16.地下への入口を見つけた途端、先生が豹変しました
広間の床が再び揺れ、頭上の魔術灯が不規則に明滅した。
「皆さん、出口へ! 押さずに進んでください!」
教師の声に従い、生徒たちが扉へ殺到しかける。
私は近くで立ちすくんでいた女子生徒に声をかけ、そっと背中に手を添えた。
「大丈夫よ。順番に進みましょう」
ジークハルトさまも、倒れかけた椅子を脇へ寄せて人の通り道を確保している。
先ほどまで音楽に満ちていた広間は、靴音とざわめきで騒然としていた。
「エリスさま!」
人波の向こうからメイが駆け寄ってきた。
その顔は青ざめ、ひどく動揺しているようだった。
「ご無事でしたのね。よかった……!」
「メイも無事でよかったわ。怪我はない?」
「はい。ですが、いったい何が起きたのでしょう」
「まだわからないの。先生方が調べてくださっているわ」
メイは頷き、私の隣にいるジークハルトさまに目を向けた。
その途端、ほっとした表情が消える。
「……ジークハルトさまも、ご一緒でしたのね」
「ええ。テラスにいたところで異変が起きたのです」
ジークハルトさまが答えると、メイは唇を引き結んだ。
「テラスで……お二人きりで、ですか?」
メイの声が震えた。
次の瞬間、彼女は私の腕をつかみ、自分のほうへ引き寄せようとした。
「エリスさま、目を覚ましてくださいませ! どうしてそこまで、この方に心を許してしまわれるのですか!」
「メイ? いったいどうしたの?」
いつもは私の言葉に素直に耳を傾けてくれるメイが、こんなふうに声を荒らげるなんて。
「エリスさまは公爵家のご令嬢ですのよ! もっとふさわしい方がいくらでもいらっしゃいます。それなのに、こんな……!」
「メイ、やめて。ジークハルトさまに失礼でしょう」
「ですが、エリスさま! この方が本当に誠実な方かどうか、わからないではありませんか!」
メイは私の腕をつかんだまま、必死に訴えかけてくる。
「だからこそ、わたくしが確かめて差し上げようとしたのです。エリスさまが騙されるようなことがあってはなりませんもの!」
……確かめる?
その言葉に、先ほどの光景がよみがえった。
メイはジークハルトさまに、ずいぶん親しげに話しかけていた。
「……まさか、メイ。さっきジークハルトさまに親しげに話しかけていたのは、試すためだったの?」
メイは息を呑んだ。
私の腕をつかむ手から、力が抜ける。
「……少し誘いかければ、ほかの女性にも簡単になびく、下品な方だとわかるかもしれないと思ったのです。そうすれば、エリスさまもお考えを改めてくださると……」
私は耳を疑った。
あんなに親しげにしていたのは、好意からではなかったの?
「……メイ。本気でそんなことをしたの?」
「エリスさまのためですわ! ジークハルトさまがどんな男性なのか、知っていただきたくて……」
「私のため?」
思わず声が強くなった。
ジークハルトさまを騙し、試すような真似をして、それが私のためだというの?
「あなたはジークハルトさまを騙そうとしたのよ。誘いに乗れば、悪く言うつもりだったのでしょう?」
「それは……エリスさまには、もっとふさわしい方が──」
「やめて!」
声を抑えられなかった。
メイがびくりと肩を震わせる。
「私が誰と親しくするかは、私が決めることよ。あなたがジークハルトさまをどう思っていても、あんな真似をしていい理由にはならないわ」
「……エリスさま」
「私を大切に思ってくれるのは嬉しい。でも、今回のことは許せないわ」
メイは目を伏せた。
「……申し訳ありません」
謝罪を聞いても、怒りは収まらなかった。
けれど、今は言い争っている場合ではない。
「話はあとにしましょう。今は避難が先よ」
教師に促され、メイはほかの生徒たちとともに出口へ向かった。
ジークハルトさまに向き直ると、彼は困ったように笑っていた。
「先ほどのことは、そういう事情だったようですね」
「本当に申し訳ありません。私からも、あとできちんと話しますわ」
「エリス嬢が謝ることではありません」
私をジークハルトさまから遠ざけるために、あんなことまでするなんて……。
以前、ジークハルトさまが魔力吸収事件の犯人ではないかと疑われたことを思い出す。
あの疑いを広めた人物も、まだわかっていない。
けれど、今ここでメイを問い詰めたところで、何も確かめられないだろう。
