17.学園の地下に閉じ込められたら、お姫様抱っこされました
ロイド先生の放った魔術が、私たちの脇をすり抜けた。
背後で短い悲鳴のような音がして、石床に黒いものが跳ねる。
振り返ると、私の足元から伸びた影に、細長い手足が絡みついていた。
「魔物……?」
黒い塊は先生の魔術に焼かれ、あっという間に消え失せた。
「影に潜んで近づく魔物です。弱いのですが、魔力も微弱なので見落としやすい。床の影が妙な動きをしたので気づきました」
ロイド先生は何事もなかったかのように説明する。
私はすっかり勘違いしていたのだ。
先生は私たちを助けようとしてくださったのに、攻撃されたと思い込み、それどころか魔力吸収事件の犯人ではないかとまで疑ってしまった。
いくら突然のことで驚いたとはいえ、あまりにも早計だった。
先生に申し訳なくて、まともに顔を合わせられない。
「……助けていただき、ありがとうございます」
「怪我がなくて何よりです。さて、ほかの先生方にも連絡を──」
その言葉を遮るように、地下への入口から風が吹き上がった。
突然、ジークハルトさまの身体が入口へ引っ張られる。
「ジークハルトさま!」
私を抱き締めていた腕が緩んだ。
ジークハルトさまは私を離そうとしたけれど、私は咄嗟に彼の服を掴んだ。
「エリス嬢、離せ!」
「離しません!」
私が防御魔術を展開しようとした瞬間、引き寄せる力が一気に強まった。
ジークハルトさまの足が床を離れ、彼を掴んでいた私も一緒に引っ張られる。
ロイド先生が咄嗟に手を伸ばしてくださったものの、届かなかった。
「二人とも!」
次の瞬間、私たちは入口の奥へ投げ出された。
背後で石が噛み合うような轟音が響く。
私はとっさに障壁を張り、ジークハルトさまと一緒に床へ転がった。
「エリス嬢、怪我はないか」
「はい。ジークハルトさまは?」
「俺も大丈夫だ。……巻き込んですまない」
「私が手を離さなかったんですもの。謝らないでください」
私はようやく掴んでいた服から手を離し、立ち上がった。
つい先ほどまで彼の腕の中にいたのだと思うと、今さらながら頬が熱くなった。
舞踏会のテラスで、ジークハルトさまは私と一緒にいるのが楽しいとおっしゃってくださった。
それに、離れていても私のことが気になる、とも。
あの言葉は、どういう意味だったのだろう。
期待してしまいそうになるけれど、今はそれどころではない。
まずは無事に地上へ戻らなければ。
「まず、戻れるか確かめよう」
ジークハルトさまに促され、私は掌に明かりを灯した。
背後には石壁がそびえ、扉の継ぎ目はあるものの、押してもびくともしない。
「ロイド先生! 聞こえますか!」
返事はない。
これだけ厚い壁なら、声も届かないのだろう。
「先生が助けを呼んでくださると思いますけれど……」
「ああ。ただ、ここで待つより出口を探したい。さっきの魔力が、まだ奥から流れている」
私たちは通路へ向かった。
古い石壁には装飾が残り、ところどころに武具が飾られている。
ジークハルトさまはそのうちの一本を手に取り、鞘から抜いた。
刃にはほとんど錆がなく、握りを確かめた彼は満足そうに頷く。
「使えそうだ。借りていこう」
「剣が見つかってよかったですわ」
「俺も安心した。エリス嬢の魔術ばかりに頼るわけにはいかないからな」
「私の魔術も、頼りにしてくださって構いませんのよ」
「もちろん。そのつもりだ」
彼は少しもためらわずに答えた。
森で魔物と戦ったときも、ジークハルトさまの存在は心強かった。
今回も、二人で力を合わせればきっと大丈夫だ。
しばらく進むと、通路が唐突に途切れた。
床が大きく崩れ、向こう岸までぽっかりと穴が開いている。
明かりを下へ向けても底は見えず、落ちた石の音さえ聞こえない。
「……これを越えるんですの?」
「幅はそれほどない。俺なら跳べる」
ジークハルトさまが対岸を見渡し、それから私のドレスへ目を落とした。
舞踏会用の靴では助走もままならないし、長い裾を踏めば跳ぶどころではない。
魔術で足場を作る方法も考えたけれど、暗い穴の上で試すには危険が大きかった。
「エリス嬢。俺が抱えて跳ぶ。それでいいか?」
「……はい。お願いします」
言い終えると、彼は剣を鞘に収め、私の背中と膝の裏へ腕を回した。
「失礼する」
ふわりと足が床を離れる。
思っていた以上に簡単に抱き上げられて、私は慌てて彼の肩に掴まった。
