? 少しお話ししてみたくなったのです」
「……あの程度のことで?」
「ええ」
嘘ではない。あの場で言い争いにならなかったのは、彼が落ち着いていたからだ。
けれど、ジークハルトさまの表情は晴れない。
むしろ、どう答えれば早くこの会話を終えられるか考えているように見えた。
「お気遣いはありがたいのですが、そろそろ次の授業の準備がありますので」
「あっ、そうでしたわね。お引き留めしてごめんなさい」
「いえ。それでは」
丁寧に一礼し、彼は人垣を避けて廊下へ出ていった。
あっさりしたものだ。
私が公爵令嬢だからといって、取り入ろうとする様子もない。
むしろ、できるだけ関わりたくなさそうだった。
……やっぱり、気になる。
「エリスさま!」
振り向くと、いつもの令嬢たちが近づいてきた。
その中には、伯爵令嬢のメイもいる。
亜麻色の髪に茶色の瞳をした、小柄な少女だ。
メイは私を慕ってくれていて、いつも嬉しそうに話しかけてくる。
「どうして、あのような方にお声をかけたのですか?」
「少しお話ししたかっただけよ」
「ですが、地方の下級貴族でしょう? エリスさまからお声がけになるなんて」
別の令嬢が、さも当然という顔で頷く。
「そうですわ。身の程を勘違いされたら困りますもの」
そこまで大げさに考えることかしら。
「……話しかけただけで?」
「もちろんです。エリスさまはヴェルフォード公爵家のご令嬢なのですから」
それはそうだけれど。
ほんの少し前なら、私も気に留めなかったのかもしれない。
ところが前世の記憶が戻ってから、こういう言葉が妙に耳に引っかかる。
「私は、相手の身分だけで話すかどうかを決めるつもりはないわ」
令嬢たちは顔を見合わせた。
そのとき、次の授業を知らせる鐘が鳴った。
メイは別の授業があるらしく、私たちに一礼して離れていく。
ほかの令嬢たちも教室へ戻り、話はそこで終わった。
授業が終わり、図書室へ向かう途中だった。
「エリスさまにご挨拶もしないなんて、どういうおつもり?」
廊下の先から聞き覚えのある声がして、私は足を止めた。
曲がり角の向こうで、先ほどの令嬢たちが一人の女子生徒を囲んでいる。
相手は俯き、両手で教科書を抱えていた。
「わ、わたしは……気づかなくて……」
「気づかなかったで済むと思っているの? エリスさまがどれほどご不快だったか」
……私?
いつの話かしら。
「今後はエリスさまのお目に入らないようになさい。いいわね?」
「そんな……」
女子生徒の声が震える。
私は角を曲がった。
「何のお話?」
令嬢たちが一斉に振り向く。
「エ、エリスさま!」
囲まれていた女子生徒は、私の顔を見た途端、青ざめた。
……どうして、そんなに怯えるの?
「ちょうどよかったですわ。この方、先日エリスさまの前を素通りなさったんですの」
「そうなの?」
覚えていない。
そもそも、学園では毎日たくさんの人とすれ違う。
全員が私に挨拶しているかどうかなんて、気にしたこともなかった。
「エリスさまを軽んじる態度は許せませんもの。きちんとわからせて差し上げようと」
「待って。私は、その方に何か言ってほしいと頼んだかしら?」
「いいえ。ですが、エリスさまのためを思って……」
「私のためなら、なおさらやめてちょうだい」
自分でも驚くほど、声が硬くなった。
「挨拶に気づかなかっただけで、学園で私の目に入るななんて。そんなこと、私が望むと思う?」
令嬢たちは、誰も言い返せずにいる。
私は囲まれていた女子生徒へ向き直る。
「怖い思いをさせてしまって、ごめんなさい。私からそのような指示を出したことはありません」
「……本当、ですか?」
「ええ。今後も、私を見かけたからといって、無理に挨拶する必要はないわ」
女子生徒は何度も頭を下げ、その場を離れた。
角を曲がるまで、何度もこちらを振り返っていた。
その姿が胸に残る。
「……今のようなこと、以前にもあったの?」
令嬢たちの沈黙が答えだった。
詳しく聞けば、挨拶をしなかった、席を譲らなかった、私の前で笑っていた──そんな理由で、ほかの学生を叱りつけたことが何度もあるという。
しかも、そのたびに「エリスさまのご意向」と伝えていたらしい。
「どうして、そんなことを……」
「エリスさまが軽く見られないようにですわ」
「私が軽く見られないために、誰かを怖がらせる必要があるの?」
返事はなかった。
私はしばらく考え、彼女たちを見渡した。
「今後、私の名前を使って誰かに何かを命じることは許しません。それから、こうして私の周りに集まるのも、今日で終わりにしましょう」
「エリスさま!?」
「取り巻きは、もう置かないわ」
令嬢たちは口々に謝り、考え直してほしいと訴えた。
けれど、ここで曖昧にすれば、また同じことが起こるかもしれない。
「これまで嫌な思いをさせた方々には、きちんと謝ってちょうだい。私の名前を出していたのなら、その誤解も解いてほしいの」
最後には、皆うなだれて頷いた。
令嬢たちと別れ、図書室へ向かおうとしたところで、メイに呼び止められた。
「エリスさま……取り巻きの方々と、もうお付き合いなさらないというのは本当ですか?」
どうやら、話を聞いて駆けつけたらしい。
「ええ。これからは取り巻きを置かないことにしたの」
メイは大きな茶色の瞳を伏せた。
「私も、もうおそばにいてはいけないのですか?」
「そんなことはないわ。学友としてお話しするのは、もちろん構わないのよ」
「では、これまでどおり、お荷物をお持ちしても……」
「それも必要ないわ。自分の荷物くらい、自分で持てるもの」
「……わかりました」
その声があまりにも寂しそうで、少し胸が痛んだ。
けれど、私が望んでいるのは、誰かを従えることではない。
それだけは、きちんと伝えておきたかった。
メイと別れたあと、私は人気のない廊下で深いため息をついた。
まさか、自分の知らないところで、あんなことが行われていたなんて。
思い返せば、私が近づくだけで顔をこわばらせる人はいた。
廊下で不自然なほど急いで道を譲られたこともある。
公爵令嬢だから遠慮されているのだと思っていたけれど、どうやらそれだけではなかったらしい。
……あれ?
ふと、嫌な予感がした。
公爵令嬢。
周囲から恐れられている。
取り巻きの令嬢たちがいて、身分の低い相手を見下している。
これって、前世のゲームで見たことがあるような……。
いやいや、まさか。
私は自分の髪を一房つまんだ。
艶やかな金髪は、毎朝侍女が丁寧に巻いてくれる縦ロール。
瞳は緑色で、少々つり気味。黙っているだけでも、きつそうに見える顔立ちだ。
そして、身分は公爵令嬢。
金髪縦ロール、きつめの緑の瞳、公爵令嬢。さらに取り巻きを従え、学園中から恐れられる存在。
……うん。
どう考えても、悪役令嬢だわ。
私はその場で固まった。
ちょっと待って。
私、もしかしてゲームの登場人物どころか、主人公に嫌がらせをして最後に破滅する側の人間なの?
……ショック。
ジークハルトさまという、いかにも重要人物らしい名前の人を見つけて喜んでいたけれど。
それどころじゃなかった。
一番それっぽい人物、私だったわ……。