そのとき、足元から再び嫌な魔力が伝わってくる。
「……まだ収まっていませんわね」
「ええ。発生源を確かめる必要がありそうです」
ジークハルトさまは、避難誘導を終えて戻ってきた教師の一人に声をかけた。
「先生。少しお話ししたいことがあります」
事情を聞いた教師に案内され、私たちは広間の端へ向かう。
そこにはロイド先生もいらっしゃり、ほかの教師と魔術灯の異常について話していた。
「ジークハルト君、エリス嬢。二人とも怪我はありませんか?」
「はい。ご心配ありがとうございます」
「私たちは無事です。それより、今回の魔力について、お伝えしたいことがあります」
ジークハルトさまが口を開くと、ロイド先生は手元の書類を置いた。
「私の一族には、特殊な魔力を探知する術式が伝わっています。先ほどの異変にも、通常とは異なる魔力が混じっていました。発生源を追えるかもしれません」
「特殊な術式、ですか」
ロイド先生が興味深そうに眉を上げる。
「どの系統の魔術でしょう?」
「申し訳ありません。一族の秘伝なので、詳しい仕組みはお話しできません。ただ、試してみる価値はあると思います」
先生はすぐには返事をなさらなかった。
「実は、以前の栞の事件でも、奪われた魔力が地下へ流れていたのです」
私が付け加えると、ロイド先生の表情が引き締まる。
「今回の異変も地下から発生していますね。関連がある可能性は、確かに考えられます」
近くにいた教師と短く相談したあと、ロイド先生は私たちに向き直った。
「わかりました。私が同行しましょう。ただし、危険と判断したらすぐに引き返します。よろしいですね?」
「はい。ありがとうございます」
こうして私たちは、ロイド先生とともに学園内を調べることになった。
舞踏会のために飾られた廊下を抜け、人気のない校舎の奥へ向かう。
私のドレスの裾が階段に触れ、思わず足を止めた。
「歩きにくくありませんか?」
ジークハルトさまが気遣ってくださる。
「少しだけ。でも、これくらいなら大丈夫ですわ」
裾を持ち上げれば、移動に支障はない。
とはいえ、舞踏会の最中に校舎を探索することになるなんて、誰が想像できただろう。
ジークハルトさまは何度か立ち止まり、壁や床を確かめるように視線を巡らせた。
「この先です。魔力の痕跡が続いています」
「ずいぶん微かな反応なのですね。私には判別できません」
ロイド先生の問いに、ジークハルトさまは言葉を選ぶ。
「一族の術式は、魔力の強さよりも性質の違いを捉えるものなのです」
「なるほど。興味深いですね」
ロイド先生はそれ以上追及しなかったものの、ジークハルトさまの足取りを注意深く見ているようだった。
やがて、古い校舎の一角に行き着く。
壁には装飾もなく、窓も小さい。普段の授業では訪れない場所だ。
「ここで途切れています」
ジークハルトさまが足を止めたのは、何の変哲もない石壁の前だった。
「壁の向こう、ということですか?」
「おそらく」
ロイド先生が石壁に手をかざす。
淡い光の線が石の継ぎ目に沿って走り、やがて一か所で止まった。
「……妙ですね。この部分だけ、周囲と術式の構造が違います」
先生がさらに調べると、石壁の奥から低い音が響いた。
重そうな石がゆっくりと横へ動き、暗い通路が姿を現す。
「こんな場所に、地下への入口が……」
私は思わず呟いた。
開いた隙間から、ひやりとした空気が流れ出す。
先ほど広間で感じた、あの不快な魔力も混じっていた。
「先生、奥を調べますか?」
「いいえ。まずはほかの先生方に連絡を──」
ロイド先生の言葉が途切れた。
先生は私たちのほうを見ている。先ほどまでとは違う、厳しい目つきだった。
「……こそこそと。目障りですね」
「……先生?」
何をおっしゃっているのだろう。
ロイド先生が片手を上げる。その手の前に、幾重もの光の輪が重なった。
「邪魔です。消えていただきましょう」
魔術陣が、まっすぐこちらへ向けられる。
「エリス嬢、危ない!」
ジークハルトさまが私を強く抱き寄せ、自分の身体で庇った。
次の瞬間、ロイド先生の手から放たれた光が、私たちへ迫る。
どうして、先生が?
私たちが地下への入口を見つけた途端に、攻撃してくるなんて。
まるで、これ以上調べられては困るとでもいうように。
まさか──魔力吸収事件の犯人は、ロイド先生だったの?