近い。
舞踏会では手を取り合って踊ったけれど、今はそのときよりもずっと近くに顔がある。
礼服の襟元も、黒い髪の一筋も、嫌というほどはっきり見えてしまう。
「首に腕を回してくれ。そのほうが安定する」
「は、はい」
言われたとおりにすると、ジークハルトさまが一瞬だけ私を見た。
金色の瞳と目が合い、私は思わず視線を逸らす。
「跳ぶぞ」
彼は穴の縁まで歩き、足場を確かめた。
次いで地面を蹴る。
身体が浮いた瞬間、私は反射的に彼の首へしがみついた。
眼下に広がる暗闇が視界をよぎり、すぐに力強い着地の衝撃が伝わってくる。
「着いた。もう大丈夫だ」
目を開けると、確かに向こう岸だった。
「ありがとうございます。こんなに簡単に跳び越えられるなんて……」
「エリス嬢を抱えているくらいなら、問題ないよ」
そう言いながら下ろしてくださろうとしたものの、ドレスの裾が彼の腕に絡んでしまった。
「あっ、少し待ってください」
私は布を引っ張らないよう、慎重にほどく。
ジークハルトさまも動かずに待ってくださっていたけれど、顔が近いままなので、どうにも落ち着かない。
「……取れましたわ」
「よかった」
ようやく床に足がついた。
彼は何事もなかったように対岸を振り返り、次の通路を確かめている。
私はそっと頬に手を当てた。
こんな場所で何を意識しているのかしら。
けれど、あの言葉を聞いたあとでは、以前と同じように振る舞うのは難しい。
さらに進むと、今度は崩れた石材が通路を塞いでいた。
上部には大きな石が引っかかっており、下の瓦礫を動かせば一緒に落ちてきそうだ。
「無理にどかすのは危険だな」
「では、私が支えますわ」
私は石材に魔力を伸ばし、上の石が動かないよう固定した。
その間にジークハルトさまが足元の小さな瓦礫を取り除いていく。
「ここなら通れそうだ。エリス嬢、魔術は維持できるか?」
「ええ。先に進んでください」
彼が狭い隙間を抜け、向こう側から周囲を確認する。
私は魔術を保ったまま身体を屈め、ドレスの裾を引き寄せて通り抜けた。
「もう解除していいぞ」
ジークハルトさまの声を聞いてから魔術を解くと、背後で石が小さく軋んだ。
けれど、通路が崩れることはなかった。
「助かった。あれは俺だけでは動かせなかったな」
「さっきはジークハルトさまに運んでいただきましたもの。お互いさまですわ」
「そうだな」
顔を見合わせて笑ったところで、奥に大きな扉が見えてきた。
二人で押し開けると、その向こうには思いがけない光景が広がっていた。
高い天井に、壁沿いの古い燭台。正面の数段高くなった場所には、一脚の玉座が置かれている。
「……玉座の間?」
学園の地下に、どうしてこんな場所があるのだろう。
玉座には埃が積もり、長い間使われていないことがわかる。
私たちは部屋を一周して壁を調べたけれど、入ってきた扉以外に出口は見当たらなかった。
「行き止まり、ですの?」
「今のところはな。別の道がないか、もう少し調べよう」
私は玉座を見上げた。
豪華な椅子が一つだけ置かれた部屋。その光景に、前世で遊んだゲームの記憶が重なる。
そういえば、昔のゲームで、玉座の後ろに隠し階段があるものがあったわね。
そんなことを考えながら玉座に近づいたとき、頬に微かな空気の流れを感じた。
……風?
こんな地下の密室で、空気が動いている?
私は玉座の横へ回り、もう一度確かめた。
やはり、背後の壁のほうから、かすかに風が流れてくる。
「ジークハルトさま。あの玉座の後ろを調べてみませんか?」
「何か見つけたのか?」
「ええ。風を感じるんです。もしかしたら、隠し通路があるかもしれませんわ」
二人で玉座の裏へ回ると、床の一部に四角い継ぎ目が見えた。
さらに、玉座の背もたれには指先ほどのくぼみがある。
試しに押すと、かちりと小さな音がした。
床の一部がゆっくり横へ滑り、下へ続く階段が現れる。
「本当にありましたわ……!」
「よく気づいたな、エリス嬢」
私だって驚いている。
まさか本当に、ゲームのお約束どおりだなんて。
階段の奥から、あの異様な魔力が漂ってきた。
先ほどまでより濃く、息苦しいほどだ。
ジークハルトさまが剣の柄に手を添える。
「この先だ。魔力の源が近い」
私は明かりを少し強めた。
階段は深い闇の中へ続いている。
「行こう、エリス嬢」
「はい」
私たちは並んで、さらに地下へと下り始めた。




