18.ボブ殿下、まさか魔界の秘宝に操られていたのですか!?
階段を下りるにつれ、空気が重くなっていった。
私が灯した明かりの先に、広い空間が現れる。
床には複雑な模様が刻まれ、中央の台座には、黒ずんだ金属のようなものが浮かんでいた。
その周囲を、赤黒い光がゆっくり巡っている。
そして、台座の前には見覚えのある後ろ姿があった。
「……ボブ殿下?」
振り返ったのは、間違いなくボブ殿下だった。
けれど、いつもの穏やかな笑顔はない。
青い瞳は私たちを捉えているのに、何を見ているのかわからないほど虚ろだった。
「どうして、ここに……」
問いかけても返事はない。
ジークハルトさまが私の前へ出た。
「エリス嬢、あれに近づくな」
「秘宝、ですか?」
「ああ。魔界のものだ。ただ、あんな魔力を放つものではないはずだが……」
そのとき、台座の光が大きく揺れた。
幾筋もの光がジークハルトさまへ伸び、彼の手前で止まる。
まるで何かを確かめるように近づいては離れ、再び伸びてくる。
「ジークハルトさまを調べているみたい……」
「そう見えるな」
ジークハルトさまの金色の瞳が、険しくなる。
魔界の王子である彼に、秘宝が反応しているのだろうか。
けれど、成人の儀のために魔力を封じているから、正体を見極められないのかもしれない。
光が彼の周囲を巡り始めたとき、背後からかすれた声がした。
「……エリス?」
ボブ殿下が、こちらを見ていた。
先ほどまでの虚ろな目ではない。
私を見つけると、殿下はひどく驚いた顔になった。
「どうして君が、ここに……。駄目だ、来ちゃいけない」
「ボブ殿下、何があったんですか? あれは一体……」
殿下は台座を振り返り、震える手で額を押さえた。
「僕が見つけたんだ。偶然、地下へ続く道を見つけて……調べていたら、ここに辿り着いた」
「殿下が?」
「王家には伝承が残っている。昔、魔界からもたらされた、土地を豊かにする秘宝の話だよ。人々が奪い合って、どこかへ隠されたまま行方がわからなくなったって」
以前、ジークハルトさまから聞いた秘宝の話だ。
魔界の王が友好の証として人間界へ貸し出したものの、争いの末に隠され、行方がわからなくなっていたという。
魔力吸収事件との関係を疑ってはいたけれど、まさか本当に、この学園の地下に眠っていたなんて。
「最初は信じられなかった。でも、あの頃は災害が続いていただろう? 雨が降らなかったかと思えば、今度は大雨で……。これが本物なら、何とかできると思ったんだ」
殿下は唇を噛み、しばらく黙り込んだ。
ようやく口を開いたときには、声が沈んでいた。
「実際、災害は収まった。だから、よかったんだと思っていた。……最初は」
「それから、どうなったんですの?」
「ここへ来なくちゃいけない気がするようになった。気づくと地下にいて、何をしていたのか思い出せないこともあった。だんだん、僕の考えなのか、こいつの考えなのかも……」
殿下は台座を睨んだ。指先が震えている。
「魔力を集めろって。もっと、もっと必要だって……。僕は、そんなことをしたくなかったのに」
魔力吸収事件、夜中に呼び出された生徒たち、そして栞に仕込まれていた術。
ばらばらだった出来事が、ようやく一つにつながった。
「生徒たちから魔力を奪っていたのは、秘宝だったんですね」
「……僕も、手を貸していたんだと思う。全部は覚えていない。でも、奪いすぎたら死んでしまう。だから、それだけは駄目だって……必死に」
殿下の声が途切れた。
被害に遭った生徒たちは、幸い命に別条がなかった。
それは秘宝の力が弱かったからではなく、殿下が抵抗していたからなのだろう。
「ボブ殿下……」
私が一歩近づくと、殿下は慌てて手を上げた。
「来ないでくれ。いつまた、僕が僕でなくなるかわからない」
ジークハルトさまが台座を見据えたまま尋ねる。
「殿下。生徒たちを呼び出した術には、私の姿を見せるものがあったそうです。それについて、覚えはありますか」
「君の……姿?」
ボブ殿下はジークハルトさまを見た。
その目に、戸惑いとは違うものが浮かぶ。
「君は、いつもエリスのそばに……」
殿下はそこで口を閉ざし、苦しそうに首を振った。
「違う。僕は……そんなつもりじゃ……」
それ以上、言葉は続かなかった。
台座の赤黒い光が、突然、激しく脈打ったのだ。
「うっ……!」
ボブ殿下が膝をつく。
ジークハルトさまの周囲を巡っていた光が、一斉に殿下へ戻っていった。
「殿下!」
「エリス、来るな!」
殿下は床に手をつき、歯を食いしばっている。
「もう……抑えられない。今までみたいには、止められないんだ」
台座から黒い光があふれ、床の模様を伝って広がり始めた。
ジークハルトさまが私の腕を引く。
「エリス嬢、下がれ。あれに触れるな」
「でも、ボブ殿下が!」
私が障壁を張ろうとした、そのときだった。
「……ごめん、エリス」
ボブ殿下が顔を上げる。
「君まで巻き込むつもりは、なかった」
殿下が台座へ手を伸ばした。黒い光に混じって、別の色の光が走る。
足元に見知らぬ魔術陣が現れた。
「これは……?」
ジークハルトさまも驚いたように目を見開く。
「エリス、無事でいてくれ」
「待ってください! ボブ殿下も一緒に──」
魔術陣が輝きを増す。
その向こうで、殿下の身体ががくりと崩れた。
「ボブ殿下!」
倒れかけた殿下は、ゆっくりと顔を上げた。
苦しげに歪んでいた表情が、消えている。
私と目が合った。
それなのに、もう私を見ていない。
ついさっきまで必死に話しかけてくれた人と、同じ顔だとは思えなかった。
殿下が静かに立ち上がる。
その瞬間、魔術陣の光が視界を覆った。
足元の感覚が失われ、私は思わずジークハルトさまの腕に掴まる。
次に目を開けたとき、頭上には夜空が広がっていた。
「……え?」
石の床ではなく、見慣れた学園の中庭に立っている。
遠くに校舎の窓明かりが見えた。
「戻ってきた……?」
ジークハルトさまが周囲を見渡し、すぐに私のほうを向く。
「怪我はないか」
「はい。でも、ボブ殿下が……!」
私は校舎へ駆け出しかけた。地下へ戻らなくては。
けれど、ジークハルトさまが首を振る。
「さっきの入口は閉じている。地下から感じる魔力も、さらに強くなった」
「そんな……」
殿下が最後に見せた、あの表情。
もう自分の意思では動けなくなってしまったのだろうか。
「それにしても、どうして私たちはここに……。転移魔術ですの?」
「おそらくな。……あの秘宝には、ゲートを開く力があるのかもしれない」
「ゲート、ですか?」
「ああ。以前、秘宝は魔界から期限付きで貸し出されたものだと話しただろう?」
「はい。けれど、返却されずに行方がわからなくなったのですよね」
「そうだ。本来なら、期限が来れば魔界へ返すはずだった。そのためのゲートを開く機能が、秘宝自体に備わっていたとしてもおかしくない」
なるほど。魔界へ返すための手段が、最初から用意されていたということだろうか。
「さっきの転移は、その力の一部だったのかもしれないな」
私は地下で見た魔術陣を思い返した。
ボブ殿下は、秘宝の力を使って私たちを逃がしてくださったのだ。
「……助けに戻らないと」
「ああ。だが、今のままでは近づけない。まずは──」
言葉の途中で、校舎のほうから悲鳴が上がった。
私たちは顔を見合わせ、声のしたほうへ走る。
廊下に入ると、生徒たちが一人の男子生徒を囲んでいた。
男子生徒は床に倒れ、呼びかけにも反応が鈍い。
「どうしたんですの?」
「急に倒れたんです! 魔力が、どんどんなくなって……!」
私は男子生徒のそばに膝をついた。
確かに、体内の魔力が異常な速さで失われている。
そこへ、別の廊下からも助けを求める声が響いた。
「こっちにも倒れた人がいます!」
次々と人が倒れていく。
これまでの事件では、被害者の命に別条はなかった。
けれど、今は魔力が奪われる勢いがまるで違う。
ボブ殿下が、最後まで守ろうとしていたもの。
その歯止めが、なくなってしまったのだ。
「ジークハルトさま……!」
「ああ。急がないと危険だ」
私は倒れた生徒に魔力を流し込みながら、地下に残されたボブ殿下の姿を思い出していた。
ボブ殿下が必死に守ってきた生徒たちを、今度は私たちが守らなければ。




